第26話「影を解く会議 ― 失踪の理由、追跡の作法」
お疲れ様です!
今回、超鍛錬パートに入っています!
頭の中でイメージしながら読み進めると物語とシンクロして面白いですよ(^^♪
最弱と呼ばれた従魔たちがどこまで進化するのか――
牙の刻が、これからも続いていきます!
陽は傾き、街角に長い影が伸びはじめる頃だった。
ナナシは手を挙げて合図を送り、ひとまず訓練を切り上げる。広場から一本入った細い路地の先、
ギルドが貸してくれた小さな会議室へと、《無銘の牙》の四人は足を向けた。
木扉を開けると、中はひんやりとしている。窓から斜めに差し込む光が埃を浮かび上がらせ、壁には古びた地図、机の上には石板と白墨、そして水差しと木のコップが四つ。
プルリは扉を閉めるなり、椅子の上でふにゃりと崩れた。「もう……足が、いや身体がぷるぷる……」
ミミは耳をぱたぱたさせながら、木コップの水を一気にあおいだ。「くぅ……負けっぱなしは性に合わないな」
ルルカは尾を静かに垂らし、無言で窓際に立った。喉元の鱗がわずかに上下しているのは、疲労よりも苛立ちのせいだろう。
ナナシは皆の顔を確かめ、短く息を吐く。「……一度、中断してミーティングだ。原因を洗おう」
彼は石板を手に取ると、机の端に立てかけ、白墨で三つの大きな円を描いた。
丸の上には「良かった点」、右に「課題」、左に「対策」。それぞれの円が重なるように、真ん中は空けてある。
「定例の振り返りだ。まず“良かった点”から先に出す。自己評価は遠慮なしで行く」
ミミが先に手を挙げた。「屋根の移動はスムーズだった。ルート取りも悪くない。複数の屋根材の上で脚のかかりも試したし、視界の取り方も――人混みの流れを切らない位置取りは意識できた」
「よし、書くぞ」ナナシが素早く板に記す。『高所機動/視界確保/群衆動線の尊重』。
プルリが身を寄せる。「私も、視覚的な擬態はかなり上手くいったと思う。樽の影の色、くすみ具合まで寄せられた。あと、日差しの角度に合わせて反射の波を落とす調整……これは練習の成果」
板書が増える。『色・光の擬態/反射制御』。
ルルカは淡々と告げる。「人の中へ溶ける歩き方は、昨日より良くなった。尾も隠せた。荷車の影を使った移動は、露見の確率が低い」
『群衆擬態歩法/影移動/ディテール管理』。
ナナシは頷き、今度は「課題」の円に向き直った。「じゃあ、痛いところを出す。俺から言う。――“連携”が薄かった。開始直後に意見が割れて分散、以降の再集合のタイミングも覚束なかった。結果として網の目が粗くなり、俺が一度流れに乗ったら、ほぼ捕捉されなかった」
ミミが歯噛みする。「……悔しいけど、それはそう。私は『市場側』に賭けて速攻で走った。けど、走りの“風の切れ”で位置がバレる癖、まだ消しきれてない」
ナナシが『風切り音/足運びのシルエット』と記す。
プルリが手を挙げる。「私の脈動……バレたのは、身体の“呼吸”を止めても、粘度の周期が残っていたから。樽に合わせた色と光は良かったけど、微振動が樽木と合ってなかった」
『微振動の不一致/環境との波長不整合』。
ルルカは窓の外へ一瞥をくれ、淡々と続けた。「私は、荷車の“重心”が動いた。ほんの少し。ナナシはそこを見ていた。――荷重移動のコントロールが甘い」
『重心管理の甘さ/静物の“静”の破綻』。
ナナシは白墨を置き、机に両手をついた。「もう一つ。認知の盲点を見落としている。“見えるものを追い、見えないものを無視”していた。俺がどこにいたか――答えは『記憶に残らない位置』だ。視線が必ず通るのに、誰も覚えていない場所。例えば、噴水の清掃夫のすぐ後ろ、露店の呼び込みの後列、荷捌きの番をする少年の横。群衆の“背景”に同化した姿勢と呼吸で、俺はずっと歩いていた」
ミミが眉を寄せる。「……匂いは? 私、鼻も使ってたよ?」
「焼きパン、油、香草、獣、汗。匂いの層が厚すぎる。そこで俺は、中和した。革に石鹸を擦り込み、香草屋の前を何度か通って“借り香”を纏う。匂いの輪郭が、街そのものに溶ける」
