第十八話 魔邪の指輪
今朝、突如消えたセシリアの精神。王国の文官であり、知識に富んだロイドは言った。セシリアは魔邪の指輪の本体に取り込まれたのだと。
「セシリアが取り込まれただと! 無事なのか、どうなってるんだ、本体って一体なんのことだ!」
オレは拳をテーブルに叩きつけた。
「今のところ、おそらくは無事だと思います。ですから、どうか……まずは座って、落ち着きましょう」
ロイドは穏やかな声で促すが、その眉間には微かなシワが寄っている。
「さぁっ、ジェシリアさま。フィナンシェです! これを食べて落ち着くのです」
アイラが茶菓子を持って、こちらに差し出してきた。
「おい、こんな時に何やってんだ。……いや、まぁ、ありがとな」
オレは頭を掻きつつ、フィナンシェを受け取る。だが心の中は穏やかではなかった。
「本体というのは、魔邪の結晶柱と呼ばれるものです――」
ロイドは席を立ち、マルコムのレイピアに残されていた指輪を慎重に取り出した。そして、静かにテーブルの上に置く。彼が指先で琥珀色のリングを指差すと、色の深みに陰が生じてみえた。
「このリングに嵌められている石は、魔邪の結晶柱の周辺から採取された魔石です。そして、この魔石は、魔邪の結晶柱と、まるで木の根のように魔力的に繋がっています。その繋がりを通じて、魔石に取り込まれた精神が結晶柱に運ばれるのです」
ロイドは指輪を指でなぞりながら、静かに語り始めた。一方で、アイラは菓子を頬張りながら紅茶を飲み、時折、頷きつつロイドの話を聞いていた。彼の話は続く。
「さらに、このリング部分――高純度のミスリル鉱でできています。ミスリルは魔力伝導率が非常に高く、魔力を誘導する精巧な術式が刻まれているのです」
「綺麗な指輪だけど……なんだか気味が悪いのです」
アイラが、指輪をじっと見つめて呟く。その瞳には好奇心と恐れが混ざり合っているようだった。
「リングの魔石に血を与えると、その血液に宿る魔力、つまり精神の一部が魔石に取り込まれるのです」
「精神が……指輪の中に?」
アイラが眉をひそめて身を乗り出す。
「そうです。そして、取り込まれた精神は、魔石内で増幅され、自我を持つまでに成長します。そして、その精神がリングを嵌めた者に宿るのです」
「じゃぁ、わたしがこの指輪を嵌めて、ジェリドさまの血を垂らしたら……ジェリドさまがわたしに入ってくるってことなのですか? うぅ、考えるだけで気持ち悪いのです!」
アイラは両腕で自分を抱きしめて身震いした。
「やかましいわ! んなもん想像すんじゃねーよ」
オレはアイラを睨みつけるが、彼女は眉尻を下げ「えへへ」と懲りずに、悪戯っぽい笑顔を見せた。ロイドは紅茶で喉を潤す。
「さらに、指輪を嵌めた者が多量の魔力を使用すれば、その魔力の一部は指輪を介して魔石に吸収され、本体である魔邪の結晶柱へと送られるのです。そして……」
その瞬間、琥珀色の指輪が淡く輝いた。
「やっぱり気味が悪いのです……ロイドさま、ジェリドさま、早く捨てましょう!」
アイラが椅子から立ち上がり、テーブルを指差す。その瞳には動揺が見えた。
「待て! なんでそうなる、コイツはセシリアを救う鍵になるかもしれねーじゃねーか」
オレが制止すると、アイラはしぶしぶ座り直したが、その視線はなおも指輪を睨みつけ、スティック菓子に手を伸ばす。
静かに間を置いて、ロイドが続きを話し始めた。
「指輪を嵌めた者が魔力を使用すれば、その精神の一部が魔邪の結晶柱に取り込まれます。そして、魔石の内部で自我が生まれると――元の体に存在していた精神は、すべて消滅するのです」
その言葉に、オレの脳裏にセシリアとの一騎打ちが蘇る。
――――――
あのときオレは、セシリアを傷つけず、気絶させるつもりだった。
……だが、もしオレが負ければ命があったとしても処刑は免れない。
そんなことになれば、セシリアは自分を責め続けるだろう。それだけは避けたかった。……あの頃のオレのようにはなって欲しくはなかった。そんなセシリアの姿など、想像したくもねーんだ!
オレが勝てば、二人とも生き延びる道があったはずだ。 あの時のオレは、ただ、アイツを救おうと、必死にもがいていた。
だが、それだけで済む話でもなかった。
もし、オレが勝っていたとしても――リングを嵌めて魔力を大量に使ったセシリアの精神は、時が来れば魔邪の結晶柱に取り込まれ、体内から消えていたはずだ。
――――――
「クソッ! マルコムのやろー」
不意に感情が高ぶり、テーブルを叩きつけた。
その隣で、アイラがぽりぽりと頬張っていたお菓子の音がぴたりと止む。
静寂の中で、琥珀色の石がまたぼんやりと光を放った。
「……つまり、この体のセシリアは消滅し、魔邪の本体で存在しているってことか」
オレが低く呟くと、隣のアイラが「セシリアさま……」と小さく呟きながら、瞳を伏せた。彼女の肩が小さく震えているのが目に入る。
ロイドはそんなオレ達の様子を静かに見ている。その瞳の輝きは、なにかを見定め、考えを巡らせているようにも見えた。
「ジェシリア様、すぐにダンバー領へ行きましょう! マージャのなんとかをぶっ壊して、セシリアさまを救い出すのです!」
アイラが拳を握りしめながら叫ぶ。
「そうだな。アイツも腹空かせてピィピィ泣いてる頃だろうし、迎えに行くぞ。……でも、ぶっ壊しても良いのか?」
オレはロイドを振り返る。
「破壊して良いかどうかは分かりません。ただし、セシリア様を救うために慎重な判断が必要です」
ロイドは静かに応じた。
「慎重に進めるのです。でも、セシリアさまを助けるにはやっぱり急がないと!」
そう言葉を発する、すみれ色の瞳には真剣さが宿っていた。
「あと、セシリア様が戻ったら、アイスクリームをご馳走してあげましょう!」
「オメー、さっきからアイスクリームのことしか考えてねぇだろ!」
オレは思わずツッコミを入れたが、アイラの笑顔に、少しだけ緊張が解けた気がした。




