パラレルステーションパニック
「…あ! 点いたぞカメラ! どうやらこれで撮れてるみたいだ」
ぼわっとカメラの映像がフェードインする。カメラには二人の青年と一人の少女が映し出される。
「ね… ねぇ、本当にこの駅に入るの? 立ち入り禁止って書いてあるよ? やめようよ…」
「何言ってるんだよ、彩也香。今更怖気付くのかよ。」
彩也香と呼ばれた少女は怖気付いた表情で、カメラの映像を覗き込む青年に問いかける。
「大体、この廃駅に行ってみたいって言い出したのはおまえだろ? 」
「そ、そうだけど…」
「おい…」
口を挟んだのはもう一人の青年。彼はカメラから数歩遠ざかった位置で言い合う二人を呆れた表情で見ている。
「隼人、お前も大声ではしゃぎ過ぎだ。肝試しなんて縁起でもないこと、本当はやるもんじゃないんだぞ?」
「なんだよ啓太…さては、お前も彩也香と一緒で怖いんだな? お?」
隼人と呼ばれた青年はカメラを構え、啓太と呼ばれた青年に向けその表情を大げさにズームアップする。
「ば、バカ言うなよ。おい、さっさと行くぞ」
「へいへい」
隼人はカメラを今から入ろうとする駅の方向へ向ける。その駅は『古川駅』と言い、廃駅となって十数年は経過している。不思議なことに、現役当時の駅の様子を詳しく知る者は殆どおらず、廃駅となった理由も詳しくは伝えられていない。そのためか、謎多き古川駅は地元住人にとっては怪談スポットとしてうってつけの場所となり、隼人たちのような肝試し目的の若者が後を絶たないのである。
「そいじゃ、さっそく駅の中に入りますか。えっとあそこの階段口から改札前まで行けるんだよな」
「あ… ま、待ってよ! 隼人君!」
「おい、二人ともそんな急ぐな! 危ないだろ! …全く」
カメラは歩く音に合わせ徐々に階段口に近寄る。古川駅はさほど大規模な駅ではないものの無人駅のような簡素なものではない。階段を昇った二階に改札があり、そこからまた二ヶ所の階段で上り線と下り線のホームに降りて行く構造となっている。
階段口を前に一旦隼人は立ち止まる。カメラは赤錆に浸食されている階段を映し出す。ふと階段の先に目をやると明かりもなく、ただ深い闇が覆っている。
「あれ…あーもう、このカメラ古すぎてライトも何もないじゃん。啓太、スマホのライト点けてくれ」
「俺かよ…。まぁ、良いけど。そんな充電長持ちしないからな、長居はしないぞ」
ライトの光がカメラの後ろから照らされる。階段はしばらく先まで続いており、所々苔のような植物が生えているような個所もある。一見腐食はそこまで進んでおらず、見える全ての階段は体重をかけて昇れるように思える。
「おい隼人、慎重に昇れよ。一見大丈夫そうでも、足乗せて体重かけたら崩れるかもしれないからな」
「りょーかい」
一段、一段とゆっくりと階段を昇る音が響く。時折カメラは後ろを振り向き、後続の二人が無事に付いてきている事を確認する。緊張からかしばらくの間会話は起こらず、三人は無言のまま階段を昇り続ける。しばらく昇りつづけると、ようやく階段の終わりが見え始めた。
「ようやくだな、多分もうすぐ改札口の前だ」
その瞬間、カランカランという音と共に女性の短い悲鳴が聞こえる。カメラはギョッとしたような動きで後ろを振り返る。
「ど、どうした彩也香!」
「…ご、ごめん! スマホが後ろポケットから落ちちゃったみたいなの…」
「音からして、結構転がっていったみたいだな…。俺がライト点けてるし、下に降りて見てみる」
「わ、私も… 隼人君は?」
「あー、わりぃ。もうそこまで階段の終わりが見えてるから、俺昇り切ったところで待ってるわ」
