第七話 真夏の粉雪
くらくらと眩暈がして、まるで船酔いでもしたかのような感覚に襲われる。
――気持ち悪ぃ。
呼吸と共に、鼻の奥をつくのは湿った土の匂い。
オレは両腕で体を支え、胡座をかいて背後の大木にもたれかかった。差し込む木漏れ日が眩しく、頭がジンジンと痛む。
後頭部を撫でると、腫れた部分に触れてズキリと痛みが走る。
「あー、なんだ、タンコブできてんじゃねーか、痛てーはずだわ。それに、なんつっても、頭がくらくらして気持ち悪ぃ」
発した声は透き通る響きをしていた。
「……」
頭を左右に振り、俯いたあと、自分のぷにっとした胸を下から手で包み、たぷたぷと揺らす。それから、ゆっくりと手のひらを見つめた。
「あー、セシリアの体に入っちまったか……。――むっ!?」
オレは即座に横へ飛び退き、近くの巨木を背にする。直後――
ドッゴォォオーーン!!
さっきまでオレがいた地面が、火の玉にえぐられ、黒煙を上げる。しゃがみ込んだまま、火の玉が飛んできた方向を睨む。
「おいコラ! テメェ、この軽い頭に傷を付けやがって……許さねぇ!!」
指の先、火の玉を吐いた巨大な魔物――キャコタウルスが咆哮を上げた。「ヴモモォォーォォオ!!」 大地が揺れ、森中にその声が響く。空気が張り詰め、嫌な汗が背中を伝った。
「っだぁー! やる気かよ、上等だ!」
目の前には、異様に硬そうな皮膚に覆われた巨体。再び火の玉を吐き出してきた。
「っ――!」
轟音と共に火の玉が迫る中、オレは即座に後方へ飛び退いた。
「……おいおい、強気に出るじゃねーか。でもな、甘く見てんじゃねぇ!」
調子に乗りやがって。セシリアの持ってた剣はどこだ……。周囲を見回すと、斜め後ろに剣が落ちている。
「おっ! あんなとこにっ!」
迫り来るキャコタウルス、しかし、オレの方が剣に近い。すぐさま拾うと、勝手に溢れ出る魔力が、持ち手のミスリル被膜を通じて、ぬるぬると勝手に剣へと流れ込む。
そこで理解した。
「ん? あぁ、そうか……この酔った感じ、有り余る魔力の揺らぎ……魔力酔いだったか。どんだけ魔力を抱えこんでやがんだよ、こいつは……」
体に馴染まない感覚。セシリアの圧倒的な魔力量。それがオレを蝕む。眩暈。吐き気。そして――抑えきれない興奮。
この魔力量……。セシリアの魔力の扱いが大雑把だった理由も、これだろう。大きすぎる力。制御不能な奔流。しかし、オレは違う。精緻な魔力操作は得意中の得意だ。
「さて、オレにどれだけ扱いきれるか……」
湧き上がる魔力。その膨大さに胸が高鳴り、自然と口元がニヤける。
「テメェで試してやる!」
セシリアの体を借り、振り上げた剣が冷たい軌跡を描いた。その瞬間――キィィィーー! と凍るような音が響き、夏の暑さがかき消される。
舞い上がるダイヤモンドダスト。
夏空に散る光の粒。
剣の一振りが合図となり、キャコタウルスが咆哮を上げる。オレは強化魔法で筋力を高め、右から剣を振り下ろした。しかし、キャコタウルスの角がそれを弾く。
「くっ……!」
弾かれた勢いを殺さず回転し、左目を狙って横に薙ぐ。
ガキィィン! 手応え。だが狙いは外れ、額に一撃を与えるだけに留まった。硬い。異常なまでに硬い皮膚。剣を握る両腕に衝撃が走る。
「かってーな、おい!」
セシリアが目を覚ます前に片を付けたい。けれど、力押しだけでは限界がある。
――どうする。どうやってあそこを狙う。
「……ええい、儘よ!」
考えても仕方がねぇ。まずは隙を作るしかねぇだろ。
「力押しでぶち込んでやる!」
剣の刀身に白い冷気をまとわせ、一気に突っ込む。狙いは足元――刺突! しかし、キャコタウルスは鼻先を突き出し、金属質な硬さで真正面から受け止めやがった。
「っ……くそ!」
激しい衝撃が腕に走り、剣は弾かれる。だが、オレの体勢はそのまま突進! 刺突をまともに受けた衝撃に怯んだキャコタウルスの鼻先を足場に、ドンッと踏みつけて跳び上がる。
弾かれた腕を大きく上段に振り上げ、そのまま落下速度を利用した渾身の一撃を頭部へ叩き込む!
