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第五話

 侍女シェラと黒いフードの男――そういえば此れだけ話しているというのに、未だ男の名前を知らない事に悠木はつい先程気が付いた。残念ながらそれでも知りたいとは思えなかったが――二人に付き従い、建物の廊下を歩く。相変わらず絨毯はふかふかだ。いっそ憎らしいくらいに。

 毛を踏みしめながら歩けば先程と同じように、十分としないうちに外へと続く扉が見えてくる。そこを潜り庭へと降り立てば、成る程確かにと悠木は頷く。

 目の前に広がる緑の先に見えるのは、窓からも見えた薄く紫色に光る、水晶のような材質で出来た塔。相変わらず部屋の窓から見た時同様それとの距離は遠い。然し窓からは見えなかった小さな隆起のように連なった塔のミニチュア版、といった装いのそれはとても近くにあった。

 とはいえ本体との距離は変わらない。幾ら続くミニチュア版の入り口がすぐそこにあったとしても、だ。おまけにラフィーネの本体にある奏者のみ訪れる事が出来る場所、ということは。つまり先程の部屋はそうではないということ。数多の人が集まっていた事から、その事は先ず間違いないだろう。

 安易に考えすぐ着くと思い込んでいた悠木は、一体何れ程歩かねばならぬのかと思い、かなり憂鬱な気分に見舞われた。


「……ねえ」

「はい、何で御座いましょうか?」

「どれくらい歩かなきゃならないの?」


 目測通りであるならば、かなりご遠慮願いたい。そう言わんばかりの態度で――事実悠木は一人その場に立ち止まり、前の二人とはそれなりの距離が開いていた――問い掛ける。呼び掛けられて初めて悠木との距離が開いている事に気付いた二人は、慌てて悠木に駆け寄ってきた。きっと生い茂る緑が足音を消していた故に、気付けなかったのだろう。

 歩く、と聞いた二人はお互いを見合わせて目を瞬かせた。その目は何を言っているのか分からない、といった様子。思わずそんな可笑しなことを言っただろうかと、悠木は首を傾げそうになる。けれどどれだけ考えたところで、至極普通の質問を投げ掛けただけだという結論にしか至らない。

 知らず知らず怪訝そうに眉間に皺を寄せそうになった悠木であったが、然し男は一つ思い当たる節でもあったのだろう。あっと言わんばかりの表情を浮かべた後、悠木のその疑問に答えるべく男は口を開く。


「先程……ユウキ様を此方に御呼びした折、使用した部屋まで足をお運び頂きましたら、そこからラフィーネ内部へといける手筈となっております」

「とはいうけど、あれ。かなりの距離があるようにみえるよ? どうやっていくつもり」

「あちら側にシヴァがおりますので、我らが部屋に訪れれば本体まで喚べるよう、取り計らっているはずです」

「喚ぶって……」


 いまいち要領を得ない説明に、けれどももう慣れたのだろう。小さく溜息を一つ零せば、思考を閉ざす。考えるだけ無駄と言わんばかりだ。実際どうせ此れから体験する事。なれば早く向かうが吉か、と判断すれば頷くと同時に分かった、と。そう言うが早いか、悠木は一歩を踏み出す。

 納得してもらえたのだと思った男はシェラを促しつつ、再び悠木を先導し案内する為歩き出した。無言のままさくさくと進む。少しもしないうちに塔のミニチュア版入り口に辿り着けば、扉を開けて中に入っていく。

 太陽の暖かな光が広がる外とは違い、妙に薄暗い其処に入るのは一度通った道とはいえ、若干の惑いが生まれる。けれど行かない訳にもいくまい。扉を開けるように待っているシェラに頭を下げながら、如何靴のような其処に足を踏み入れた。

 やはり最初に通ったときと同じく四方八方を石に囲まれている。だと言うのに電気が通っている形跡はなく、足下を照らすのは一定間隔で付けられた蝋燭だけが頼りというその状況。蝋燭では明かりとしては心もとない。おまけに明かりが蝋燭であるせいで、不気味さを助長させているといっても良いだろう。

 如何にかならないものなのかと思うが、ならないからこうあるに違いない。外の派手な見た目とは程遠く、地味である内部に神器と言えどもそんなものか、と思う。悠木のその感想は或る意味当然とも言える。

 石造りの回廊を薄ら照らされるだけの灯りのもと、黒いフードの男、悠木、シェラと縦一列に並んで進む。その歩調は全体的にゆっくりだった。然し三人並んでいるというのもあるだろうが、足下がぼんやりと見えるだけのそこでは速度としては適正なのかもしれない。

