虐げられ風令嬢、自分を貫き通したら幸せになれました
最終話 一方そのころ、お父様は王太子殿下の外遊に付き従っていた
「姉の貴女は地味なんだから隅っこにいなさい。クロエの邪魔になるでしょう」
シャンデリアの眩さに目が痛くなりそうな舞踏会場の隅っこで、
継母のマルグリットが扇をバサッと広げながら言ってきた。
吐き出された息が微かにニンニクくさい。この舞踏会にかける意気込みが鼻感覚として伝わってくる。
「わかりました」
私は素直にうなずくと、そのまま会場の中央に向かって歩き出した。
いや、言われた通り『隅っこ』にいようかとも思ったのだ。
でも、あの人の言う『隅』って、だいたい湿気があってカビ臭い場所だし、それに今日の私のドレスは、裾の裏地に補強用のアラミド繊維を縫い込んであるから重いのだ。
立ちっぱなしで端っこにいると膝が壊れる。中央の、一番床がしっかりしている場所に行かないと腰までやられる。
人の波をすり抜ける。
ひらひらしたシルクやレースが邪魔だ。
妹のクロエが後ろで何か叫んでいた気がするけれど、無数のドレスの衣擦れの音でよく聞こえなかった。
ホールのド真ん中。
場内で最も明かりが強くて床が硬いポイントに足を据えた時、目の前にでかい影が落ちてきた。
「ここは君のような低位貴族が来る場所ではないのだが」
見上げると、公爵家の当主でやたら姿勢のいいルシアン殿が立っていた。鼻筋が通りすぎていて、真横から見たら指を切りそうなピン札みたいな顔をしている。
あと、なんだその上着の刺繍。金糸を使いすぎて肩が凝りそうだな。
「あ?」
思わず素の声が出た。いけない、子爵家の長女としての仮面が剥がれかけた。
というか、この男の足の開き方、重心が後ろに寄りすぎている。
前傾姿勢への移行が絶対に遅れる型だ。
「──勝てたら言うことを聞いてやる」
口が勝手に動いていた。ルシアンは呆れたように片方の眉を跳ね上げた。
「……は? 舞踏会で何を言っている? 戯れ言も大概に」
言い終わる前に、私は着ていたドレスの胸元をぐっと掴むと、肩回りの可動域を確保するために胸元の布をブチブチッと引きちぎった。
ついでに重たいスカートの裾を両手で豪快にまくり上げ、太ももを露出させる。
「はっ!?」
ルシアンが素で引いた声をあげた。まわりの貴族たちも「まあ!」「まあ!」と外国のカラスみたいに鳴き始めた。うるさいが、それもまた一興。
とにかく、そのまま右足を大きく上げ、床をドカンと踏みしめた。
ドスーーーン。
ホールの床が激しく揺れ、天井のシャンデリアがジャラジャラと悲鳴を上げた。
続いて左足。
ドスーーーン。
「な、何をしている……!?」
ルシアンの顔から余裕が消える。
(よし、軸はブレてない)
私はそのまま腰を深く落とし、両手を膝に乗せてルシアンを睨みつけた。
「来い。手加減はいらん」
「侮っているのか……! いや、だが公爵家の名誉にかけて、無礼な不法侵入者を排除せねば――」
ルシアンが腕を伸ばして私の背に手を回そうと踏み込んできた。
遅い。
いや、思ったよりは速いか?
立ち合いの踏み込みは、足の裏全体で床を捉えている。
さすが公爵家。
いい物食って鍛えてるだけあって、体幹がしっかりしている。
ちょっと舐めてた。
だが、甘い。
みたらし団子の中から出てきたあんこより甘い!!
私はかいくぐるように懐へ飛び込み、ルシアンの豪奢な上着の襟ぐりと、腰帯のあたりを固く握りしめた。
「むっ!?」
「逃がさん」
一瞬、ルシアンが体をひねって私の体勢を崩そうとしてきた。
意外と粘る──左足の親指が滑りかけ一瞬焦る。
靴底の革が滑りやすい素材だったのを忘れていた。今度から社交界にはゴム底の地下足袋で来よう。
とはいえ、地力の差は覆るべくもない。
「はあっ!」
私は腰を落としたまま、ルシアンの巨躯を斜め上に跳ね上げるようにして、一気にすくい上げた。投げの体勢。浮き上がる公爵。真ん丸になる彼の青い目。
ズシィィィン!!