ライトの明かりが消え、階段を下る音が後方から聞こえる。カメラの映像は一瞬真っ暗になったが、すぐにまたライトの光が灯される。恐らく、カメラを持つ隼人本人のものと思われる。
「げっ、もう40%じゃん。俺のスマホもそろそろ変え時だなぁ」
隼人は再び階段を昇り始め、最後の段を昇り終えた。目の前には改札前の広場が写される。カメラの映像向かって左側に改札口が見え、右側には簡素なベンチが置かれている。
不思議な事に、錆だらけであった階段に対しこの空間は妙に清潔に保たれているように思われる。隼人はその矛盾に気づかないのか、どかっとカメラをベンチに置き、自身もその隣に座る。しばらく場は静寂に包まれた。
「…しっかし、あいつら遅いな。まさか…俺を置いて帰ったなんて、そんな事ないよな…?」
すると次の瞬間、走るような足音が聞こえ始めた。しかし、それは異常なものであった。何故ならその足音は、改札口の奥から聞こえてくるものだったからだ。
「な、なんだ!? 誰なんだ!」
隼人は半ば怯えたような声で問いかけると、その返事はさらに異常なものであった。
「はぁ、はぁ、は、隼人!? 隼人、生きてたのか!」
「…け、啓太…?」
カメラの奥からは、先ほど階段で別れたはずの啓太が姿を現した。衣服は明らかにボロボロで、額からは血が滲み出ている。
「お前、な、なんでそんなところから来たんだよ!? さっき階段に居たろ?」
「はぁ? お前こそ、何わけわからん事言ってるんだ。おい、早くここから逃げるぞ!」
「逃げる? 何バカな事言ってんだよ! ていうか何でおまえそんなボロボロなんだ?」
「ああ、時間がない! 奴が来る! いいから来い!」
啓太は強引に隼人の手を持ち引っ張ろうとする。隼人は慌ててカメラを拾うと、そのまま啓太に引っ張られるように再び階段を降り始める。走っているためか、カメラの映像は大きく揺れる。
「な、なぁ! 奴ってなんだよ! ていうか、彩也香はどうしたんだよ!?」
「彩也香は奴から逃げる途中で見失ったんだ! 俺は逃げるので精一杯だったんだよ! ていうかお前こそ、今までどこに居たんだよ! てっきり俺は奴に喰われたかと…」
二人が激しく口論を交わしていると、それに気を取られてしまったのか啓太は階段から足を踏み外してしまう。
「うわぁぁぁ!」
激しく転がる音と共に啓太はカメラの映像からフェードアウトする。
「おい! 啓太ぁ!」
隼人は息を切らしながら、大急ぎで階段を下りだす。カメラは激しく揺れる。
「おい、啓太! 大丈夫か!? 頼むから返事してくれ、啓太ぁ!」
階段を降り切ると、そこに啓太の姿は見当たらない。それどころか、辺りを見渡すと出口であったはずのそこには連絡用通路が真っ直ぐに伸びていた。
「…は? な、なんだよこれ、ウソだろ! こんなところに通路は無かったじゃねぇか!」
隼人は大きな声で怒鳴るが、辺りはそれを反響させるだけであった。仕方なく、慎重に一歩ずつ隼人は歩き始める。
「くそ、俺は夢でも見てるのか? それともおかしくなっちまったのか…?」
その時、コツ…コツ…と静かな足音が薄暗い通路の奥の方から聞こえてくる。
「お、おい! 啓太なのか!?」
奥から人影が近づき次第にその輪郭がカメラからもハッキリする。それは啓太だった。しかし、カメラに映る啓太には先ほどの額の傷も服の汚れもなく、至って普通のように見える。
「お、隼人。どうしたんだよ、そんな息切らして。まさか、お化けにでも出くわしたのか?」
