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第四話

「――……を、首を、見せては頂けないでしょうか」


 ようやっとの事で男が絞り出したのは、そんな素っ頓狂な台詞。さしもの悠木といえ、これは予想していなかったようで、目を瞬かせる。

 一瞬の後。けれど悠木は直に我を取り戻せば、探るような目つきで男を見た。あの話から何を如何転ばせれば、そういう思考に飛ぶのか理解出来なかったからだろう。

 暫しの沈黙の後。悠木は何故、と男に直接聞く事にしたようで、問い掛ける。考えたところで答えが分かる訳もなく、時間の無駄になるからと判断したからだ。

 悠木に問い掛けられた男は、一層頭を深く下げる。それが悠木の機嫌を良くすると、思っているかのように。


「左耳の少し下、首筋の辺りに八枚花弁の痣があれば……それが、間違いなく”証”であるからです。ユウキ様が、我らが神――ハトホル様に愛されている、そして真に救世主であるという」


 男の背筋にはたらりと汗が伝う。部屋の中は、妙な緊張感で包まれていた。

 自らが求めた解説が男の口から飛び出せば悠木は逡巡する。そんなアニメや何かのような話、本来の悠木なら笑い飛ばしていただろう。事実、途中まで何と言われようとも、鼻で笑ってやるつもりだったのだ。

 けれど正確に場所と、その模様を言い当てられれば、そうは出来ない。

 確かに男の言う通りの場所に、花のような痣があることを悠木は知っていた。決して大きくはない、パッと見はただの痣にしか見えないそれ。昔両親に言われ、よくよく見ていなければ八枚花弁の痣だとは悠木だって思わなかっただろう。

 見せるか、見せまいか――見せないという選択をする時点で、あるという事を認めている他ならないのだけれども――悩んだ挙げ句。結局、素直に男にそれを見せる事にした。もしかしたら、男が思い描くそれとは全然違う可能性だってあるのだから。

 それに、だ。例え本当に痣が男の言うものであったとしても。悠木の過去は、何一つ変わらない。もう二度とピアノは愚か、楽器の一つだって弾けやしないのだから。

 一度目を閉じ、深く息を吐き出して、吸う。心を落ち着けるようにそうすれば、ゆっくりと瞼を持ち上げてる。そして男にしては少し長いその黒髪を、左手でかき分け後ろに除け、痣が見えるようにした。


「……如何? 此れで見える?」


 素直に応じてくれるとは、余り思っていなかったのだろう。悠木の今までの態度を顧みれば、それはある種当然の思考。だから、男は隠す事なく――否、隠せなかったというべきか――驚いた様子を見せる。

 然しそれで悠木の機嫌の損ねては、と思った男はすぐさまに取り繕う。だが残念な事に悠木は男のその態度を見ていたが、何も思わなかったようで――というよりも早く確認して欲しいだけなのかもしれない。存外腕を持ち上げているというのは、疲れるのだ――変化の一つとして見せない。

 変わらない悠木の態度を、男は図りかねたが何も言わないという事は、気にしてないのだろう。そう判断して――早く確認しなければ、悠木の気が変わるかもしれないと思ったのもあるだろう――立ち上がる。

 失礼します、と小さく呟くと同時にそっと悠木の首元を覗き込む。其処には確かに、くっきりと痣があった。男が言った通りの、八枚花弁の、痣が。

 文献に残るそれと寸分違わぬ、それどころか書物に文書として書かれていた以上にはっきりと残るその痣に、男は確かにと言わんばかりに首を縦に振り頷く。

 やはり黒川悠木という少年は、男にとって――否、この世界にとって。間違いなく救世主であった。


「――間違い御座いません。ユウキ様の首にありますこの痣は八枚花弁……それも、きっと過去召喚されたどの救世主様よりも、色濃くあります」


 元の位置に戻り、跪く。頭を垂れながら男はしっかりとした口調で事実をありのまま告げた。その心はもしかしたら、という歓喜に打ち震えていたが表に出さぬよう押し隠す。

 幸い悠木は男のそんな様子には、一切気が付かなかった。自分の事で、手一杯だったからというのが大きいだろう。

 もしかしたら、という思いは簡単に打つ破られる。如何して、何故、今になって――ぐるぐると悠木の中を何かが蝕んでいく。

 別にこの世界の話を、完全に信じた訳ではない。けれどやはり思うのだ。

――本当に愛されているというのならば何故、この両手は言う事を聞かないのか。如何して両親は死んでしまったのか。あの人が裏切ったのだろうか、と。

 気にしてないような素振りをして、生きてきた。仕方のない事なんだと、もう済んだ事なのだから諦めろと何度も何度も、自分に言い聞かせて。それなのに今更、音楽の神に愛されているだとか、神器を演奏しろだとか。迷惑甚だしい。後者においてなんて、無理難題を吹っかけられているに等しいのだ。

