番外編 もう一つのクリスマス・キャロル
『……約束。クリスマスには、3人でお祝いすること』
冬の曇り空の下、神社の境内。その下で、子供たちが遊んでいる。初雪に歓声を上げながら、少年がふと思い出したようにそんなことを言った。隣にいた少女が微笑む。
『うん。三人で』
肩で綺麗に切りそろえられた髪を揺らしながら、少女はもう一人に振り返って言う。杉の木に降り注ぐ雪を見つめていたもう一人は、曖昧に笑って二人を見た。
少年はいつも何も言わず、いつも微笑むばかりだった。声が出ないのか、それとも何か障害があるのかは分からなかった。それでも、よく少年と少女が二人で遊んでくるとやってきて、仲間に加わった。
気にすることは殆どなかった。もともと少女も少年も饒舌なほうではないし、外交的でもない。だからこそ、この内向的な三人の子供の図は、はたから見れば不思議なものだっただろう。
『じゃあプレゼント、買ってこないと』
そう呟いた少年に、少女は頷く。
『何にしようかな……』
悩み始める二人に、無口な少年は微笑んだ。その笑顔は、どこか寂しげで、それでいて暖かな微笑みだった。微笑んだまま、少年は少女の肩を叩いた。そして指先を空に向ける。共に悩んでいたもう一人も、首を傾げて空を見た。
白く染まった空の上から、ちらちらと何かが舞い降りてきていた。
「……雪?」
二人がそう言って振り返る。しかしそこに、先ほどまでいた少年の姿はなかった。雪が地面に到達し、ゆっくりと境内の土の中に溶けて行く。
彼がいなくなるのは、いつも突然だった。現れるのも突然だった。それでも、あの時以来、彼が私たちの目の前に現れたことはなかった。
☆
秋のイベント、ハロウィンが終わると、街はすぐ緑と赤のクリスマスカラーに一変する。帰り道の街路樹にも電球が取り付けられて、暗くなればイルミネーションが目に眩しく感じられるようになった。
俺は幾人もの学生たちの間をすり抜けながら、少し前を歩く一人の女子生徒を追いかけた。背中まである黒髪が、歩みを進めるたびに揺れている。身長は女子の平均より少し高めで、俺と並んでもあまり差はない。もっとも、俺はこれから一ミリも伸びることはないだろうから、もしかしたら俺の方が小さくなることだってありえるかもしれないけど。
俺は数人の男子の塊をすり抜ける。肩が触れたけれど、感触はない。相手は俺のことにすら気付いていないと思う。俺の体だけがすっと帰り道の薄暗闇に解けて、そしてまたもとの通りになった。
「留衣、ちょっと待って……」
少し大きな声をあげてみるけれど、多分誰にも聞こえていない。聞こえているとしたら、俺の目の前にいる女子生徒だけだ。俺はすたすたと歩く彼女の隣まで来て、やっと大きく息をついた。
日本人らしい、落ち着いた黒の瞳が刺すように俺を見る。彼女、榊 留衣はため息を吐いて呟いた。
「遅い」
「そんなこと言ったって、ちょっと余所見してただけなんだし……」
冷たい視線で見られ、俺は気まずくなって言い訳をやめた。ゴメンナサイ、と早めに謝って、留衣の隣を歩き始める。
「……あんたに付き合って歩いてたり立ち止まったりしてたら、挙動不審に見られるでしょう?」
留衣の声が白く染まっている。俺はそれを見つめながら、もう一度同じように謝った。そしてふと、真っ白な留衣の手を見つめる。
「……留衣、そろそろコートとか、手袋とか、出してきたほうがいいと思うんだけど」
「……ああ」
やっと自分の手の冷たさに気付いたような顔で、留衣は答える。右手を握ったり広げたりしていた留衣は、それを制服のポケットに突っ込んで、更に歩くスピードを速めた。
俺はそれを追いかけながら言う。
「俺少し前にも同じこと言った気がするんだけど」
「そう」
