第二話 アルベルト・クライヒ
残酷描写が入ります。苦手な方はご注意下さい。
弟が七歳の頃、もう何も教える事はない、と師が弟を放り出した。まあ、弟は優秀すぎたから教える事が無くなったのは本当だろうが、恐らく弟の優秀さ加減を見てプライドが傷ついたのだろう。弟は遠慮というものを知らないから、名門貴族の家庭教師のプライドの高さを知らないのだ。まだ幼いからと思って余り外へは出さなかったが、そろそろ貴族間の人付き合いの仕方を教えたほうが良いのかもしれない。
そういえば、我が許嫁殿は弟に恋をしているらしい。年齢的にも調度いいので、貴族の子供間で貴族同士の付き合いの下地を学んでもらうとしよう。これで自分と姫の縁談が流れてくれれば、更に嬉しいのだが。
授業を受けなくて良くなった弟が暇を持て余したらしく、何やらごそごそやっていたと思ったら、新しい紙を作ったらしい。自分が気付いた時には、父上が量産、販売を計画していた。おいおい、このままじゃ羊皮紙作製業の人間が職にあぶれるじゃないか。造るのは良いが、そこら辺の調整も考えて欲しい。父はどうにも抜けているところがあっていけない。おかげでやたらと忙しい一年を送った。
何だか弟は物造りが好きらしい。色々作っては発表し、父上が金儲けに走っている。領地が豊かになるのは大歓迎だが、いくらなんでも急ぎすぎだ。お陰で調整に走る自分は息切れしてしまう。領民に大きな混乱は無いが、地方では近いうちに綻びが出そうだ。父上はお金儲けが好きすぎるし、弟は世間の流れというものをもっと知らなければならないと思う。このままではいずれ領民が潰れてしまう。今度、父上に弟を政務に関わらせるよう進言しよう。そうすれば、自然と流れを掴み、無理なく改革を進められる筈だ。
* *
その報せが齎されたのは、麗らかな午後の昼下がり、アルベルト・クライヒは自分の執務室で休憩を取っていたときだった。
「オークの討伐?」
「ああ、西のシェンの森に巣を作り始めてな。巣が完成する前に駆逐しなければならん」
その報せを持ってきたのは、ルドルフ・クライヒ。アルベルトの兄であった。
「お前もあと三ヶ月で十六歳、成人だろ。公爵家の子弟とはいえ、有事には自ら剣を取る必要がある。それに慣れる為にも、今回の討伐対に加わってもらう」
「えぇっ!?」
「今回の討伐には僕も同行する。討伐隊は三日後に出発する。まあ、くれぐれも死なないようにな」
「ちょ、兄さん!?」
そう言い捨てて、ルドルフはさっさとアルベルトの執務室を出て行ってしまった。
「オークの討伐か……」
「アルベルト様……」
心配そうなカインに苦笑しつつ、アルベルトは自分の半生を思い返す。
アルベルト・クライヒは、前世の記憶を持つ転生者だった。
アルベルトの前世の名は、笹木陽平といい、雑学が好きな二十歳の大学生だった。そんな陽平が事故にあったのは、土砂降りの雨が降る視界の悪い日だった。トラックに撥ねられ、激痛の中意識を失い、気付けば今の母の腹の中だったのだ。
この地球ではない、異世界に産まれ思った事は、これは所謂転生チートというものではないだろうか、という事だった。
七つ上の兄、ルドルフは天使もかくやという程の美少年で、毎日絵本を読んでくれる優しい兄だった。母は少し病弱で、儚げに笑う人で、アルベルトが十歳の頃にこの世を去った。父は如何にも大貴族の当主といった感じで、威厳はあるのだが、お金が好きなところが玉に瑕だった。
アルベルトとして生を受けてからというもの、兄や母、乳母に読んでもらう絵本等で字と言葉を覚え、三歳の頃に魔術と出会った。まさかファンタジー世界とは思っていなかったので、驚き、多大な興味を持った。
