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婚約者から崖から落とされ「この高さでは助かるまい」されましたが、私は生きてます

「これは……どういうことですか?」


 子爵家の令嬢フローラ・ファーレンは山の中にいた。

 フローラは蜜柑色のウェーブのかかった髪と赤い瞳を持ち、愛らしい顔立ちをしている令嬢である。白いブラウスと黄土色のロングスカートを履いている。

 彼女の目の前には二人の男女がいた。

 一人は婚約者である伯爵家の令息ダイム・ラッセン。彫りの深い、ハンサムといってよい面立ちをしている。

 そして、もう一人は男爵家の令嬢メリッサ・カデーレ。栗色のショートヘアに星型の髪飾りをつけている。

 フローラの問いに、ダイムが得意げな顔で答える。


「この山に天使がいるなんて真っ赤な嘘さ。俺たちはお前をここまでおびき寄せたかっただけ」


 フローラの後ろには大きな滝と断崖絶壁がある。

 もしここから落ちればどうなるか、想像に難くない。


 ダイムは婚約者であるフローラを「この山には天使がいる伝説がある」とデートに誘い、さらに天使を見たいと望むメリッサを同行者として、この場所までやってきた。

 だが、これらは嘘だった。


「実は俺、このメリッサと結婚したいんだよね」ダイムはメリッサの肩に手を置く。「だけどそうなると邪魔なのはお前だ」


「私……ですか?」


「婚約を破棄するという手もあるが、それをやると俺の名も傷つくし、なにより手続きが面倒だ。だからもっと手っ取り早い方法を取ることにしたんだよ」


「なんですか……それは」


「文字通り、お前に消えてもらうことさ。天使に会いに行くことが他人にバレると天使が逃げてしまう、なんてニセのまじないまででっち上げて、今日のデートはこっそりやることにしたしな。ついでに言うと、ちょいと手を回して、全く別の場所でお前の目撃情報が出る手はずになってる。お前は婚約を放り出して一人でどこかに行方をくらました女、と処理されるだろうな」


 明らかに殺意のこもった眼差しを向けられ、フローラは逃げようとする。

 だが、すぐに行く手を遮られてしまう。逃げ場はない。


「お前はそこの滝壺に落ちて、行方不明になるんだ」


 ダイムはフローラの腕を掴む。


「メリッサ、手伝え! 共同作業だ!」


「は~い!」


 フローラも必死に抵抗するが、ダイムの力は強く、しかも二人がかりではどうしようもない。


「さっさと落ちろ!」


「水死体って醜いらしいわね。じゃ~ね~!」


 フローラは二人に突き飛ばされ、遥か下の滝壺に落ちていった。

 ダイムはメリッサとともに、フローラの着水を確認する。


「落ちたか……この高さじゃ助かるまい」


「後は頃合いを見て、私たちが婚約すればいいんですね!」


「ああ、そういうことだ」


 そして、そのまま二人で腕を絡めて立ち去った。その足取りはまるで重りが外れたかのように軽やかだった。



***



(うう……私は……)


 フローラは目を覚ます。目蓋がいつもより重い。


(ここは……どこ……?)


 ゆっくりと体を起こす。


(どこかの家……?)


 フローラは白いパジャマ姿になっており、小さな部屋のベッドにいた。


「よかった、目を覚ましたんだね」


 銀髪の青年が声をかけてきた。透き通るような青い眼と白い肌を持ち、白いローブを纏っている。温和な笑みを浮かべるその美しい顔立ちは、どこか人間離れした高貴さを纏っていた。

 フローラは思わずつぶやいた。


「あなたは……天使?」


「天使!? いや、僕は人間だよ」


「あ、ごめんなさい……」


「いや、かまわないけど。そうだ、スープを持ってくるよ」


 青年は温かなナッツのポタージュを持ってきた。

 ほのかな甘さを持つ優しい味で、フローラはようやく人心地がついた気分になった。


「僕はセフェドっていうんだ。君は?」


「私は……フローラと申します」


 フローラは顔を上げて尋ねる。


「あなたが助けて下さったのですか?」


「いや……君を助けたのは彼なんだ」


 セフェドが親指を差すと、白い狼犬が駆け寄ってきた。


「よぉ、オレはブランってんだ。よろしくな」


 犬が喋ったので、フローラは目を丸くする。


「人間に生まれつき魔力が高い人間がいるように、ブランも生まれながらに高い魔力を宿す犬でね。僕が術を施したら、こうして会話できるようになったんだ」


「ビックリしたぜ。人間の匂いがしたから、遭難者かなと思って行ってみたら、川岸にあんたが倒れてるんだからさ」


 フローラはようやく事情を呑み込めてきた。


(私は滝壺に落とされた後、奇跡的に生きていて……この二人に助けてもらったんだ……)