ルルカがわずかに目を細めた。「呼吸は?」
「群衆の呼吸に同期。歩幅と心拍を、周囲の平均へ落とした。見られるリズムで動くと、見えない」
部屋が静まった。白墨が石板を擦る音だけが響く。ナナシは「対策」の円に白墨先を移し、言葉を区切って書いていく。
***
■ 網を張る:グリッドと“鳥籠図”
「グリッドサーチを導入する。街区の地図に緯線経線を引いて、各自の担当を固定。プルリは“影の深い通り”、ミミは“屋根と二階回廊”、ルルカは“人の流れの中心”。三者三様の強みを最初から隙間なく重ねる」
ナナシは地図の上に素早く格子を描き、要所に丸を打った。
「要衝――門、井戸、噴水、香草屋、焼き窯前。ここは“記憶に残らない位置”の宝庫だ。鳥籠図を作る。内側で俺(標的)が移動しても、格子が揺れた瞬間に、外周が閉じるよう訓練する」
ミミが頷く。「私、見張り台になるの、好き。屋根から“格子の揺れ”見られる」
ルルカが続ける。「私は“外周”の締めを担当しよう。閉める役は落ち着いた方がいい」
■ 負の痕跡を視る
「“見えない”を、見る。――負の痕跡だ。風鈴の列を想像してくれ。風が吹けば全部鳴る。一つだけ鳴らない鈴があったら、そこに風を遮る何かがある。街でも同じだ。鳩の群れの割れ目、猫が目で追う空白、煙の筋の乱れ。それを拾う訓練をする」
ナナシは机の上に並んだ小さな鈴をひとつ取り、指で弾いた。軽やかな音が続く中、一つだけ沈黙の鈴を置く。
「ミミ、君の“耳”はここで生きる。残響採耳を、音ではなく沈黙に向けて使うんだ」
ミミは目を丸くしたが、すぐに真剣な顔になる。「……“鳴らない音”を聞く。できるかもしれない」
■ 触れない罠:見えない見張り線
「町に迷惑をかけない範囲で、不可視の見張り線を敷く。プルリの《分裂糸》を人の脛に引っかからない高さで路地の両端に渡す。触れられた瞬間、糸がわずかに振動、ミミの電気パスに信号を落として全員へ通知。ルルカの《尾翼影座》で要所に“影の楔”を打ち、格子の節を固定する」
プルリが嬉しそうに身体をきゅっと縮める。
「糸の粘度、調整しておく。見えないけど、安全で、音だけ伝える仕様にする」
ルルカもうなずいた。「影の楔は、私の得意分野だ」
***
■ 振る舞いの借用に対抗する:偽の背景を逆手に
「俺がやったのは“背景の借用”だ。――なら、偽の背景を用意する。おとりの露店、おとりの清掃員、
おとりの荷捌き。ギルドに協力を頼んで、一時的に“それっぽい人々”を配置してもらう。
そこに“負の痕跡”のセンサーを混ぜる。背景そのものが罠に変わる」
ミミが口笛を吹いた。「面白くなってきたね!」
ナナシは笑って首を振る。「あくまで訓練の範囲でな。街に迷惑はかけない」
■ 各自の技の矯正
「ここからは個人練習だ」
ミミ:「風切りの中和」――足の上げ下ろしの角度と時間を、屋根材ごとに最適化する。瓦、板、石、ロープ橋。踏み出しの“音相”を変える。俺が太鼓を叩く。一定拍に合わせて風の裂け目を作らない歩法を身につける。
プルリ:「微振動の同調」――樽なら木目の周期、壁なら石の冷たさ、布なら繊維の撓み。粘度の波を環境の自然振動へ同期。呼吸を止めるのではなく、世界の呼吸に合わせる。
ルルカ:「荷重移動ゼロ化」――静物に潜むなら静物の“静”になる。膝、足裏、尾、肩――四点の微圧を常に均一に保つ訓練。台秤の上で荷重の針が揺れないようにする。尾翼影座は“楔”だけでなく平衡錘としても使えるようにする。
ルルカがわずかに口角を上げた。「……やることが見えた」
■通信:電気パス情報伝達廻廊の常時低負荷化
「最後に、通信の常時低負荷化。ミミの《電気パス情報伝達廻廊》は強力だが、負荷も高い。常時全開ではなく、心拍と連動した“点滅”で低消費の“ピン”を各自に打つ。要所でフル同期。これで、分散しても同じ地図が見える」
ミミは胸を叩いた。「任せて!閾値を下げれば、ささやき声くらいの負荷で済むはず」
ひとしきり書き終えると、石板の三つの円は文字でいっぱいになっていた。
