第三十話 心模様
――遠くまで敷き詰めた黄色い絨毯。菜の花畑が青い空に映える。
サラサラと音をたて、風に靡かせる黄金色の髪。
深碧色の瞳を持つアイツが不器用な笑顔を見せた。手をあげ、そしてくるり反転し遠ざかっていく。
カティア……オレは右腕を伸ばそうとするが、なにかが絡み付いているかのように重く、動かすことができなかった。
縛りつける何かを振り解こうと、オレはもがく。しかし、腕に絡みつく何かは、グッと力を込め、オレを逃さない。
――苦しい。
カティアをすぐに追いかけ、前に進みたい気持ちとは裏腹に、オレの下半身は鉛の靴を履いたように重く、足が上がらない。
ドンっ! 腰の辺りに、ずしりと重さが増した。
――重い。
腕だけでなく、腰の辺りにも、何かが絡みついた。絡みつく何かからオレに熱が伝わる。
――暑い。
追いかけたくても身動きが取れないもどかしさと、全身にまとわりつく何かの暑苦しさのなか、オレはやがて、
――目を覚ました。「夢……か」
――――――
周囲は、ほんのりと明るい。
「ん、んんー……セシリアさまぁ」
不意に耳から奥へと、響く声音。
産毛が逆立っていく様な、背中からザワワっと這い上がる波に、肩が竦む。
「ぅう……」身体から吐息とともに、変な声が溢れた
首筋のざわつきは、やがて治った。
オレは不思議に思い、声がした右にゴロンと寝返りをうつ。すると――オレの右腕には、アイラが絡みついていた。
目の前には、幸せそうに眠るアイラの寝顔。そして、オレの腰の上には、アイラの右足が載せられている。――重い。
アイラがオレに、ぎゅーっと腕と足を絡ませて、すやすや眠っている。……つまり、
「暑苦しいし、動けねーと思ったら貴様かっ! アイラ」
オレは、ひとつため息を吐き、そのまま、ほぼ密接した状態でアイラ顔をしばらく眺めた。
――どんな夢を見てんだか知らねーが、この表情を見てると怒る気になれねー。空いている左手で頬っぺたを摘んでやると、とても柔らかくて弾力があり、いつまでも無心に触っていたい衝動に駆られた。
無為に時が過ぎていく。
――はっ! いかん。こいつの頬っぺたは人間をダメにするやつだ。うむ、危ねーとこだ、もう少しで罠に嵌るとこだったぜ。
時間は五の刻過ぎを示していた。
「よっ……と」腕に絡みついているアイラをやさしく抱えて、寝返りを打つように反対を向く。窓を見ると、暗かった景色は柔らかな光に塗り替えられている。――ん? 窓の隅に青い紙が差し込まれていた。あれは……。
「まだ少し早えーが。――おい! アイラ、そろそろ起きろ」
アイラの可愛い寝顔を眺めつつ、背中をゆすって起こそうとすると、腕に絡んでいたアイラの手がオレの背中に周り、抱きついてきた。「う、んんーーん」と呻いて瞼が開く、至近距離で目と目が合い、刹那見つめ合う。
「――――ん?」
「はっ! だ、らめなのれすっ、セシリアさま」
「…………、なにがだよ」
オレたちは元ダンバー領騎士団本部へ向かう準備にとりかかった。
――――――
あと少しで七の刻。宿屋の玄関前。住民が働きだす時間にはまだ早く、通りを行き交う人は疎らだ。
男性陣は宿を出る時間が早まったことに不思議そうにしていたが、「寄りたいところがあるの」と告げただけで不満なく準備を終え、集まってくれた。
昨日の雨はすっかり上がり、ところどころにある水溜りのひとつが陽光を跳ねさせ瞳に飛び込んできた。
「眩しーっ」
思わずそんな言葉を口にしなから道を歩く。セシリアの話し方もかなり慣れてきた自分になんだか嫌気がさす。オレは外見も立ち居振る舞いも、自分で言うのもなんだが、良い歳の重ね方をしてきたはずなんだがな。
