第二十ニ話 拒絶反応
マーちゃんは空を見上げて薄紅の髪を風に預けている――
わたしは、意識を風に流されたかのように、ただぼんやりとマーちゃんを眺めている。マーちゃんと、ゆらめき戯れる淡い光たち。
……わたしもここで、このまま消えてなくなるのかしら。
ふと、心の底から溜息のような言葉が零れた。
わたしは、いままで何をしてきたんだろう……。そしてこれから、なにがしたかったのかな。
ぼんやりと浮かんでくるのは、これまでのこと。
そういえば、自分では何も選ばす、ただ、周りに流されてきただけだったような気がするなぁ。
わたしは元々、貴族の家に生まれた。
お祖父さまが居た頃は貧乏貴族とはいえ、それなりの生活ができていた。でも三歳の時、わたしや母を可愛がってくれていたお祖父さまが亡くなり、それからは資産を食い潰し没落していった。
父はいなかったけど、小さい頃は好奇心いっぱいで、いたずらばかりしてたわ。そのたびに母に叱られて追いかけ回されたけど、お祖父さまがいつも庇ってくれたっけ。
やんちゃだったけど……あの頃は、本当に楽しかったな。
そんな母も、わたしが四歳の時に亡くなった。
お祖母さまと母の兄弟たちは、幼いわたしに「事故だったのよ」と言い聞かせたけれど――後になって、母が自ら命を絶ったのだと気づいた。
お祖父さまが病に伏せていた頃、母は一度も部屋に入ることを許されなかった。
「お祖父さまは、あなたには会いたくないとおっしゃっている」
「お前の顔を見れば、病が悪化するんだよ」
お祖母さまは、そう言い続けて、部屋の扉の前に立つ母を追い払った。
とても可愛がってくれたお祖父さまに、母は最後の最後まで会うことができなかった。
――死に目にも、立ち会えずに。
それからというもの、母は家の中の雑事をすべて押しつけられ、休む暇さえ与えられなかった。
それでも、母の二人の兄弟は何ひとつ手伝おうとせず、家事も、外での役目も放り出して、遊び回ってばかり。
そして、母はお祖母さまと兄弟たちに、毎日のように罵られ続けた。
「まったく看病もせず、酷い人間だ」
「お前のせいで、お祖父さまは――」
言葉は、鋭い刃となって母の心を少しずつ削っていった。
母はそれでも、じっと耐え続けた――けれど、日に日に笑顔は消えていった。
最後に残ったのは、心がすり減った母の、痛ましいほどの静けさだけだった。
母が居なくなってからというもの、家の中は更に荒れた――。お祖母さまは体を支えるのも大変なほど膨よかで、足を悪くしてしまい、普通に歩くこともできない。母の兄弟は家事が出来ないし、使用人を雇う余力も既になかった。
五歳になったある日、家族全員がお城に連れて行かれ、処刑された。家の取り潰しだ。わたしは六歳の洗礼式を迎えていなかった為に連名を免れ、教会に預けられることになった。
わたしの洗礼式は、静かで、ひとりぼっちだった。
神父さんが儀式を進める中、異様な風貌の男がひとり、わたしに触れてきたこと、そして告げられたことは忘れることができない。
洗礼式で授けられるはずの家名は、既に取り潰されていたため名乗れず、数ある庶民名のなかから選ばされ、アルデレッテと改めた。
教会での暮らしは、神父さんのお手伝いと自給自足の生活は大変だった。でも、今思えば楽しかったなぁ。みんなで飼ってたウサギも可愛かったし。他の教会孤児のみんな、今はなにしてるんだろ? 元気にしてるのかな。
十歳の時に教会が襲われた。あまり思い出したくない。魔力を暴走させ、囚われの身になるところをアルバート騎士団長に救われ、騎士団へ連れて行かれた。
そこでジェリドと初めて会ったのだけど、わたしは何故か身を隠してしまったわ。第一印象は不気味、ただそれだけ。剣の稽古でアルバート団長から紹介されたあとはよく面倒を見てもらったし、何故か凄く可愛がってもらえたって自覚はある。無茶苦茶なことでも何でも言ったし言われたけど、楽しかったな。剣術、魔術も鍛えてもらって、いつの間にか副団長。言われるままに色んなところに遠征して、戦って――
……気がついたら、わたしの剣は――
あの時は必死だった。勝てるはずのない相手だもの。
隙を見出し、いちかばちかで、自分の最大魔法をぶつけ、力を使い果たした。その後の動きは自分でもよく覚えていない。リングのお陰で動けると思い込んでいて、そのせいなのか勝手に体が動いていたらしい。ジェリドを突き刺した直後は話もてきたし、実感が湧いていなかったけど、血を流し、動かなくなったジェリドを見て、――実感した。
「…………」
わたし……今まで何にもしてない。
それどころか、わたしの周りの人達はみんな次々と不幸な目にあっていく。一番気にかけてくれた人でさえも、この手に掛けてしまった。
