01 装着
23時過ぎに安アパートに戻ると、ドアの前に何か置かれていた。一抱えほどの段ボール箱だ。置き配かよ。不用心だな。見たことのない配送票が貼られている。宛先を確認する。確かに俺宛てだ。
なんだっけな? もういつ何を注文したのかも忘れてしまった。
家の中に入ってばりばりとガムテープを剥がす。箱の中にまた黒くて艶消しされた高級仕様の箱が入っている。マトリョーシカかよ。資源は大切に。
その箱も開く。緩衝材を掻き分けると、中から黒いヘッドセットが出てきた。
なんだっけ。ほんとに。全く覚えがない。
というのも、自分が最近忙しくて食う寝る仕事以外のことをしていないからだ。法人向けのシステムの開発兼営業。まあ、まだまだベンチャー企業なので仕方がないんだが、とにかく人手が足りなくてやることが多すぎる。今日はまだ早く帰ってきた方だ。
ヘッドセットの下に薄っぺらい説明書が入っていた。「あなたは『エデン ~エッジオブザワールド』の先行ベータ版プレイヤーに選ばれました。このヘッドセットを安全な場所で装着し、『ログイン』と発語してください」
「ああ……」
夏頃にそういえば応募してみた気がする。そのころは少し時間があったもんで……。結構シビアな確率だったはずだ。まさか当たるとはな。
時計を確認してみる。もう日付が変わりそうになっている。明日も7時には家を出なければならない。
「………」
とは言うものの、こんなのに応募する程度にはネトゲが好きなんだ。元々はゲームプログラマになりたかったくらいなんだから。少しだけ。キャラメイクくらいして、あとは休みの日にでもやろう。土曜日なら少しは時間が取れるはずだ。頭から被ってみる。驚くほどぴたっとくる。
「ログイン」
ボウ、とベッドギアが赤く光るのがわかった。宇宙服みたいにガラスの球形のカバーが降りてきて、そこに違う世界が映し出される。ゴーグルじゃないから、本当に360度ゲーム世界を見渡すことができる。凄い。
ようこそ エデン エッジオブザワールドへ
明け方のような、色んな色の入り混じった美しい空と荒涼とした大地。砂埃の匂いさえ感じられそうだ。
キャラクターセレクト 職業を選んでください
ざっと職業をザッピングする。剣士、魔法使い、弓士、忍者。ふーん……選択肢が少ないな。ここから派生していくタイプのゲームなのかも知れない。
そのうちアサシンやシーフに変化しそうな「忍者」をセレクト。こういうトリッキーな職業が好きなんだ。できれば弱職扱いされてて、使えねーって言われてレア職化するようなやつがいい。そういうのをやり込むのが好き。
どうやって決定にするんだ? そういえばコントローラーはなかった。これにしたいんだけど。顔のところが真っ黒な忍者のアイコンを見つめる。これも音声入力か?
「決定」
フォン、と音がして忍者のアイコンから一人の男が目の前に現れた。まさに古き良き忍者の姿。後ろの高い位置にひとつに結い上げられた黒髪、紺色の着物、鎖帷子。右側にステータス。いいんじゃないかな、これで。
「決定」
言った瞬間、ぐんと忍者の顔が寄ってきた。驚く間もなく、目の前でその顔が止まった。ふと強烈な既視感。
忍者はすっと身を翻し、俺の体に重なった。
「うお……」
自分の服装が忍者のそれになっている。凄い。手甲。脚絆。着物は少し麻が混じっているのか、硬めの布地。頭の後ろに今まで感じたことのない不思議な重さを感じる。ちょっと手をやると、髪の毛に触れた。これは、凄い。どうなってるんだ?
試しにちょっと走ってみる。足の裏に地面を感じる。わらじだ。小石を踏む感触。頬をなでる風。
いいな。ゲームがここまで来たかって感じ。今日はこの辺にしとこう。一回ログアウトして、ゲームの説明と関連スレを読んで土曜日から本格的に始めよう。何しろ全然このゲームについて知らないまま始めてしまった。
「ログアウト」
何も起こらない。これは音声入力じゃないのか? 他に入力方法を知らない。
あたりを見回す。ログアウトポイントみたいなのがあるのかな? セーブポイントがあるRPGみたいに。でも何もない。荒野が広がっているだけだ。
「ヘルプ!」
ヘルプウィンドウでも開かないかと思ったがそれもない。まずい。早くログアウトして寝ないといけないのに。
ベッドセットを付けてるんだから、とにかく脱げば出られるはずだ。頭のあたりを触る。何もない。髪の毛だけだ。
なんだこれ? どうするんだ?
「おーい! ログアウトだよ」
声が地平線に吸い込まれて行く。
途方に暮れると言うのはこういうことだった。