学校前の通りから駅前へと歩みを進めていくと、ツリーの飾ってある店や、電飾に凝ったカフェ等も沢山ある。俺はその一つ一つに視線を向けながら、留衣の後を追った。
クリスマスまで、あと少し。通りや店、宣伝ポスター、そんな様々なものがクリスマスを謳い始め、どこからか鈴の音さえも聞こえてきそうな雰囲気だ。BGMが流れるCDショップには、クリスマスソングが並べられている。有名歌手や有名グループが一斉に聖夜を主題にした歌を発売し、テレビでは特別枠の2時間番組の文字が躍る。
どこもかしこもクリスマス一色だ。これが過ぎると一気にお正月ものに変わるんだろうな、と思いながら、俺はある店の前に張り出されたポスターに目を向けた。そこには、イチゴの乗ったショートケーキを中心に、クリスマスケーキの宣伝が書かれている。
「あ、ケーキ……」
甘いものは嫌いじゃない。毎日欲しいってほどじゃないけど、時々凄く食べたくなるときがある。俺は留衣の後を追いながら、ケーキのポスターを見つめた。そして視線を留衣に戻すと、どうやら俺の言いたいことに気付いたような顔で、留衣が言った。
「ケーキを買えとか言い出すんじゃないでしょうね」
「あ、分かった?」
留衣は心底嫌そうな顔で俺を見る。先に言っておくけど、と留衣は言う。
「ワンホールなんて食べられないからね」
「……じゃ、じゃあ切ってあるヤツ、とか」
安いやつでいいから、と呟くと、留衣は大きくため息をついた。断られるかもしれないと思ったけれど、意外にも留衣の返答は色よいものだった。
「……買ってくればいいんでしょう」
今日は駄目だからね、と付け加えて、留衣は駅へ向かって歩いていく。その後ろ姿を見ながら、俺はめいいっぱい飛び上がった。
「やったー!」
そう叫んで、留衣を見ると、いつもなら立ち止まって煩いと睨みつけてくるのに、今日はすたすたと駅に向かって歩いていった。俺はふと首をかしげ、そしてまた留衣の後を追う。
なんとなく隣に並ぶのが憚られて、少し後ろを歩いていった。
☆
テスト、そして冬休みと、学生の毎日は忙しく過ぎていく。今はもう生きている身じゃなくなった俺でも、留衣と共に生活しながらそう思った。
俺は、所謂幽霊というやつだ。体がなくて、何にも触ることが出来ず、何も食べることが出来ない。足は一応透けているものがついているだけで、あまり役に立っていない。
俺が死んだのは、今年の6月。都内の高校で、美術一本の人生を送っていた。友達と呼べる人間も少ないし、人生は全部絵の為にあるようなものだった。
でも、ある日、事故に会って死んだ。 留衣と会ったのはそれから少ししてからだ。死んだことにすら気付いていなかった俺は、彼女と出会って、もっと此処にいたいと思った。たとえ生きていなくても、たとえ誰に気付いてもらえなくても。俺のことを分かってくれる人間が、留衣しかいないとしても。
そして俺と留衣は、この奇妙な生活を送り続けている。
「留衣。……改めて聞くけどさ、クリスマスってまともに祝ったことある?」
クリスマス・イヴの前日。俺は留衣の買ってきたクリスマスケーキを見つめながら、呆然とそう呟いた。俺の視線の先には、皿の上に置かれたケーキがある。でもそれはショートケーキでもチョコレートケーキでもなく、なぜかチーズケーキ。
留衣は夕食の準備をしながら、こちらを振り向かずに答える。
「安いケーキでいいって言ってたのは誰?」
「はい、俺です……」
俺はうなだれながらそう言うと、チーズケーキを見下ろしてため息をついた。台所からは包丁がまな板を叩く音が聞こえてくる。つけっぱなしのテレビからは、CMが何度も移り変わっていく音が聞こえていた。ふと、俺の目がそちらに吸い寄せられる。耳慣れたクリスマスソングが流れてきていた。
