CHAPTER 4「Sunny place PART 2」
掛井議員の自宅前で行われた取材映像は、ワイドショーの他に、同局の報道番組等でも何度か映し出された。多くの番組ではVTRは掛井議員がもう十分だろう、と言って取材を拒否し始めたところで切られていたが、一時間を超える番組では、ボカシがかかった女の姿が現れるところまで放映された。昼間のワイドショーと同様に、その女についてトークが交わされるものもあれば、全く無視されるものもあった。それらの番組を偶然にテレビで観て、ボカシの女が氷川龍子であることに気付いた者が、数名存在した。
村井秀隆は、自身が編集長を務める週刊誌《週刊スタア》の売上部数が、年々右肩下がりであることを理由に、出版元である幸田出版社社長であり、父親でもある村井和明から、激しい叱責を受けた。それは、重役連が出席する本社会議室での事だった。
書籍の売上部数の減少は、出版業界全体の憂慮である。事実売上を落としているのはなにも週刊スタアだけではない、そもそも幾多の出版物のひとつであり、社にとって基幹となるものでもない一般大衆向け週刊誌の売り上げ動向が、今更重役会議の議題にあがる事は稀であるし、一編集長を出席させる事はまずあり得ない。これは単に、秀隆をさらし者にする事を目論見としていた。
それを企んだのは他でもない父親、和明であった。出版不況は時代の流れが大きな原因だが、創業家の一族である村井家出身の社長が二代続いている事について、社内に大きな不満が抱合されている事は大きな問題だった。不満を少しでも和らげるため、一族内で鼻つまみ者とされている秀隆は、格好のスケープゴートとして利用されていた。社内やグループ企業には、多くの村井家の者が勤めていた。実際、本社勤務の重要ポストには、秀隆の実兄と実弟がそれぞれ就いている。彼らへの重用に対する不満、嫉妬を和らげるために、秀隆は世間では三流ゴシップ誌と目されている、週間スタアの編集長と言うポストに就かされているのだ。四十代の創業家出身者の役職としては、冷遇とされるものであろう。秀隆は二人の兄弟と違って、私立大出である事も理由のひとつだが、子供のころから親に対して、特に父親に対して、反抗的なところが多くあった事が大きな理由だった。
反抗心は今も強くあるが、かといって一族を出て自分の力だけで新たな職を得て、誰にも引け目を感じない人生を送ろう、と奮起できるほどにもう若くはない。秀隆はせいぜい一族の財産を、でき得る限り無駄遣いしてやろう、などとすっかり開き直って、怠惰に過ごしていた。
無能、鈍才、お荷物、等の言葉を馬耳東風とばかりに聞き流し、媚びた笑顔で、誠意のない謝罪の言葉を陳列してやり過ごし、自分ではニヒリストを気取っている体で、薄ら笑いを浮かべながら、自宅マンションに帰宅した秀隆だったが、どんなに年を食っても、本音では相手を蔑んでいるつもりでいても、衆人環視で罵倒されて悔しくない訳がない。
一人になって怒りが噴き出した村井は、着ていたスーツの上下を脱ぐと、力いっぱい床に投げつけた。続いてネクタイを外し、ワイシャツも脱いで辺りに投げつけて、アーッ! と、大声を張り上げた。何度も経験していて、後で自分が片付けをする事の虚しさを知っているので、決して鞄を投げたり、コップや瓶を割ったりはしない。
タンクトップとトランクス、靴下は履いたままで、大きくて真っ白なリビングソファに乱暴に寝そべると、テーブルの上にあるリモコンを手にして、大型のテレビを点けた。
「俺よりみじめな奴が、どこかにいないかっ」と言って、地上波をザッピングした。
本社から直帰したために、いつもよりずっと早くに帰宅していた。ちょうど午後六時台のニュース番組が各局で放送されていた。
