第十六話 冷却魔法
本体？ 魔邪の指輪が複数だと？ 聞いてねーぞ。
この執務室での戦闘は、間合いの駆け引きがすべてだ。オレは冷却魔法を纏わせての接近戦、対するマルコムは風魔法とレイピアの長い間合いで牽制してくる。
セシリアとオレの戦闘スタイルは正反対だ。この体での接近戦には、まだ慣れが必要だろう。
――それでも勝つしかねぇ！
マルコムがレイピアをオレに向けて構え、左右に移動しつつリズム良くステップを踏む。オレは強化魔法で筋力を上げつつ冷却魔法を剣先に集中させている。
「団長のあの動き、なんかイヤらしいのです。ジェシリアさま、ちゃちゃっとやっつけてしまうのです」
アイラがロイドの陰から顔を出し、口を挟む。
――勝手にオレとセシリアの名前くっつけんじゃねーよ！ 勘づかれたら説明すんのダリぃだろーが。
「ははは、言うではないか、見習いよ。わたしがセシリアに遅れをとるとでも思っているのか、なっ」
マルコムが大きく右足を一歩踏み出し、ヒュッ！ と風を裂く。突いてくるレイピアを右横から受け流そうとしたが――、強い！
キキキキィ！ レイピアが剣を擦りながら迫り、軌道を逸らすことができない。
右足を軸に体をひねり、剣をレイピアに押し付ける。その反動で半回転し、剣筋が服を掠める瞬間、突きを紙一重でかわした。
マルコムは伸び切った右足を地に着けた反動で後退し、軽やかなステップで間合いを保つ。足音は一定のリズムを刻んでいるが、その動きには隙がない。
ヤツのレイピアは、オレの剣よりも明らかに長い。ヤツが半身の構えから腕を伸ばすたび、その間合いがじわりと迫ってくる。
しかも――突きが重い！
鍛え上げられた筋肉から放たれる一撃は、横から叩いても微動だにしない。下手に触れれば逆に押し込まれる。
「くっ！ 流石は王国騎士団長さまってところか」
距離を詰められず、このままでは確実に押し切られる。突きを受け流すだけでは、ヤツの間合いに飲み込まれる一方だ。
レイピアを避けつつ考える。……オレの魔法で対応できるか？ それとも、無理にでも突っ込むべきか？ いちかばちか、賭けてやる！
オレは剣先に冷却魔法を集中させる。冷気を剣の周囲に留め、更に温度を下げていく。
「初撃を躱したとは、なかなかやる。だが、この速さはどうだ？ ついて来られるものなら、来てみろ」
レイピアが再び突き出される。視界から消えそうなほど速い一撃！ さらに二撃、三撃――！
連撃のたびに剣が手元を掠め、血飛沫が後方へ飛散する。マルコムの刺突は速く、重い。そのたびにオレは腰を捻り、肩を沈め、なんとか間合いから逃れる。
しかし、こちらも見えてきた。奴のステップ、肩の入り、腕の振り――次の動きが予測できるようになってきた。
五撃目！ 刺突がくる、狙いは首元！
オレは右前に体を沈め、ギリギリでレイピアを躱す。足を踏ん張り、そのまま伸び切ったマルコムの肩を狙って下から剣を切り上げた！
ヒュォンッ！ 唸りをあげ、剣がヤツの肩に迫る――。
しかし、ギジィィッ！ ヤツは左手に持ったマインゴージュで、オレの剣を受け流した！
刃を斜めに沿わせ、軌道を逸らしながら、ヤツ自身は左に身をひねる。その動きで自然とオレの正面に回り込み、再び向き合う形になった。
「そのイかれた態勢でオレの剣撃を逸らすだとっ？！ ざけんなっ！ クソ力ヤロー！」
叫んだ瞬間、突風がオレを襲った。目に見えない風の刃が肩と脇腹を掠め、鋭い痛みが走る。血が飛び散るのが視界の端に映る。
しかし、それ以上に悪寒が背筋を這い上がった。……後方へ散った血が方向を変え、ヤツへと吸い寄せられるだと？
――いや違う！ 血は、あのリングに向かってるんだ！
反射的に剣を突き出しながら、吸い寄せられる血を左手で掴み取る。剣先を避けるマルコムに対し、オレは咄嗟に叫んだ。
