第三話
黒いローブを纏った男は、少しも悠木の態度を気にした様子はない。普通であれば幾ら救世主と呼ぶ人物であれど、これだけ不遜な態度を取られれば、嫌気が差すだろう。
何せ男が救世主と呼ぶ悠木は、少年と呼ぶに相応しい年齢だ。対し男は、還暦に差し掛かっている。
如何やら男は普通とは、多少――いやかなり――掛け離れてるに違いない。もしかしたら男だけでなく、この世界における全ての人物がそうである可能性だって、否めないけれども。然しそれを悠木が知る術は、今のところ持ち得なかった。
若干の気持ち悪さを感じながら、けれど悠木は現場を知る為には、男に縋る他なく。問い掛けの返事を待ちながら、男を見やる。
「ユウキ様を召喚させて頂きました理由は、この世界――ネヘトを救って頂く為に御座います」
「……、……救うって?」
「少々長くなりますが……。この世界五つの国と一つの神域で成り立っておりまして、全ての場所で恵を授かる対価とし、ハトホル様に音楽を捧げております。 そのお陰か、昔は音楽に満ち溢れた世界で御座いました。――然し。数百年前に音獣と呼ばれる、ケモノが現れたので御座います」
男は説明を一度切る。悠木の理解が追いついているか、確認したかったのだろう。何せ此れは、男からしてみれば悠木に必ず理解しておいて貰わねば成らぬ事であったから。
思惑通りというべきか。悠木は男の言葉は理解していた。果たしてそれを、自分の中に落とし込み、認めているかどうかは別として。
様子を伺われている事を分かっていた悠木は、一度頷く。それは話を続けろ、という意だろう。向けていた視線は、知らず知らずのうちに男から外されていた。
「音獣とは、我らの祖先がつけた名に御座います。こやつらは決して、人を襲う事も、作物を荒らす事もしません。ですが、その名の通り”音”を食べるのに御座います。最初は、なんて事のない鼻歌や、息抜きの音だけでした。然し……最後には、ハトホル様へと捧げる音楽すらも喰ろうてしまうようにまで、育ったのです。神へと捧げる音楽を喰われるようになれば、日照りが続き、作物の育ちが悪くなり、土地の栄養素も抜けていき……。つまるところ、ハトホル様より授かりし恵みを、我らは奪われたのに御座います。剣や弓で射ても、火で炙ったり水に沈めたりしても、音獣には聞きませぬ。彼奴らに対抗する手段を持たぬ、我ら祖先はハトホル様に何度も何度も願い倒しました。――出来るならばハトホル様のお力で、彼奴らの存在をなかったものへ、と。けれども流石に神と言いましても、万能では御座いません。一度自らがお作りになられた世界に、過度の干渉は出来ぬと言うのです。代わりに、ハトホル様は音獣に対抗する術を、我らの祖先様に授けて下さいました」
「ふうん、それが異世界から人間を呼び込む術?」
悠木の意を汲んだ男は、話し出す。まるでお伽噺のような――悠木からしてみれば、この世界そのものがそれに準ずるのだけれども――話に、些か悠木の眉間に皺が寄っていく。
声色は至極真面目であるし、真剣そのものといった表情を浮かべるその男の話は、本当なのだろう。けれどやはり、悠木にはどうにもこうにも、ピンと来ないものばかりであった。
もっと端的に纏めてくれても、と思う。けれど世界背景を知らぬ悠木には、多分これくらいがちょうどよいのだ。男は存外、その性格に見合わず説明は上手いらしい。悠木の気が短いだけであろう。
とん、とソファの肘置き部分に人差し指を落とす。同時に何処か皮肉めいた口調で、男の話に割り入り問い掛けた。
「いいえ。それは祖先様が開発されたもの。ハトホル様が我らに授けて下さりましたのは、五つの支柱と一つの核に御座います」
「…………あの、窓の外に見える、大きな水晶みたいな建物?」
「はい。その通りで御座います」
「だったらさ、僕、呼ぶ必要も召喚術? だっけ。それを君たちのご先祖様が開発する必要、なかったんじゃないの? ……まさか、人柱とか」
「いいえ、いいえ! そんな物騒なこと、態々御呼びした救世主様に担って頂くなんて恐れ多い……!」
「じゃあなんで、僕は呼ばれたの。ハトホル様とやらが、支柱と核をこの世界にくれたんでしょう?」
「ええ、その通りで御座います。然しそれには大きな問題があったのです」
「……どんな」
