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第八話

 突然立ち上がった悠木にセルヴァンとシヴァ、それにシェラと全員が驚く。一体何が此れから起こるのか、全く予想出来なかった三人は静かに悠木を見守る。誰かが緊張感からか、ごくりと唾を飲み込む音がしたような、気がした。それ程までに今この部屋の空気は、張り詰めているのだろう。


「ッ救世主様!」


 それはほんの一瞬の間だった。立ち上がった悠木が、何処かおぼつかない足取りで、けれどその割には早い速度で一直線に目指す先にあるもの。それは窓。一体何故、と各々が思考を巡らせて。一番早く結論に辿り着いたのは、先程悠木の異変にいち早く気が付いたシヴァであったのだけれども。それでも、気付いたときにはもう、遅い。

 駆け寄りながらシヴァが叫ぶと同時に、がしゃんと派手な音が部屋に響く。それは悠木が窓を、自分の両手で、思い切り割った音に他ならなかった。悠木が割った窓からぶわりと、風が舞い込む。男にしては少し長めの髪が風に遊ばれるが、然し気にした様子は無い。ゆっくりと腰を曲げて、割れた破片を手に取れば。

 何の躊躇いもなく悠木は破片を自分の頸動脈に向けて、振り下ろす。けれどそれが悠木の首の皮膚を裂く事は無く、僅差で間に合ったシヴァの手によって止められた。僅かに息を切らしながら、けれど力強く悠木の腕を掴むシヴァを、生気のない目で悠木は見上げる。


「……あなたはッ! 今何をしようとしていたんですか!」

「死のうと思って」


 誰が見ても分かりきっていた事であったが、聞かずにはいられなかったのだろう。声を荒げ叫ぶように言うシヴァに、悠木は抑揚の無い声で答える。其処には籠るべき感情が籠らず、思わずぞっとしてしまうような感覚を、この場に居る誰もが味わった。

――壊れてしまった人形。それが今最も悠木に似合う言葉。何が切欠であったのかは、この場に居る誰も分からない。知っているのは悠木だけ。けれど確実に、セルヴァンの言葉が引き金で壊れてしまった事は、この場に居る誰の目からしても明白で。


「…………シェラ、セルヴァン様をお連れしろ。今後一切この方の近くに寄らぬよう、見張りを付ける事も忘れずに」

「おいッ! お前にそんな権限があると思ってッ……!」

「ええ。何せ私は貴方と違い”奏者代理”ですから。この方を、お守りする義務がありますので。何なら衛兵を呼び、世界を救って下さる救世主に無礼を働いたとして、投獄しても宜しいんですよ? いいえ、本来であればそうする必要があります。けれどそうしないのは、温情だと。そうは思いませんか、”父上”」

「…………ッ」


 落ち着きを取り戻したのか、或いは落ち着かねばと思って必死に堪えているが故なのかは分からない。けれど淡々とした様子で告げるシヴァに対し、今度はセルヴァンが声を荒げた。この男は相も変わらず救世主に固執している。或いは救世主ではなく、悠木でもない。もっと別のものに固執しているのかもしれないけれど。

 公の場では決して呼ぶ事の無い、その呼び方で。シヴァがセルヴァンの事を呼ぶと、荒げていた声を収めて苦々しい顔をする。未だ言いたい事はあるし、反論もしてやりたいといった顔ではあるが、これ以上何か言おうものならシヴァは本当に衛兵を呼ぶだろう。その確信があったからこそ、セルヴァンは押し黙ったに違いない。

 一度キツくシヴァの事を睨みつければ、それだけに留めシェラを伴って荒々しく部屋を後にする。その背中を見送り退室した事を見届ければ、シヴァは悠木に向き直った。相変わらずその目は何も映していない。しずかに、しずかに、何もかもを拒絶した、そんな表情。

 痛々しかった。原因が自らの父親であるが故に、申し訳なさもこみ上げてくる。本当なら自らも居ない方が良いだろうという事をシヴァは良く分かっていたが、然し今此処で悠木を一人にしてしまっては、何があるか分からない。何せ今しがた、躊躇なく死のうとしたばかりなのだから。

 ゆっくりと手首を掴んでいない方の手で、悠木が持つ硝子の破片を回収する。幸いな事に抵抗無く取り上げれたそれを、床に散らばる破片の中に放り投げて紛れ込ませれば、優しく悠木の手を引いて元座っていたソファに座らせた。


「救世主様、我が父が大変な無礼を働いてしまいました事、誠に申し訳ありませんでした」


 握っていた手首から手へと移動させて、悠木の足下に跪き騎士の礼のような格好をしながら謝罪の言葉を口にする。果たしてそれが悠木の耳に入るのか、それは分からなかったけれども。気休めでも何でも、それが最低限の礼儀であると思ったから。少しの間体勢を崩さず待てども、然し悠木の声は聞こえてこない。そういうことなのだろうと思えば、特に気にする事も無くすくりと立ち上がる。


