11話
11
約束通りに菜々のバイトが終了する15:00少し前に巧はクレマチスに行って、 バイトが終わるまでテーブル席が空いていたので、その場所で暫く仕事をしていた。
やがてバイト初日を無事終えた菜々が巧の元へとやってきた。
「今日のバイト、終わりましたっ。景山先生、勉強を教えて下さい、お願いしますっ」
カフェユニフォームから私服に着替え終えた菜々はぺこりとお辞儀をして、課題や筆記具をテーブルに並べて巧の向かい側の席へと座った。
「菜々さん、お疲れ様でした。あの、その先生と言うのは止めましょうか。『さん』づけでお願いします。仕事以外ではお互い堅苦しい話し方は止めましょう。・・・一日終えてみてどうだった?」
バイトに来てみたものの、コーヒーがメインとするこの店は予想していたのと違うからやっぱり辞めますと言う事もあり得る。
まあ、午前中に見た限りでは嬉しそうに働いている風に見えたが、こればっかりは本人に聞いてみないと分からない。
「『さん』づけですね。了解です。でも、話し方、本当に堅苦しくなくていいんですか?本当に話しますよ?」
「構わないから」
年も随分違うから気にしているんだろうけれど、俺は気楽に話して欲しいと思った。
「まあ、いいですけど。楽しかったです。今日は焼き菓子をメインに作っていたから接客はあんまり出来なくて役に立てたのかどうか分からないけど・・・」
「とんでも無い。助かりました。焼き菓子をメインに作ってたといっても、他にフレンチトーストの注文が入った時はそれも作りながら同時進行でやってくれましたし。もちろん両方の商品は合格レベルでした。とてもアルバイト初日と思えませんでしたよ」
気弱そうに答えた彼女に、いつの間にか浩介が巧達の所に来て、今日の菜々のバイトの成果を手放しで褒めた。
「それは凄いな」
褒められた当人を巧が見ると、照れ笑いしていた。
「えへへ、私、明日からも頑張りますねー」
そう言って照れて頬を赤くする所が、また巧の鼓動を速める要素の一つとなった。
その後は、約束していた通り課題の手伝いを開始した。
テーブルの上に広げられたのは、まだ一問も手が付けられた様子が無い数学の課題だ。割とページ数があるテキストの最初のページは基本問題ばかりが並べられている。
取りあえずどれぐらい理解して計算できるのか見る為に、巧は口出しをせずに1ページ目を菜々に自力で解いて貰う事にして、その間自分の仕事をする為パソコンに向かった。
10分程してどれぐらい進んだかパソコンの液晶画面からテキストへと視線を移すと、まだ1問目と格闘中の唸りながらシャープペンを力いっぱい握りしめている菜々の姿が見えた。
その姿を見ると、何だか脱力した巧だった。
このまま続けていても無理だろうと判断すると、教科書を開いても良いからと菜々を促した。けれど、結果は変わらなかった。
巧は傍で見ていて思った事だが、彼女は苦手の教科だというだけで、肩に力が入りすぎて委縮してしまっている。肩の力が抜けない事には、解けるものも解けないだろう。取りあえず、一息入れてからにするかと思い、まだ勉強を始めてそんなに時間は経っていないが、甘いものを作ってもらえるよう浩介に頼んだ。
「甘いものなら何でもいいんですか?」
「何でもいいよ。簡単に作れるもので」
早速作る為に冷蔵庫の扉を開けた浩介見て、菜々は巧に言った。
「私が代わりに作っていいですか?」
「菜々さんが?」
「そう、私のオリジナルスペシャルスイーツ!っていうか、景山さんってもしかして甘党?私もですよー」
オリジナルと言うフレーズに心魅かれた巧は、店に丁度誰も客が居ないタイミングだったのも有って菜々に作ってもらう事にした。
「そう、自他共に認めるもの凄い甘党。じゃあ、お願いしようかな」
「はーい、じゃあ張り切って美味しいの作ってきまーす」