「姐さん……この方角はもしかして、昨日の武器屋っスか?」
「ええ、そうよ。よくわかったわね、昨日は元ダンバー騎士団員に連絡とってくれたり、色々動いてくれたし、顔見せぐらいはしないとね」
「ぅおぉー! 流石はセシリアさま、一般民にもしっかりと気配りできていらっしゃる!」
黒い短髪あたまを上下に頷くマイク、いちいち暑苦しいやつだ。
「ふん、いちいち大袈裟な。国や貴族のために動くのは当たり前じゃないか」
エメラルド色の目を持ち、濃い赤毛のリューグ・サンダース。腕は立つのだが、なかなか打ち解けられねー性格をしてやがる。
貴族の長男。んで、年齢的にも世間慣れしてねーからこんなもんか。これから多くを学んでくれるといいんだが。
「リューグ、嫌々ながらに動くのと、手伝おうとして動くのとでは成果が違ってくるわ。――指示を出すひとは、動くひとの気持ちを考えなきゃね」
「そっスね。動く側も学ぶ吸収速度に差がでるはずっスね。姐さんに嫌々ついて来てる誰かさんは、この任務で学ぶものがあるのか、ってね」
「――なんだと?」
赤毛のリューグが癖っ毛のトムを睨む。
トムの本家は貴族だ。分家に当たるトムの家は現在、王都で雑貨屋を営んでいる。トム曰く、「本家、親戚が集まる場は性に合わねっス」らしい。貴族として矜持が滲み出ているリューグとは、どうも反りが合わないようだ。
「はいはい、喧嘩しないの。わたしも含めて色々と身に付けていきましょっと、さぁ、着いたわよ」
今日も二人の王国騎士団員が見張りに立っている。トムは見張りの話し相手として一緒に居てもらい、マイクとリューグの二人は武器屋の中で見張り兼、武器の物色で待っていてもらう。奥の作業場へはケッペルのおやっちゃんに案内してもらった。
これで肩の力を抜いて振る舞うことができる。いま、オレの側に居るのは、オレがジェリドと知っている者しかいない。
「おやっちゃん達よ、窓に青紙って、仕事が早すぎんだろ。情報収集の依頼したのは昨日の夕方だせ?」
青紙、茶紙、ピンク紙はオレ達だけの合図にしており、青紙は報告ありの意味を持つ。
「まぁーなー、ジェリドの旦那にー」「言われる前からー、目ぇつけてたやつ居たからなー」「そいつがー、早馬で王都からー」「情報持った奴と接触してー、旅支度とか怪しい動きしてたからー」「書簡や荷物ごとふん縛ってきたー」
「――わかった、わかった、流石だな。早速案内してもらっても大丈夫そうか?」
「もちろんだー」「それにしても今日もセシリア副団長さん、別嬪さんだなー」「触ってもい……」
「セシリアさまに触れて良いのはわたしだけなのですっ!」
ムーア三兄弟の動きと口がピタっと止まる。アイラがオレの体にしがみついて、ムーア三兄弟を涙目で睨み訴える勢いに負けたせいだ。
――アイラのヤツ、今朝からオレに引っ付き過ぎだ。ずっとセシリアに引っ付いてたい気持ちはわかるんだが、動きにくいっての。
「よしっ! お手柄のおやっちゃん達、早速、案内頼むわ」
パシッパシッパシーンッ! っと、おやっちゃん達とハイタッチをしてやる。これぐらいならアイラも許してくれるだろ……あ、いや。やや斜め下から、突き刺す視線を感じる。どうやら、良かぁねーらしい。
こいつぁ、早くセシリアを救出してやらねーとヤベーな。
「「「おぉー、こっちだー、ついて来いー」」」
固まっていたおやっちゃん達の緊張も解け、早速あやしい人物が捕まっている部屋へと案内してもらうことになった。