からかうような口調で言う啓太。隼人は動揺しているのか返事はなく、しばらく沈黙が流れる。
「な、なんだよ、そんな顔して。ま、まさか本当に居たのか…?」
「…な、なぁ啓太。お前、さっき階段からここまで落ちたよな…? な、なんで無傷なんだよ。さっきまでの怪我はどうしたんだよ!」
隼人は震えた声で畳み掛けるように尋ねると、啓太は怪訝な表情を浮かべている。
「お、お前の方こそ何言ってるんだよ。俺はさっきこの駅に着いたばっかだぞ? 今日は肝試しで、お前が先に下調べに行くって話だったじゃないか」
カメラの映像のぶれが再び激しくなる。隼人は大きく動揺していると思われる。
「な、なぁ隼人。お前、なんか変だぞ? 本当に大丈夫か?」
啓太が歩み寄り、隼人の肩に手をかけようとする。しかし、隼人はハッとしたようにその手を振り払う。
「ち、違う! おかしいのはお前の方だ! お、お前は啓太じゃない! 俺のそばに近寄るな!!」
隼人はそう叫ぶと、踵を返し、先ほど来たばかりの階段をまた駆け昇り出す。
「おい、待てよ! 隼人ぉ! どうしちまったんだよ!」
後ろから啓太の引き止めようとする声が聞こえる。しかし、隼人は一目散に階段を昇る。息を切らす音と、駆け昇る音がしばらくの間続く。
「くそ! くそ! 悪い夢なら覚めてくれよ! 頼むよ!!」
息切れが激しくなったところで、隼人はようやく階段を昇りきる。しかしそこには改札前の広場はなく、訪れたことのない駅のホームが姿を現した。
「くそが! なんなんだよ! 今度はどこなんだ!」
カメラは忙しなく探るように辺りに向けられる。そこは、一般的な地上の駅のホームの様相であり、天井に吊るされている標識には『古川駅』と擦れた文字で書かれている。
「う… うううぅ…」
その時、どこからともなく女性のうめき声のようなものが聞こえる。その声は隼人に聞き覚えのあるものだった。
「さ、彩也香!? 彩也香なのか!」
隼人は急いで声のする方向へ向かい出す。明かりのない廃れたホームでは中々声の主を探し出すことができない。
しばらく歩くと、ぼんやりとホームのベンチが映りだし、その裏側に誰かが座り込んでいるような影が見える。
「…! 彩也香!!」
隼人が近づくとその輪郭はハッキリとしだす。ベンチの裏側に座り込んでいたのは、彩也香であった。全身の衣服が血で染まっており、髪は乱れ、表情は涙でぐしゃぐしゃになっている。
「……は、隼人君…?」
「彩也香! 大丈夫か! な、何があったんだ!」
彩也香は弱々しく肩を震わせており、隼人はすぐ傍まで駆け寄る。
「あ、あのね。啓太君が…啓太君が死んじゃったの。アイツが…、突然アイツが来てね、啓太君を…」
「さ、彩也香、急いで逃げよう! 何か起こる前に、早く!」
隼人は彩也香の手を取り立たせようとするが、彩也香はその手を拒む。
「…あのね、隼人君。わ、私分かるんだぁ…。もう、私たちは助からない、ここで死ぬのよ…」
「な、何言ってるんだ! いいから行くぞ!」
「だからね……。 二人で、死の?」
次の瞬間、彩也香は視界から隠れていた左手にナイフを握りしめ、隼人の腕を切りつける。
「い、いってぇぇぇぇ!? な、何すんだよ彩也香ぁ!」
隼人は思わず後ずさりをする。彩也香はゆらりと立ち上がり、狂気の笑みを浮かべながらナイフを握りしめ、隼人に近づこうとする。
「だって、啓太君はアイツに殺されて、私たちもアイツに殺されちゃうんだよ? ねぇ、一緒に死のうよぉ。 ねぇってばぁ!」
「うわぁぁぁぁ! だ、誰か助けてぇぇぇぇぇ!!」