「少しお待ち下さい。今、手当の道具と落ち着く効果のある飲み物を侍女に頼んできますので」


 頸動脈への傷はなかったが、然し素手で窓硝子を割ったのだ。両手はそれなりに、破片のせいで腕も傷だらけ。たらりたらりと流れる血が多くない事は、不幸中の幸いであったといえよう。

 自分でそれらを持って来れれば良かったのだが、今は悠木から目を離さない事が先決。無気力状態でシヴァの行動に大人しく付き従っている事から、また衝動出来に死のうとはしないだろうとは予測出来た。然し、それは確実な事ではない。故にシヴァはなるべく悠木に視線を向けつつ、部屋の外で待機しているだろう侍女に一つ二つ、言伝を頼むだけに留めて悠木の元へと舞い戻る。

 何をするでもなく、ただただ二人、じっとその場に留まる姿は少しだけ異様に見えた。シヴァは話しかけるべきかどうか迷っている訳ではなく、悠木が落ち着き話せるようになるまで、待っているのだろう。今話しかけても悠木の耳には届いていないだろう事を、先程知ったから。また此処で下手に話しかけるのは、逆効果であるように感じたからというもの大きいかもしれない。

 暫くして控えめに扉が叩かれる音が部屋に響く。どうぞ、とシヴァが入室を促す声を掛けると姿を現したのはシェラだった。先程頼んだだろうセルヴァンに対する処置は終わったらしい。シヴァは小さく一度頷くと、そのままシェラの元に歩み寄り、手当に使う道具一式を受け取る。その足で悠木の元へと行けば、少し前と同じように足下に跪く。


「手を拝借させて頂きます」


 聞いてないだろうとは分かっていたが、せめてもとそう声を掛けてからシヴァは悠木の手を取る。余り外に出ていないのだろうか、随分と白い色の手から真っ赤な血が流れ出ているせいで、随分痛々しく感じた。所々乾燥してしまったが故に、黒く変色しているのがよりいっそう、それを際立たせていもいるのだろう。

 一度小さく息を吐き出し怪我の具合を確認してから、一度悠木の手を離して処置に必要なものを箱から取り出した。消毒液にピンセット、それから脱脂綿。ピンセットで脱脂綿を摘み、消毒液をこれでもかと言わんばかりに脱脂綿に振りかける。全体的にひたひたになった事を目視で確認すれば、再度悠木の手を取って怪我の一つ一つに当てていく。

 傷は深くはないが、決して浅くもない。細かな傷が多く、間違いなく染みるだろう。けれど悠木は呻き声一つ上げる事無く、それどころか表情すらぴくりとも動かさなかった。シヴァにはそれがとても異様な事に思えて、やはり壊れてしまった――否、壊してしまったのだと改めて認識させられる。それも軽度などではなく、完全に。

 直接的な原因ではないにしろ、そうしてしまったことに多大な責任を感じざるを得ない。人を殺してしまうより、ずっとずっと重たく感じるのは何故だろう。そんな事をぼんやりと頭の片隅で思考しながらも、手は動かしていく。

 両手両腕、見て分かる限りの傷全てを消毒終えれば、飛び散った小さな破片を処理しきった事をそっと撫ぜるようにして確認する。引っ掛かる事無く、滑らせる事が出来れば、片手で箱を漁りガーゼと包帯を取り出す。決して狭くない範囲だ。一度に全てガーゼを乗せて、とは行かず少しずつ、少しずつ、ガーゼを乗せては包帯で固定して、という細やかな作業を繰り返す。

 全てを終えた頃には、始めた時より随分と時間が経っていた。おまけに悠木の両手はまるでミイラのように、真っ白になっている。傷の範囲などを考えれば致し方がないことなのだろうけれども、然し動かしにくいだろう。完全に自業自得ではあるのだけれども。

 包帯にたるみが無い事を確認すれば、満足したようにシヴァは小さく頷く。それから立ち上がろうとして、けれども物騒な発言を聞いたきり、離す事の無かった目の前の人物がぽつりと言葉を漏らしたのが聞こえれば、そのままの体勢を保った。


「どうして」


 それは一体、何に対しての言葉だったのだろうか。小さく紡がれた言葉の意味を計り兼ねて、シヴァは僅かに首を傾げる。それから色々と考えてみたのだけれども、如何にもこうにも何故その言葉が出てきたのか、皆目検討が付かない。

 聞こうか聞くまいか、逡巡して結局口を開きかけた時。シヴァが言葉を発するよりも先に、悠木が言葉を重ねる。


「どうして、助けたの。手当までして……放っておけば、良かったじゃない」


 悠木からしてみれば、むしろそうして欲しかった。頸動脈を切る事は出来なかったが、手当をされる事が無ければそのうち失血死出来たかもしれないのに。シヴァがこの場に留まらなければ或いは、また同じように首を搔っ切ろうとしただろう。無論シヴァが居たところで、二度目のチャレンジをすれば良かったのだけれども。