「我らでは、あれらに触れないということ。万一触れても、本来の力の十分の一すら発揮させられぬだろう、ということです」
「触る……?」
「はい。あれら六つは、楽器です。或る者にはバイオリン、或る者にはカスタネット、またあるものには草笛にも見えるという。術者によってその姿を変える楽器。ハトホル様より授かりし、神の器――ラフィーネ、と。そう、呼ばれております」
ちらりと窓の外を見上げて男は、その名を呼ぶ。まるで愛しい女の名前か可愛くて仕方がない我が子の名を、呼ぶかのように。
ラフィーネ、と悠木はその言葉を舌で転がした。なるほど、男の話を一つ一つ繋げていけば粗方、話の筋は見えたように思う。
音獣と呼ばれる敵に対抗するべく、武器を授けられたまでは良かった。けれど彼らではそれを上手く使えない。だから、別の世界から上手く武器を使える人間を選び、連れて来た。そしてそれが、偶々悠木だったと。そういうことなのだろう。
なんだ巷によくあるどころか、ごろごろと転がってる異世界物じゃないか。と、悠木はなんだかご大層な話に騙されそうになった自身に、少し嫌気がさす。
テーブルの上に置かれたままの、冷めた茶器に手を伸ばした――侍女のシェラが中身を暖かいものに変えようとしたのだろう、動いたのが目端に見えたが片手でそれを制する――
ゆっくりとカップを傾け、中身を一気に喉に流し込む。冷えていたが、いまはその冷たさが程よく心地よい。
少しだけそれに浸った後。確認を取る為に悠木は先程、自分の中で纏め上げた男の話の簡易版を、男に聞かせた。如何やらそれらは合っていたようで、男はその通りですという言葉とともに、小さく頷く。
これで大方は理解出来たが、然し幾つか不自然な疑問点が残る。それはどうやっても悠木一人では、解決出来ぬだろう。些か不本意ではあるが、簡単に質問事項を頭の中で纏め上げ、口を開く。
「ねえ、質問、良い?」
「勿論に御座います。私めが分かる範囲でありましたら、喜んでお答えさせて頂く所存」
「先ず一つ。音獣は音を食べるのに、楽器で如何やって対抗するか、ってこと。二つ。僕が選ばれた理由。三つ。あの、馬鹿でかい塔が楽器ってことだけど、どうやって弾くの。四つ。なんで五つの柱と一つの核、なんてたくさんあるのか」
「一つ目で御座いますが、ラフィーネの音は、音獣は喰らえないのです」
「喰らえない? なんで。同じ”音”でしょう」
「確かにそうで御座いますが……我らも詳しく存じませんのです。ただ言い伝えによりますには、ラフィーネがハトホル様ご自身であらせられるから、或いは分身だから、と。また四つ目を順番を変えて、今お答えしますと結界を張る為で御座います」
「……それってさ、根本的解決になってないんじゃないの? 過去召喚術が作られた、今回僕が呼ばれたってとこと合わせると、年数で結界って弱まるものっぽいし」
「ユウキ様の仰る通りに御座います……然し、生まれたあれらを排除は難しい。共存せよ、というのがハトホル様のお言葉だと、伝え聞いております」
「随分な神だね。ハトホル様って」
「そんなっ……! 音を捧げられなくなった折。我らに温情を下さっただけでも十分に御座います!」
「温情、ねえ……一体如何だか」
ぼそり、と呟いた。侍女には勿論、男にも聞こえぬように。その顔は何処か、苦々しくも映るのだけれども。さて。
悠木の独り言に気が付かなかった男は、残る二つの質問に答えるべく、変わらず口を動かす。
「次いで三つ目で御座いますけれども、あれはうちに本体と呼ばれる、奏者のみが訪れる事の出来る場所が御座います。そちらにて、演奏して頂く、と聞いておりますが」
「へえ。あれ自体は、大方命を守る大きな殻、ってところね」
妙に納得したように、悠木は頷いた。あれに触れると小さくなるだとか、なんだよりずいぶん現実味があるというもの。
今日悠木が聞いた話の中で、一番かわいげがあると思えばなんだかあのラフィーネという楽器が、好きになれそうな気がした。勿論、ただ気がしただけであるし、他に比べたらまし、という程度でしかないのだけれども。
残る最後の質問。これは割と悠木にとって、一番の重要な問題であった。だって、悠木は『…………』なのだから。
耳を澄ます。男が何と言うのか、じっと待った。