魔術を知ってからというもの、魔術にはまり込み、五歳の頃に基礎が出来上がっていた。
七歳の頃に家庭教師から卒業を言い渡され、焦った。前世の事を内緒にしていたため、流石に不気味な子供に思われるんじゃないかと不安だったが、異端児ではなく、神童として世間に知られるようになった。少し気まずい思いをしつつも、安堵したのを良く覚えている。
やる事がなくなった為、魔術の発展系を研究していたのだが、ふと、羊皮紙の使いづらさが目に付いた。調べてみれば、この世界にはまだ植物から成る紙の製法が無いらしい。ここぞとばかりに前世の雑学をフル活用し、地球の紙を再現してみた。羊皮紙よりよっぽど安価で、使いやすかったため、爆発的な人気を持って売れていった。その売れようと言ったら、面白くて仕方が無く、この世界で、地球の雑学による発展を目指す事にした。
そして、自分は現在十五歳になった。いつの間にか兄が自分に仕事を押し付けるようになったが、大して負担になるよう量でもなかったので、多少の文句を言いつつも素直に仕事をした。自分月の部下のカインなどは、それを面白くは思っていないようだが、自分としてはどちらでも良かった。何故なら、自分に仕事を押し付けて今は楽をしているようだが、後で困るのは兄なのだ。だって自分はこの世界の成人、十六歳になったら家を出ようと思っているのだから。
前々から、このファンタジーな世界に興味があり、色々なところを回ってみたいと思っていたのだ。その為の準備も内密に進めてきて、既に旅立ちの準備は出来ていた。
自業自得とはいえ、兄には苦労を掛ける事になりそうだが、カインを筆頭に、優秀な部下達を残していくのだ。何とかなるだろう。
そうやって旅立ちの日が迫っていた三ヶ月前に、まさかオーク退治をする事になるとは思っていなかった。しかし、このオーク退治はアルベルトの今後に必要な事だと思った。それは、旅をするうえで避けられないモンスターとの遭遇と、戦闘だからだ。
実のところ、アルベルトはモンスター退治に関して、下級モンスターを相手に両手で数えるくらいしかした事が無く、剣や魔法での実戦は、人間相手の模擬戦ばかりだったのだ。その為、今回のオーク退治は旅に出る前に是非ともしておきたい経験だった。
「まあ、いい機会だ。やってみるとしよう」
「アルベルト様……」
アルベルトは大丈夫だという意をこめて、軽く手を挙げ、笑った。
* *
シェンの森は、公爵の屋敷から、歩いて二日程の距離に在る。
シェンの森の近くには二つの村があり、時折村人が森の恵みを求めて森に入る事も珍しくは無い。そして、そうやって村人が森に恵みを求めて入り、オークと遭遇したのだ。遭遇した村人は、運よく逃げ延びたが、その日からシェンの森ではオークがよく見かけられるようになったのだという。
そして、オークに怯えた村人達は領主の公爵に訴えを出し、今回の討伐隊の派遣と相成ったのである。
討伐隊はルドルフを隊長に据えて組まれた。
シェンの森に入る前、見通しのいい野原で討伐隊は野営を組み、先遣隊の数名が森に入り、帰って来た。
先遣隊の報告を聞き、ルドルフは目を見開き、難しい顔をして考え込んだ。
「いずれ通る道だが、耐えられるかな?」
ルドルフの呟きは闇の中に溶けて消えた。
翌日。討伐隊の面々の前でルドルフが声を張り上げて、言う。
「諸君。我々は今からオークの討伐に入る。皆も知っての通り、オークは豚顔をした人型のモンスターだ。オークの性質は残忍かつ獰猛。そして、人間やエルフ、ドワーフを敵視している。このまま放っておけば、村に必ず被害が出るだろう」
ルドルフは其処まで言い切り、一つ息を吐いてから、言う。
「それから、昨日、先遣隊の報告で、オーガが居る事が分かった」