村井がリモコンの操作を止めたのは、画面に掛井武人参院議員の姿が映ったからだった。政界スキャンダルのトレンドであり、ライバル紙にスクープさせたネタである。マスコミ内では、これまでも政務活動費の私的流用や不明瞭な使途、親族が勤める企業への公共工事発注の口利き疑惑等、小さなものから大きなものまで、金にまつわる黒い噂が何度か立ちあがっていた男である。これまでは、どれもこれもが確かな証拠が得られずに不起訴となり、その時代に起きた重大事件や、災害、くだらない芸能スキャンダルにかき消されて、世間の追求から逃れていった。が、今回は贈賄側からの確かな証言が多々あるという情報が出回っているし、その贈賄側である建設大手のアトムは、掛井の知事時代にあたる二〇〇二年に、静岡県が管理していた旧法人ビルの跡地を、格安と言える値段で購入している事実があった。その県有地売却に関しての入札取引の経緯や手続きには不自然なところが多く、これは十中八九真っ黒なものであろう、とマスコミ内で取り沙汰されている。政界だけでなく、警察、検察にまでパイプを持ち、アンタッチャブルと目されている掛井だが、今回は難しいのではないか。
しかし村井にとっては、掛井に注目するのには、他にずっと深い理由があるのだ。この男は、五年前に龍子が警察官の職を失った原因そのものなのだ。
数十秒後、テレビ画面を見つめていた村井の険しい表情は、一気に間の抜けたものになった。そして、大笑いし始めた。それは帰宅した時の怒りよりも、さらに素直に感情を吐き出したものだった。
「とんでもない女だな、とても正気とは思えねえよ」と、大声で独り言を吐いた。
ソファから立ち上がった時、頬のこけた、年齢よりも老けて見える男の両目は、生気を取り戻したように爛々として、額には細かな汗の粒がいくつも浮かんでいた。
天童芳夫警視が週明けの午前から調査作業を始めたのは、平成十九年に山梨県大月市で発生した、女子大生殺害事件についてだった。龍子が、千葉県柏市に住む内装工事会社勤務の二村岳人が、その犯人だと言う事件だ。天童は殺人事件を捜査する一課の課長代理と言う立場だが、埼玉県警に勤める彼にとって、無論その捜査は管轄外であるし、十年近く昔の未解決事件に取り組む義務も責任も、権限もない。自分が好きな女、龍子の気を引くため。単純ではずかしい動機だ。上司はもちろん、周りの同僚や部下に知られないよう、隠れて調べなければならない。まあ、四十を過ぎたキャリアが、未だに地方県警の一刑事でいる訳だから、周りからは相当浮いた存在だ。この署内には親しい付き合いのある、頼る者も、頼ってくる者もいない。目立たないよう気を付けていれば、問題ないだろう。
自動販売機とベンチ椅子が置いてある署内の休憩スペースまで行って、携帯電話を使って山梨県警察本部の刑事部へ電話をかけた。自分の名前と所属を伝えて、捜査第一課長に取り次いでもらうよう、お願いをした。電話口に出た課長は、丁寧な口調で対応してくれた。事前に、警察幹部となった数少ない友人の一人を頼って、根回しをしておいたおかげだ。県警と所轄署に保管されている捜査資料の閲覧と、担当していた刑事との面会をお願いし、聞き入れてもらった。山梨まで出向く日時を調整し、後ほどまた連絡をする旨を伝え、最後に礼を言って電話を切ると、同時に背後から自分を呼ぶ声が聞こえた。
「天童さん、ちょっといいですか?」
声の主は捜査第一課長の岸田だった。準キャリアで階級は一緒だが直属の上司であり、年齢も五十を越えているはずだが、自分に対して、必ずさん付けで呼ぶし、敬語を使って話す。出会って最初の頃は、何度もその言葉遣いをやめてもらうようお願いしていたが、今はもう気にしていない。そうする事が彼にとって、一番ストレスを感じないのだろう。
「はい、なんでしょうか」
「先月二十九日に川口市で起きた殺人の事、ご存知ですか?」
「もちろん、住宅街を走っていた中型バイクのライダーの首が締まって、ってやつですよね。検視で電柱と標識柱にロープを結んだ跡が見つかって、おそらく何者かに仕掛けられていたという…」
「そうです、ガイシャは真夜中にしょっちゅう騒音を鳴らしていたようで、ずいぶんと周辺住民に嫌われていたはずです。まあ、恨みの線だろうと」
「被疑者は?」
「何人か、以前に揉めた人物がいたようです。しかし、住民以外にも色々とガイシャを嫌う者はいたのでね、中々所轄だけでは手が回らないようでして」
ありゃあ、という事は・・・顔には出さないが、嫌な予感がした。
「それで、本部からも数名出す事になりまして」
「はあ、解りました」
「今日午後三時の捜査会議に出席してくださいますか?」
「はい」
「天童さんは指揮するお立場ですので、現場回りは他の者にやらせてください」
「いえ、僕は何だってやりますよ」