 けして目が悪い訳ではないが、暗がりにはなれていないということもあって悠木は必死に目を凝らして歩く。そうでなければ、うっかり段差などあれば踏み外してしまいかねなかったからだ。とはいえ、一度歩いた道。何も無い事は分かっているのだけれども。此処が異世界であると認識した今。もしかしたら、という何かあるかもしれないと思う気持ちが悠木の中にあるのだろう。本人自覚しているかどうかは、定かではないが。

 暫し無言で回廊を歩けば、開けた場所に出る。大方其処が目的地に違いなかった。何故なら男が部屋の中央で悠木たちを待っていたから。

 此処に引きずり込まれたときには確認する余裕が無かったが故、回廊に続くところから少し歩いたところに立てば――後ろを歩いていたシェラへの配慮だ――ぐるりと辺りを見渡す。小部屋と呼ぶに相応しいそこはとりわけ特徴があるわけではなく、先程まで歩いて来た回廊と何ら変わらない。左右上下に押し広げて正方形を保っている、という印象。

 男は喚ぶだの取り計らうだのと言っていたが、然し向こうに到着を告げる為の装置らしき物は悠木が見た限り、見当たらなかった。はて一体如何やってシヴァという男は悠木たちを喚ぶのか。疑問を抱く。それはある種当然の思考とも言えたが、聞くだけ無駄だという事を先程認識した悠木が口を開く事は無い。

 ただ無駄足か、それともなにかあるのかとぼんやりと思考していれば――ふわりとした、以前にも体験した浮遊感が悠木を襲う。

 突然のそれに悠木は思わず身構える。見に覚えのある――此処に連れてこられた折、感じたそれだ――ものだったから。固い石を感じていた筈の足は、その感覚を失う。戸惑いながらシェラと男がいるだろう所に視線を向ければ、頭を下げた二人が見える。その瞬間、あっという声が出る暇もなく悠木の視界は一転し、靴越しに石畳の感覚を取り戻した。

 かつん、と静かな其処に響いた音は正しく悠木の耳に届いている。石の壁に天井。シェラと男が居ない事以外、何ら代わり映えの無い其処に悠木は思わずがっくりとうなだれそうになる。けれどすぐさま、あるわけないよな、と自分に言い聞かせる。

 一瞬期待した。もしかしたら何事も無かったかのように、自分の元居た世界へ帰れるのでは、と。然し悠木を救世主として立たせる事に固執する男が、そんな事する訳が無かったのだ。分かりきっていた事だというのに、同じ感覚を味わったが故。もしかしたら、と思ってしまうのは幾ら悠木といえども道理なのかもしれない。

 しずかに息を吐き出す。期待も何もかも、放り出してしまうかのように。それから一呼吸置いて、さて、如何したら良いのかと悠木は辺りを一度見渡した。四方八方を石で囲まれていたが、先程の部屋と同じように何処かへと続く空洞の存在を認めれば、此処を進めば良いのかと思って悠木は一歩、足を踏み出す。

 男でもシェラでも、着いてくるなり教えてくれるなり、してくれても良かったものを。思わずそう内心で零してしまうのも仕方が無い。何も知らされずこんなところに一人飛ばされれば、戸惑う事は必須だ。

 何かを警戒するように、或いは誰かに聞かせるように靴音を響かせながら、小部屋から出て回廊へと進む。相変わらず薄暗いそこは不気味という一言に尽きた。一度目とも二度目とも違い、完全に一人であるが故か。恐怖心を倍増させる。或いは此処が何処へ繋がるものか、一体自分がどんな状況に置かれているか、正しく判別出来ないが故とも言えるかもしれない。

 けれど悠木の顔は相変わらず平素通り、何も感じさせない表情しか浮かんでいなかった。無表情ともいえるそれは、恐怖の欠片一つとして伺えない。実際、こんな状況下であれば泣き叫ぶか震えて立ち止まるのが普通の反応だろう。然し悠木は進む。ただひたすらに。それは悠木が恐怖を抱いていない、というより何も感じていない証拠であった。

 多少説明の無さ、話の通じなさにいらだちは感じれどそれ以上の感情は持ち得ない。感情を揺さぶられはしたけれど、然し自身を見失ってしまう程ではなかった。普通の人なれば恐怖心を抱くだろう現状、けれど少しとして悠木はそれらに準ずる感情さえ持ち得なかったのである。

 それどころかわざと足音を鳴らしている事から、至極冷静に事に及んでいると判断しても良い。薄暗い回廊だ、足音を消して或いは普通に歩く程度では、誰かが向かいから来ても悠木の存在に気付かない可能性が高いだろう。その懸念を消す為、悠木はわざと音を出しているのだ。