 だって、如何頑張ったって悠木は弾けない。楽器という楽器を、全て。カスタネットやタンバリン、ハーモニカなど、そういった類いのものであったら或いは出来るかもしれないが、それは悠木のプライドが許さないだろう。

 だって、だって――腐っていても、例え自称だろうと悠木はピアニストの端くれなのだから。あの事故さえなければ、とんとん拍子とは行かなかっただろうが、そう名乗る事が許されただろう事は先ず間違いなかったのだ。

 もし本当に悠木が彼らの言うところの救世主で、この世界を音楽で救えるのだとしたら。それはピアノが奏でる音以外では許されない。否、許せない、悠木自身が。

 先程飲み物を取り入れ潤わせたばかりだというのに、喉が妙にカラカラする。それを無視するように息を吸い込めば、ひゅっと小さく音がした。発するべき言葉が見つからず、けれど思考も上手く働かない。一人であれば、叫び声の一つや二つ、あげたかった。

 悠木が何も言わないが故、しんと静まり返る部屋。物音一つ聞こえない。そんな中で男は逡巡した。今此処で悠木に声を掛けるか如何か、否かを。

 口を開いた。然し音を発するその前に、男は開いた口を閉じる。今はそっとしておくべきだと判断したのだろう。悠木の事は何一つ、彼の口から騙られた以外の事は分からないが、思い悩む事の一つや二つ、あるのかもしれない。ならば何も知らない人間は、下手に声を掛けない方が良いと思ったから。

 とはいえ、それは人として持ちうる同情心やそれに準ずるものから思ったものではなく、あくまで悠木を”救世主”として立たせる為の判断であった。救世主の証である八枚花弁の痣を持つ、異世界から呼ばれた少年に、この世界を救いたいと思わせる為に――思わなくても、救わせる為に――

 男は確かに人である。けれど男は救世主を狂信していた。それがまるで、神だと言わんばかりに、である。傍目から見れば異常としか言いようがなかったが、然し男にとってはそれが普通なのだ。でなければ今此処になどいなかったに違いない。

 様々な思考が部屋の中で絡み合う。まるで蜘蛛の糸のように絡み合い、それでも絶妙なバランスを保っていた。


「……それでも、僕ではきっと、ラフィーネは弾けないよ」


 きゅっと結ばれた口から静かに零れた言葉は、まるで世界を救えない事を嘆くかのような、それ。表情は色を無くし、見ようによっては自責の念に駆られているようにも見えるだろう。事実、男の目にはそう映ったようで不謹慎と分かっていながらも、何処か嬉しそうに見える。

 けれど事実はそうではない。だからなんだ、と、言ってやる事だって悠木は考えた。少し前と同じように、返せと言葉を重ねる事だって。だというのにそうはしなかった理由は、至極単純。そうしたところで、現実なんて変わらないから。

 泣いて喚いても両親が戻ってこなかったように。両手が動く事が無かったように。裏切られた事が無かった事に、ならなかったように。男の様子から何を言っても悠木を救世主と立たせるだろう、と読めれば足掻くだけ色々と無駄なように思われた。

 とはいえ、言葉にした通りのそれはどうあっても変わらない。人により姿を変えるラフィーネの事。それがどういった事が元で、決めるのかは分からないが弾けないものに姿を変える事は、ないだろう。

 つまるところ悠木の場合はピアノ、或いはこの手でも演奏出来るかもしれない打楽器類がラフィーネが姿を候補といったところか。習った事も触った事も無い、ヴァイオリンやフルートなどといったものに、姿を変える事は先ず無いと考えて良い筈だ。

 前者、ピアノであれば手が原因で、後者であれば悠木のプライドから。故に結局、何方に転んだとしても男の望むように救世主として立ち、この世界を救う事は悠木には無理な事。

 これで諦めてくれれば良いのだけれども、と思案していた悠木だったが、然しその願いはあっさりと破られることになる。男の、言葉によって。


「痣だけでは納得出来ませんか。であれば、ラファーネの元へ、一度共に出向いて下さいませ。私では触れませんが、ユウキ様であれば触れます。そうなれば、少しはお認め頂けるかと……」