 きちんと礼を言うため、姿勢を正す。


「あの……本当にありがとうございました!」


「いいってことよ。オレはともかく、こいつは暇してるしな」


「うるさいぞ」


 セフェドとブランのやり取りに、フローラはふふっと笑う。

 そして、セフェドに顔を向ける。


「あなたは魔法使いですよね。ということは、あなたはもしかして……」


 質問の意図を先回りするように、セフェドが答える。


「ああ、僕は貴族だ」


 彼らが暮らす王国では、魔法の習得は上流階級の人間にしか認められていない。

 加えて、極めて高い素質を必要とする。

 ゆえにいわゆる“魔法使い”は非常に少ないのである。


「レヴァイス家、公爵家の出身だ」


「公爵家の……!」


 セフェドのフルネームはセフェド・レヴァイス。

 フローラは驚くと同時に、セフェドの纏う高貴な雰囲気はこういうことだったのかと納得することができた。


「まあ、次男坊だけどね。おかげで家のあれこれは優秀な兄に任せて、こうして晴耕雨読の日々を楽しんでる」


「ようするに、魔法を使えるだけのただの無職だな」ブランが笑う。


「おいおい、ちゃんと自分で生計は立ててるって!」


 フローラはクスッと笑う。


「セフェド様はここでどんなことをされているんですか?」


「魔法の研究だね。あとは時折町に出て、自分で作った薬や魔力符まりょくふを売ることもある」


「魔力符?」


「一言でいえば魔法の力を宿した札ってところ。色んな種類があるよ」


 セフェドは『火』という文字が書かれた符を手に取った。


「これを手に取って念じると……」符が音を立てて炎に変わった。「このように炎が出る。料理に使ったり、ゴミを燃やしたりできる」


「すごい!」


「他にも水を出したり、雷を出したり、重い荷物を宙に浮かべる符もあるよ」


「へぇ~」


 これまでの人生であまり魔法に縁のなかったフローラは感心してしまう。


「でも手軽に扱える分、子供が間違って使ってしまったらちょっと危ないですね」


「いい目の付け所だ。だから僕の場合は、大人にしか使えないよう符に細工を施してある」


「そういうこともできるんですね!」


 符を作れるだけでなく、事故に対する配慮もできるセフェドに、フローラは好感を抱いた。

 しばらくは雑談を交わしていたが――


「ええと、フローラ。僕が診察したところ、君の体は至って健康といっていい状態だ。だけどもし君さえよければ……ここで静養していくのもありだと思う。もちろん、僕から君に何があったかを聞くことはしない」


 セフェドは心が落ち着くまでここにいていいと言う。


「こいつ、こんな暮らししてるけど結構寂しがり屋なんだよ」


 ブランに言われ、セフェドは「余計なことを」と睨みつける。


 フローラとしても外傷はないとはいえ、受けた心の傷は大きかった。

 婚約者からのまさかの裏切り。自分を突き落とそうとする瞬間のダイムとメリッサの悪意に満ちた顔は今でも忘れられない。山を下りれば、嫌でもこれらの現実と向き合わねばならないだろう。