 ひしひしと感じる、心配だと言わんばかりの空気に、そうすることはとても憚られたのだ。

 相変わらず抑揚も無い声で、その表情は色も無い。目の生気も失われたままであるが、然し何処か先程よりも少し、マシなようにシヴァの目には映る。何だかそれが嬉しくて仕方が無く、不用意であると分かっていても思わず笑みが零れた。とはいえ、僅かに口角が上がったのみという程度であったが。


「さあ、何故でしょうね。私にも分かりません。でも、確かな事が一つあります。例え貴方が救世主でなくとも――私は、貴方を止めて、同じように手当しただろう、ということです」


 何が答えで、起爆点かなんて分からない。だからシヴァは悩む事無く、素直にありのままの気持ちを言葉にする。例えそれが、父と呼ぶその人の二の舞になってしまったとしても――否、きっとそうなってしまわない予感は何処かしていた――後悔はしないだろう。だってこれは、まごうことなくシヴァの本心であるから。

 このまま彼が死んでしまえば或いは、と全く思わなかったと言えば嘘になる。シヴァとて聖人君子ではないのだから。けれどそれ以上に放っておけなかったし、何よりシヴァには悠木を此方に喚んだ責任があった。勝手に喚び寄せておいて、死にそうになってしまえば放置とは寝覚めが悪いどころの騒ぎではない。

 それに追いつめたのは、直接的な原因はセルヴァンにしろ、自身にも一端あるとシヴァが思っていたのもあるだろう。

 晴れ晴れとした雰囲気をその肌で感じた悠木はひゅっと息を飲む。訳が分からなかった。何故この男は、先程であったばかりの男に、此処までして、こんな風に優しい言葉を投げ掛けるのか、怖くて、こわくて、こわくて、仕方が無かった。そこに一切の嘘が混じっていないように感じたのも、恐怖を助長させる。

 けれど不思議と、悪い気はしない。それどころか悠木の中に混在しいた様々な気持ちを拭い去り、少しだけ――ほんの少しだけ。この男は信頼しても良いのではと。此処で生きて、彼らが求める救世主を演じても良いのでは、なんて。そんな気持ちが芽生えたのだ。

 先程の質問にシヴァがセルヴァンのような狂信振りを見せていれば。もしくは、救世主であるからといった答えを返していたのなら、きっと悠木はこう思う事は無かっただろう。例えそれが嘘でも、打算でまみれていたとしても――悠木にとって、シヴァのその一言は、如何しようもなく嬉しいものであったに違いない。

 とどのつまり、悠木は誰かに自分のその存在を認めて欲しかったのだ。幸いか不幸か本人は未だ一切それらに気付いていないのだけれども。


「…………君、頭可笑しいんじゃないの」

「ええ、良く言われます」


 一見すればただの暴言。けれどその顔には少しとはいえ色が戻り、生気がなかった目には光が戻っている。無表情であったそこに、僅かであったが照れた様子が垣間見えなくもない。それを見たシヴァは安堵した表情で、そして静かに笑いながら答えた。悠木の言葉が照れ隠しからくるものであると、分かったから。

 死のうと思って、本能的にそれを実行していた人間が。今此処に生きて、自分に対して少し心を開いてくれた事に、シヴァは如何しようもない喜びを感じた。きっと悠木の言うように頭が可笑しいに違いない。然しそれでもシヴァは思う。

――自分だけはこの人の味方でいようと。それは例えるならば、中々懐かなかったペットが、漸く自らの手にすり寄ってきてくれた事を喜ぶ。そんな感情に等しいのかもしれない。であっても、きっと此処でシヴァが悠木を裏切れば、今度こそ悠木は本当にその命を絶ってしまうだろう。

 手懐けて自分の言う事を聞くように、と野心家であれば思うだろう現状。然しシヴァは自分の器というものを、よくよく知っていた。人の上に立つ器量も度胸も無い。出世欲も薄く、願うのはただただ平凡である事。性根が優しい男なのだ。シヴァという人間は。

 悠木も人の上に立つ人間ではない。けれど、それでも立たねばならないのだ。それは宿命であり、定めであり、どうしようもなく覆せないもの。だから、せめて――彼を支え、彼の心の拠り所になれるように。例えそれが今だけだとしても。

 何故此れ程までに思うのかシヴァ本人も分からなかったが、追々考えれば良い事。今はただ、こうして悠木がほんの少しとはいえ、立ち直った様子をみせた事を、素直に喜んだ。悠木が可笑しいものを見る目をよこしていたとしても、気にすることなく。

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