和平のために嫁ぐはずだったのに性格最悪の王太子から婚約破棄されましたけどお兄様が返り討ちにしてくれるので平気です ~ショタ化したお兄様はかわいくて最強の魔王~
「シルフィー・ロージ・エルトン!
貴様との婚約を破棄する!」
声高らかに宣言したのは、ヴァミリオン王国第一王子。
イリス・ヴァミリオンだ。
あろうことか彼は、婚約記念パーティーに集まった客人たちの目の前で婚約破棄を宣言したのである。
当のシルフィーは信じられないと言った様子で彼を見ていた。
自分がなにか粗相をした記憶はないし、婚約破棄されるいわれもない。
というか、本日この国に嫁いで来たばかりである。
王太子のイリスとも今日が初対面だった。
会場ではどよどよと戸惑いの声があがる。
当然だ。
二人の婚約はヴァミリオンの未来にとって非常に重要な意味合いを持つ。
「どうしてでしょうか?
理由をお聞かせ願えますか?」
シルフィーは胸に手を当て、毅然とした表情でイリスを見つめる。
その瞳には燃えるような強い意志がこもっている。
栗色のストレートヘア―。
深紅のドレス。
エメラルドグリーンの瞳。
絶世の美女と言っても過言ではない容姿。
ただ一つ、普通の人間と違う点がひとつ。
彼女の額には鈍色の鋭い角が一本、生えている。
シルフィーは魔族の国の姫。
長年、対立してきたヴァミリオンと魔国との間で和平が結ばれ、大陸に平和が訪れる。その平和を永遠のものにしようと両国で話し合いが行われた結果、シルフィーは魔国からヴァミリオン家に嫁ぐことになった。
両国の王家の関係が深い物になれば戦争はもう起きないと考えられたのだ。
戦争の終結を喜んだ両国民の民衆はこの決定を受け入れ、二人の関係を心から祝福。
その矢先に――これだ。
イリスのあまりに横暴で独善的な宣言に、人間たちも戸惑いを隠せない。
「理由? そんなのは決まっている。
薄汚い魔族の女と臥所を共にするなどありえん!
貴様との婚約など破棄させてもらう!
無論、和平も取りやめだ!」
声高らかにそう宣言するイリスは、勝ち誇ったようにシルフィーを見つめる。
両目を大きく見開いてこちらを凝視する彼は、まるで狂人のよう。
「左様ですか。
ですが、国王陛下はなんとおっしゃっているのですか?
お姿がお見えになりませんが……」
「あの老いぼれに国の行く末を決める権限などない。
今は俺がこの国の最高権力者だ」
そうか……合点がいった。
シルフィーはこんなことになった原因を理解した。
おそらく、この婚約記念パーティーが開催されるまえに、イリスは父親から権力をはく奪し、王位を無理やり継承したのだ。
他の王位継承者たちの身柄も抑えたか、あるいはすでに亡き者にしたか。
いずれにせよ、彼がこの国の支配権を手に入れたに違いない。
魔国との和平を決めたのは前国王。
彼の決定を覆すために、一部の主戦論者たちの力を借りて、秘密裏に事を進めていたのだろう。
「では、改めてお尋ねします。
我が国との関係はどうするおつもりですか?」
「魔族共は一匹残らず駆逐する。
この大陸は全て人間のものとなるのだ」
口端を釣り上げ、不気味に笑うイリス。
あまりに無慈悲な言葉。
「わたくしをどうするおつもりですか?」
「身柄を拘束して人質にする、当然だ。
地下深く二度と日の光を拝めない世界に閉じ込めてやろう。
せいぜい己の身の安全でも祈っているがいい。
貴様の家族を打ち取った暁には生首を拝ませてやるぞ。
盆にのせてなぁ!
