シュヴァリエ・デオン伝 フランス革命のデオン
1789年7月14日、絶対権力の象徴とされたバスティーユが襲撃された。
ロンドンのデオンは朗報に歓喜し、この市民の決起行動を讃え、拍手を送った。
1790年7月14日にはパリで全国連合祭が行われた。ロンドンでもデオンはフランス人グループを集め、輝かしい革命記念日も祝い、公民の誓いを宣誓した。
デオンは同胞に向かって演説草稿を読み上げた。
「兄弟たちよ、友たちよ、仲間たちよ、同胞たちよ、自由はフランス人たちよ、同一家族の一員たるすべての人々よ、兵士たちよ、生まれ変わった祖国の防衛に献身する同志たちよ、我々は異国にあってもフランス人として、我らの生命と共にしか消え去ることのない熱情の新たな証を、あの懐かしい祖国に示すことに専念これつとめねばならない。軍隊なる神の面前で我には歓喜して、我々はあくまでも国家と国の掟とフランス人の国王に忠実であることを、名誉と祭壇にかけて誓おう。国民議会によって布告され、陛下からも承認された憲法を、我らが全力をあげて守ることを誓いたい。この聖なる協定を裏切る違反者は滅び去れ、それを守りぬく遵奉者は永遠に栄えあれ!」
デオンはバスティーユ解体作業に携わったパロウを介して石のかけらを入手した。
革命記念日に、友人の英国フリーメイソンの立役者スタンホープ卿に手紙を添えて贈った。
私はつい先ごろ、勇敢なるパリっ子たちからマスケット銃の砲火を浴びたあのバスティーユの、主要門の1つにかかるアーチの一部と思われる大きな石のかけらを手に入れました。卿よ、あなたに敬意を表すべく、7月14日まで待たねばならないと思いました。その日その時の本日、あなたはわれらの輝かしい革命記念日を祝福する、名誉ある結社を取り仕切られるのですから。
われらの輝かしい革命により、2400万人の人間が、侵すことのできない市民の権利を基本的に所有しうるようになったのです! 人間は自然に戻されます。市民は祖国に、君主はその臣下に、臣下は彼らの父親にそれぞれ戻されます。そして、1つの偉大な民衆全体が、美徳と法と平等に戻されるのです。
1792年4月20日、フランスでは前年秋の国民議会に代わって生まれた立法議会が、オーストリアに宣誓を布告した。
革命戦争の始まりだ。オーストリアにプロイセンが加担する。
この時期にデオンは祖国の革命指導者たちに執拗に手紙を送り、フランスへの帰還を要請した。
5月10日には立法議会に陳情書を送った。
この15年来、私は常に女性の衣服を身にまとい続けて参りましたものの、終始頭にあったのは、かつての軍隊時代のことでした。
革命勃発後、私は心に祖国愛が目覚め、自分の軍人気質が婦人用室内帽やスカートに反発するのを強く感じているのです。
私の心はフランスの敵どもとの戦いに赴くべく、声を大にして、兜、サーベル、馬、それに、私の職務と戦傷に対して当然支払われる身分を要求しているのです。
フランス国民と世界の1級人民の大多数を代表する尊厳極まりない立法議会の、尊敬すべきメンバーの方々に、私が女性の衣服を脱ぐことを許可されるよう、切に懇願いたします。
軍隊で私が立派な仕事をなしうるたびに、デオン=トンネール地区の志願者集団を召集して1軍団を起こすことを、どうかお許しいただきたい。
私はその軍団を、少なくても半分は熟練した兵士で、残りの半分は、やがて実戦で鍛えられることになる屈強にして、やる気充分な若者を持って作り上げるべく努力いたしましょう。
私は自然、運命、戦争、平和、そして男たちと女たち、宮廷の悪意と陰謀、そうしたもろもろの玩弄物でした。
私は少女から少年になったり、男から女になったり、次々に立場が変わりました。
私は人間としての生涯の、ありとあらゆる奇妙な浮沈を経験いたしました。やがて、私はそう希望しているのですが、手に武器を持ち、自由と勝利の翼に乗って飛び廻るのでしよう。
国家と国法と国王のために命を棄てるために!