隼人は無我夢中で走り出す。カメラはもはや強張った片手で強く握りしめられているだけで、映像は足元以外映らない。
「アハハハハハハハハハ! 待ってよぉ! 隼人くぅん!」
隼人は来たばかりの階段を駆け下りる。
隼人は涙ぐみながら息を切らし、ひたすら階段を降りてゆく。
「だ…誰か… 誰かぁ! 助けてくれぇぇ!!」
隼人は声にならないような叫びで訴えるが、返事はない。階段を降り切ると、再び真っ直ぐに伸びる通路が現れる。奇妙なことに、先ほどよりも壁や天井の腐食が進んでおり、地面には水溜りのようなものが張っている。
「た、助けてぇ…」
隼人はよろよろと前に進む。すると、ぼんやりと人影が現れ、徐々に輪郭が明らかになる。
それは啓太であった。啓太は優しい微笑みを浮かべながらじっと立っている。
「…! 啓太ぁ! 頼む、助けてくれぇ! 彩也香に…彩也香に殺される!」
隼人は啓太に近づく。しかし、啓太はその言葉に答えない。無言のまま、ただ笑みを浮かべている。
「け、啓太…?」
グシャ。
突然、啓太の頭部が左右に裂ける。裂けた間から牙を剥き出しにした巨大な口のようなものが蠢きながら現れる。ケタケタとした笑い声が、その巨大な口から発せられる。
「う…うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
隼人は全速力で後ろへ逃げ出す。
振り向かず、死に物狂いでただひたすら階段を駆け上る。
「ああああああああああああああああぁぁぁぁ!」
隼人は叫びながら、声を枯らしながら階段を昇る。ケタケタとした笑い声は段々と遠ざかっていく。
階段を昇り切る。そこは、一番初めに辿り着いた改札前の広場であった。目の前にはベンチも変わらずに存在していた。
カメラが地面に投げ捨てられる。横倒しになった映像には、性根尽きたかのようにベンチに座り項垂れる隼人の姿が映される。
「…うぅぅぅ…。 もう…もう終わりだ…」
隼人は頭を抱え泣き出す。しばらくの間、えずくような泣き声だけが辺りに響く。
「おーい、隼人ぉ。 悪いな、時間かかった」
「ごめんねぇ、隼人君。 スマホ、一番下のところまで落ちてたの。もう大丈夫だから」
階段の方向から聞き慣れた二人の声が近づく。
隼人はぎょっとし、階段の方向を見つめる。その表情は恐怖で明らかに歪んでいた。
「お前らなんか… お前らなんかに殺されてたまるかぁぁぁぁぁ!」
隼人はベンチから勢いよく立ち上がり飛び掛かるように階段へ突撃する。
隼人の姿がカメラから消えた次の瞬間、二人の男女の悲鳴と共に階段から転がり落ちていく音が録音される。カメラは変わらずベンチを映す。
「アハハハハ! やったぞ! 俺は生き残ったぞぉぉぉぉ! アッハハハハハハハハハハ!」
遠くから隼人の大きな笑い声がこだまする。
ふと、カメラが映すベンチの裏から影のような黒い物体が染み出すように現れ、カメラに近づく。金属が軋むような荒々しい音が聞こえ始め段々と大きくなる。やがて、黒い影のようなものがカメラを覆ったと思いきや突然録画が終了される。
「次のニュースです。市内の廃駅である古川駅の昇降口にて二名の若い男女が遺体として発見されました。さらに、彼らに関係すると思われる一人の男性が今も行方不明となっております」
「情報によりますと、三人は昨日の真夜中ごろ古川駅に向かったと思われ、地元の警察は何らかの事件に巻き込まれたと見て捜査を継続しています」
「なお、古川駅に関しては、廃駅となる十数年前に不可解な作業員の死と行方不明事件が相次いでいたことから、警察はその関連性も踏まえ調査を行うとのことです」