「先に捜査資料をご覧になられるなら、後で私のところへ」
「承知しました」
岸田は、頭を下げるまではしないが、終始遠慮がちな態度で接して、戻って行った。
岸田の見かけは顔も身体も締っていて、奥まった目と頬骨、えらが出っ張った、厳しい顔つきをしている。刑事らしい顔と言える。系統は違うが、天童もごつごつした、女性ホルモンに欠けているような顔をしているので、どこか親しみを感じていた。
管轄の仕事をおろそかにする事はできない。なんとか調整して、山梨に出向く時間をつくらなくては。天童は深く溜息をついた。
午後一時を過ぎてから、署から十五分程歩いたところにある、馴染みの喫茶店まで昼食に出かけた。メニューを見ずに「ランチ、ホットコーヒーで」と注文して、鞄の中から、先ほど岸田より受け取った捜査資料を綴じたファイルを取り出した。辺りを伺って、隣の席に誰もいない事を確認してから、ファイルを開いた。
喫茶店は午後一時を過ぎると、壁に掛けてあるテレビを点ける。ランチ目当ての客が少なくなった後で、暇を持て余したマスター自身が観るためのものだが、大きなモニターで、しかも結構な音量に設定してあるため、つい気を取られて観てしまう。平日の帯番組であるワイドショーが放送されていた。
掛井参院議員の闇献金疑惑が取り上げられていた。確か警察庁警務局、長官官房出身、退職後、静岡県知事に初出馬で当選、二〇〇四年に参議院議員に初当選、その後財務省副大臣、総務省副大臣を歴任し、与党最大派閥に属している。まあ、大物と呼べる人物だが、今回のスキャンダル以前にも色々と黒い噂があって、人相も悪く、地元以外で国民人気があるとは言えない。そしてこの男の息子、掛井暁が、つい昨年まで勤務していた警察庁を辞職して、今後政界進出すると噂されていた。
先日のキャバクラ〈レーネ〉で、結局龍子と話をする事はできなかった。アフターをすっぽかされた村井はすっかりむくれてしまって、その後もろくに口を聞いてくれなかった。(あいつの悔しそうな顔を肴にしていたら、例えウーロン茶を飲んでいても、気分がよくなったが)
ひとつだけ、村井が問いに答えて、肯定を示した話があった。龍子が自分と別れた後、署内で龍子と交際の噂があった相手が、掛井暁だった。当時本庁勤務のキャリア組で、階級は今の自分と同じ警視だったと聞いた。確か年齢は、自分よりも五つばかり若いはずだ。つまり現在三十七~八歳、当時は三十二~三。龍子とは、とある会合で埼玉県警を訪れた時に出会い、見初めたという話だ。
その話をしている間、村井はさらに苛つきを増して、何度もグラスを空にしていた。
しかしやがて二人は破局して、その後龍子は警察官を辞職したのだ。龍子は病気で長期療養となって、そのまま辞職したとの噂を聞いたが、それは事実ではないと、二年半前に再会した時に龍子自身から直接聞いた。それ以上の事は尋ねなかった。その時の龍子の様子から、答えが得られるとは思えなかったからだ。単に男女の別れならば、何も辞職までする必要はない。龍子は埼玉県警の地方公務員、掛井暁は東京に勤めるキャリア組の国家公務員だった。その後の接点はなかっただろう。
俗っぽい想像をすると、掛井暁の父親である、この悪徳政治家が二人の交際に怒り、別れさせた、さらには己の経歴を利用して圧力をかけて、龍子から職まで奪ったのだ。
この想像を話したところ、村井は押し黙っていたが、もしも的外れなものならば、きっと自分を馬鹿にした発言をしたであろう。当らずも遠からず、くらいのものではあるのだ。
テーブルに運ばれてきたランチ(ワンプレートにハンバーグとタラの竜田揚げ、キャベツにトマト、キュウリ、ポテトサラダ、大盛りのライスが盛られている)を見て、空腹だった事を思いだした。眺めていただけで、ほとんど内容が頭に入らなかったファイル資料を鞄にしまい、割り箸を取って食べようとすると、テレビから聞こえる大きな笑い声が気になって、思わず顔を向けた。
「もう一度VTRを観られませんか」と、テレビでよく見るお笑い芸人が話していた。
観よう、観よう、と他の出演者が賛同している。
さっきも視界の端に映っていたVTRが再び画面に映し出された。
そう言えば、なんか途中からモザイクみたいなのがかかっていたな、なんだったんだ?