討伐隊に緊張が走る。
「その為、討伐隊を二つに分ける。オーガの討伐は私を隊長に、オークの討伐はレオン・ラージを隊長に据える! ラージ、前へ!」
「はっ!」
レオン・ラージと呼ばれたのは、四十歳手前くらいの、頬に大きな傷を持った筋骨隆々の大男だった。隙を見せない様子は、まさしく歴戦の戦士の風格を持っている。
レオンはルドルフの前で片膝をつき、礼を取る。
それを揺るがない強い目で見つめ、ルドルフは言う。
「ラージ。任せるぞ」
「はっ! 拝命いたします」
レオンもまた、覇気の篭った目でルドルフに答え、立ち上がり、討伐隊に向き直る。
「今から名を呼ばれた者は私と共にオーガの討伐へ向かう。残りの者はラージに従え。では、まず……」
ルドルフが名を呼んだのは、アルベルトを含んだ十五名だった。
そして、討伐隊は二手に別れ、森へと入っていった。
アルベルトは困惑していた。
それは、突然のオーガ出現の報告の所為でもあるが、一番の要因は、兄の様子だった。
「先ず、何よりも重要なのは、オーガにこちらの存在が気付かれない事が重要だ。その為、先ず巣に眠りの香を焚き、一時間程を置いて進入する」
アルベルト達が居るのは、岩山に在るオーガの巣の前だ。
そこで、ルドルフは作戦内容の最終確認に入っていた。
「中にはオークも居るだろう。もし騒がれでもしたら厄介だ。騒がれる前に、必ず仕留めろ。断末魔の叫び声など、以ての外だ。声を上げる暇も無く、仕留めろ」
ルドルフの様子はアルベルトの知る傲慢で、やる気の無さそうな様子とは百八十度も違い、威厳と覇気に満ち、カリスマ性に溢れていた。
「アルベルト」
「は、はいっ」
突然名を呼ばれ、アルベルトの肩が跳ね上がる。
「今回は想定外の事態が起こった。お前は今回、何もせず、見ていろ」
「え……」
戸惑いも顕にルドルフを見遣るアルベルトに、ルドルフは告げる。
「オーガは鬼族の王とも呼ばれる鬼だ。その巨体もさることながら、力は大人を片手で捻り潰せるほどだ。今回、お前をこの討伐隊に組み込んだのは、今後の為でもある。オーガの狩り方を覚え、考え、今回よりも、より良い方法を見つけろ」
しっかりとこちらに視線を合わせるルドルフに、アルベルトは戸惑いつつも、頷いて答えた。
それを見て、ルドルフも頷き返し、他、十四名の兵を見渡し、静かに宣言する。
「これより、オーガの討伐を開始する」
こうして、静かな戦いが始まった。
眠りの香を焚いた所為か、オーガの世話係と思われるオーク達は見事に眠りこけていた。
そして、そのオーク達の首の骨をルドルフ達は的確に折り、殺していく。その様子を、アルベルトは血の気の引いた青褪めた顔で見ていた。
豚顔だが、人に良く似た種族を、無抵抗な状態で殺す。それを当然の如く遂行する様子は、アルベルトには酷く遠い世界の事のように感じた。
そして、更に奥に進むと、眠りから覚めたらしいオークに襲われたが、それはルドルフの一太刀の下に首を切り飛ばされ、地に倒れた。
その様子に悲鳴を上げそうになったアルベルトの口を、隣に居た兵が素早く塞いだ。
辺りに血臭が充満し、アルベルトは自分の手が震えだすのを感じだ。
そんなアルベルトに気付いているのか、いないのか、ルドルフは苦々しい顔をして、静かに兵達に告げる。
「思ったよりも巣が深い。もしかすると、オーガに十分な眠りの香を吸わせられなかったかもしれん。警戒せよ」
静かに頷く兵達だったが、アルベルトは呆然として、ただルドルフを見つめる事しか出来なかった。
その様子を見たルドルフは近くに居た兵に何事か囁き、兵はそれに頷き、アルベルトの傍へ近づき、アルベルトに合わせて歩き出す。
そして、行き着いた先に、オーガは居た。
