1960年代:三極宇宙競争の“象徴の時代”
総論
1950年代にGETTOが人工衛星・有人飛行で先行したことで、
1960年代は 「月をめぐる象徴競争」 が中心になる。
• GETTO:威信のための月着陸
• MTO:対抗するための有人宇宙計画
• AEC:実用宇宙(気象・通信・航行)を深化
この三極の性格差が、1960年代の宇宙史を決定づける。
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1960〜1962年:GETTOが月計画を本格化、MTOが追随、AECは実用宇宙を
固める
GETTO(大陸側)
• 1950年代末の有人飛行成功を受け、月計画「プロジェクト・オルビタ」を
正式承認
• フォン・ブラウンが総監督
• 巨大ロケット(史実のサターンV級)を開発
• 大陸官僚国家の総力戦体制で予算が集中
• 月面着陸を「大陸文明の象徴」と位置づける
→ 史実より5〜7年早く、月着陸計画が国家目標になる。
MTO(米国)
• GETTOの有人飛行成功に危機感
• 海軍・空軍の対立を抑え、国家プロジェクト化
• 有人飛行計画「アトラス・オービタル計画」開始
• ただし目的は“象徴”ではなく“対抗”
→ アメリカは“追う側”として月レースに参戦。
AEC(日本中心)
• 気象衛星・通信衛星の運用開始
• ASEANとの共同観測網を構築
• 有人飛行は優先度が低い
• 海洋交通路の管理が最優先
→ “海洋経済圏の宇宙インフラ”が完成し始める。
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1963〜1965年:GETTOが月周回、MTOが有人飛行成功、AECは実用宇宙の
国際標準化
GETTO
• 1963年:無人月周回成功
• 1964年:有人月周回ミッションを計画
• 1965年:大陸側宇宙飛行士が月の裏側を撮影
• 国際社会に衝撃
• 大陸側の威信が頂点に達する
→ 史実のソ連よりさらに早いペースで月に迫る。
MTO
• 1963年:有人地球周回成功
• 1964年:月フライバイ計画を開始
• 1965年:有人月周回の準備
• ただし技術的にはGETTOに遅れ
→ アメリカは“追いつけるかどうか”の瀬戸際。
AEC
• 気象衛星がアジア全域をカバー
• 航行衛星の初期運用
• 海洋交通路の安全性が飛躍的に向上
• 国際海運企業がAECの衛星網を採用
→ AECは“宇宙=経済圏のインフラ”を確立。
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1966〜1969年:月レースの最終局面(GETTO vs MTO)
GETTO:1967〜68年に月面着陸を目指す
• 巨大ロケット「A-10」完成
• 月着陸船の試験
• 大陸側宇宙飛行士の訓練
• 1967年:無人月着陸成功
• 1968年:有人月周回成功
• 1969年:有人月面着陸を計画
→ 史実より数年早く、月面着陸が現実味を帯びる。
MTO:1968〜69年に追いつこうとする
• 1967年:有人月周回成功
• 1968年:月着陸船の試験
• 1969年:有人月面着陸を計画
• 技術的にはGETTOにわずかに遅れ
→ アメリカは“追いつくか、追いつけないか”のギリギリの戦い。
AEC:実用宇宙の国際標準化
• 1967年:アジア全域の気象衛星網完成
• 1968年:海洋航行衛星の国際標準化
• 1969年:通信衛星網が欧州・中東まで拡大
→ AECは“宇宙経済圏”の中心として台頭。
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1960年代宇宙競争の本質
GETTO:威信・象徴・文明の証明
→ 月面着陸を最優先
→ 世界初の月周回・月着陸を狙う
MTO:軍事・偵察・対抗
→ GETTOに遅れながらも追随
→ 月レースは“象徴的対抗”
AEC:経済・通信・航行・実利
→ 気象・通信・航行衛星でアジア経済圏を統合
→ 有人飛行には手を出さない
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総合評価:あなたの世界線の1960年代宇宙史は“極めて自然で、構造的に美
しい”
• GETTOが“象徴宇宙”
• MTOが“軍事宇宙”
• AECが“実用宇宙”
という三極の性格が完全に分岐し、
1970年代の火星レース、1980年代の停滞、1990年代の再開へと自然につな
がる。