甘党と聞いても特に引く事も、軽蔑するような事もなく普通に接してくれて、テキストに向かっていた時とは違って、にこやかに返事をして足取りも軽くキッチンにいる浩介の元へと行った。
菜々の兄も甘党だから免疫も有ったんだろうが、最近は甘味男子も増えているとはいえ、巧が甘党と知ると大抵の言い寄った来た女性達は、巧見た目がストイックそうに見えるだの、甘いものなんて食べるのは似合わないだのと、兎に角勝手にイメージを押し付けた挙句、幻滅するとかと言って、来るのも去るのも身勝手な者が多かったから、こういう風に肯定されるのは嬉しかった。
直ぐ出来ると言ったとおり、10分もしないうちに2人分のスイーツを手に菜々は巧の元へと運んできた。
ワンプレートのお皿には、ココットと呼ばれる小さな耐熱陶器にバニラアイスの上からホットコーヒーを掛けたアフォガードと、生クリームをたっぷり絞った所に、焼き菓子のクッキーが2枚とブルーベリーが添えられていて、皿全体にはシュクレフィレ(日本語では糸飴)を使ってデコレーションまでされていた。
コーヒーだけは浩介が淹れたみたいだが、それ例外の手際の良さと盛り付け方は、日頃から作っているからこそのものだろう。
作っている時の彼女の横顔も見たが、真剣さもあったが、楽しんで作っていたという印象の方が強い。
「凄いな、確かにスペシャルだ。有り難う、頂きます」
巧はシュクレフィレをまずスプーンの先を使って割る様にしてから、アフォガードからひと口頂いた。
「うん、美味しい」
冷たいものと温かいもの、苦みのあるものと甘いもの。アイスが溶けていくのと一緒にコーヒーの苦みがまろやかになってするりと入っていく。
クッキーに生クリームを付けて食べるのも、シュクレフィレもサクサクとした触感が面白くて美味しくて、あっという間に完食してしまった。
「御馳走様でした」
ボリュームにも味にも満足だった。先に食べ終えてしまった巧は、まだ食べている菜々を見ながら思った。
今食べたものを店のメニューとしても良いんじゃないかと。
使った材料は元々あった物だけを使って作ったものだから、これならば出来ると考え付いたのだ。
今後、新たなスイーツも増やそうと考えていたので、うってつけだと思う。
菜々にバイトの合間に作ってもらおうと思って、普段使っていない材料も幾つか購入してはみたが、初日の今日はまだその話はしていない。
「菜々さん、お願いが有るんですが。これを明日から店のメニューとして作ってもらう事は出来ますか?」
いきなりそんな事を言われた菜々はきょとんとした。
「これを明日から店で出すんですか?」
「そう。お願いできますか?」
「それは別に構いませんけど、こんな簡単にバイトが作ったスイーツをメニューに加えちゃっていいんですか?なんならもう少し手の込んだものを幾つか試してからの方が良くないですか?」
「手の込んだもの、ですか?それも是非試してみたい所ですね。それだと、例えばどんなものが作れます?」
「そうですねぇ・・・」
菜々は、一通りみせて貰った材料と冷蔵庫の中身を思い出して、作れるものを挙げて言った。
「プリンの種類だと、カスタードプリン、ミルクプリン、クレームブリュレ、ババロア、パンナコッタとか。シュークリームでしょ。ケーキだとシフォンケーキ、スフレ、後、チョコとチーズが有ればチョコケーキに、フォンダンショコラ、ガトーショコラに、チーズスフレに、チーズケーキ、レアチーズケーキに―――」
まだ次々と挙げられていくスイーツメニューの途中で巧は割り込んだ。
「菜々さん、ストップ、ストップ。そんなに一気に増やせないし、メニューは出せないから候補を絞るかしないと・・・あ、あ―――菜々さんには、もの凄く面倒かも知れないけど」
話をしている途中で、ふっと閃いた。
「ランチタイムの時間だけ出す、数量限定の毎日日替わりスイーツっていうのは出来ないかな?」
やります!と言って菜々は元気よく朗らかに賛成してくれて、明日から夏休み限定スイーツ販売が決定した。