『Jesus Born On This Day』15秒かそこらのBGMに、気分だけでもと鼻歌を歌い始める。ブラウン管の中では、有名女優が聖夜の奇跡を演じる感動2時間ドラマの映像が流れていた。クリスマスはどうしてこう、ドラマとか拡大番組が多いんだろうと、そんなことを考えながら、一番の盛り上がりの部分を歌おうとしていたとき、ふとテレビ画面が切り替わった。
振り返ると、リモコンと新聞を片手にテレビを見下ろしている留衣の姿がある。お笑い番組の賑やかな笑い声を冷淡に聞きながら呟く。
「……何、見てたの?」
「え?あ、別に……」
俺は首を振って、台所に戻っていく留衣の姿を見つめていた。包丁の音がまた鳴り始める。俺はふと首をかしげて、留衣に声をかける。
「留衣、あのさ、もしかして……」
留衣は何も言わず、手元だけを見ている。規則的な音が止み、留衣は振り返った。何、と不機嫌そうな顔で言い、煩そうに俺を睨みつける。
「えっ、あ、あっと……」
一瞬怖気づきそうになった俺は、言いたいことを頭の中で整理しなおして、一番的確な言葉を発した。
「……クリスマス嫌い、とか?」
「別に」
即答でそう言うと、留衣は俺に背を向けて、また包丁を動かし始める。俺が更に言いかけた時、部屋の奥から珍しく電話の鳴る音が響いた。設置してあるだけで、さほど意味を成さない電話。それがなったことに、俺は驚いて振り返る。
留衣は時計で時間を確認すると、不機嫌な様子で電話を取りに行った。受話器を持ち上げ、留衣は不機嫌な声で応答する。
「……何?」
相手の声を聞いてから、留衣はそう言った。知り合いだろうか、と首を傾げてそちらを見る。留衣は面倒くさそうな表情のまま受話器の相手に話しかける。
「……そう。それで?」
表情から見ても、相手は藤堂や島崎ではない。両親にしては、応答が投げやり過ぎる。
「ああそう、言いたいことはそれだけ?」
気分を害しているのを隠そうともしない。切るよ、と告げると、留衣は受話器を荒々しく置いた。妙な空気が後に残る。電話の相手が気になったけれど、俺はあえて言わないでおくことにした。
留衣は電話を背にして、台所に戻ろうとする。その瞬間、電話がまた鳴った。留衣の表情が固まる。俺は首を傾げた。
「……さっきの人、とか?」
留衣は無言のまま、電話に近づき、それを見下ろした。そして今度は電話線に手を伸ばす。それを引き抜くまで、迷いは無かった。電話は止まり、そしてあたりが静寂に包まれる。
留衣の行動に、俺は慌てて言った。
「る、留衣、そんなことしてると電話が……っていうより、相手は……」
自分でも何を言っているのか分らなくなっているところに、留衣の冷たい声が響く。
「さっきの人間じゃない。だいたい、何度も電話をかけてくるような性格じゃないから」
誰、と言いたいのを抑えて、俺は頷いた。それでもまだ何か、引っかかるものがある。俺は電話の前に立ち尽くした留衣の背中を見つめた。
「留衣……?」
留衣は呆然としたまま、電話を見つめている。その顔を覗き込むと、唇が動いた。
「……来る」
「え……?」
俺がもう一度、引き抜かれた電話線のコードを見つめた瞬間、電話が鳴り出した。規則的に、何度も、家の主を急かすように鳴り続ける。背筋をすっと何か冷たいものが触れていったような寒気が起こり、テレビの音が遠く聞こえた。
俺ははっとして留衣を見た。ふ、と留衣の手が受話器に伸びる。
「……だからクリスマスなんて嫌なのよ」
そう言いながら、留衣の顔は蒼白だった。受話器が耳に押し当てられる。
☆
彼は私が独りでいるときも現れた。そしていつも私が遊んでいるのを見つめて微笑んでいるのが日常だった。彼と私たちは、大体目を見て会話が出来た。何が言いたいのか、私たちには分かったし、彼は私たちの心を、簡単に読んでみせた。