ガキィィン! 硬い皮膚がわずかに裂ける音。破壊には至らないが、斬撃の衝撃が脳へ伝わったのか、キャコタウルスの巨体が左へぐらつく。
オレは傾く巨体の反対側へ着地。すぐさま振り返ると、視界に捉えたのは右脇。――裂けた皮膚から、じわじわと血が流れる傷口が、目の前に現れた。
ほーら、隙ができた……
瞬時に姿勢を低くし、剣を自らの右肩に構え、刺突の態勢を取る。
剣に流し込まれる冷たい魔力が、刀身を淡い青い光で覆う。それは空気を震わせ、周囲の温度を一気に下げていく。 そして、低い姿勢から下半身のバネにグググっと、全身の力を溜め込み、血の流れる右脇目掛けて、
「っしゃあ! テメェ、これでも喰らえ!」
「うぉぉーーぉおおっ!」下半身に溜めた力を解放し、傷跡が目の前に迫る! 空中には氷の結晶が舞い散り、木漏れ日の中で虹色の輝きを放つ。 ドンッ!! 元々破れていた皮膚へ、腕を伸ばし切った体ごと突き刺すように、威力の籠った剣が脇の奥深く入り込む!
次の瞬間キャコタウルスの体から赤い血が噴き出し、それが凍りつき、鋭い氷の棘となる。
ヴォモモォォーーォォオン!! キャコタウルスの絶叫が響き渡る。
勢いよく吹き出し、氷と化した返り血を全身に受けるが構わず、オレは思いっきり魔力を剣に流し込んだ!!
蒼白く剣が輝き、纏う空気は白く染まる。
「有機凍結保存!!」
キュィィーーーー……
透明感のある声と、空気すら凍結するかの様な澄みきった音が響いた。そして――、
――ドォォーーン!
耳をつんざく轟音とともに、キャコタウルスの巨体が崩れ落ちる。その右半身は赤い氷となり、粉雪のように四散していった。
ジェリドはその光景を、まるで自分の技の威力を確かめるかのようにじっと見つめる。
「……やっぱ、スゲー魔力だな、セシリアの体ってのはよ……。」
季節外れの粉雪は光に照らされ、赤く煌めいたのち、霧となる。
右半身をの大半を失ったキャコタウルスは赤い霧の中永遠の眠りにつき、瘴気が抜け、肉塊と化した。
――――――
真夏の日差しを避け、大きな木に寄り掛かり、水筒の水をごくごくと飲む……
オメー、途中から起きてたろ?
