第15話:浮上する女
(・・順番をまちがえたー。)
深夜の物音一つしないリビングの中央で、私は激しく後悔していたー。
・・完全に’順番’を間違えた・・。
私は先に父などではなく「渚さん」に電話すべきだったーー!!
・・でもしばらくして・・それは不可能だったと思い直した・・。
(こんな時間に渚さんに電話なんて・・。家族じゃないんだから無理だ。
・・ただでさえ、あんなに忙しい人なのに・・。)
ーーせめて朝まで待って・・父じゃなく「渚さん」に最初に相談するべきだった。
・・そうすれば、今のこの『最悪の状況』だけは免れていたのに・・。
そして・・そうなった経緯を思い出し・・歯軋りした・・!
(・・ああ・・!! あの時可憐さんに言われた”一言”を実践したばかりに・・。)
・・くやしさに涙が滲んできたーー!
(・・あれはやっぱり『罠』だったんだーー!!
可憐さんは・・私が父に電話したら「こうなる事」が分かっていたー。 だからあの時、父に電話するように促したのだ。
・・ああ・・なんで私はあの時、あの”冷血親父”なんかを信じてしまったんだろう・・。
あの時・・思ったのにーー!! 彼女の言う事だけは信じちゃいけないってーー!!
バカ、バカ、バカーー!! ・・・宇宙一の大バカ~~~!!!)
・・しかし、後悔先に立たずだったー。
私はあの二人の見事な連係プレーにより・・もはや完全に「逃れられない状況」に追い込まれてしまっていた。
私の両目からは再び大量の涙が溢れてきた・・!
もう・・自分のアホさ加減が・・周りの非情さが・・ムカついてムカついて・・いつまでたっても涙が止まらなかった・・!!
ひたすら涙が涸れるまで泣きじゃくり・・嗚咽しまくったーー!!
そして終いには泣き疲れて・・そこから先は・・意識がなくなった・・。
ーートントントントン・・。
・・昔、よく聞いた音で目が覚めたー。
・・瞼がほとんど・・持ち上がらない。
・・頭の芯がボンヤリとして・・重い・・。
ーーカチャカチャカチャ・・。
・・目はほとんど開かないが・・辺りは真っ暗だった。
・・時間が経つと、少しずつ周りの物が見えてきたー。
私はリビングの大きなソファーの上で、横向きの’くの字型’で眠っていた。
・・どうやら昨日はあのまま泣き疲れて眠ってしまったようだったー。
ーー時計を見ると5時8分を表示していたーー。
冬のため・・外はまだ真っ暗だったー。
・・起き上がると・・体を覆っていた厚手の毛布が、スルリと床に落ちたー。
私はそれを手に取り、音のしている方向を見た・・。
(・・可憐さん・・帰って来てるんだ・・。)
・・手元の毛布は彼女が自分に掛けた物らしかった。
毛布の掛かっていた部分が・・じんわりと・・暖かかったーー。
・・彼女に会うのがなんだか怖くて・・私はソファーの上で体育座りをしていた。
・・カチャリと音がして、キッチンへ続く扉が開いた。
隣室のまぶしいライトの光が、リビングに差し込んだーー。
ーーそこには可憐さんが立っていた・・。
私は一瞬固まったー。
「・・起きてたんだ。」
彼女はそう言い、室内のライトをパチリとつけたー。
私はまぶしくて・・思わず目をつぶった。
・・見ると可憐さんは、既に化粧も身支度もバッチリ済ませて・・エプロン姿だった。
いつ何時だろうと、彼女の美しさは「無敵」だった。
今の姿は・・まるで新婚の’美人妻’だー。
こんなお嫁さんが家で待ってたら・・旦那は働くだろう・・それこそ”馬車馬”の如くーー。
「・・すごい顔だよ・・? シャワーでも浴びてくれば? ご飯作ってるから。」
彼女はまるで・・昨日の事が’夢’であったかのように普通に話しかけてきた。
私は本当に夢を見ていたのではないかという気がしてきた・・。
でも・・時間が経っても持ち上がりそうにない鉛のような瞼が・・これは現実なんだと訴えかけていたー。
・・私はノロノロとソファーから立ち上がった。
(・・そう言えば・・朝食を作るのは私の仕事じゃなかったっけ・・?)
・・そう思いながら、ふらふらとバスルームに向かった。
ーー洗面所で鏡を見ると、なるほど・・私の顔はひどかった。
本来二重の瞼は・・泣きまくったせいで赤く腫れ、完全に一重になっていた。
瞼全体が潰れて、まるで”お岩さん”のようだった。
(・・っていうか土偶でこういう顔の奴あったな。・・もしくは出目金ーー?)
・・フハハ・・。 ・・あまりのブサイクさに・・ちょっとウケてしまったー。
笑った事で少し元気になり・・私は服を脱ぎバスルームに入った。
全身熱めのシャワーを浴び・・特に顔は・・冷たい水で何度も洗った。
・・鏡を見ると少し目が戻っていた・・。
その後脱衣所に行き・・髪をドライヤーで乾かし、歯を磨いた。
・・寝室に戻って服を取ってくると、昨日可憐さんと一緒に選んだ服に着替えた。
化粧水と乳液をつけ、髪を一つにまとめ、もう一度全身を鏡に映したー。
ーーひどい顔ではあるが、鏡に映した自分は・・一応’働く人間’の姿になっていたーー。
頭はかなりスッキリしてきていたー。
(・・落ち着こう。 今日から生まれて初めての『仕事』をするんだからー!)
私はそう思い、自分の顔を両手でバシンとはたいたー。
(・・昨日は絶望的な気持ちになってしまったけれど・・彼女は結局「一年待つ」と約束してくれたんだし・・”逃げ道”は・・・必ずあるはずだー。
昨日だって・・あの絶体絶命のピンチの状況で、私は『あの条件』を勝ち取ったじゃないかー!
15年も引きこもってた「中卒女」にしちゃ・・上出来だ! ・・大丈夫、なんとかなるーー!)
・・私は鏡の中の自分を真っ直ぐ見据えたー。
(・・とりあえず、父や渚さんにはもう頼れないし・・父の会社の人にも・・今後一切頼っちゃいけない。
頼るとしたら・・父の会社に関係のない「他社の人間」ーー。
いずれにせよ・・当面は、自分自身で乗り切っていくしかない・・!
・・可憐さんは・・とにかく油断のできない人だけれども・・”良識”はある人だー。
それは・・昨日、彼女が結局「やめてくれた事」で、良く分かったー。
・・あの人は・・性転換する前に、どうしても’自分の子供’を残しておきたくて・・本来絶対しないような無茶な事をしようとしているだけだー!
むしろ・・時間が経つと冷静になって、考え直す可能性のほうが大きい・・!
何と言ってもまだ若いし・・周りが見えなくなってるだけ・・。
おそらく時間が経てば・・もっといい『条件』を見つけて、こんな馬鹿げた約束・・向こうから破棄してくるに決まってるーー!!
私はとにかく’それまで’・・彼女が早まらないように・・「変な流れ」にならないように・・気をつけて行動するだけだー。
ーーでも、もしもの事も考えて・・今後彼女が「考えを変えない」という事も想定して・・『逃げる準備』も同時にしておかなければならないー。
・・とりあえず・・今は朝だし、もう少しで渚さんも来るし・・彼女は「今」なら無茶な事はできないはず・・。
考えを変えるよう「説得」するなら・・絶好のチャンスだーー!!)
私は決意を込めて・・もう一度両手で顔をバチンとはたいたー!
そして、洗面所の扉を開けたーー。
美月・・しぶといです・・。