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第一話

「で? それで僕が呼び出されたと。そういうことでいいの?」

「はい。その通りで御座います」


 足元に傅く男を冷たい眼差しで一瞥して、悠木は態とらしく溜息を零した。知らぬ間に悠木の不興でも買ったのか、と男はぴくりと肩を揺らす。けれど悠木がそれを気にする事は、ない。

 そもそもこの場にいる、今この現状が悠木の不興の最もたる原因の一つだ。大方知らぬだろう目の前の男を相手にした所で、意味はない。それに、時間の無駄というもの。

 全く悩む素振りなど見せる事なく悠木ははっきりと告げた。


「帰して」

「はっ……今、何と……?」

「だから、帰してって言ったの。僕があなたたちに協力する必要を、全く感じない。それに、力になれるとも思わないから」


 淡々と言葉を述べるその声には、一切感情が篭ってない。その証拠に、浮かべる表情は無だ。

 先程まではかろうじであった冷たさすら、存在しない。

 然し悠木の台詞に慌てた男は、そんな悠木の姿に気が付く事なく――否、気付いていても構う余裕すらなかったのかもしれないが――足元に縋り付く。


「お願い致します、ユウキ様! 私共めにはあなた様が必要なので御座います! 何卒、何卒御慈悲を……!」

「……だから、僕じゃ力になれないって話。聞いてた?」

「そんな筈御座いません! ユウキ様が我らにとっての救世主だからこそ、今この場にユウキ様はおられるので御座います!」

「――……しつこい、なぁ」


 至極面倒くさそうに、ぽつりと漏らす。それは間違いなく悠木の本音だろう。

――何が救世主だ。

 悠木はそう吐き捨てるのだけは、ぐっと堪えた。先程の本音はその代わりといっても過言ではない。

 嗚呼、けれど。と悠木は思う。多分――いやきっと、必ず――この事を告げれば、目の前の男も黙るに違いないという確信がある。たったその一言を、悠木は知っていた。

 そしてそれが。まごうことない、事実である事も。

 如何しようか、と一瞬思考を巡らせた。相手を落胆させた所で悠木が申し訳なさなど、感じる事はない。罪悪感に囚われる事もないだろう。

 そして悠木は、決めた。魔法の言葉を使う事を。何の躊躇いもなく、しずかに風に乗せて。


「僕、音楽の神に愛されるどころか、見放されてるんだけど。それでもあなたたちにとっての、救世主?」


 こてりと首を傾げながら、然しその表情は変わらず無のまま。悠木は目の前の男に、問い掛けた。



-----



 事の発端は、学校から帰る途中の道すがら。

 夕陽を背に人通りの殆どない道を、一人で歩いていた悠木は突然気持ち悪さに襲われる。

 胸元を抑えて、側にあった電柱に寄り掛かり、息を整えようと目を瞑ったのだが。それが、悪かった。

 唐突に襲い掛かった浮遊感。背中から電柱の感触が消えて、代わりにごつん、と鈍い音が響くと同時に痛む頭。

 衝撃に耐え、けれど一瞬で何があったのかと頭を働かせる。然し分からない。というより分かる筈がなかった。電柱という、コンクリートの塊が突然消える訳など。

 だから情報を得る為に、伏せっていた瞼を持ち上げてようとして。悠木のその行動は、途中で止まる。


「救世主様だ……」

「本当に、成功したんだ」

「やっ……っやったぞ……! これで我らは救われる!」


 しんと静まり返っていたその場が、突然ざわめき立つ。

 男の声も女の声も、老人の声も混じっていた。

 けれどそれは悠木にとって、とても異常なもの、としか判別されない。だってそうだ。滅多に人が通らない道だというのに、突然大勢の人の声がして。そして、何やら悠木を囲い喜んでいるのだから。

 夢か、とも思った。然し眠った記憶はない。

 下校途中から夢だった、という可能性も否めなくないがそれにしては、打ち付けた頭が痛む。おまけに聞こえた”救われる”だの、”救世主様”だの。それはあまりにも悠木には聞き馴染みのないもの。