あーっはっはっは!」
高笑いするイリスは、今まで見たこともないような邪悪な笑みを浮かべていた。
この男と対話することなど不可能。
家族の助命を願い出たところで、聞き入れてなどもらえない。
絶望的な状況に立たされたシルフィーだったが、彼女は落ち着いていた。
不安などない。
これっぽっちも。
なぜなら――
「イリスよ……貴様、我が妹を侮辱したな?」
会場に男の声が響き渡る。
かと思えば照明が一斉に消え、あたりは暗闇に包まれた。
「だっ……誰だ⁉」
声の正体が分からないイリスは戸惑っている様子。
シルフィーは安心して状況を見守っている。
この声の主は彼女の兄、ゼリウス。
いつ何時も妹のシルフィーを見守り、全ての危機を取り払う。
人間の国に嫁ぐことに不安もあったが、もしもの時は兄が駆けつけて守ってくれると確信していた。
だから――突然の婚約破棄に戸惑いながらも、平静を保っていられた。
ああ……兄さま。
やはりわたくしを助けに来てくださいましたのね。
颯爽と駆けつけてくれた兄に、胸の高鳴りを抑えられないシルフィー。
彼女にとってゼリウスは血のつながった肉親であることに違いないが、その垣根を超越した強い想いを抱いている。
許されざるこの感情は墓場まで持って行こうと思っていた。
しかし――
「俺の顔を見忘れたか、イリス。
戦場で何度も刃を交えたというのに」
扉が大きく開かれ、会場に冷たい空気がなだれ込む。
小さな青い炎が灯ったかと思うと、一人の魔族の男が現れた。
その額にはシルフィーと同様に鋭い角が備わっている。
「きっ……貴様ぁ……」
青い炎に照らされたその男の顔を見て、イリスは表情をこわばらせる。
何度も戦場でゼリウスと相まみえた彼にとって、この再会は望ましいものではなかったはずだ。
そう……望ましい再会ではなかったはずだったのだ。
「え……あの……誰?」
イリスは目を丸くする。
彼は強敵の出現に困っているのではなく、どう反応すればいいか分からなくて戸惑っているようだった。
「俺だよ、ゼリウスだよ」
「いやその……え? ゼリウス? 君が?」
「そうだ。なぁ……シルフィー?」
そう尋ねるのは十代前半の少年。
間違いなくゼリウスその人なのだが、あまりに若すぎる。
シルフィーの記憶では、彼の年齢は20代後半。
ガチムチマッスルボディーの屈強な益荒男だったはずだが……。
「ええっと……兄さま?」
「ああ、そうだ。どう見てもお前の兄さまだろう?」
「いや……その……」
目の前にいるのは、シルフィーの記憶の中にある若かりし頃のゼリウス。
王城の中庭で追いかけっこをしたり、かくれんぼをして遊んでくれた兄さま。
滑って転んで大泣きした時は、抱きしめて頭を撫でながら泣き止むまで慰めてくれたっけ。
そう……あの時の記憶にある、ありのままの姿。
少年の姿に若返ったゼリウスがそこにいた。
「くくく、驚かせてしまったようだな。
実は最近、魔法の実験に失敗してしまい。
このように若返ってしまったのだ」
「ああ……それは……なんと」
言葉を詰まらせたシルフィーは両手で口元を覆う。
にやついた顔を見せたくなかった。
目の前に現れたゼリウスはあまりに可愛らしい。
あどけない面持ち。
少年らしい純粋なたたずまい。
純粋無垢な表情。
なにからなにまで記憶にある通り。
遠い昔の想い出に気持ちを馳せながら、荒ぶる感情を抑えようと努める。
今すぐにでも駆け寄って抱きしめて、頬ずりしたい。
すべすべの頬っぺたを両手で挟んでぐりぐりしたい。
あー-----!
尊い!
もはや我慢の限界である。
婚約破棄とか、魔国の存続とか、戦争とか和平とか、あらゆる事柄が頭の中から消えうせる。
今はただただゼリウスに向けた強い想いがあるばかり。
心は愛一色に染め上げられてしまった。
「すまないな、シルフィー。
お前の前で無様な姿を晒してしまって」
「いっ、いえ……そんな」
無様なんてとんでもない。
むしろありがとうございます。
まことにありがとうございます。
「きっ……貴様!
そんな姿でよくもおめおめと……!」
ようやく目の前の少年がゼリウスであると理解したイリスは剣を抜く。
その鋭い切っ先を彼へと向けて、薄れかけていた殺意を露にした。
「イリス、悪いが今のお前では俺に勝てんぞ。
まぁ、相手をしてやるからかかってこい」
そう言いながら鼻くそをほじるゼリウス。
「ぬぅぅ! バカにしおって――がへっ!」
とつぜん、イリスは額をのけぞらせ、白目をむいて倒れてしまった。
そのまま仰向けになり、ピクリとも動かなくなる。
「ふっ、まぁこんなものだろう」
「兄さま⁈ 一体なにを⁉」
「高速で鼻くそをぶつけた」
「鼻くそを⁉ 鼻くそでイリスさまを⁉」
あまりに突拍子もない言葉に、シルフィーも白目をむく。
目の前にいるのは屈強な魔族の戦士ではない。
無邪気で、容赦のない、純粋無垢な少年である。
「陛下ー! 陛下ー!」