オーガはやはり眠りの香を十分に吸わなかったらしく、うとうととはしているが、眠っては居なかった。
物陰に隠れたルドルフは連れてきた弓兵を傍に呼び、矢に魔術を掛けた。すると、鏃は燃え上がり、それを維持したまま燃え続ける。
正確無比が自慢の強弓使い二人は、矢を番え、それをオーガの目に向けて放った。
「ギャァァァァァァァァァ!!」
それは正確にオーガの両目に付き刺さり、オーガは絶叫した。
しかし、それで攻撃は終わらない。
ルドルフがいつの間にか作り出していた火球を、絶叫するオーガの口内へ叩き込んだのだ。
火球を口内へ叩き込まれたオーガは、喉も焼かれ、呼吸もままならず、悲鳴も上げられない。
そして、更に追い討ちのように魔術で強化された数本の槍がオーガの喉を目掛けて襲い掛かり、貫いた。
オーガは長い間痛みにのた打ち回り、そして、ついに絶命した。
オーガが動かなくなり、一人の兵が代表してその様子を見に行き、オーガが死んだ事を確認した。とりあえず、ほっと息を吐くものの、緩みそうになる気を引き締め、ルドルフと兵達はオーガの様子を確認する。
「額の眉に傷か。確か、五年前に隣国を荒らしたオーガの特徴じゃなかったか?」
「はい。それに、右耳の耳たぶが欠落しています。まず、間違いないかと」
淡々とした遣り取りを、アルベルトは腰を抜かして見ていた。
その様は、正に茫然自失といった状態だった。アルベルトは自分が腰を抜かして座り込んだ事も、それを自分の傍についていた兵に支えられている事にも気付いていない。それでも、オーガに悲鳴を上げず、失禁しなかっただけでも上等な部類だ。
アルベルトは、血の気の引いた頭で考える。甘かった、と。
アルベルトは、自分の思い通りに進むこの世界を、自覚は無かったが、何処かRPGゲームのように考えていたのだ。そして、モンスターへの真の恐怖も、理解していなかった。
人に似たオークを殺す、作業ともいえる淡々とした様子。襲ってきたオークの、醜悪な形相。そして、躊躇い無く振り上げられた斧、剣により切り飛ばされた首。
見上げる程の巨大な鬼族の王。オーガは人間の言葉を理解するというが、決して味方にはならい事が分かる本能的な恐怖、圧倒的な種族の差。
オークやオーガなど、RPGゲームでは序盤で現れる有名どころの簡単な敵だが、現実では策を練り、慎重に慎重を期さねば勝てないのだ。
これは、全て現実なのだ。都合の良いゲームの世界などではなく、地球の平和な日本などとは比べ物にならないほど、死が近くに在る世界なのだ。
ルドルフが魔術でもってオーガを乾かし、最終的に砂に変え、大地に還す。そして、その作業を終えると、アルベルトに近づき、告げた。
「帰るぞ」
アルベルトは、ただ頷くしか出来なかった。
* *
アルベルトが立ち直るのには、しばらく時間がかかった。
アルベルトは思う。よく考えれば、分かった筈だったのに、と。
この世界は、確かにRPGゲームの様な世界だが、現実なのだ。人に似たモンスターも居れば、治安の悪い国では当然のように盗賊が出る。そして、殺さなければ、殺されるのが現実だ。
そして、モンスターへの恐怖。
低級ならまだしも、今回のオーガの様な中級でも、上位に入る存在は、人間手には余る存在だ。あれで中の上なのだから、上級モンスターは、既に自然災害と同じくらいのレベルになる。
そして、今回のオーク、オーガの討伐は、アルベルトの前では怪我人、死人は出なかったが、オークの討伐には重傷者が二名、軽い傷を負った者はかなりの数が出たらしい。ベットの上で真っ白な包帯を血で染めた兵を見つめ、アルベルトは更に現実を突きつけられた。
この世界では、簡単に人は傷つき、死ぬ。
世界はとても残酷で、厳しいのだ。