 状況を正しく把握する為に、途中で止めてしまって閉じていた瞼を悠木は改めて持ち上げた。

 目を開けたと同時に視界に飛び込んできたのは、石造りの天井。そこは薄暗く、何処か湿っぽい印象を受ける。

 はてと悩む間もなかった。何故ならそこは確かに、悠木が先程までいたところとは絶対に違う場所なのだから。

――何処だ此処。

 浮かぶのは疑問。多分浮遊感が関係している事は間違いない。けれど悠木のちっぽけな頭では、何故突然こんな場所に移動したのかは、全く分からなかった。


「ああっ! 救世主様がお目覚めになられたぞ!」

「救世主様! 良くぞ我らが呼びかけに答えて下さりました! 感謝致します!」

「救世主様!」

「救世主様!」

「……すみません。少し、静かにして頂けませんか」


 誰か一人、悠木が目を覚ました事に気が付いたのだろう。大げさな動作で悠木を引っぱり起こす。そうすれば悠木の視界が広がると同時に、周りを取り囲っていた人垣の目に悠木の姿が見えたようで。一斉にわっとその場が沸き上がる。

 鳴り響く救世主様コールに、悠木は思わず眉間に皺を寄せた。打ち付けた頭にがんがんと響くのが嫌だったのだろう。氷のように冷たい声で、頭を抑えながら言葉を吐き捨てた。

 そうすれば悠木の機嫌が悪くなった、と解釈したのだろう。悠木を引き起こしたその人物は、慌てて床に額を擦りつけんばかりの勢いで平伏す。


「申し訳ありません救世主様! 我ら皆、あなた様の御降臨を心よりおまり申し上げておりまして、それ故皆抑えが利かなくなったのでしょう。以降静かにするよう申し付けておきますので、どうか……!」

「……嗚呼、いえ。別に其処までして頂かなくても。ちょっと、打ち付けた頭に響くだけですから」

「なんとっ! もしや打ち付けたというのは、召喚の際で御座いましょうか? 此方の不手際で救世主様の御身に傷を付けたとあらば、謝罪では済みますまい。召喚師を打ち首にしますれば、それでどうかお許し頂きたく」

「へ、……や、あの。別にそこまでして頂かなくても……」

「ああなんと! 救世主様はとてもお優しい! 流石救世主様でございます。おいシヴァ!」

「はっ、此処に。救世主様の広いお心に感謝致します……!」

「…………うん、何でも良いんだけど。その、キュウセイシュサマって、なに」


 茶番染みたやり取りに嫌気が差してきたのだろう。無理もない。良く分からぬまま、祭り上げられ、そして意に添わぬ事ばかり悠木の意として扱われるのは、腹立たしいというもの。

 平伏したその人物の解釈とは違い、平素通りだった機嫌は、然し解釈通りに急降下していく。

 段々と取り繕う事もなく、形ばかりとはいえあった敬語も取っ払われて。至極面倒くさそうにあしらいながら、悠木を表しているだろう”救世主様”という解せない単語の意味を聞くべく、問い掛けた。


「……? 救世主様は、救世主様で御座いますが」

「言葉の意味は分かる。で、なんで僕がそんな呼ばれ方してるのかっていうのと、あと此処何処、っていうのと。現代日本で救世主様とかって、なにそれ、っていうのと、後は――」

「成る程分かりました。救世主様は現在ご自身が置かれてる、現状を把握したいので御座いますね? であれば、もう暫しお待ち頂きたく。このような薄気味悪い場所ではなく、救世主様の為に用意致しましたお部屋にご案内の後、全ての御質問にお答えさせて頂きます」

「なに、それ。待たなくちゃ駄目なの?」

「救世主様のお望みとあらば、今此処でお答えする、ということを叶えとう御座います。然し召喚の後片付け等も残っておりますので、些か煩くなりましょう」

「……そう。分かった。じゃあ部屋に案内してくれる?」

「ご理解頂きました事感謝致します。それでは。不肖ながらこの私めが救世主様をご案内させて頂きます」

「ん、宜しく」


 なるべく早く現状把握をしたいのは山々である。然し後片付けとなると、そんな場所で話し込むのはかなり邪魔になるだろう。分かっていたし、移動に一時間も二時間も掛かる訳ではないだろうと思えば、男の提案に頷く。

