五輪 取材日朝のこと
五輪目、咲きました
文……遅寝遅起き
紫……早寝遅起き
秋祭りを始めとして、今年の稔りや各店の宣伝、井戸端会議の話題まで纏められた『文々〇』は、神無月の壹號として人里等に配られた。文々○は人間と交流の殆ど無い他の天狗の諜報担当の報告よりも詳しく面白くある為、親人間派の天狗の頭と一部の大天狗の密かな楽しみであったりもする。一方で、余所者として文に接する者達の間にも、神無月の壹號だけは欲しいと言うのもいる。何故ならば米の出来具合を知る為だ。特に今年は豊作の記事を読み、まだ楽しめぬ新酒の味を思い浮かべながら酒盛りをする連中が山のあちこちに見られた。色付く木々も、杯を空になるのが早まる原因だろう。
「……いつ頃行けばいいか、聞くの忘れてた」
「いつでも構わないわよ? あの子、夕餉も蒲団も用意しそうな勢いだけど」
「……」
「何か言いなさいよ」
日が確りと顔を出し終えた頃、やっと上体を起こして頭が活動を始めると言うそんな時に、目前の空間が裂けるなんてどんな恐怖だろう。長く生きていても怖い物は怖いのだ。驚きと恐れと、多少の呆れとが混在する表情の先、遠くで焦点がさ迷う。
「貴女六百年も生きてるでしょ。しかもその内の五百年は付き合いあるのよ? いい加減慣れなさいよ」
「……無理な相談。苦手は苦手」
「ああもう、面倒ね。仕事する時の話し方に切り替えなさい。どうせ直ぐに変えるんだから」
「……朝餉食べるまで待って欲しい」
「まあ、それ位なら構わないわ」
文は寝ていた蒲団を押入に片付ける。部屋と土間の仕切りの襖を明けて、雨戸と障子を戸袋に仕舞った。瓶から柄杓で水を掬い身を整えれば、寝惚けた顔が目を覚ます。
まずは米を炊き始めて朝餉の準備だ。竈の横の深い桶で泳いでいた一匹の鱒をまな板に乗せる。手早く捌いて保存するものは漬け込み、食べる分だけ網で焼き、柚を搾って簡単に終わらせる。物足りなく感じたのでもう一品、油揚げで味噌汁を作った。
膳に載せて運ぶのは、焼いた鱒と蕪の漬物だけ。ご飯は飯櫃に移してから部屋に、最後に鍋を自在まで運ぶ。準備も出来たので合掌した文の前には不思議そうな顔がある。
「ど、どうして二人分あるのかしら?」
準備された朝餉は美味しそうな湯気が揺らめく。文と紫のそれぞれの前に綺麗に配膳されている。
「……ん? もう済ませてた?」
会話が成立しない。何か言おうとした紫を邪魔したのは、紫のお腹の音だった。刹那赤くなる顔、予想が確信になって満足した顔。両方を見ていたのは囀りと、調度焦点の合った噂好きの白狼天狗一人だけ。
「……友達の河童がくれた鱒。美味しい」
「……頂くわ」
朝なので量は控え目。それを二人は静に食べ終える。家には番茶しかないと紫に断り、文はその茶葉の最高を丁寧に淹れた。一息吐いて食器も片付ければ、約束の朝餉の終了。
遣る気が無さそうだった若干垂れた目に煌めきが灯った。頬は引き締まり、纏う気も程よく緊張する。紫は、仕事をする時の彼女になったと、少し感じていた面倒臭さが消えていった。
「やっと切り替わったのね」
「約束ですからね。さあ巫女が待ってます。紫さん、案内宜しくお願いしますね」
事実飛んで行く事も出来るが、目の前に飛ぶよりも確実に早く着ける手段があるので笑顔で頼む。
「そうね。遅すぎると怒られてしまうわ。手土産に貴女もいるから問題ないと思うけれど」
文は紫の悪戯を企んでいる笑みに気が付かなかった。それでは行きますかと言って、立ち上がろうと動かした右足が踏もうとした一歩目。瞬間、その着地点はスキマに変わる。掛けた体重を今更戻す方法もなく、未熟な天狗は間抜けな顔と体勢で呑まれていった。
「土産話は、今の驚いた顔の話ね」