騒ぎを聞きつけた衛兵たちが集まって来る。
ゼリウスがぱちんと指を鳴らすと、広間の照明が点灯。
無様に倒れたイリスの姿が衆目に晒されてしまった。
「おのれぇ! 陛下をよくも――がは!」
「どうした?! いったいなにを――ぎゃぶ!」
「へぶし!」
次々と鼻くそで倒されていく衛兵たち。
「参ったな、鼻くそがもうなくなってしまった。
シルフィー、お前のをよこせ」
「そんなはしたないマネできませんわ!」
「仕方ないなぁ……じゃぁ逃げるか」
言いながらゼリウスが足踏みをすると、あたりに強い衝撃が走る。
床にひびが入り、巨大な穴が穿たれ、二人はそのまま奈落の底へと落ちていく。
「ふむ、だいぶ軽いな。
ちゃんと食事はとっているのか?」
落下したシルフィーを抱きかかえつつ、落下物から魔法で身を守ったゼリウスが涼しい顔をして言う。
華奢な少年の身体だと言うのに、彼は成人女性の身体を軽々と支えている。
「ちゃんと出された食事は残さず食べていますわ」
「それはなにより。
さっさと外へ出るとしようか」
「あの……兄さま。この始末は……」
不安そうに尋ねるシルフィーに、ゼリウスは笑みを浮かべて答える。
「なぁに、心配するな。
万事、委細、全て俺に任せておけ。
悪いことにはならないさ」
自信たっぷりに言う彼に、幼いころに抱いた絶対的な信頼感を思い出した気がする。
◆
それから、決着はあっさりとついた。
王都を悠々と脱出した二人は、魔国の首都へと帰還。
和平は取り消しになり、主戦論者たちに推される形で王位に就いたイリスはさっそく開戦の準備を整える。
しかし、ゼリウスは背後で手を回しており、イリスの思うようにことは進まなかった。
反戦論者たちが戦費の調達や兵糧の徴収を妨害。
地方領主たちは先代の王の方針を支持し、一兵たりとも送らなかった。
和平を望んだ民衆も不満を爆発させて暴動をおこし、教会やギルドなどの勢力も協力を拒否。
ゼリウスは以前から各勢力への根回しを徹底して行っていたので、戦争回避のために各所へ出向いてあいさつ回りをするだけで、容易に彼らを動かすことができた。
それでもイリスは諦めなかった。
かき集めたわずかな兵力と主戦論者たちと共に魔国へ向けて進軍。
開戦を宣言したのだった。
――だが。
数日間、行軍を続けたところで、原因不明の体調不良者が続出。
ゼリウスが紛れ込ませた間者が下剤を食料に混入させたらしい。
お腹を下した兵士たちが行軍する様は、それはもう酷かったという。
こうして両軍が戦う前にグダグダになり、イリスが集めた軍は解散。
とぼとぼと王都へ戻ったところで、解放された他の王位継承者たちによって身柄を拘束され、牢獄送りとなってしまった。
「さすがですね、兄さま。
一滴も血を流さずに戦争を終わらせるなんて」
感心したようにシルフィーが言う。
彼女が湯気の立つティーカップをソーサーの上に置くと、ゼリウスは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「イリスの情報は前から集めていたからな。
こうなるって分かっていたよ。
だから……罠をはった」
「罠とは、わたくしのことでしょうか?」
「ああ……悪いとは思ったのだがな。
お前を向かわせて様子を見ようと思ったのだ。
もちろん、何かあればすぐに助けるつもりだったが……
辛い思いをさせてしまったな。
申し訳ないよ」
途端にしょんぼりした顔になるゼリウス。
悪戯を咎められた子供のよう。
「いえ、お役に立てて光栄に存じますわ」
「そう言って貰えると助かる。
実は、どうしても確信がもてなくてな。
もしかしたらイリスはお前を愛し、
王妃として迎え入れる期待もあったのだ。
だが……結果は……」
失望したように顔を横に振るゼリウス。
嘘を見抜かれた少年のように罰が悪そうにしている。
彼はイリスに期待していたのだ。
情報を集め、裏をかき、最悪の事態を免れるよう万全を期していた。
それでも、もしかしたらと言う淡い期待を捨てきれず、イリスが行動を起こす前に対処することはしなかった。
「どうかお気を落とさず。
こうして私は無事に帰って来られたのです。
それに――」
シルフィーはそっとゼリウスの頭を撫でる。
「また兄さまに会えて幸せです」
「ふっ、お前もまだまだ兄離れできていないな」
そう言って笑うゼリウス。
背伸びをして恰好つけようとする幼子のよう。
「お兄様」
「……なんだ?」
「大好きです」
「やめてくれ」
照れくさそうに顔を背けるゼリウスを眺めながら、シルフィーはやさしく微笑む。
兄離れできていないのは事実だろう。
というか、まだまだ離れたくない。
今はまだ、彼と同じ時間を過ごしたいのだ。
少年の姿になった愛おしい兄と。
いつまでもこうしていたい。
決して許されることのない想いを胸に、シルフィーは魔国の王城でゼリウスとの特別な時間を楽しむ。
こんな時間がずっと続けばいいのに。