 まだ現実に戻りたくない――という思いがあった。


「あの……では、しばらくここで暮らしてもいいですか?」


「うん。あ、そうそう。もちろん家に帰りたくなったらいつでも言ってね。ブランに乗っていけばすぐ山も下りられる」


「はいっ!」


 全てフローラの好きなようにしていいというセフェドのスタンスは、フローラにとってありがたかった。

 フローラはしばらくセフェドの元で厄介になることになった。



***



 セフェドが机の上で作業をしている。


「何をしてるんですか?」


 フローラが興味深そうに近づく。


「ああ、魔力符を作ってるんだよ」


 紙の札に文字を描き、両手をかざし、魔力を込めている。


「へぇ~、魔力符ってこんな風に作るんですか」


「ちょうど作ったばかりのものがあるよ。試しに使ってみるかい?」


「いいんですか?」


「うん、ぜひ僕の符の力を試してみて欲しい」


「じゃあ、やらせて下さい!」


 フローラは符を手に取った。


「これは……『虹』と書いてありますね」


「そのまま指に力を込めるような感じで念じてみて」


「……はい!」


 フローラの指から符が消え、部屋の中に半円の虹が浮かび上がった。


「わぁっ、綺麗……」


「これといった効力はない魔力符だけど、これが結構好評で売れるんだよ」


 あくまで虹を出すだけの符。しかし、子供ウケはいいだろうし、鑑賞用の道具と割り切っても十分楽しめる。

 そこにブランがやってくる。


「その『虹』の符、いかにも売るために作ったのをたまたまフローラちゃんに試させたって言い草だったけど、最初からフローラちゃんに見せたいために作ったんじゃねえの?」


 セフェドは焦る。


「そ、そんなことないって!」


 顔を赤らめるセフェドに、フローラは微笑んだ。


「ありがとうございます、セフェド様、本当に綺麗な虹で、感動しました!」


「そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」


 見つめ合う二人を眺め、ブランは気を遣うかのようにその場から去っていった。



***



 フローラとセフェド、そしてブランで山の中を散歩する。

 その途中、ブランが鼻を動かす。


「お、この匂いは!」


 ブランが走り出し、他の二人も追いかける。


「レコの実があるぜ」


「レコの実?」フローラが尋ねる。


 木に掌サイズの黄色い果実がなっている。


「登って取ってやるよ。ほれっ!」


 ブランは木に登り、前脚でレコの実をフローラに落とす。


「これはこのまま食べるんですか?」


 セフェドが「皮ごといけるよ」とうなずく。


 フローラは思い切ってかじってみる。

 黄色い果実の中身は赤く、柔らかい果肉の味が口いっぱいに広がる。


「美味しい……!」


 セフェドが樹上のブランに声をかける。


「僕にも一つくれよ」


 ブランは木に登ったままレコの実を一つ食べると、セフェドに向かって種を吐き出した。


「種でよけりゃやるよ」


「おい……」


 眉をひそめるセフェド。これを見てフローラとブランは笑った。



***



 セフェドが暮らす家は山奥なので、夜になると鮮やかな星空に包まれる。

 フローラはセフェドと肩を並べて、それを見上げる。


「綺麗ですね……」


「うん、本当に綺麗だ」


「なんだか違う世界にいるみたい……。手を伸ばせば、星にも手が届いてしまいそう」


 現実感が急速に薄れていくような感覚を味わう。


「セフェド様が天使に見えてしまう……」


「そういえば君と初めて出会った時の第一声もそれだったね」


「はい……セフェド様があまりにも美しかったから……」


「あ、ありがとう」


 セフェドは照れ臭そうに指で自分の顔をかく。

 だが、“天使”というワードで、フローラは急速に現実に引き戻される。


『フローラ、天使がいるって伝説がある山があるんだ。今度行ってみないか?』


 婚約者ダイムの顔がフラッシュバックする。


(そう、私は『天使がいる』と言われて、あの二人についていき……)


 記憶を失っていたわけではない。が、なるべく思い出さないようにしていた記憶が、鮮明に蘇ってくる。


『さっさと落ちろ!』


『水死体って醜いらしいわね。じゃ~ね~!』


 二人の顔を思い出すと、セフェドやブランとの楽しい日々を容易く塗り潰すほどの憎悪に駆られてしまう。

 いつになく険しい顔をするフローラに、セフェドは何も言うことができなかった。



***



 フローラがセフェドの家で暮らしてから一ヶ月ほどが経った。

 早朝、ブランが新聞を持ってくる。


「麓のポストに新聞あったぜ」


「ありがとう」


 週に一度、セフェドの家には新聞が届けられる。山の外の情報は、これで仕入れることになる。

 セフェドは午前中は薬作りに専念するというので、フローラは先に読ませてもらう。

 そこにはこんな記事があった。


『貴族のダイム氏とメリッサ嬢、ご婚約』


 フローラは愕然とする。

 記事によるとフローラは完全に失踪扱いにされ、ダイムはその悲しみを背負いつつ、泣く泣く次の相手との政略結婚を決めた、という風な内容になっている。


(私を崖から突き落とした二人が……婚約……)


