第四十二話 ざわめき
地面の水分をオレが凍らせる。氷を割ってちゃっちゃと小川へ運ぶ。火を焚いてトムが食事の準備。他の男性陣がテント張り。みんな手慣れたものだ。
――――――
「おぉーーっ! トムの作る料理は美味い! どれだけでもお腹にはいるぞー」
「はい、いーっぱい食べ過ぎてしまいそうなのです」
みんなで火を囲み、マイクとアイラがトムの調理を絶賛する。
「そう言ってもらえると嬉しいっス。でも、ボアの良いところを薄く切って野菜と一緒に煮込んだだけの鍋なんスけどね」
トムは頬を人差し指で掻いて苦笑い。でも、煮込む鍋の味をトムの自前の調味料で上手に整えているのは間違いない。
「うむ、上品に仕上がっておると思うぞ」
クレアもトムの味付けを気に入ってくれたようで、優美な動きで口は運んでいた。料理が美味しいと、それだけで皆が平和な気持ちで楽しく過ごすことができる。これもロイドが料理の上手なトムを付けてくれたおかげだな。
「美味しすぎてほっぺが落ちそうなのです」
「それは困るっ!」
「えっ? 姐さん?」「セシリアさま?」
つい、反射的に言葉が口をついて出てしまった。コイツのぷにゅぷにゅ頬っぺはオレのもんだ。誰にも渡すつもりはない。
「あ、いえ、ううん、なんでもないわ」
楽しい食事も終え、刻が過ぎていく。
――――――
薪がパチパチと弾ける音が、離れたところから時折聞こえる。――静かな夜だ。
マルコムを戦線離脱させてから三日目も終わる。向こうではまだ後処理に追われているのだろうか。それとも、ロイドのことだ、上手く収めているのだろうか。そんなことをぼんやり考えながら、ふと遠く王都の方角へ視線を向けた。
暗い空に、微かに赤みが差しているように見える。
――こんな色だったか、いつもの王都の空とは少し違う気がする。だが、それ以上気にすることもなく、自然と目を上げて満天の星空を見つめた。同じ星空を、王都でも眺めることができるのだろうか。
「いいえ、ここの方が瞬く星が多くて綺麗なのですよ」
アイラがぽつりと言う。その声にオレは目を向けた。アイラはずーっと離れずに側にいる。側仕えだからとの理由にしても、もう十三歳だ。時々ひとりで居たいとか、このぐらいの歳の子は思わねーのだろうかね。
「――――」
お腹も膨らんでアイラと二人夜空を見上げていると、どこのチンピラだよ、といった感じでクレアがグラスを片手に顔を覗き込んできていた。
「おう、おう、おう。こんな隅っこで仲良く二人で何してんのさ? わしも混ぜてくれんかの」
「クレア……、別に何をしてるわけでもないの。って、もしかして酔ってます?」
ほんのりと頬が紅い。
「あぁ、美味しい食事のあと若い男を肴に少し、な。すぐ酔うて寝よったき、その後のお楽しみはお預けになってもうたがの」
どうやら、みんなそのまま寝てしまったらしい。昼の暑さと対照的に、この時間は肌寒く感じる。風邪を引かないように後で何か掛けておいてやろう。明日も早いしな。
肩が触れ合うようにしてクレアが隣に座る。
「みんな寝たのか、っていうか、綺麗な姿してて、あんたは見境いなしかよ?