舞踏会の床に、公爵が背中から叩きつけられた。完璧な決まり手。寄り倒しか、すくい投げか微妙なところだが、とにかく完勝といってもいいだろう。
静寂。
その場の誰もが息を呑む中、オーケストラのバイオリンの弦が一本、ぷつんと切れた音がした。
ルシアンは天井を見上げたまま、ピクピクと足先を動かしている。
「ふぅ……」
私は大きく息を吐くと、乱れたドレスの裾をさらに高く持ち上げ、堂々と右足を高く高く引き上げた。
膝を耳の横まで持ち上げてからの、力強い四股。
ドーーーン!!
続いて左足。
ドーーーン!!
「どすこい」
小さく呟いて、両拳を握る。よし! 体が温まってきたぞ。
「見事であった!」
ホールの奥から、妙に通るダミ声が響いた。
人ごみが割れて、頭に王冠を乗せたおっさん――国王陛下が満面の笑みで拍手をしながら歩いてきた。なんだ急に、目立ちたがりか?
「見事な腰の入れ方、そして鮮やかな投げ! 申し分なし!」
国王は私の目の前まで来ると、まじまじと私の太ももの筋肉を観察してきた。ちょっと視線が不快だけど、まあ王様なんて大抵エロいもんだしな。
「ごっつぁんです」
私はドレスの裾を掴んだまま、深々と頭を下げた。自然に言葉が出た。抑え切れぬ反骨心はあろうとも礼節は大事だ。
国王が満足そうに頷いているのを横目に、私は倒れたままのルシアンを放置して、壁際に引き返すことにした。
急に喉が渇いたのだ。あそこにあるドリアンのネクターが飲みたい。
端っこに戻ると、継母のマルグリットと妹のクロエが待っていた。マルグリットは扇を畳んで、自分の手のひらにトントンと打ちつけている。
「おかみさん、今の一番どうでしたか?」
私がネクターのグラスを手に取りながら聞くと、マルグリットは苦いものを噛みつぶしたような顔で鼻を鳴らした。
「脇が甘かった。初顔合わせの相手じゃなかったら凌がれていたかもしれんぞ、エレノア」
「ええ。でもあそこから体を入れ替えて持ち直しましたよ」
「相手が素人だったから通じただけだ。公爵の腰がもう少し低かったら、お前の方が上に乗っかられて潰されていた」
厳しい。相変わらずこの人は褒めてくれない。子爵家の留守を預かる、おかみさんとしての目は誤魔化せない。
横からクロエが、自分のドレスの裾で私の額の汗を拭いてくれながら言った。
「でもおかみさん、姉弟子のいいところは存分に出ていたと思います。最初の立ち合いの圧で、完全に相手の出足を止めていましたし」
「まあ、あの踏み込みだけは悪くなかった」
おかみさんが腕組みをして頷く。嬉しい。実は認めてくれていたのか。
そういえば、彼女がこの家に来た時、最初に渡されたのは『すり足の教科書』だったな。
あの時はてっきり、貴族の淑女としての歩き方の本だと思って熱心に読んだのだが、三ページ目で『四股の踏み方』が図解されていて固まった思い出がある。
ちなみにクロエなんて、小さい頃から俵を担いで階段を上り下りさせられていたから、ドレスの下のふくらはぎが鋼鉄みたいにカチカチだ。
「あの……」
背後から、掠れた声がした。
振り向くと、ボロボロになった上着を肩に引っかけ、背中に派手にホコリをつけたルシアン殿が立っていた。
髪の毛はボサボサだし、鼻の頭がちょっと赤くなっている。
「なんだ、まだやるのか? 今度は遊びでは済まんぞ」
私が構えようとすると、ルシアンは急にその場に膝をついた。
「違います! 姉弟子!」
「……は?」
「あの一番で理解りました。私には……私には決定的に『軸』が足りていなかった! どうか、私をこの子爵家の……いや、子爵部屋の門下にお加えください、姉弟子!」
ルシアンの目が、獲物を狙う鷹みたいにギラギラ輝いている。イケメンの無駄遣いにも程があるシチュエーションだ。
