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今日は兄と市井に買い物に来ている。
「兄さま。」
「はあ。またか。護衛はどうする?」
兄は溜息をつく。これから起こることがわかっているからだ。
「もちろん。撒きますわ。行きますわよ。」
アイリスは兄にだけわかる気配を消して走り出す。
散々妹に付き合っていた兄はアイリスの少しの気配にも付いて行くことができた。
そのまま護衛を撒いてふたりで市井を満喫する。
これが日常だ。護衛からしたらたまったもんじゃないが。それでも市井に行くことを禁止されないのは、一度禁止したときに勝手にアイリスが市井に降りて遊びに行っていたからだ。その時は誘拐されたんじゃないかと公爵家は慌てたがアイリスの部屋にあった「禁止されるなら勝手に遊びに行くだけです」の書き置きのおかげで騒動になることはなかった。
それなら最後には護衛の元に戻ってくることを約束させて、渋々遊びに行くことを許可していた。必ず兄を同伴させること。撒くときも兄は同行させることを約束させて。
「なあ。」
屋台で買った肉の串を齧りながらファウステルは話す。
「なんで毎回毎回護衛を撒くんだ?」
同じく肉の串を齧りながらアイリスは答える。
「なんでって、あの気配が気持ち悪いから。あれじゃゆっくりできない。」
市井に降りるとふたりはいつもの話し方をやめる。
それは市井に馴染むためだが、アイリスからしたら昔の自分に戻れる瞬間でもあった。
「俺の気配は大丈夫なのか?」
「兄さんの気配は好き。最近は気配消すのも上手くなってるし。」
「そりゃお前に見つかると碌でもないことになるからな」
また溜息をつく。いつも妹に振り回されていたおかげで兄も暗殺者顔負けの気配の消し方を覚えていた。妹に対抗すべく暗器も扱えるようになって、もうほぼ暗殺者と同じと言っても過言はなかった。
「ふふ。まぁいいじゃん。わたしは楽しいよ。」
「まぁ、俺も楽しいからいいんだけど。次はどこ行く?」
アイリスはニコっと笑うとまた走り出す。それに付いていく兄。
「だからさ、屋根から屋根に飛び移るやつなんて普通いないんだって。」
「邪魔なやつがいないからこっちのが楽じゃん」
「お前はいつも楽ばっか選ぶよな。普通はこっちのが楽じゃねえんだよ。」
それでも平気な顔をして付いてくる兄もなかなか普通じゃない。
そしてふたりはいつもの塔の上にいた。
ここは市井を見渡せる。少し遠くの森まで見えて、もうすぐ夕方になるいまの時間は夕陽が落ちそうにオレンジがかった世界になって、景色がとても綺麗でアイリスのお気に入りの場所だった。
「たまにこうして自由になりたいと思うときがある。いまの生活は好き。父さまも母さまも、兄さまも好きだけど、時々なんだか自由になりたいと思う。変かな?」
アイリスは兄を見ずに前を向いて話す。風がプラチナブロンドを靡かせて、蒼い瞳は太陽に反射して輝いている。少し眩しそうに目を細める姿もオレンジ色の世界も重なって絵になるくらいの美しさだ。
「わかるよ。じゃなきゃお前に付き合って毎回毎回こんなことしてない。お前はそのままでいい。その分俺が強くなってお前を守ればいいだけだ。」
「なにそれ。わたしより弱いくせに。」
アイリスはクスッと笑った。それは嫌味でもない、ただの照れ隠しだ。ファウステルはそれがわかっているから、そしてアイリスが強いこともわかっているから、特にそれに対して何かを思うことはない。
「知ってる。お前が強いことも。まだ俺に手加減してることも。それでも、妹を守るのは兄ちゃんの仕事だ」
こんな兄がアイリスは大好きだ。普通なら気持ち悪がられるはずなのに、兄は自分が強くなればいいと言う。そしてその力があるからこそ、アイリスは否定しない。
「ふふ。いーね。兄さんの妹に産まれてわたしは幸せだ。」
ファウステルは照れ隠しのように聞こえなかったふりをする。
「そろそろ帰ろう。護衛も泣いてるぞ。」
「そうだね。今回もかくれんぼは私たちの勝ちだ。」
そう笑って立ち上がったアイリスは少しの異変に気づく。