 彼女の中にすでにダイムへの愛など微塵もない。あるわけがない。

 あるのは憎しみのみ。その憎しみも、この一ヶ月のセフェドやブランとの生活で少しずつ薄れつつあった。

 だが、“騙されて殺されかけた”。このことを完全に忘れ去るにはあまりにも短い期間だった。

 突き落とされた瞬間のあの二人の顔は脳内にこびりついている。これを消し去りたいという衝動に駆られる。

 そして、フローラはこの決心が冷めぬうちにと、セフェドに声をかける。


「セフェド様……どうやら山を下りる時が来たようです」



***



 フローラは全てを打ち明けた。

 自分の身の上と、ダイムと婚約していたこと、裏切られ殺されかけたこと、そして――やはりこの恨みを晴らさなければと思い立ったこと、全て。


 セフェドは黙って聞いていた。

 おしゃべりなブランも珍しく口を挟まず、自分は部外者と言うかのように部屋の隅に座っている。


「分かった、フローラ。君の決意に水を差すつもりはない」


「ありがとうございます……」


「だが、相手は二人。例えば君がナイフを持っていって彼らを刺そうとしても、返り討ちにあう可能性が高い。だからこれを持っていくといい」


「これは……魔力符!」


 セフェドは十枚近くの魔力符を手渡した。


「これを使えばまず復讐は成し遂げられるだろうし、証拠が残ることもない。せめてもの僕の気持ちだ」


 フローラはこれをありがたく受け取る。復讐の成功率を上げるに越したことはない。


「セフェド様、ブラン、今までお世話になりました」


 セフェドはうなずく。


「成功を祈っている」


 ブランも声をかける。


「くれぐれも気をつけてな。麓までは送ってくぜ。乗っていきな」


「うん、ありがとう」


 フローラはブランの背中に乗って山を下りる。


(私をあの高さから突き飛ばして安心したようだけど、甘いわよ、ダイム様、いえダイム。今度は私がその幸せの絶頂から叩き落としてあげる……!)



***



 数日後の夜更け、フローラは郊外の人気のない空き地でダイムとメリッサと対峙していた。

 ダイムに『私は生きている。自分たちがやったことを公表されたくなければ、二人だけで来い』と手紙を送りつけ、二人を呼び出したのだ。

 手紙にはあの場にいた三人しか知らないことも書かれており、ダイムとメリッサは要求通り、赴くしかなかった。

 ダイムは吐き捨てるように言う。


「まさか、本当に生きてたとはな……」


「ええ、奇跡的にね」


「それで? 手紙にはあのことを公表すると書いてある。それは俺たちにとっても困るんだ……どうすれば許してくれるのかな?」


 フローラは二人を睨みつける。


「許すわけないでしょう? 今度は私があなたたちを殺す番よ!」


 ダイムはニヤリとする。


「やっぱりな……だが、お前一人で俺たちを殺せるのか?」


 ダイムは護身用の短剣を取り出す。

 しかも、その腕には自信があるようだ。


 フローラは心の中でセフェドに感謝しつつ、魔力符を取り出す。


「ええ、これさえあればね!」


「なんだそれは……!」


 フローラは魔力符の一枚を使い、二人に炎を飛ばした。

 が、それはわずかに狙いを外れた。わざと外したのだ。


「ひっ!」

「きゃあっ!」


 悲鳴が上がる。

 続いて、二枚目。

 今度は符が雷撃と化し、二人の間近の地面を抉った。


 ダイムもメリッサも焦る。


「おい、ちょっと待て! なんだそれは! 魔法か!?」


「ある人から貰った魔力符よ。これさえあればあなたたちを殺せる! それも証拠を残さずにね!」


 三枚目、四枚目、と魔力符が唸る。

 いずれも当たっていれば間違いなく二人を殺せる威力。

 ダイムは剣を落とし、腰を抜かして震え上がる。メリッサも同様だ。二人とも怯え切っている。


「ま、ま、待ってくれ! 殺さないでくれ……! 全部、全部……公表していいから!」


「そうよぉ! 私、死にたくない! 死にたくないっ!」


 情けなく震える二人を見て、フローラの表情も鬼気迫るものから、どこか穏やかともいえるものになっていく。


「……もういいです」


「え……」


「怯えるあなたたちを見てたら、なんだかバカバカしくなりました。あなたたちは殺す価値もないって……。崖から突き飛ばされた件も、騒ぎ立てるつもりはありません。どうか幸せになって下さい」