「…………、……いやそういうことじゃ、ないんだけどね」


 思わず呆れも何もかも通り越した、本音がぽろりともれてしまったとしても、致し方が無いかもしれない。前述――悠木の指が思うように動かない――という話を聞いておきながら、まるで彼の中ではそんなこと、無かった事のように処理されている。割と、いやかなり重要な事なのに、だ。一体男の立場がどの程度のものかは分からないが、少なくとも他者で顎を使う事の出来る立場の人間であるのは間違いない。そんな人間がこれでは、色んな意味でこの国の先が思いやられる、と幾ら他人事でしかなく割合そういった事を思わない悠木であっても、思わず同情心を抱かずにはいられない。

 どうやら、先程漏らしてしまったその言葉ですら男の耳には届いていなかったのだろう。おまけにラフィーネに赴く事は男の中で確定事項となったようだ。その証拠に、扉の傍で控えていた侍女のシェラにあれやこれや、と指示している。

 思わず勘弁してくれと悠木は頭を抱えた。元々話を聞くつもりしか無く、それなのに言い含められて今この場に居るといっても間違いは無い。そしてその事を酷く後悔しているということも。

 然し先程までの切れはなく――諸々の精神的攻撃とも呼べなくもない、それらのせいと言えるだろう――おまけに抗う気力も残り僅か。此処で抵抗したところで、ほほ無意味に近しい。

 それに。そもそもが悠木が帰れるかどうかは、全て男の一存に掛かっている。男が悠木を救世主と認めたその段階から、帰るという選択肢など閉ざされていた。もっと早く、その事に気付くべきだったと漸く今しがた、自分の置かれた現状を正しく認識出来た悠木は、思わず盛大な舌打ちを一つ。

 この際男やシェラにもう如何思われようとも、悠木には関係ない。いっそ清々しく嫌われたとすら思った。無意識とはいえ、そうあれるように振る舞っていた此処についてから今までにおける、過去の自分に内心で賞賛の声を送る。

 嫌われたからといって如何なる訳でもないし、分かっていたけれど。誘拐としか呼べない現状。悠木から見れば立派な誘拐犯でしかない、おまけに人の話を聞かず厄介事を押し付けてくるような人間に、好感を抱かれたいなんて思う方が可笑しいだろう。

 侍女のシェラにおいては、何もしていない事も分かっている。それどころか仕事とはいえ、茶の準備をしてくれた感謝すらあるが、それはそれだ。結局悠木からしてみれば、皆同罪なのだから。


「それではユウキ様、ご案内させて頂きます。……とはいえ、先程の場所に戻るようなもので御座いますが」

「……あそこがラフィーネ?」


 如何やら悠木が一人で悶々としている間に話は終わったらしい。声を掛けてくる男に、然しその話の内容を耳に留めれば疑問が浮かぶ。素直に口にして問い掛ければ男は小さく頷いた。

 聞いた割にはふうん、と感慨どころか何の色も見えない言葉を零す。けれど悠木の中は相変わらず疑問だらけだった。というのもこちらから見る限り、あれは水晶のようにも見える。然し内側は、普通の石畳だったと認識していたから。

 見た目と中身では違うのは当然かもしれない。けれど、妙に其処が気になって気持ち悪かった。こちらに来る折、振り返って後ろを確認しておかなかった自身の不手際にも若干思うところがあったのだろう。確認しておけば、その場で道を引き返す事だって出来たのに。それにもし此処に来ていて、同じ現状になったとしても今のような、もやもやを胸に抱く事だってなかったに違いない。

 何にせよ、確認に向かう他なさそうだ。気は全くもって進まないが、然し此処でごねたところで多分、帰れやしないのだから。

 だから此処は大人しく付き従い、姿を変えたラフィーネを理由に男には諦めてもらうのが得策だろう。そう悠木は判断すれば、重たい腰を持ち上げた。


「とりあえず、行けば良いんだよね。案内してくれる?」

「……っは! 仰せのままに!」


 多分男は悠木が本格的に救世主への一歩を踏み出した事が、嬉しかったのだろう。その声が歓喜に打ち震えている。溜息の一つとして零す事の無かった悠木を、誰か誉め称えてくれても良いくらいに。

 けれど悠木はそんな打算的な考えの他にもう一つ、思うことがあった。だからこそラフィーネの元に行く事を了承したといっても良い。

――人によって姿を変えるという楽器、ラフィーネ。それが悠木の前ではどんな姿を見せるのか、気になったのだ。本当にピアノになるのか。それとも推測を外れて、全く触れた事のない楽器になるのか。少し、興味がわいていた。

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