「そのリング……やっぱここに存在しちゃいけねぇ！」
「ほぉ、簡単には血の魔力を吸わせては貰えぬか」
「そうなのですっ！ 人の血を吸うなんて、あんまりなのです。変態騎士団長！」
アイラが叫ぶ。強がった言葉を発しているが、その声に怯えが混じるのが分かる。
オレは剣を構え直し、アイラの顔を横目で確認する。ロイドの後ろで勇気を振り絞るその姿が、オレを奮い立たせる。
「このリングをそんな邪険にするものではないぞ。吸われた魔力に含まれる精神力を、そのまま精神体として本体が育んでくれるのだ。むしろ感謝すべきではないのかね」
「なに、訳わからねーこと言ってやがんだ？ 兎に角オメーもリングも纏めてぶっ潰してやる！」
「ははは、もう完全に言葉使いも取り繕えず、地が完全に出ているな。防戦一方で強さも示せず、血が頭に昇ったか。下賤な貴様にはお似合いだな」
また、鬱陶しいステップからの連撃を仕掛けてきた。少しヤツの刺突を見慣れたため、避けるのにも余裕が出てきたが、こちらの攻撃力は届かない。
……全く当たる気がしねー。セシリアの火炎弾なら間合いなど関係ねーんだろうが。
それにしても、いやらしい戦い方をしやがる。それが強さなのだが。
タン、タン、タンとヤツのステップの音が部屋に響く。剣先に纏う冷気の音も、鋭く高く聞こえる。
深呼吸すると吐息が剣に触れ、水蒸気がキラキラとした氷粒へ変わり、白い霧となって揺れるたび、ふわりと床から浮かぶ本棚の影が歪んでいく。
魔力を更に剣へ流し込み、冷気の層を剣に閉じ込めるよう集中する。その瞬間、足元で霜が「パリッ」と小さく音を立てた。それが、不気味な静けさを破る合図にでもなったかのように。
オレは、自分の魔力属性の可能性と、セシリアの体に眠る魔力を信じる！
「どうした？ 避けるばかりで、体力切れでも狙っているのか？ つまらんヤツだ」
「はっ、そういうあなたこそ、楽に躱されるようになって、少し焦ってきてるんじゃない？」
時間をかせいでいると、剣に纏わせた冷気がゆっくりと変化を始めた。
青白い輝きを帯びた粒子が、剣先からこぼれ落ちるように漂い、次第に薄青い液体へと形を変えていく。
その液体は剣の周囲を自在にうねり、波打つように動き出す。まるで、こちらの攻撃のタイミングを待ち構えているかのように。
剣から滴り落ちた一滴が床に当たり、「チッ」という鋭い音を立てて蒸発する。白い蒸気が再び剣の周囲へ吸い込まれ、さらに液体が増していく――。
「今度は水魔法か？ 貴様の得意魔法は炎だと思っていたが、器用なものだ。だが、その様な見せ物がなんだと言うのだ、笑わせてくれる」
マルコムは、刺突のリズムを突然変えた。さっきまで規則的だったステップを、一瞬だけ大きく崩す。
その瞬間、オレの体が「来る」と察した。レイピアの先端が目の前で消え、次に見えたのは、すでに腹を狙って鋭く突き込まれる寸前の刃だった。
「くっ……！」
咄嗟に剣を引き、冷気を纏わせた刃でレイピアの軌道を逸らそうとしたが――硬い。
ガガンッ！ レイピアと剣が擦れ合い、氷の粒が弾け散り、後方へ飛ばされた僅かな液体が瞬時に蒸発する。マルコムの力強さが、剣越しに直接伝わってきた。
「さすが……だな、王国騎士団長さんよ！」
そう言いながら、オレはわずかに後退し、次のタイミングを図る。セシリアの魔力量はまだ充分に残っている。
剣の液体が増えるにつれ、ドア下の僅かな隙間から空気が入り込み、ゴーっと音を立てている。この部屋の気圧が下がっているのだ。一度は液体を削られたが、これだけの液体があれば十分だろう。
「わたしって、放出させる魔法は苦手なんですけど、纏わせる魔法の攻撃を得意としているのよ、知っていました？」