 誰かが居れば如何して、と問うただろう。何故そうも冷静に事に及べるのかと。さすればきっと悠木はこう答えるに違いない。

――おびえたり泣いたり、誰かを待っていても助けなんて来ないんだから、と。

 男であるが故に白馬の王子様を夢見る事はなかったけれど、それが幻想であると知っていた。待っていれば誰かが助けてくれる。助けてと言えば、誰かが助けてくれる、なんて。あり得ないのだ。それらは悠木にとって白雪姫やシンデレラと言ったお伽噺の世界と、等しく同じ存在。

 だから悠木は進む、たった一人で。まるで世界の全てが敵で、信じられない存在だと言わんばかりに。

 何れ程歩いたか。ずっと同じ光景であるが為、認識しづらい。一方通行であったが為に、方向感覚が狂うことはなかったが、時間感覚と距離感は多いに狂ってしまった気がする。そんな風に思いながら変わらない歩調で回廊を突き進んでいれば、向かいから僅かに足音が聞こえて来た。

 誰か来る。それは間違いなかった。正確に距離感を掴むことは出来なかったが、ある程度の目測を付ける。このまま悠木も相手も歩き続ければ、五分としないうちにかち合うだろう。とすれば、自然と悠木は早足になった。現状を把握術があるのだ、頼らずして如何すると言わんばかりに。


「救世主様、で御座いますか……?」


 悠木の読み通り少し進んだ先で人とかち合う。お互いあまり近寄る気はなかったのか、二人の間の距離は二メートル近くもあった。それと薄暗さが相まって、お互いの顔が確認出来ない。故に向かいから来た人物――声からして男に違いなかった――は恐る恐る、といった様子で悠木に問い掛けた――それくらいならば、もっと距離を縮めて確認すればよかったのだろうが、そうしなかったのは万一何かあっては困ると言った自衛の手段からだろう。それには悠木も大いに賛成するが故、気にする事はなかった――


「そうだけど。っていえば、信じられるの?」

「……申し訳ありません。年の為に、ご確認させて頂いただけですので、どうか御気分を悪くなされないでください」


 とはいえ、距離を取って確認をしても、それではいそうですかと信じるのであれば何も意味が無い。悠木はそういう意味も込めて、皮肉めいた返しをしたのだけれども。男はさして気にした様子は見受けられず、それどころかかつかつと靴音を響かせて一気に悠木との距離を縮めに掛かる。

 あっという間に二メートルもあった二人の間は、一メートルも切り、薄暗いこの回廊でもお互いの顔を目視出来るまでに縮む。思わずぎょっとしたのは悠木だ。突然の事にざり、と後退りそうになったのを堪えた。


「先程セルヴァン様よりご紹介頂きました、シヴァです。救世主様をこの世界に御呼びしたのも、あの部屋にお連れしたのも私に御座います。……然し、今日は大きな力を使いましたが故、二度目は座標位置の設定を失敗し、僅かにずれたところにお連れしてしまった事。お詫び申し上げます。本当でしたら、私の居る場所にお呼びする手筈だったのです」

「……、……嗚呼。うん。気にしなくて良いよ。こうしてわざわざ迎えに来てくれた訳なんだし」

「ですが……怒られないのですね。慣れた私でも不気味だと感じるあのような場所に、一人にしてしまったことに」

「だってわざとじゃないんでしょ。じゃあ仕方ないじゃない。違う? それに君を責めたところで、過去が変わる訳でもないから」

「確かにそうですが……いえ、なんでもありません」


 意図してあそこに連れてこられたのかと思いきや、どうやら違ったらしい。成る程。であれば、説明の一つもなかった事は頷けた。これは些細な事故だったのだと思えば、先程感じた苛立はすうっと消える――黒いローブの男の話の通じなさや聞かなさにおいては、半ば諦めていたが故であったが――

 セルヴァンという知らない名前が出て来たが、前後の文脈からそれがあの黒いローブの男だという事を推測すれば、そんな名なのか。と一応頭の隅にでも置いておくことにしたようだ。ようやくもって、男の名を知ったが然し感慨も何も湧く事は無い。

 謝罪の言葉を向けた悠木の反応が、いまいち薄かったからだろう。男――シヴァは色々もの言いたそうにしている。とはいえ、何かを言うということを諦めたのか。それとも自身のような身では意を呈するべきではないと思ったのかは分からないが、口を噤む。

 一度目を伏せて、それから切り替えるようにシヴァは悠木に着いてくるよう促せば、くるりと踵を返して歩き出す。幾らか歩き進めたところで、あの部屋から目的地までは残り四分の一も無い事をシヴァから告げられた悠木は、何処かほっとしたような表情を浮かべた。残り距離を把握しているのとしていないのでは、心の持ちようが違うと言わんばかりに。

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