第十四話
「別にこの世界の事に首突っ込んでやけどするつもりはないんだけど。でも、あなたたちが出来ない事を奏者代理と呼ばれる人たちはしてるんだ。その事に対して、僕に対する対応の十分の一でも分けて敬うべきじゃないの? 彼らが居なければ、とっくの昔にこの国だって、廃れてたかもしれないんだよ」
口調が変わった悠木に、シヴァは焦った様子で名前を呼ぶ。けれど悠木はあえてそれを無視して、フォークに刺さったケーキを持ち上げ眺めながら、はっきりとした口調で告げた。声量はそれほど多くなかったが、やけに部屋の中に響く。視界に端に頭を抱えているシヴァが見えた気がしたが、あえて何も見なかった事にする事を悠木は選択する。
少なくとも間違った事を言ったつもりはない。情勢を、勢力図を知らぬ悠木だからこそ言える言葉。無知めと罵られたところで痛くも痒くもなかった。だってそれは紛れもない事実であるし、むしろ有知になって雁字搦めになるのは避けたい――悠木に限って雁字搦めになることなどあり得ないだろうが――
さて。男は如何いった反応に出るのかと少し気になって、悠木はケーキに向けていた視線を男に向けた。最後の一口をぱくり、と口の中に放り込んで咀嚼する。微動だにしない男は、多分葛藤しているのだろう。救世主の言葉に従うべきか、或いは反論すべきか、と。表情からそれが見て取れる辺り、男は腹芸に向いてない性質らしい。そして随分とセルヴァンよりかわいらしい存在であることも確かなようだ。
なにせセルヴァンであれば、此処で悠木をおだてつつ、すかさず自分の意見をねじ込む。否、悠木の事など気にせずに自分の言いたい事を口にする。その結果があれではあったが、今になって思えば腹芸を行われるより、よっぽど扱いやすい相手だっただろう。残念ながら、二度と対峙することがないようにと悠木は願っていたのだけれども。
「……お言葉ですが、救世主様。この世界には、この世界の理があるのです。幾ら救世主様といえど、それに対してとやかくいうのは止めて頂きたい」
「ふうん、そう」
意を決した様子で顔を悠木に向け、男は言葉を放つ。如何やら度胸と勇気はあるらしい。但しこの場で使うのはかなりの無駄に思えてならなかったが。何かしら言われると思っていたのか男は悠木の反応を受けて、ぽかんと口を開けた間抜け面を晒す。やっぱり腹芸やら何やらは上手くない。
至極詰まらなさそうに呟かれたそれは、とても無機質な返事だ。こんな反応を返すならば、何故苦言を呈したのかと言いたくなる程に。手にしていたフォークをテーブルに戻して、立ち上がる。
「ご馳走様。明日の朝も此処に来れば良いんだよね。その時でもその後でもいいから、奏者の紹介、お願いします」
此処でにっこりと笑えればもっと効果的だったかもしれない。そうは思えども、悠木の表情筋は仕事を放棄している。相変わらず無表情のまま、言うだけ言ってシヴァに軽く声を掛けた。近くにいた侍女に部屋の案内を頼み、廊下を歩く。突然の声掛けだったからであろうか。シヴァは慌てた様子でついてくる。
「ちょ……ユウキ!」
「ん? なに」
「何じゃねーよ! 大人しくしてろっつったじゃん! いや、ユウキが反論してくれたのはちょっと嬉しかったけど、なんで反論したんだよ?」
「別に。深い意味はないよ。ただなんとなく、胸糞悪くなって。黙ってたら彼奴らと同類に成り下がる気がしたから。それは嫌だなあ、って思ったんだ」
「……ものすごくユウキらしかった。でも、それならあの反応は? あいつ絶対押し勝ったとか、もしくは洗脳出来たとか思ってそーなんだけど……」
「ああ、それね」
先程の部屋からさして離れていないからか、二人の声はそれほど大きくない。シヴァはどことなく嬉しそうな、怒っているような、とにかく複雑な表情を浮かべている。
何方かにすればいいのに、と思ったがそれを口にすれば何だか更に怒られそうな気がして、悠木は言葉を飲み込む。代わりにシヴァの疑問に答える為に口を開いた。
「馬鹿につける薬はないから、やり合うだけ無駄だなって感じた。どうせああいうのは自分が正しいって思ってる、勘違い野郎なんだよね。だから相手にするだけ体力使うし、あのまま行けばどうせ今の地位も失墜して失う時が来るだろうから、それまで精々その考え貫き通してれば、って思って」
「………………ユウキってなんでそんな辛辣なの?」
「やだな、別に普通でしょ、ふつう」
「お前が普通なら俺は天使か何かか? それとも神か?」
「君は精々犬だってば。ほらお手」
「って手出してもやらねーぞ⁉︎ 流石に学習したからな!」
「……ああそう。残念」