『……喧嘩?してないよ』
ある時私は神社の杉の木の下で一人遊びをしていた。ただ土いじりをしていると、彼はどこからか現れて私の隣に座っていた。
彼は私達が嘘をつくとすぐに首を左右に振った。
『でも、あっちが……』
彼は見た目で言えば私達より少し年下に見えた。それでも、中身はずっと大人びていて、それはまるで兄のような存在だったのを覚えている。
私はふてくされると、いつも無言になった。怒られたとき、後悔しているとき、いつも無言だった。そんな時、いつも彼は微笑んで頭を撫でた。
『……』
彼の手は暖かかった。そう記憶している。いつも、彼は喧嘩の仲裁役。彼の微笑みには、私たち二人のどちらも勝つことが出来なかった。
彼の手の感触を、今の私は、思い出すことが出来ない。
☆
クリスマス・イヴ。俺はクリスマス特番を見つめていた。留衣は夕食を作っている。俺は唯一の楽しみのケーキがチーズケーキだったことに落胆して、テレビのCMに視線を移した。
クリスマスソング『Jesus Born On This Day』を聞きながら、ふと予感がよぎった。俺にはなんとなく、次に起こることが分かるような気がした。振り向くと、留衣が新聞を取り上げて、リモコンを握る。その先をテレビに向けようとした瞬間、俺は叫んだ。
「ストップ!!」
「……はあ?」
あまりに急にそう叫んだから、留衣は怪訝そうな表情を浮かべてそう言った。俺はただ直感に任せて留衣を止めてしまったので、自分でも理由が分からずオロオロと言い訳の言葉を捜した。
「……何?」
CMが終わると共に留衣はそう言った。
「え、えっと、あの、ほら……なんか、こう、こんなこと前にもあった感じが……」
留衣は訳が分からないといった表情をしながら、口を開く。
「そんなことが言いたくて止めたわけ?大体、私は幽霊とクリスマスなんて、今まで一度も……」
冷ややかな言葉に肩をすくめていた俺は、留衣の言葉が途中で消えたので顔をあげた。留衣は戸惑いを浮かべた蒼白な顔で足元を見つめている。頭を押さえて、テーブルに手をついた。
「……蓮」
座り込んでしまった留衣が、そう呟いた。
「今日、何日?」
「えっと、23、……じゃなくて24日」
俺はカレンダーを見つめながらそう呟いて、そしてふと気付いた。俺の心の中を代弁するかのように留衣が呟く。
「昨日……電話をとった後、何があった?」
「……覚えてない」
俺の声を聞いた留衣はすぐに電話に駆け寄り、電話線を確認する。それはしっかりと、外されたままだった。留衣はコードを持ち上げ、そして目を瞑る。
数十秒間、留衣はそうしていた。そしてコードを元に戻すと、ため息をつく。
「る、留衣は?あの後、何か聞いたり、とか……」
「何も聞いてない。受話器に耳をあてて……その後は」
ここにいた。丸一日の記憶を無くして。俺は無い血の気が引くような思いにとらわれた。留衣は表情を蒼白にしながらふと時計を見る。
「昨日、あの電話がかかってきたのは……7時半過ぎ」
時計は七時半を指している。俺は寒気に腕を押さえながら、留衣に言う。
「留衣、留衣っ。それより、お札とかお守りとか……」
「あんたも弾き出されたいの?家から」
「うっ。それは……」
嫌です、と言おうとした瞬間、玄関でチャイムの音がした。留衣が反射的に振り向く。何度も鳴り響くチャイムの音に、留衣は意を決して立ち上がった。俺は慌ててその手を掴む。
「留衣っ」
残酷にも俺の手は、留衣の手をすり抜けた。留衣はそのまま、玄関へと歩いていく。その背中を見つめながら、俺は不安にかられた。
「留衣、待っ……」
俺の声もむなしく、留衣は玄関へと向かっていった。
☆