敢えてセシリア言葉で話しかけ、構えた剣に纏う液体を自在にウニウニと動かせて見せる。気体のままだと境界線のイメージがしにくく扱い難かったのだが、液体になることで魔力を通し、操ることが可能になった。
「ほぉ、炎弾を撒き散らす姿しか見てなかったのだが、戦法を隠していたというのか。面白いではないか」
「アイラ殿、念の為に耳を塞いで、口を閉じていましょう」
何かを察知したロイドがアイラに小声で話しかける。ありがたい。
「…………。なるほど、水を刃と化し、変幻自在に斬りつけるつもりか、面白い。良かろう、セシリア。相手をしてやる」
「一撃で決めてやる」オレは自分に言い聞かせるように呟いた。
マルコムは目を細め、レイピアから風魔法でこちらに風圧をかけてくる。
「柔らかくしなる水の剣ならば、風で押し戻してやれば、恐れる必要はない、力の勝負だ！」
マルコムが刺突を繰り出す。オレは後ろに跳んで横一文字に剣を振る。剣から伸びた液体は強く真っ直ぐに伸び、本棚や壁に傷を入れつつマルコムの胴を目掛けゆっくりと斬りつける。
「――っ！ 剣身を伸ばすだけだと！ 何を考えているっ！」
マルコムはレイピアで余裕を持ってガードする。剣から伸びた液体は折れ、マルコムに大量に降りかかった！
「熱っ！！」 叫ぶマルコム。瞬間、隙が出来た。オレは腰に構えた剣をそのままに、一歩踏み込む。
「いっけぇぇーーぇえっ！」 足を床に思いっきり踏みつけ、剣を一気にヤツに目掛け突きつけた。
剣の先に残った液体が細く鋭く伸びる。そして、マルコムの肩を貫通した。
バジュッ！ 肩から飛び散る鮮血、急速に冷やされ凍結した紅い石と化し、後方の壁に当たりコンコツンコツンと音をたてる。オレは魔力を手元に込め、
「これで、終わり、だぁぁーーぁぁあっ！！」
最後の魔力を込め、剣先の液体を通じて放出する。――ヴォン！ 爆発的な冷気がマルコムを襲い、鮮血だけでなく、凍りついた肩口の一部が吹き飛んだ！
あちらこちらで欠片が音を立て、最後に重い金属音が部屋に響いく。マルコムのレイピアは彼の手を離れ、足元に落ちていた。
マルコムは体勢を崩し、膝をつくと同時に、頬を伝った汗が凍りつき、乱れた呼吸が室内の冷気に溶けて消えた。
それでも、彼の目は悔しさを滲ませたまま、オレを睨んでいる。
その視線に応えるように、オレは剣先をゆっくりと下げ、深い息を吐いた。
「お前に敗北の冷たさを教えてやる――」
静かに呟いたその言葉が、冷え切った部屋に微かに響き、溶けて消えていく。
マルコムの意識は、そこで完全に刈り取られた。
魔力供給を断たれた液体空気は、一瞬で蒸発しながら周囲の熱を奪い、白い霧を部屋中に広げていく。
割れた机や散らばった本は霜に覆われ、室内は異様な静寂に包まれた。
オレが剣を引き、部屋を見渡すと、戦闘の名残が随所に見える。だが、目の前のロイドだけが何も変わらず、涼しい顔をして立っていた。
彼はは一歩前に出ると、冷気が漂う室内を一瞥し、わずかに目を細めた。その瞳には驚きだけではない、何か複雑な感情が宿っている。
「文献では記されていた冷却魔法ですが、まさかこの目で拝見できるとは……。それも、このような使い方で……興味深いですな」
ロイドは一礼し、冷静にオレを見つめる。その視線はまるで何か品定めをしているかのようだ。
そこには、騎士団長の側仕えとしての忠誠心とも、ただの感嘆とも違う、どこか不思議な意図が隠されているように。
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★ 後書き
ドライアイス マイナス79℃ 白
液体酸素 マイナス183℃ 薄い青
液体窒素 マイナス196℃ 無色
液体空気 マイナス190℃ 液体酸素より青みが薄くなります。やっぱ酸素と窒素が混合しているから、でしょうか。