――もうなにもしないまま、ここで消えてしまうのは、ちょうど良かったのかもしれない。
「……っちゃ」
――背中にぬくもりを感じる。あったかい、な。
「……ん?」
「せっちゃん、大丈夫ちゃ。大丈夫やき、先ずはその目から流しちょるもん、こんで拭いちょき」
いつの間にか俯いていたわたしが顔を上げると、背中を優しく包み込んでくれていたマーちゃんが、ハンカチを差し出してくれた。
「あ……」
わたし、泣いていたんだ……。ぽろぽろと溢れていた感情が頬を伝い、顎先から落ちて地に染み込んでいく。借りたハンカチで目元を抑え、止めようとするが、嗚咽を漏らしてしまう。
「うん、泣いてるっちゃね」
泣いて良いのは、わたしが不幸にした多くの人の方だろうに……。なんで、わたしが泣いているんだろ。――頬を膝で挟み込んで、もういちど下を向く。
「消えた方が良いってこと、せっちゃんの精神の奥底が否定してる証拠っちゃね。これから先に、まだなにかやり残しよるき、消えるとか考えんなーっち、体が告げちょるんよ」
やり残してること? みんなを不幸にしてきたわたしのこの先に、なにがあるのかな……。
「んー……なにがあるかは、うちも分からんっちゃ。でもね、ここで消えたら、自分にも周りにも不幸をばら撒いて終わりっちゃね。……消えんやったら、色んな未来を選べるっちゃ」
でも、ここで消えたら、それ以上、不幸をばら撒かずに済むもん。
「不幸をばら撒かんよう選ぶっちゃよ。さっき、せっちゃん言うちょった。何にも選ばす、周りに流されてたっち。そんで周りが不幸になりよるなら……流されず、自分で選ぶっちゃ!」
小さな体で、後ろから抱きしめるマーちゃんの腕が、より強くギューっとしてきて、わたしの背中に顔が押し付けられる。わたしは下を向いたまま……零れる涙は止まってくれない。
「せっちゃんの体がね、自分にはまだやることがある! 言いよるき、涙が止まらんっちゃ。せっちゃんの頭に、消えても良いなんち悪い考えが入ってるから、そんな考えを涙で押し流そうとしてるっちゃね。悪いもんは外に出すっちゃ。出して、流し切ったら涙は自然に止まるもんっちゃね」
止まって、くれるのかな……うん? ちょっと待って。
「マーちゃんて、わたしの思ってること全部聞こえてる? よね。なんか、ずるい」
「えー、ずるーないっちゃ。前に言うたっちゃろ、うちはここん主やき、精神が全部うちに流れてくるち。やけんね、うちに伝わってくるっちゃね」
「うん、言ってたね。でも、思ってること分かるなんて、やっぱずるいよ。――それと、マーちゃん、言葉……わたしに合わせてくれるんじゃなかったっけ?」
「あ、ごめんっちゃ。せっちゃん訛りすぎやき、つい喋りやすい普通の言葉で話してしまうっちゃ」
ぷっ、くくっ! マーちゃんが言いつつ、なんだか後ろで、堪えきれず、吹き出してるような声がする。
「そんなに訛ってるのかなぁ。どっちかって言うと、マーちゃんが訛ってると思うんだけど」
「うん、知ってる。ここに来よるみーんな、せっちゃんと同じ言葉やったき……」
ぷっ、きゃはははっ! せっちゃんが後ろで隠しもせずに笑ってる。
「もー! ひっどーーっい! マーちゃんの意地悪」
わたしはお尻を軸に後ろを向く。ちょうどマーちゃんと向かい合う形だ。マーちゃんは笑い涙を溜めた眦を手で擦っていた。
「せっちゃん泣き虫やき、こんで良いっちゃ。ちょうど涙も止まったっちゃろ?」
「意味分かんないよ……それに、別にわたし泣き虫でもないし」
「ううん、泣き虫っちゃ。ここに来る少し前にも泣いちょった」
え? ここに来る前?
「これも、言うたっちゃろ? 指輪の石、あれはここの世界とつながっちょるって。少し前に誰かの泣き声が、あの石を通じて聞こえちょったけど、あれ、きっと、せっちゃんっちゃね」
うん、確かに言ってたね。指輪使ったときも伝わってたんだ。……なんだか、ぜーんぶ知られちゃってるみたいで複雑な気分。ぼーっとしてて、小さい時からのこととかも考えちゃってたし。――でも、全部知ってくれてる人がいるって、なんだか良いね。
「へへ、そうっちゃろ?」
両手を広げて笑顔でマーちゃんが抱きついてこようとする。
「もぉ、勝手に気持ちを覗かないのっ」
指輪でマーちゃんのおでこを抑え、そのまま後ろへ押し返す。「ぉおう!?」っと、声を出し、マーちゃんは両手をパタパタさせて仰け反り、後ろに手を着いて体を支える。つい、わたしも笑みを溢れさす。
この先、わたしに何ができるのか、なーんにも分からないけど、これからは自分で選んでいけるように、もう少し頑張ってみようかな。
せっちゃんは必要とされているっちゃよ。これだけは確か。
聞こえた気がしたけれど、草花を撫でる心地よい風が、微かな声を澄んだ空へと連れていった。