チャイムは鳴り響いている。私はドアノブを掴み、神経を集中させた。そして全神経を集中させて、ドアノブを捻る。外に何がいるのか、何が起こっても反射的に反応できるように。
そして、ドアを押した。
「一体、誰……」
「さーちゃん、メリークリスマース!!」
目の前で何かが弾ける音と共に、私の目の前に現れたのは雛だった。どこから持ってきたのか、クリスマス用の赤い帽子に、手袋をはめてニコニコと笑っている。
「雛……何、それ」
「サンタクロースだよう、ほらほら」
私は先ほどまでの緊張を吐き出すようにため息をついた。緊張と共に、力と、雛の相手をする気力が失われていくような気がしたけれど。
雛は私を見上げて、ポケットの中から一つの袋を取り出した。それは、本当に小さな袋だった。
「で、さーちゃんにプレゼント!あ、まだ開けないでね。明日の朝まで冷凍庫に入れといて~」
「はあ……?」
食べ物?と聞いても、雛は意地悪な微笑みに笑うだけ。私は首をかしげながらそれを受け取る。
「私、何も返せるものないんだけど」
「んーん!いいの、いいの。メリークリスマス!!あっ、それじゃ、まだ渡す人がいるから。じゃーね、さーちゃん」
雛はニコニコと走っていくと、振り返って足を止めた。こちらに手を振って、少し大人びた笑顔で笑う。
「メリー・クリスマス!!留衣ちゃん」
「……メリークリスマス……」
嵐のように去っていく雛を見送って、私は包装されたプレゼントを見つめた。玄関から台所に行き、冷凍庫を開ける。無造作にそれを突っ込み、そしてその下の冷蔵庫のドアを開ける。そろそろ蓮がケーキが食べたいと言い始める頃だろう。私はジュースを取り出そうとして手を止めた。
「蓮、ジュース何にするの?」
コーラとサイダー、そしてオレンジジュース。私の手は、冷蔵庫の扉を開けたまま、蓮の答えを待っていた。
「ちょっと、蓮?」
くだらないことで悩んで、とため息をついて私は顔をあげた。冷蔵庫の扉を閉め、部屋の中を覗く。相変わらず流れ続けるTVの音が、私を迎えた。そして、いつもなら私を嬉々として迎える、あの暢気な幽霊の姿は見当たらなかった。
「蓮?」
☆
クリスマスの日、私達は二人分のプレゼントを用意して彼が現れるのを待っていた。けれど、いつまで経っても彼は神社に姿を現さなかった。いつまでも、いつまでも待っていたけれど、彼はそこに現れなかった。
『用事、かな……』
『……うん』
その年は大雪だった。神社には地面が見えなくなるほど雪が積もり、私達は社の屋根の下で雪があがるのを待っていた。けれど、なんとなく、彼はもう来ないのかもしれないという確信だけが、胸の奥にあった。
ぼんやりとした悲しみが、心の中を重くした。根拠もない思い込みと、予感。泣くほどのことじゃなくて、それでも、それは悲しみと呼べる感情だった。
『……あ』
ふと、神社の奥のほうから、母の呼ぶ声が聞こえた。どうやら寒いから家の中に入れと言っているようだった。私はもう一人の手を掴み、言う。
『行こ』
私達は雪の中を歩き出した。神社の賽銭の上に、近所の子供たちが作ったらしい小さくて不恰好な雪だるまが置かれていた。
積もった雪が、私達の足音を消しとっていくように、静かな一日だった。
☆
「蓮……?」
私はそう呟いて、そしてふと携帯のバイブ音に顔をあげた。ベッドの上の携帯が、唸り声を上げている。開くと、メールが来たようだった。島崎 雛、という表示が画面の中に浮かび上がる。
『From:島崎 雛 題名:メリークリスマスっ!!』
『さーちゃん、メリー・クリスマスぅ!!さーちゃんは今お家?それともアパート?私は家族でクリスマスパーティ中だよ~!あ、そうそう、プレゼントは部活の日に渡すから、楽しみに待っててね。それじゃ、良いクリスマスを~!!あ、部活は遅れないようにね~。ではでは!』
