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ひとりのクリスマスイブ

「和心、学校が休みになったのに、実家に帰んないのか?」

「年末には、帰ろうかなって、思ってはいるけど……」

「そうか。……あっ、そういえば、今日はクリスマスイブだぜ。一杯、飲むか? ジュースでも……ははは」

「あれ? 歴史サークルの彼女ができたって、言ってなかった? で、イブはその子たちと一緒にって、このあいだ……」

「ははは、ばれたか。……ごめん、ってことで、じゃあな」

 何やらウキウキした様子で隣室の綿谷(わたや)夏樹(なつき)は、長く伸びた髪をボリボリと掻きながら、下駄の音を響かせて出かけていった。


 一九七四年。和心は、十九歳。大学一年の冬を迎えていた。

 進路に迷った高校三年の夏、教育学部への進学を決めた。優しい性格の和心なら、きっと向いてるだろうと、両親も背中を押してくれた。

 県内の大学に合格し、初めての一人暮らしが始まった。

 住むようになったのは、畳四畳半一間のアパートだった。部屋の隅にはタイルが貼りの水受けと蛇口がある。大家さんの話によると、その水は井戸水を引いたもので、夏は気持ち良い冷たさとのこと。また、部屋には、以前住んでいた人が残していった小さな机があり、好きに使って、とのことだった。後から聞いたところによると、その机、何と四代前の住人が置いていったものらしい。味わいのある傷が、あちらこちらに残されていた。

「外にある共同の洗濯機やトイレは、空いていればいつでも使用できるし、お風呂や食事については近くに銭湯や食べ物屋さんもあるから。親元離れて初めての一人暮らしだろうから、困ったことがあったら遠慮なく言ってね」

 そう言われた親切な言葉が嬉しくて、ここに住むことに決めた。

 

 大学一年目のクリスマスイブ。そして、十九回目の誕生日。隣人も出かけたことだし、僕はジャンパーの襟を立てて、商店街へと歩き出した。

 これまでは、暖かい部屋で父母と一緒に過ごすクリスマスイブ、そして誕生日だった……僕が一人っ子と言うこともあり、大切に育ててくれた父母には心から感謝している。これまで鬱陶しいなぁ、なんて感じたことも沢山あったけれど、僕を見捨てることもせず、ずっと信じてくれた。こうして一人暮らしを始めてみて、僕は改めて、両親の大切さを感じることができたんだ。こんなこと、恥ずかしくて両親には言えないけれど。その思いを、今噛み締めている。

 

 簡単な昼食を済ませ、灰色の空の下、本屋へ向かって歩いた。クリスマスイブとはいっても火曜日。流石に休日ではないせいか、街は働く人以外での人出はまだ多くはなかった。夕方や夜になれば、ネオンで華やかに彩られ、きっと多くの人の笑い声で賑わうのだろうな、と想像しながら一人微笑んだ。


 本屋の中は、暖房が効いていた。指先や頬が、次第に赤みを帯びて、じんわりと痺れるような感覚さえ覚えた。店内中央には、クリスマスの雰囲気を醸し出すかのようにツリーが飾られている。ツリーの周りには、最近人気で読まれている単行本が並べられていた。ツリーはイルミネーションのライトが点滅し、その光を浴びながら赤や金、銀色のオーナメントボールがリズミカルに光を受け返していた。雪綿に囲まれ、雪だるまやサンタ、トナカイのオーナメントが飾られていた。そして、ツリートップには大きな星、トップスターが和心を見下ろすように瞬いていた。

……ん? ……これって……?

 和心の胸に、ふいに靄がかかったような感覚が広がった。

 いつも不思議に思う。クリスマスの時期、あちらこちらで飾られているツリーのトップスターを見るたびに、胸のどこかに小さな霧がかかる。思い出せそうで、思い出せない。霧の向こうに、何かがある気がする。……けれど、その輪郭は、今年も曖昧なままだった。

 本屋を後にした和心は、あちらこちらの店から流れてくるクリスマスソングに、少しずつ靄が晴れていくのを感じる。今日は誕生日。……今までにない誕生日……ふっと笑っては、鼻歌まじりに曲を口ずさんでいた。

 

 和心は、急に足を止めた。

 五軒ほど先の喫茶店から、鈍いドアベルの音が響いた。開いた分厚い木製ドアから、聞き覚えのある陽気な声が、町角を跳ねた。

 

「みきちゃ〜ん、らんちゃ〜ん。またな! メリークリスマ〜ス! みきらん、ちゃ〜ん……ははは」

「もう、やめてよ、夏樹! 大声で、恥ずかしいじゃん。……ごめんね、みきちゃん、らんちゃん。今日は、付き合ってくれて、ありがと……」

「ううん、楽しかったよ。ありがとう。じゃあね……バイバイ。良いお年を……」

「うん、メリークリスマス。良いお年をね……」

「歴史サークル、ばんざ〜い!」

「もう、夏樹!」

 そうと言うが早いか、そばの女の子が、綿谷の背中をバシッ!……

 和心は足を止めていた。笑い声、下駄の音、街に溶け込むボリュームいっぱいの会話……そのすべてが、自分の外側にある余白で響いていた。


 綿谷は、残った彼女と二人連れで、和心の方へと歩いてきた。

「なぁんだ、和心じゃん。一人か?」

「うん。今、本屋からの帰り……」

「相変わらず、真面目だな〜。あっ、この子、俺の彼女……」

 綿谷は、自慢するかのように紹介した。

「こんにちは。経済学部の星宮(ほしみや)初音(はつね)です」

「あっ、どうも。初めまして。雨宮和心です……」

「何々、その真面目くさった硬い挨拶は……まっ、和心らしいか。俺たち、二人で今から何か食べに行くとこだけど、和心も一緒にどう?」

「あっ、いや……僕はやめとくよ……」

「ははは……だよなぁ〜。じゃあ、またな……」

「うん……」

 夏樹は、くるりと背中を和心に向けた。初音は、軽く会釈して、夏樹の後を追った。夏樹の下駄の音と響く声、そして彼女の控えめな笑い声が、冷たい空気に溶けていく。そしてまた、街角にクリスマスソングが、静かに戻ってきた。まるで、何事もなかったかのように……。


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