「え、うそ」と、思わず普通の声量で発してしまった。
「ん? どうかしましたか?」と店のマスターが声をかけた。
「あ、いや、ごめん、なんでもないよ」・・・なんでもなくないよ、どういう事?
氷川龍子が掛井議員の自宅に入って行く様子を、実際に(ボカシなしで)見ていたのは、リポーターやカメラマン、音声スタッフ、掛井議員の秘書である細身の男と白いグレートピレニーズ犬の他に、井達喬史がいた。
喬史は首から一眼レフのカメラをぶら下げて、時折カメラを構えるポースを取りながら、その様子を見守っていた。実のところ、一枚も写真を撮っていない、カメラはカムフラージュ、ワイドショーの取材と同様の、マスコミ関係者を装っているのだ。
撮影スタッフたちが喬史を一瞥して、声をかける事なく、掛井議員の自宅から五十メートルほど離れた県道に停めてあるロケ車に戻って行った。
大丈夫かな… 喬史は自分が怪しく見えていないか、どうにも自信がなかった。格好はリュックを背負って、半袖の黒いシャツにジーンズ、スニーカー、あちらの撮影スタッフ達と似たような格好だ。けれどカメラは標準レンズを付けているだけで、三脚も携帯していない。持っていないのだから仕方ないが、とてもプロの装備とは言えないだろう。
喬史もまた離れた県道に車を停めているのだが、戻りはしなかった。人通りも車の通りも少なく、駐車監視員がこの辺を周っているとは思えない。ぶらぶらと辺りを行っては戻り、歩き周った。大きな、邸宅と呼べる立派な家がいくつも建っていた。地元の名士であろう掛井の自宅は、それらと比べて特別大豪邸と言うほどでもない。住宅の切れ目には農地があって、太陽の光が当たって、鮮やかな黄緑色に映える茶畑もあった。
掛井宅からは五十メートルも離れていない。何か異常を感じたら、十秒で駆け付けられるだろう。人の姿もないし、この景色を見ながら待機しようと考えた。
龍子が掛井議員宅に押しかけてやろう、と喬史に話したのは土曜日の午前だった。
二人が勤めるキャバクラ店〈レーネ〉の色黒の店長から、仕入れに使っている軽のワンボックスカーを借りて、余った多量の乾麺を積み込み、二人が育った児童養護施設〈りんどうの花〉に届けるために向かっていた車内での話だった。
運転は喬史が、龍子は背もたれを後方一杯に傾かせた助手席に、ほぼ寝そべっていた。
髪をおろし、白い薄手の花柄のブラウスにデニムのショートパンツ、白いサンダルを履いて、相変わらず自慢の素足をさらけ出していた。
逆に地味な、ほとんど無地の黒いTシャツと、ダメージが皆無のジーンズ姿の喬史。
龍子は前日の夜(〈レーネ〉のショーで、三度目となる落語を披露した後)自宅マンションで、ここ連日報道されている掛井参院議員の闇献金疑惑について、本会議後に憎々しい態度で報道陣の間を無言で通り抜け、エレベーターに乗る映像が映し出された後に、女性リポーターが、「掛井議員は本日この後、議員宿舎を出て、地元静岡の自宅に移動する予定です」と報道する様子をテレビで観て、それからずっと考えていたと言う。
ひとりで反省会なんて、本当にやっていたのだろうかと、喬史は思った。
千葉県柏市の警察署を訪れた時に、天童とは別の、龍子の事を知っている中年の男性警察官との接触があった。龍子もまた、その男の顔を覚えていた。そいつは掛井の息がかかった者であり、彼女を退職に追い込んだ一味の一人だった。
五年近くもの間、息をひそめて潜伏生活を送ってきたが、もうそれを終えるべき時が近づいていた。もっとも、最初からこの先ずっと日陰者でいるつもりなんてなかった。