“良かった点”は自信の種になり、“課題”は明確になり、“対策”は具体になった。三つの円が重なる中央
――そこにナナシはゆっくり白墨で一本の言葉を記す。
「観測者を観測せよ」
プルリが首を傾げる。「観測者?」
ナナシは頷いた。「《ニの牙》の性質だ。“近くで見る”。俺だって同じことをした。なら、観測者をこちらが観測する。“見ているもの”を見返す。視線。猫。鳩。煙。鈴。世界の視線を借りる」
沈黙が落ち、次に笑い声が弾けたのはミミだった。「よし、なんか勝てそうな気がしてきた!」
ルルカは静かに手を挙げる。「確認がある。捜索の手順を一度、口でなぞるべき」
ナナシが頷き、手短に復唱する。
「開始五分でグリッド配置。ミミは屋根へ、プルリは影筋へ、ルルカは流心へ。低負荷パスを起動、“鈴”の異常と“負の痕跡”を拾う。揺れた格子に対し、外周が縮退。おとり背景に“誘導”したら、三方向から静かに囲む。声をかけない。沈黙で追い詰める。……よし、全員、唱和」
三人の声が重なった。「了解」
***
■休憩と再起動のあいま
ミーティングはまだ終わらない。
ナナシは湯を沸かし、卓上に小さな茶器を並べた。蒸気に香草がふわりと香る。プルリは湯気に合わせて身体の表面をうっすら曇らせ、ミミは湯飲みをちっちゃな両手で包み、ルルカは香りだけを静かに吸い込んだ。
「ところで――」ナナシが湯飲みを置く。「敗因の“根”は何だと思う?」
ミミが指を立てる。「“勝てるやり方で走った”こと。自分のベストをやった。でも“相手が嫌がるやり方”ではなかった」
プルリが続ける。「私は“見えなくなる”ことに集中しすぎて、“環境に溶ける”ことを忘れてた。消えるのと混ざるは違う」
ルルカは短く言った。「私たちは、一人ずつ獲物を追った。群れで追っていない」
ナナシは口角をわずかに上げる。
「その通りだ。――いいか、狩りは言葉だ。伝達の遅い群れは獲物を逃がす。
俺たちは、言葉を速くし、少なくし、確かにする。ミミのパスに短縮語を登録する。
“鈴揺れ・北三・二”だけで状況が通じるように」
ミミがペンを取り、短縮語リストを書き始めた。
【短縮語例】
・S0(サイレント)=異常なし
・SB(鈴)=見張り線の振動
・N3(北三)=北グリッドの三番
・K-(気配無し)/K+(気配あり)
・H(背景)=おとり背景への誘導
・C(閉じる)=外周縮退開始
・Z(沈)=沈黙維持
プルリが手を挙げた。
「“混ざる”訓練、すぐやってみたい。たとえば……市場の呼び込みを一緒にやる、とか?」
ナナシは笑う。
「いい案だ。声帯のリズムを皆で真似る。人の声は地面に微細な振動を作る。プルリ、その振動に合わせて粘度を調整する。――“街の声”に乗るんだ」
ルルカが窓の外に視線を投げ、ぽつりと添える。
「足音の群れ。私は、群れの足音に自分の足音を紛れ込ませる練習をする。歩幅も、すり足も、踵の角度も、全部」
「よし、休憩はここまで。実地の再開だ」
ナナシが立ち上がり、石板を抱えて扉へ向かう。三人も続いた。会議室を出る前に、ナナシは振り返って言う。
「忘れるな。目的は“俺を捕まえる”ことじゃない。三日後、《影葬の追跡》で《ニの牙》を炙り出すための練習だ。――あいつは“近くで見る”。なら、近くで視る術を、今のうちに体へ刻む」
三人は同時に頷いた。
扉が開く。夕映えの金が彼らを包む。
実地・短期メニュー(夕刻)
会議室を出ると、ナナシは広場の縁に白い小石で格子を引いた。商人に一声かけ、露店の裏へ“おとり背景”を一つ、置かせてもらう。
洗濯物が風に揺れる路地の突き当たりには、プルリの細糸が張られ、見えない“鈴”が二つ鳴りの準備をした。屋根の端にはミミが駆け上がり、低負荷の電気パスがコツ、コツ、と心拍に合わせて点滅する。
「――開始」
ナナシはグリッドの中央を歩く“ただの人”になり、群衆の中へ滑り込んだ。
最初の反応はすぐ来た。SB(鈴)/N2(北二)。ミミのパスが囁く。プルリの糸が微かに震え、路地奥の空気の流れがわずかに変わった。
