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シュヴァリエ・デオン伝 デオンの心変わり
1792年6月11日にデオンの嘆願書が、立法議会で読み上げられた。
熱烈な拍手で迎えられ、軍隊組織委員会に提案されたが、そのままであった。
デオンは小貴族とはいえ、貴族の出である。
フランスを離れたままで、デオンの名前は亡命貴族のリストに入った。
革命政府がデオンにしたのは、トンネールの財産を没収することであった。
1793年1月21日にルイ16世の処刑が行われた。
ロンドンのデオンは新聞記事で蒼白した。
体が震え、共和制に憎しみを覚えた。
やがてデオンは革命家たちを非難した。
「私には国王の専制政治のほうが、暴虐で血なまぐさい、あの自由よりは好ましく思われる。我々は自由だと、そう私は信じはじめているが、それは日々、ギロチンという都合のいい刃物が、あらゆる市民の命を遠慮なく奪うようになってからのことだ」
デオンはロペスピエールも非難を強めた。
「彼の唯一の美徳は、最新の自由という祭壇の上で、自分の両親、友人、敵、さらには人類を切り殺すことにある!」
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