第5話:ヴィーナスの抱擁
「じゃあさっそくお部屋を案内するね♪」
可憐さんはにっこりと笑った。
(・・カ、カワイイ・・)
私は熱に浮かされたようにポーッとしながら彼女を見つめていた。
「ここがトイレで・・ここがバスルームで・・」
彼女はひと部屋ひと部屋丁寧に案内してくれた。
・・でも、正直私はそれ所ではなかった。
ただでさえ父と渚さん以外の人との接触は久しぶりだった。
なのに・・目の前の女性は天女と見紛うばかりの途方もない美女で・・更には『国内トップクラスの女優』という、とんでもないオプションまでついていた。
狭い私の許容範囲はとっくに限界を超え、まともな精神状態を壊しかけていた。
「・・美月さん大丈夫?」
ハッとすると目の前に心配そうな彼女の顔があった。
私はビクリとして大きく後方に飛びのいた!
「・・ぁっ・・っ!」
フォローしようとして懸命に口をパクつかせるが・・何一つ言葉が出てこない。
「・・っ・・ぅ・・。」
首から上にカーッと血がのぼり、顔中が燃えるように熱くなってきた!
(・・どうしようっ! さっそく挙動不審な事しちゃってる!!)
嫌われる!! 嫌われる!! 嫌われる!!
・・体中に心音が鳴り響き全身がブルブルと震えてきた・・!
学生の時の悪夢がフラッシュバックしてきた。・・中学時代はいつもこうなり、気がつくと周りから人がいなくなっていたのだ!
(・・何も変わっていない・・。)
私は愕然とした。・・中学を卒業してから15年もたつのに・・今なお、何一つ変わらないなんて!
(・・このままじゃ仕事どころか、一生人前にも出れないよ・・。)
そんな考えが頭をよぎり、絶望で・・目の前が真っ暗になった。
・・その時
ふわりと体が包まれるのを感じた。
「~~~~~!?」
・・私は自分の身に何が起きているのか一瞬理解できなかった。
気が付くと目の前の女性が・・優しく私の体を抱きしめていた。
「・・大丈夫よ美月さん。渚さんから全部聞いてるから・・。心配しなくていいから・・。」
・・耳元で優しく囁きながら、彼女は更に強く私を抱きしめてきた!
・・彼女の甘い香りが鼻腔をくすぐる・・・
私は次第に・・さっきとは別の種類の「心音」に支配され始めていた。
あまりの鼓動の激しさに、全身がドクドクと波打っている。
・・絶対に彼女に聞こえている!
・・それでも彼女は決して手を離さず、私を抱きしめ続けた。
ドックン! ドックン! ドックン!・・
・・どれ位たっただろう。
あんなに乱れていた私の心臓は・・徐々に落ち着きを取り戻し始めていた。
トクン、トクン、トクン・・
同時に私の緊張もほぐれていった。
私は大きく息をつき、恐る恐る可憐さんの顔を覗き込んだ。
彼女も私を見つめていたので、思い切り目が合った!
私は驚いて目を逸らし、再び首筋からカーと熱くなるのを感じた!
・・でもその緊張は、明らかに先程の緊張とは異なっていた・・。
目の前の人物が「敵」ではないと確信し、なんだか安心できるような緊張だった。
「・・もう、大丈夫・・?」
可憐さんが心配そうな目で私を見つめていた。
私は赤い顔のまま、こくんと頷いた。
それを見て、彼女は天使のように優しく微笑んだ。
その顔を見て・・何故か全身が熱くなった。
「今日はいろいろあって疲れたでしょ?お風呂に入ってひと休みしたら?・・明日から忙しくなるから。」
彼女は私をバスルームの扉の前まで連れて行った。
「・・バスタオルとか中にあるから好きに使ってね?ベッドも寝室の私の物を使っていいから。」
そう言うと寝室に戻り、コートやバッグを持ってきた。
「買い物に行って来るね。七時には戻るからゆっくり休んでて?」
もう一度優しく微笑み、彼女は部屋から出て行った。
私は自分に自分に何が起こったか理解できず、彼女が出て行った後もしばらくバスルームの前で放心していた。
スウェットからは・・彼女の甘い残り香がほんのりと漂っていた。