ルルカがC(閉)を宣言、右から“静かに”回り込む。プルリが影筋を回折させ、ミミは屋根から影の濃淡を読む。鳩が一斉に飛び立ち、負の痕跡の穴が、群衆の波の中にぽっかりとできる。
ナナシはひゅっと笑った。
――良い。網が、息をし始めた。
彼は格子の目の“揺れ”を二つ跨ぎ、噴水へ出る。清掃夫の動きに呼吸を合わせ、背中を借りる――その瞬間、H(背景)/誘導の合図が鳴った。露店の“おとり背景”の前、焼き香草の煙が一本だけ直線を描かず、曲がった。
ミミの耳がぴんと立つ。「風じゃない。誰かがいる」
ルルカが静かに歩む。プルリの糸が二度、微かに震えた。SB×2。
――包囲、完了。
ナナシは心の中で宣言し、次の瞬間、わざと踵を強く落とした。
“コツ”。
格子が一斉に収縮し、三方向から“沈黙”が迫る。
彼は手を上げ、降参の合図をする。
「……よし。一本」
三体は顔を見合わせ、ほっと笑った。
「やった!」ミミが尾を振る。「今の、完全に“見えないまま”追い詰められた!」
プルリは胸(がどこかは分からないが)を張る。「糸の振動、ちょうど良かったでしょ。痛くないし、でも気付く」
ルルカは短く頷く。「“負の痕跡”が鍵。煙の曲がり、鳩の割れ目。――覚えた」
ナナシは石板を掲げ、三つの円の中央を指した。
***
■ 観測者を観測せよ ― 実地・成功
「このやり方なら、《ニの牙》にも効くはずだ。あいつは“近くで見る”。なら、近くの世界に“不自然”を残す。見えないまま、見える。それを今、掴み始めた」
三人の表情に、言葉ではない確信が灯った。
仕上げの自己矯正
小さな成功の後、各人の矯正メニューに戻る。
ミミは屋根で太鼓を打つナナシの拍に合わせ、踏み出しの角度と時間を変え続ける。風は鳴るが、裂けない。踏んでも、音相が街のざわめきに溶けていく。
プルリは樽、布、石壁、土袋の前で粘度を揺らし、環境の呼吸に身を沿わせる。微振動が、いつの間にか背景の一部になっている。
ルルカは台秤に乗り、針が揺れないように静止する。重心は沈み、静物の静を身につける。尾翼影座は、壁と床へ平衡錘を打ち、無音の支点を増やしていく。
夕暮れどき、三人はそれぞれの課題に“一本”ずつ目に見える改善をつけた。ナナシは腕を組み、わずかに満足げに言う。
「いい。失敗の理由を言語化し、修正の方法を身体化した。……これで、今日のミーティング&特訓は
終わりだ」
ミミが両手を高く伸ばして背中を鳴らした。「ふぅーっ。お腹空いた!」
プルリがきらきらと笑う。「ねえねえ、晩ごはんは? カレー? それとも――」
ルルカが淡々と挟む。「たんぱく質。明日も動く」
ナナシは肩をすくめて笑った。「合意形成、早いな。――じゃ、肉を煮込んだ香草カレーに魚のソテーを添える。炭水化物とたんぱくの両取りだ」
広場から屋台の灯がひとつ、またひとつと灯る。
街の影は濃くなるが、四人の影は薄くなっていく。
“影に馴れる”のではない。“影を使う”ために。
そして、結びの一言
宿へ向かう途中、ナナシはふと足を止め、三人を見渡した。
「――もう一度、言っておく。これは遊びじゃない。だが、“遊び”の作法が要る。面白がってやれ。恐れからは何も産まれない。観測者を観測し、負の痕跡を拾い、言葉を速く、少なく、確かに。三日後、俺たちは“近く”に潜む《二の牙》とやらを引きずり出す!」
ミミが笑って拳を差し出す。「任せて!」
プルリがその上に手を重ねる。「ぜったい、見つけるぷる~!」
ルルカも静かに手を重ねた。「――狩る!」
ナナシは最後に自分の手を重ね、短く言う。「行くぞ、《無銘の牙》!」
「「「がう!!!」」」
四つの手が離れ、夜の街へと散っていく。
明日の訓練は、今日よりも緻密に。
そして三日後の正午、雷牙と影牙の遊戯は、ただの“鬼ごっこ”ではなく、観測の戦になるだろう。
――続く――
ここまでお読みいただきありがとうございます!
さらに加速する“牙の伝説”をどうぞお楽しみに!
引き続き『ナナシの豪腕とモンスター三姉妹 ―最弱から始まる最強クラン伝説―』
略して『ナナクラ』をよろしくお願いいたします(^^)/