というか『姉弟子』ってなんだ。私はお前の姉になった覚えなどないぞ。
おかみさんがルシアンの前に歩み寄り、上から下まで品定めするように見つめた。
「公爵閣下さんよ。うちの部屋は厳しいぞ。新入りは、毎朝四時起きでちゃんこを作り、土俵の整備までしなきゃならん。第一、お前さんみたいなヒョロヒョロの体じゃ、エレノアのぶつかり稽古に耐えれるとは思えんが」
「そこは耐えてみせます! それに、財産も公爵家の権力も、すべて部屋の運営費として寄付します!」
「ほう……財産をねぇ」
マルグリットの目が妖しく光る。現金なババ──おかみさんだ。
ルシアンは私の方を向き、真剣な眼差しで言った。
「姉弟子、どうか私を指導してください!」
私はネクターを飲み干し一つゲップをすると、近くの給仕のトレーにグラスを放り投げた。氷がカランと音を立てる。
ルシアンの顔をじっと見つめる。
顔がいい。
ぶっちゃけ好みだ。
育ちもいいんだろう。
でも、相撲の世界は甘くない。
特に、私みたいな荒法師の付け人になるということは、相当な我慢を強いられる。
「お前──」
私は腕組みをして、ルシアンを見下ろした。
「お前に、儂の尻を拭く覚悟はあるのか?」
「……はい?」
ルシアンの思考が停止したのが分かった。
目が泳いでいる。高位貴族の綺麗な脳みそが、一生懸命に言葉の意味を検索しているのだろう。
『比喩表現かな?』とか考えているのかもしれない。
「いや、比喩じゃないぞ。物理だ」
私が追撃をかけると、後ろでクロエが「あちゃー」という顔で額を押さえた。
おかみさんは「フン」と鼻で笑っている。
「身体が大きくなりすぎて手が届かなくなった時、あるいは勝負の直前に身体を清める時、付け人が紙を持って控えるんだよ。お前に、その煌びやかな公爵の上着を脱いで、儂の尻を拭ける覚悟があるのかって聞いてるんだ」
ルシアンは数秒間、口を半開きにして固まっていた。
会場の貴族たちも、遠巻きに私たちのやり取りを聞いて青ざめている。
公爵に何を言わせようとしているんだという空気だ。
というか、私だって本当はこんなこと言いたくない。
花も恥じらうような乙女だし。
でも、嘘をついて入門させても後で困るのはこいつだ。
ルシアンの喉仏が、ゴクリと大きく動いた。
やがて、彼の目に尋常ではない光が戻ってきた。
「……望むところです、姉弟子!!」
「……」
「このルシアン、全力でお世話させていただきます! 拭きます! 完璧に拭きとってみせます!!」
「いや、声が大きい。あと顔が近すぎる」
ルシアンが勢いよく立ち上がり、自分の豪華な上着を脱ぎ捨てて袖をまくり上げた。
「おかみさん! さっそく明日から朝稽古に伺います! ちゃんこの仕込みは何時からでしょうか!?」
「威勢がいいじゃないか。気に入った! 明日も四時だ。遅刻したら四股千回だぞ」
「はいっ!」
なんか、すごいスピードで話が進んでいく。私はただ、舞踏会の端っこで足腰を痛めたくなくて真ん中に行っただけだったのに──。
遠くで国王が「余も混ぜてくれんか!」と叫びながら近寄ってくるのが見えた。おかみさんが「王様だろうが新弟子は一番下っ端からだぞ!」と怒鳴り返している。
「…………ふぅ」
私は自分のドレスの破れた胸元を引っ張りながら、深くため息をついた。
明日の朝稽古、なんだかめんどくさそうな予感がする。
でも、ルシアンと『がっぷり四つ』は、ちょっとやりたいかもしれない。
とりあえず、お腹が減ったので、近くのテーブルにあったローストビーフを素手で掴んで口に放り込んだ。
味うっす。もっと塩気がほしいかも──そうね、帰ったら塩ちゃんこがいいな。
よろしくお願いいたします!




