唾でむせるとは
馬車に揺られること一時間。
お尻が痛いのなんの、自転車のサドルの方がまだ良い仕事をしてくれていたと痛感する。
たまに馬車の座席にクッションを置いている貴族がいたが、あれは女子力コーデではなく、機能的な意味合いが強いグッズだったのだと思い知らされた。
きっと、今日の苦行でお尻の防御力は向上しただろう。
馬車は大きな邸の庭に入ると建物の正面に横付けした。
馬車の扉を開いたレックスさんが私をエスコートする。
ジョシュアの住んでいる館のおよそ十倍の規模の邸はもうお城と言っても良いのでは?と言う位大きい。
「ここがレンジさんのお家?」
お家と言うレベルではない。
色々な商人から一目置かれるだけありレンジさんは目茶苦茶お金持ちみたいだ。
ポカーンと邸を見ている私にレックスさんが声を掛ける。
「エトラ、中に入ろうか」
まるで勝手知った自分の家のようにレックスさんは私を邸の中へといざなった。
正面玄関の前まで来ると扉がゆっくりと開かれる。
初老の紳士的な男性が深々と頭を下げた。
「お待ちしておりましたエトラ様、私はこの邸に執事として仕えるファルマと申します」
初老の紳士は丁重に挨拶をすると私達を邸の中へと招き入れた。
「旦那様よりお話は伺っております。先ずは応接室にてお待ちください」
私とレックスさんはファルマさんの後ろを並んで着いて行く。
二人並んで歩いてもまだまだ余裕のある廊下。
「凄く広い廊下ですね」
これくらい広ければ大人5人位余裕で並んで歩けるだろう。
「ホームパーティーも奥様がご健康なおりには毎月されておりましたので、お客様の事を考えて一階の廊下は広く作られております」
ファルマさんが丁寧に説明をしてくれる。
確かに、こちらの世界のパーティーと言えば女性はドレス姿だ。
あのゴテゴテのスカートで歩くのだから廊下が広くなければすれ違う事も出来ない。
それを考えるとこの広さも納得だ。
「まぁ、奥様の代りに坊ちゃまの奥方様がパーティーを開催しても良いのですが」
ファルマさんはそこで言葉を切る。
何か聞いてはいけないことを聞いているような気がして思わず生唾を飲み込んだ。
「坊ちゃんが甲斐性無しのせいで若奥様に逃げられてしまいまして」
悲しそうにそう説明するファルマさん。
それに対してレックスさんが盛大にむせた。
「おや、どうかされましたか?お若いのに唾でむせましたか?」
何故かファルマさんが嫌味たっぷりにレックスさんに声を掛ける。
「レックスさん、大丈夫ですか?」
あのレックスさんが年でもないのに唾でむせるだろうか?
「いや、大丈夫だ。気にしないでくれ」
涙目になりながらレックスさんは私に苦笑いして見せた。
「なら、良いんですけどね」
そして、そんな話をしている内に応接室に到着していた。
「では、こちらの部屋でお待ち下さい」
ファルマさんが恭しく頭を垂れながらドアを開いた。
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