「残る最後の質問――ユウキ様が選ばれた理由に御座いますが、それは何より、誰よりも。音楽の神、ハトホル様に愛されし存在であるからに御座います」
熱の籠った声で、男は言い切った。言い切って、しまったのだ。そして悠木の地雷を思い切り、踏み抜いたのである。
男とは対称的に悠木はその顔に、声に、熱をなくす。少しでも浮かんでいた感情など一切合切が、すっと引いてしまったかのように。
先程までは血の通った人間であり認められないながらも、理解を示そうとしていた。確かにそれは”ヒト”であったというのに。にも関わらず、一瞬でまるで人形のように、悠木は成り果てたのだ。
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そして、冒頭に戻る。
男は訳が分からなかった。突然悠木がそうなった理由も、確かに召喚された筈の救世主がこの世界の創造主たる音楽の神に、見放されてる等と言う事も。
困惑は押し隠せない。フードの下で、視線を彷徨わせる。暫しの痛い沈黙の後、男はようやっとの事で何故、と呟いた。その声は酷く掠れていて、聞き取りにくい。
けれど悠木の耳には確りと届いたようで、何故、ねえ。と小さく繰り返す。それからゆっくりと、男の前に両手を差し出した。
「見える? この傷。もう痕はあまり残ってないけど。――昔話をしよう。その昔、ピアノが大好きで大好きで、何よりも愛していた小さな男の子がいたんだ。たくさん、たくさん。それこそ寝る間も惜しむ勢いで、誰よりも練習した。だって、練習した分だけ上手くなるし、楽しいんだもん。それでね、小さな大会で優勝したんだ。嬉しかった。努力が認められたみたいで。これからももっと、沢山練習しようと思った。そんな男の子の前に、一人の男が現れたんだ。その人は世界的に有名なピアニストで、弟子を探していた。偶々男の子の演奏を聴いて、弟子にしたいって名乗りをあげたんだよ。そりゃ、もう男の子は大喜びさ。なんてったって、その人が憧れだったんだから。大会で優勝した事よりも、嬉しかった。一も二もなく頷いて、その日からその人の下で、練習を繰り返したんだよ。そして明くる日。大きな大会に出た。結果は――優勝。その次も、その次も。遂には、その憧れの人がとれなかった大会の賞までとった。……とって、しまったんだよ。男は嫉妬に狂っただろうね、そしてきっと男の子の才能に畏怖を覚え始めた。でも、自分の名誉の為にそう簡単に切り捨てる事なんて、出来ない。他の人間の手に渡るのも避けたかった。だから男は、一つの選択肢を選んだんだ。その結果、男の子は何よりも大好きなピアノと、家族を奪われましたとさ。おしまい。……如何? 中々に泣かせる話じゃない?」
先程までは無表情であったというのに、今の悠木は笑っている。それはもう、心底楽しい事があった、と言わんばかりに。
けれど対称的に黒いローブの男は、より一層困惑していた。悠木が笑っている事もそうだが、如何にも悠木の話が男にとって要領を得ない話だったから。
先程のように問い掛けたいのは山々なのだが、それは憚られた。狂ったように笑う悠木に怖い、という感情が芽生えた故かもしれない。それとも、機嫌を損ねる事を恐れて、か。果たして何方であるかは、分からないけれど。
そんな男の事等気にした様子もなく、一頻り笑い終えれば悠木はまた、無表情に戻る。そして、憎々しげに。けれど何故か愛おしさすら感じさせる指付きで、右手の親指から順に上から下へとなぞっていく。
「左右両方なんだけど、あんまり上手く動かないんだよね。気をつけてないと引きつけ起こしちゃって。最初、カップを落としそうになったでしょ? あれもこれが原因。本当、右手が最悪で……酷かったら少しも動かないんだから。左手の方は、まだましなんだけど。――……ねえ、こんなので、楽器が弾けるとでも思う? 師と仰いだ人に音楽が原因で殺されそうになって、家族と未来を奪われても音楽の神に愛されてるって、言える?」
自身の手へと向けていた視線をあげ、男を見やる。そしてゆるく、首を傾げながら悠木は男にそう、問い掛けた。その目に生気は、宿っていない。
まるで生きる屍のようだ、とごくりと唾を飲み込みながら男は思った。きっと此処で、一つでも回答を間違えれば"何か"が終わる予感と共に。