「ほっほっほ。酔うと、魔力の揺らめきが、より魅力的にこの目に映るのじゃ。わしにそうしろと仕向けた神々の意思だねぇ、これは。――ジェリド、あんたも飲むかい?」
艶かしく微笑むクレアがグラスを口にし、そのまま手に持った果実酒を勧めてくる。
「いや、子供も居る手前、今日は遠慮しとくよ」
「ダメなのですっ!」
アイラがクレアの居る反対の腕を掴んで引き離す。
「ほっほっほ、よう懐かれておるの。――? ときに、親御さんは居るのかの? 其方から感じる魔力、わしに似ておる。どうじゃ、うちで育ててやろうか? ――あいたっ!」
ぺしっ! アイラに手を差し伸べたクレアの手を、オレは叩いてやった。そして、オレとアイラが同時に喋る。
「コイツのこと、ペットや物みたいに軽々しく扱うんじゃねーよ、バーカ」「わたしに両親は居ないのですよ」
「そうか、やはりの、でもすまなかったね。なら、ジェリドが父親代わりでわしが母親代わりなら……おぉ、これは一石二鳥というやつじゃ。我ながら良い考えじゃ!」
「バカっ! 酔ってんのか、テメーはっ。今のアイラの気持ちを考えてやらねーか」
言いながらアイラ抱き寄せて頭を撫でてやる。親が居ねーコイツに親の話題を振ってなにかを思い出させるのは酷だ。クレアめ、魔力の色や揺らぎが見えるとか言ってんなら、相手の感情も読み取ってやらんか。――ほんと、無神経なヤツだ。
オレはアイラを抱きながらクレアを睨みつけてやった。
「おぅ、おぅ、怖いねぇ。ジェリドがそんなだから、この子も親に向けるような、――そんな感情の動きをあんたに向けちまってんじゃないのさね? 中途半端に優しくして可愛いがってやってんじゃないよ! ペットかなにかと勘違いしてんのは、あんたの方じゃないのかい!」
アイラには面倒をみたり心配してやったりする親の居ねない。
いつも側にはついてやれねーけど、気に掛かる存在だ。
何かしでかさねーかハラハラさせられたり、もどかしくて気を揉まされたり、時にその素直な言動にオレ自身が気付かされることもあった。見てるだけでこころが満たされたり不思議な感覚に見舞われる――。
「なっ……コイツのことは可愛いし、世話の焼けるむすめのように思ってんだよ」
本人を目の前にして言い難い。アイラには気持ち悪いとか思われるかもしれねーが、オレの素直な気持ちだ。こればっかは仕方がねー。
「――はっ、どうだかね? 口だけではなんとでも言えるじゃろうて。いざとなったら、また自分に言い訳して、全てを放っぽり出して逃げんじゃないのかい」
「酔っ払いクレアさま、喧しいのです。ジェリドさまは逃げないのですっ。セシリアさまのことも、わたしのことも、ちゃんと守ってくれるのです」
オレの腕の中でアイラがクレアに言い返す。
「……そうじゃな、言いすぎたわい」
そう言ってクレアは手に持っていたグラスを空け、息をひとつ吐き、見えていないはずの星空を仰いだ。
「アイラ嬢ちゃん。ジェリドが其方に情を持っとるのは間違いないじゃろうて。不安がらせるようなこと言ってすまなんだの。……今日、結びつけた親子も、間違いなく信頼し合っておるんじゃが、お互い何処か不安を抱えておったんじゃ。――儀式をして、不安もなくなった親子の姿を見た故、余計にお前さんらに要らん心配してしもうたわい」
確かにオレはアイラにも、セシリアにも、何処か放っておけなくて面倒をみている。オレの愛した女性に向けた情とはまた何処か違うものだ。それは親が子へと向けるものと同じものなのだろうか。子のないオレにはよく分からない。そして、体をなくした今のオレが、コイツらに親の代わりとして接するなどとは。
――だが、守ってくれる、と即座に言い返し、オレを信じてくれる真っ直ぐな目を、決して曇らせはしない。「お前もセシリアも守り抜いてやる、心配する必要はない」声に出し、改めてこころに刻み込んだ。
――――――
「ん? ところで、みんな寝たってことは、誰が番をするんだ?」
ま、仕方ない。運が良ければ誰が起きるだろ、オレはみんなに布を掛け、揺らめく炎を眺めながら過ごした。