 前を歩く男は先程悠木を助け起こした、その張本人でもあった。黒いローブを頭からすっぽりと羽織っている事から、容姿は窺い知れない。

 けれど救世主様と呼ぶ悠木に触れた事。また先程即断で人一人の命を絶つ決定を下した事。それらから、地位はかなり高い人物であるという事は窺い知れるだろう。

 とはいえ悠木は全くそんな事には興味を示さず、ただぼんやりとローブの男の後ろを付いて歩く。

 一定距離を保ち備え付けられている、蝋燭の光だけではやはり薄暗い。此処が上下左右石に囲まれた回廊であるのも原因の一つだろう。

 何処かの物語の中みたいだ、なんて。薄らと頭の片隅で考えながらも、然し悠木は此処が現代日本である事を疑わなかった。

 世に溢れる伊世界トリップだ何だというのは非現実的で、ひどく冷めた現実主義者の悠木が考える訳がなかったのである。例え召喚や救世主なんて言葉が、悠木の耳に入っていたとしても。

 それらは都合良く悠木の脳内で、適当に処理されるのだ。

 本当は悠木も分かっているのかもしれない。この非現実が現実であり。現代日本でなどない事も。然しそれを認めるつもりは、今のところないのだろう。というよりも認めたくないと言った方が正しいかもしれない。

 暫し石造りの回廊を歩いた後。ローブの男の先に見えたのは、ぼんやりとした、けれど蝋燭の明かりではない光。それはつまり、外に繋がる事を意味していた。


「……まぶし」


 男に続き回廊から抜ければ、遥か上から差す燃えるような、けれど柔らかな暖かさを持ったその明かりに、悠木は目を細める。

 太陽のある方の手を額に当てて、光を遮った。そうでもしなければ、何かに飲み込まれてしまいそうな、そんな感覚に陥ったから。

 そよ風が悠木の頬を撫でた。同じように、傍に立つ木々の葉も揺らす。横目でそれを見ながら、回廊から少し歩いた先にある豪奢な建物に向かって歩き、その建物に吸い込まれていった男と同じように、建物の中に滑り込んだ。

 建物の中身は、ある意味予想通りとも言えただろう。その外観から予想出来た通り、先ず床はふかふかの赤い絨毯が敷き詰められていた。そして壁には良く分からない絵画や、銅像が並んでいる。

 けれども、成金というよりは厳選した、本物だけを並べたような感じだ。そしてそれらを絶妙な感覚で飾っており、一言で言えばとても趣味が良いがお金がとてつもなく掛かっているだろう。そんな、空間であった。

 悠木は感心したように辺りを見渡しながら、赤い絨毯の上を歩く。靴を履いていても感じるふかふかさに、泥だらけの汚れた靴で歩くのは何だか申し訳ないような気がして仕方がない。

 そんなことを気にしていれば、目的地に着いたのだろう。男は立ち止まり、扉を開けて悠木が部屋の中に入るのを待っていた――所謂ドアマンのようなことをしているのだけれども、男の格好とそれがあまりにも似合わず、思わず笑いそうになったのは悠木だけの秘密だ――

 大人しく部屋の中に足を踏み入れた悠木を待っていたのは、廊下のそれらなどとは比べ物にならないくらいの、調度品たち。贅を尽くしてはいるが、嫌みは一切感じない。そんな空間に、思わず悠木はぐらりと目眩を起こしたような、気がした。

 静かにぱたん、と閉じた扉を背に悠木はどうしよう、と視線を彷徨わせる。


「救世主様、どうぞ此方に。今メイドが飲み物を用意して参りますので今暫くお待ち頂けましたら幸いに御座います」

「ああ、うん、ありがとう」


 目の前の見るからに柔らかそうなソファに座るべきか、立ったままであるべきか。それともいっそ、このふかふかな絨毯の上に座ってしまおうか。なんて悠木が考えていたのをまるで読みあてたかのように、男は悠木にソファを勧めた。

 逆らう必要性を感じなかったので、大人しく悠木は勧められたソファに腰を下ろす。やはり、見た目と寸分違わずそのソファはふかふかだった。これ以上にないくらい。

 奇妙な感動を覚えながら、然し悠木は本来の目的を忘れてはいなかった。その為に態々、遠いこの場所まで足を運んだのだ――歩いた時間で言えば、十分にも満たなかったが――聞きたい事を聞かずして、どうするという話。

 けれど急ぐ気持ちはない。メイドがお茶を持ってくるという――外観といい、内装といい、またメイドといい。酷く時代錯誤だなと思えども――それを待ってからでも遅くはないのでは、というのが悠木の判断だったから。

 多分それが、否。そもそもこの男の口車に乗せられて、この部屋に足を運んだ事自体が。時間の無駄で、するべきでなかったと後悔することになるとも知らずに。

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