 フローラは復讐をやめた。

 直接的には怯えた二人を見たからだが、セフェドやブランとの楽しい日々も決して無関係ではなかっただろう。

 セフェドの符を使って手を汚すことに嫌悪感を抱いてしまった。


「悪いが、そうはいかねえな」


「え?」


 ダイムが立ち上がっている。


「こっちはお前に生きてもらってると困るんだよ。いつあのことを公表されるとも限らねえしな」


 ダイムはフローラから魔力符の束をもぎ取る。


「しかも、こんな便利な武器まで用意してくれてる。今度こそ証拠も残さず、お前を殺してやるよ!」


「あなたという方は……!」


「やっちゃって~、ダイム様!」メリッサも囃し立てる。


「ああ、使い方はだいたい分かる。この『炎』の符でお前を焼き殺してやるか!」


 ダイムが魔力符を掲げる。


「バーベキューになれや!!!」


 もうダメ――フローラは目を閉じる。

 しかし、何も起こらない。


「あ、あれ? フローラはこんな風に使ってたのに……」


 符の不発にフローラも驚いている。


「悪いけど、使えないよ」


 夜の空き地に清涼感のある声が響く。

 セフェドの声だった。

 声がした方に振り向くと、セフェドがブランとともにこの場に現れた。


「誰だ、お前!?」


「通りすがりの魔法使いさ」


「――と、犬な」ブランが付け加える。


「セフェド様……!」


 セフェドはダイムに説明する。


「フローラに渡したその魔力符はフローラしか使えないようにしてある。君が持っていてもただの紙切れだよ」


「なにい……!?」


 符がダメなら剣で。ダイムはすかさず短剣を拾う。

 セフェドはノータイムで雷の魔法を放ち、その短剣を砕いてしまう。


「ぐっ!?」


 実力差は明白。セフェドはフローラに近づき、優しく話しかける。


「よく復讐をこらえた……立派だったよ」


「はい……」


 セフェドはダイムとメリッサに厳しい眼差しを向ける。


「僕も君たちの所業は聞いている。フローラの意志を尊重して黙っているつもりだけど、いつ口を滑らすとも限らない。それまでせいぜい怯えて暮らすんだね」


 そのままフローラを連れて、どこかに向かおうとする。

 その時、セフェドのローブから魔力符がひらりと落ちた。

 ダイムはそれをめざとく見つける。唇をニヤリと歪める。


「おい、お前……さっきフローラの持ってる符にはフローラしか使えない仕組みにしてるって言ったな?」


「そうだけど?」


「だったら今落とした“これ”は俺でも使えるってわけだ!」


 セフェドは振り返らずに答える。


「やめておいた方がいい」


 だが、ダイムはかまわず符の力を発動させた。

 その瞬間、符から発せられた青白い光がダイムを包み込み、彼の体は宙に浮かび始めた。

 荷を浮かべる符、あれと同系統のものだ。ただし効力の強さは比べ物にならない。


「なっ!?」


「ダイム様、どうしたの!?」


「お、おい……! 助けてくれ、メリッサ!」


 ダイムが手を伸ばしメリッサがそれを掴むと、メリッサもその力に巻き込まれた。

 二人はまとめて光に包まれる。

 セフェドはフローラには決して見せたことのない冷酷な眼で、二人を見据える。


「体が浮く!? どうなってる!?」

「ちょっと、どんどん上に上がってるわ!」


 ダイムとメリッサの体はみるみる上昇していく。


「た、助けて!!! 助けて!!!」

「いやぁぁぁぁぁ!!!」


 悲鳴を上げる二人。すでに屋根以上の高度になっている。


「俺たちはどこまで行くんだ!?」


 セフェドは答える。


「さあ……。だけど、人を突き落とした人間は、どこまでも上に昇っていく。お似合いの末路じゃないかな。君たちは天使を見ようと言って、フローラを騙したそうだけど、本当に天使に会えるかもね」


 二人が上昇する速度が増す。


「うわああああああっ……!!!」

「いやぁぁぁぁぁぁっ……!!!」


 二人は符の力で夜の闇をどこまでも昇っていく。どこまでも、どこまでも、どこまでも……。

 もはやその身で大地に触れることは叶わないだろう。


 全てが終わり、セフェドはフローラに声をかける。


「大丈夫かい?」


「はい……来て下さったのですね」


「うん……やっぱり君を放っておけなかったからね」


 セフェドが言う。


「それに、僕は君と離れたくない」


「私もです……!」


 フローラはセフェドの胸に思いきり飛び込んだ。セフェドはわずかにぐらつくが、どうにか受け止める。


「セフェド様、どうかこのままずっと一緒に……!」


「う、うん……」


 愛するフローラを胸に抱き、セフェドの精悍な顔つきも思わず緩んでしまう。

 すっかりフローラに惚れ込んだ主人の幸せそうな顔を見て、ブランは笑いながらつぶやいた。


「落ちたか……あの顔の赤さじゃくっつくしかあるまい」






おわり

お読み下さいましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
色々と落ちる話だったのね。 最後のブランのセリフ、ふたりが墜ちてきたのかと思った(笑) 「落ちたか…………」と「赤」を先に認識しちゃったからさあ…………、墜落して真っ赤に染まってしまったのかと。 でも…
この世界って、いくらファンタジーの創作物でも、現実世界にある、警察や司法や法律ようなものは、この世界観にはないんですか? 明確な殺意をもった殺人ですよね。 フローラが訴えたりする先もなく、2人捕まりも…
遥か空の上から見た光景はさぞ美しかったでしょうから、どうか浄化されてますように。 (-人-〃)祈
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