「いや本当に残念そうにすんなよ、なんか俺が悪いみたいじゃねーか!」
未だ部屋についていないというのに、シヴァの声は随分と大きくなっている。とはいえ、随分と先程の部屋からは離れたから問題はないだろう。但し耳元で煩いことを除けば、であるが。
態とらしく溜息を吐き出した悠木をみて、更にシヴァは更に何やら言葉を重ねている。本当に犬のようだ。勿論更に煽るだけになるこの事を、態々口に出す事を悠木はしなかった。シヴァの相手をするのが面倒だったからだろう。
「此方が救世主様の、その一つ奥がシヴァ様のお部屋となっております」
「そう、有難う。朝は何時に起きれば良いかな?」
「お連れの侍女に起こしに向かうよう、伝えておきます」
「分かった。お願いします」
「では、御前を失礼致します」
綺麗にお辞儀をこなした侍女は悠木達の前から去っていく。それを少し見送ってから、悠木はシヴァの方を見やる。
「で、どうするの? 僕はこのまま寝るけど」
「そりゃあまあ俺も寝るけど……」
「うんじゃあオヤスミ」
「オヤスミーって冷たい冷たい! なんかもっと他にねーの⁉︎ 寂しいとか、一緒に寝たいとか!」
「………………」
「えっ、無言? 無言になんの? ちょっと流石にそれはキツイっていうか……っ俺の事無視して部屋に入ろうとすんなーっ!」
きっと今、面倒くさいと言わんばかりの雰囲気を悠木は醸し出しているに違いない――本人に自覚があるかどうかは、別として――シヴァの相手は決して嫌ではないが、お腹も満たった今、押し殺していた疲れと眠気を思い出してしまったのだ。そちらが勝つのは当然とも言えるだろう。
シヴァを無視して部屋へと続く扉の取っ手に手を掛けて、開けようとしたままゆっくりとシヴァの方を向く。その表情は無表情であったものの、何処か喜怒哀楽の怒を感じさせた。
「……ゴメンナサイ。大人しく寝ます」
「うん。分かればいいよ。おやすみ」
ひくり。頬を引きつらせながらシヴァは大人しくなる。感情を少し見せてくれた事は嬉しかったが、然し怖いものは怖い。夜の挨拶を済ませて、さっさと部屋に引きこもった悠木を見送りながらシヴァは一人、ぽつんと廊下に取り残されていた。悠木の怒を感じた余韻を残したまま。
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「おはようございます、救世主様。昨夜はよく眠れましたかな?」
「……お陰様で」
食卓に並ぶ白パンとジャムが数種類、たっぷりとしたバターは昨夜の夕食時から変わらない。とはいえジャムは昨晩と全て種類が変わっているし、相変わらず焼きたての白パンはふかふかで、千切るのも一苦労だ。チーズをたっぷり使ったシーザーサラダに具がこれでもかというくらい詰まったオムレツ――卵は口の中でしゅわ、っと音を立てて消えてしまうくらいの出来上がり具合――それにコーンスープと、魚介類を何かで和えた代物――見た目は白かったが味はマヨネーズではなかった――
そんな朝食を囲いながら、まるで昨日の事などなにも無かったかのように男は悠木に声を掛けてくる。きっとあの悠木の反応を経て、シヴァが昨日言っていた通りに解釈したからに違いない。だとしても悠木から何かを言う事はないに等しかった。言ったところで無駄だと分かっているからだろう。昨日の夕食時とは打って変わり、あれやこれやと積極的に話す男を無視して、朝食を食べ進める。連日の過食で少し胃がもたれてきている気がしたが、然し美味しい物は美味しい。全てを食べ終えれば銀食器を置き、口元をナプキンで拭った。
「それで。奏者の方に話は通して頂けましたか?」
あえて敬語で話しているのは、意図的。何を思っていても、如何感じていても、結局此方はお願いする立場なのだ、最低限の礼儀は必要だろう。そう判断しての事だったが――セルヴァンに対しては、例外的で礼儀を払う必要など感じなかったといったところか――何故か男はぴくりと肩を揺らす。大方悠木が怒っていると、勘違いしたに違いない。
元々表情がない悠木相手であれば、それは仕方のないと言えることだった。だからといっていちいち訂正する気もなく、勝手に勘違いしていれば良いといったスタンスである悠木は今もそれを貫いている。じっと男を見て、質問に対する返事を促す。それはある種無言の圧力のようなもの。悠木本人が自覚して使っているのか、と言われたら答えは否だが。
「……は。一応、通達は出しておきましたが、確認しているかどうかまでは……」
「そうですか。では、案内をお願い出来ますか。居場所を知っているあなたに案内して頂くのが、一番早いと思うので」
「ですが、何分忙しい存在ですので、追い返される可能性も……」