龍子は五年前に警察官を退職して以降、行方不明者となっている。今の住居やキャバクラ勤めは、全て法的手続きを除外して手に入れたものだった。そのため税金は支払っていない。新しい住民票や健康保険、当然マイナンバーも持っていない。五年間、そんな中で生活を維持するためには、様々な裏社会との係わりを持たなければならなかった。その過程では身体を、そして命をも奪われかねない危険も多々あったが、龍子は逞しく生き抜いてきた。また、それら裏社会に生きる筋者の中には、龍子をいたく気に入り、味方となった者も多くいた。敵となるものも多くいた。
あと二年経つと失踪宣告が行われて、死亡扱いとなる可能性が迫っている。日向に戻るきっかけは今しかない、そう考えていた。
「反対しないの?」と、龍子が尋ねた。
「ん、だって、この前ダメ出しばかりすんなって言ったじゃない」
「ついて来てくれる?」
「もちろん、いつ?」
「明日」
「解った。じゃあこの車、明日まで借りられるか、後で聞いてみる」
「大丈夫?」
「明日中に返せば、問題ないと思うけれど」
「じゃなくて、あなたの事よ。ハードスケジュールじゃない。毎日朝早くから遅くまで働いて、あっちこっち行って、休む間がないでしょう?」
「龍子さんもでしょ」
「あなたと比べたらまだマシよ、ちゃんと食べてる? 身体壊さないでよ」
「ありがとう、鍛えてるから大丈夫だよ。そう言えば龍子さんの方こそ、トレーニングちゃんと続けてるの? 最近は一緒にできなくなったから」
「続けてるわよ、この妙妙たるたるプロポーションを見てわからない?」
喬史は横目で横たわる龍子の肢体を見つめた。細長い両足を重ねて、龍子は挑発的な表情をして見せた。からかわれている事は解っている。
「なんか、筋肉が落ちたように見えるけど」
「そんな事ないわよ」
「最近、不摂生してない?」
「うるさい」
しばらく明日についての段取りを話し合うと、龍子は喬史に背中を向けて、やがて眠ってしまった。あと三十分ほどで〈りんどうの花〉に到着する。喬史はできる限り静かに、緩やかに走るよう運転した。
龍子が〈りんどうの花〉を訪れると、彼女を良く知る職員や児童達はいつも沸いた。児童達は皆、彼女が施設を出た後に入所した子達だが、彼女が来ると、ほとんどが彼女の周りに集まって来た。反対に、喬史はいつも所在ない思いをしていた。
喬史は十歳から十八歳までを施設で暮らした。その内龍子とは、彼女が中学生から高校を卒業するまでの四年余り、共に同じ屋根の下で過ごした。龍子とは特別親しかった訳ではないが、毎日言葉を交わすくらいの仲ではあった。秘かに憧れていたのだが、彼女が高校を卒業し施設を出て行く時に、まだ中学生だった自身は、黙って見送る事しかできなかった。大人しく、問題行動を何ひとつ起こさないまま、施設での生活を過ごした喬史は高校を卒業後、龍子と再会するまで〈りんどうの花〉を訪れたことはなかった。彼の昔を知る正規の職員は、浅田渉香が亡くなった今では、杉原英梨佳しか残っていなかった。
杉原が喬史の姿を見つけて呼びかけるとき、いつも名前を間違った。「そら君」と呼んで、「違った、えーと、喬史君だったよね」と続けるのが定例だった。
仕方がない、むしろその名前で呼ばれることは嬉しく感じた。龍子は間違う事なく、いつも喬史と呼ぶのだが、少し寂しく感じる事もあった。
龍子を中心に人が集まっている所へ来るよう、杉原に促されたのだが、笑顔で断った。
庭にいる龍子と子供達たちに、太陽の光が差し込んだ。
龍子と皆が楽しそうにしている様子を、こっそり見ている方が好きだった。
次回
CHAPTER 4「Sunny place PART 3」