私は携帯を握り締めたまま、視線を空中へと彷徨わせた。さっき玄関で雛に会い、プレゼントをもらった。そして去っていく所まで、しっかりと見送った。それを思い出し、そしてまたメールの文章を読み返す。
そして、いなくなった蓮のことを思った。
「……蓮……?」
私はそう言いかけて、ふと振り向いた。私の背後に位置する電話が、またコール音をあげ始めたからだ。私は携帯を握り締めたまま、電話へと近づいていく。コール音が、耳元で鳴らされているかのような錯覚に陥りそうだった。
「……」
私は、受話器を握る。そして、それを耳元へと運んだ。
何かを聞いた気がした。けれどそれが何かを完全に理解する前に、頭の中が真っ白になった。そして先日のように、そこからの記憶が、私の中から消え去っていた。
☆
「……ぃ、……留衣、……留衣っ!!」
耳元でそんな声が聞こえた。聞きなれた声に私は顔を顰めて、目を開ける。目蓋が重たい。深い眠りから無理やり起こされるような最悪な気分だった。
目を開くと、すぐそこに蓮の顔があった。私の顔を見て、安心したように声をあげる。
「留衣!良かった……無事だった」
「……煩い」
耳元で叫ぶな、と睨みつけても、蓮はただ安堵したように気の抜けた表情をするだけだった。私はため息をつき、そしてふと顔をあげる。
「……今何時?」
そう言うと、蓮は時計を見上げる。
「9時過ぎ。……朝の」
私は顔を顰め、体を起こした。部屋の空気が寒い。
「で、結局あんたは何処にいってたわけ」
「何処にって言われても……記憶がなくて……」
「雛が来たこと、覚えてる?」
私は手元に落ちていた携帯を拾い上げると、履歴を確認しながらそう言った。イヴの受信メールの中に、雛の名前を探すのは簡単なことだった。そしてはっきりと、昨日の夜に目にしたメールを見つける。
こちらが本当なら、昨日の夜にあった雛は……。私は、雛が最後に私のことを『留衣ちゃん』と呼んでいたことを思い出す。
「ええっと……留衣を止めようとして、で、気付いたら……朝だった」
「……結局何も覚えてない、と」
私はもう一度昨日のことを思い出そうと頭を動かした。蓮が消えたのは、多分私が雛の対応をしていた時。正確に言うならば、雛の姿をした相手。あの時、プレゼントを貰った私は、それを冷凍庫に入れた……。
「……留衣?」
私は台所に行き、冷凍庫を開けた。そこには、昨日私が無造作につっこんだままの包装紙が置かれている。
それをテーブルの上に持って行き、リボンを引いた。簡単に紐が解け、袋があく。蓮が中身を覗いた。
「……あ!」
それは、小さな雪だるまだった。不恰好で、それでも顔やボタンまでしっかりと作られている。
『メリー・クリスマス、留衣ちゃん』
「……あ」
あの時、雛の姿をした誰かが、そう言ったことを思い出した。私のことを『留衣ちゃん』と呼ぶ人は、後にも先にも一人しかいなかった。神社に居た頃、どこからともなく現れ、そしていつの間にか消えた私の友人。私の名前を呼ぶときは、いつも筆談だった。
霊と人の区別が出来なかった頃の……私達にしか見えない友人だった人。
私は窓に歩み寄り、カーテンを開け放した。外には、いつのまにか薄らと雪が舞い降りている。私は窓を開け、ベランダの片隅に雪だるまを置いた。そして片隅の幽霊に問いかける。
「蓮。そろそろケーキ食べようか」
雪は降り続き、数年前と同じくらいの降雪量になった。私はベランダに積もった雪を丸めて固め、雪だるまを作った。綺麗に丸まった雪球に、小さな雪をくっつけ、目をつくる。そしてそれを、プレゼントの雪だるまの隣に置いた。
2つ並んだ雪だるまが、窓を飾っている。TVからはクリスマス・キャロルが流れてきた。
メリー・クリスマス、もう会うことのない人へ。
FIN