「そのときはそのときです。追い返されたのなら、また後日都合が付く日を聞いて改めて伺います。居場所さえ知っていれば、僕たちだけでもいけますから」
随分と渋るな、と思った。何かあるのかと思えども、然しそれを知る術はない。もしあったとしても、悠木には聞くつもりはなかった。知ったところでその理由を如何にかするつもりもないが故、聞くだけ無駄というもの。であれば最初から聞く必要などない。
男の反応を伺う。相変わらず何か言いたげであったが、逡巡した様子の後小さく分かりました、と頷いた。これで奏者への伝手を手に入れた事になる。後はその奏者の人柄次第であったが、シヴァよりは大人しく、でもむやみにやたらに詮索しない、そういう人であればいいなと悠木は思う。やはり幾らなんでも自己の過去を何度もさらけ出すのは、気分の良いものではない。色々と割り切ったつもりになっているが、上手く出来ず過去に引き摺られていることを、嫌でも再確認させられるからだ。
「有り難う御座います。それじゃあ、これからお願い出来ますか? そちらの都合が悪いというなら、もう少し後の時間でも構いませんが」
「……これから案内致しましょう。少し歩きますので、そのつもりでお願い致します」
「分かりました」
何となく予想はしていたが、やはりこの屋敷内に奏者はいないらしい。取り分け用意の必要性を感じなかった悠木とシヴァは朝食後、男の準備が終わるのを出された紅茶を飲みながら待った。一時間もしないうちに男が二人の前に姿を現せば、カップをソーサーの上に置いて立ち上がる。何方ともなく歩き出して、男の後を付いて進む。
会話らしい会話もなく、そのまま屋敷を出て外を歩いた。こつ、こつ、と石畳の上を歩く独特の音だけが響く。それ程朝が早い訳でもなかったが、大きめの屋敷が建ち並ぶこの辺りは人通りが少ないらしい。用事、或いはこの辺りに家を構える者でなければ通る必要がないからだろう。
暫く歩いているうちに悠木はこの道を覚えている事に気が付いた。――此処は昨日、通った道だと。目的地は支柱か、と大凡の当たりを付ける。正直シヴァの話を聞いて寝泊まり出来るようなところであるとは思わなかったが、いかんせん未だその正確な姿を見ていない悠木には本当のところが分からない。昨日だって支柱に赴くのかと思いきや、それよりも少し外れた所に到着して、支柱は離れた所の下から見上げただけ。
もしやその、渋った事と昨日の出迎えは何か関係あるのかと邪推する。とはいえ、それは本当に邪推の域をでない。如何関係あるのか、と問われた所で悠木にはさっぱり思いつかなかったのも大きいだろう。
昨日到着時に出迎えられた所も通り過ぎて、物理的に支柱に近付く。いよいよ本格的に悠木の予想は当たりだろうと思った。何となく、ちらりと横にいるシヴァの方を見やれば、随分と険しい表情をしているように見える。その理由は分からなかったが、然し聞く気は起こらなかった。
「此処です。奏者の方は中に」
うねうねとした路地を抜けて、目の前に飛び込んで来たのは支柱――核と同じく薄紫の水晶塔らしき、ラフィーネの存在。核よりも随分小さく、コンパクトに収まっているがその存在感は圧倒的だ。ただ少し異様なのは、その支柱を取り囲むようにして立てられている鉄の城壁。
見たところ足や手を引っかけられるような突起などはなく、その高さも7〜8メートルくらいはありそうな代物。絶対に登る事など不可能だろう。出入り出来るのは頑丈な様子を醸し出している、ただ一枚の扉からだけといった印象を受けた。しかもその扉の前には衛兵が四人。ちょっとやそっとじゃ壊れそうにもない、錠前も付いている。
「……お待ち下さい。もしや奏者の方は、ずっとこの中に?」
流石の悠木にしても、これは異常なように思えた。何故此処までする必要があるのか、理解に苦しむ。確かにシヴァから聞いた話では支柱と核では大いに違いがあるが、重要度の高い核の方にはこのようなものはなかったのだ。だからこそ余計に、と言う事はあるかもしれないけれど。
悠木の気持ちを代弁するように、けれど微妙にずれたことをシヴァは口にする。相変わらずその表情は厳しく、声も何処か震えているようにも聞こえなくもない。シヴァの疑問には、それが何か、と言わんばかりの様子で男は頷く。
「信じられない。あんたらそれでも血の通った人間かよ……」
唸るようにシヴァは呟いた。此処までずっと貫いてきた敬語は忘れたかのように取っ払われている。今直にでも殴り掛かりたいのを我慢しているかのように、ひっそりと握られた拳は見ている悠木が痛々しいと感じる程に力が入っていた。