『……朝もそうだったけど、うるさいのよジェリドは。気持ち良く寝てたのに、目が覚めちゃってたわ』
不意に頭の中で響く声に、オレは肩をすくめた。
「おいおい、それどころじゃなかっただろーが! コイツの体、あちこち酷い目に遭ってんだぞ!」
『それで、わたしの体が役に立ったってことよね?』
口調は冷静だが、どこか小馬鹿にしたような響きに、オレはむっとする。
「オイ、感謝ぐらいしろよ! ったく、こんなガキの体、扱いにくくて仕方ねーっつーの」
『……ねぇ、そのガキの体のお陰で、どうにか魔物を倒せたのは誰だっけ?』
セシリアの声がどこか上機嫌に響き、オレは言葉に詰まる。
――くそ、調子に乗りやがって。
思わずオレはセシリアの右眉をピクつかせてしまう。
『もぉ、勝手に体動かされるのも、混ざってる変な感覚も気持ち悪いから、隅っこにいってて。んんんんーーっ』
セシリアは右手を前にして手のひらを開く。ぐぐぐと、オレの意識に圧がかかり、右半身に寄せられ、どんどん端に寄せられる。
せめてもの抵抗として、オレはセシリアの右掌を閉じたり、開いたりする。が、ムギュっと手のひらに押し付けられどうすることも出来なくなった。
いてててて、オレが叫ぶと、圧が弱まった。ちっ、オレの扱い勝手に慣れやがって。自由にできんのは右手だけかよ、ケチくせーヤツめ。――こんなガキの体じゃなく、早くラヴィたんに戻しやがれ。
『はいはい、ケチくさくてごめんねーだ』
セシリアは辺りを見回し、少し離れた木の枝にちょこんと載っているラヴィたんを見つけて駆け寄っていく。
大木の手前で立ち止まり、片目を瞑り、ラヴィたんに向かって右手を伸ばした。
『ちょうど、これぐらいの角度かな?』
はぁ……横着しやがって。
――セシリアに何をされるのか、右手のひらに押し込められていたオレはすぐに悟った。
『文句言わないの。わたしが木に登って怪我でもしたら大変でしょ』
セシリアは伸ばした右手に左手を添え、オレに圧力を掛けてきた。
『いくよ。んんんんーーっ! えいっ!』
ポンッ――――……シュン!!
オレの精神体がセシリアの右手からラヴィたんに戻る。
……ようやく、戻れたか。それにしても、セシリアに入ってる時と違ってやっぱ居心地が良いし、何故か落ち着く。
木の枝からは、近くに動かなくなったキャコタウルスが。そして樹々の向こう、王城の屋根が顔を覗かせていた。
――オレはラヴィたんの右腕、左腕と、交互に目の前に持っていき、ジッと眺める。それから下を向いてお腹や背中をパンパンと叩いた。
この体もずいぶんと汚れちまったな、土埃は兎も角、返り血は直ぐに落としたいところだ。騎士寮に帰るまでに少し川で汚れを落としていくか。
「はい、ジェリド、んじゃ飛び降りて。ちゃーんとキャッチしたげるからっ」
木の上からセシリアを見下ろした。
「…………」
予想外の魔物相手に苦労はしたが……。
うん。――アイツも良い気分転換にはなったようだな。
セシリアは木の下で両手を拡げて、ニッコニコの笑顔でこちらを見ていた。
なんだよ、そのゆるーい顔は。締まらねー面しやがって、もっと王国騎士団副団長としての自覚を持ってだな……。
「はい、ぴょーんってしておいでーっ」
セシリアはその場でぴょんぴょんと跳びはねている。
「…………ったく」
オレはため息を吐きつつも、つい顔を背けてしまった。今にも笑みが溢れてしまいそうだったからだ。そんな顔、コイツには見られたくはない。
バカ小娘が、ガキみてーにはしゃぎやがって。そんな顔されると、オレにまで表情が伝染るどころか――、
なんだかこっちまで嬉しさが込み上げてくるだろーが、ばーか。
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★ 後書き
☆ 後頭部に、たんこぶができていたことに、「よくもセシリアの体を傷つけやがったな!」とキャコタウルスに怒っていたジェリドなのですが、そのたんこぶは、ジェリドの体当たりで吹っ飛んだセシリアが、大木に頭をぶつけた際に出来たものですね。
たんこぶの件では、キャコタウルスはホントは無実なのです。
お読みいただき、有難うございます。良かったら ブックマークに追加 などしていただけると作者に伝わり、励みになります。
引き続き、この物語、どうぞよろしくお願いします。