【特別番外編第四弾 Act.8章完結記念SS】山城ホテル爆破事件の真実
<三人称全知視点>
時は普徳三十年七月、尾張国の某市にて――。
その日は夏祭りで某市でもそこそこ大きなその神社には露天が出て多くの来場者が訪れている。
某市の小学校に通う葛葉渡月は幼馴染の美島弓月と美島を通じて友人となった漆原千聖と約束し、その祭りの晩に神社を訪れた。
下校の際には自分達が正しいと信じてやまないタチの悪い性質のクラスメイト二人の妨害に遭ったものの、無事に浴衣姿の美島を迎えにいき、ちょっとしたデート気分になっていた葛葉と美島だが、千聖を迎えに行き、そのまま三人で神社の鳥居の前に着いたタイミングでそのタチの悪いクラスメイト達に見つかってしまった。
聖代橋正義と鮫島嵐牙……自分達を正義の味方や主人公だと勘違いをしているタチの悪い二人だ。
二人とも美島と漆原が葛葉と一緒にいることを嫌っており、彼らにとっての正論(勿論、理論もへったくれもない滅茶苦茶なほとんど難癖みたいなものである。問題は二人ともそれを無自覚でやっているということだが、聖代橋がクラスでも高い人気を誇っているため、正しい筈の葛葉の方がいつも悪者扱いされている)を振り翳す。
結局、振り切れず五人で回ることなった葛葉達。
葛葉はあまり屋台に魅力を感じていなかった。お面、型抜き、射的……どれもお祭りの空気感があるからこそ楽しめるものだ。許可を得ているかどうかも分からないコピー商品、バッタ物、恐ろしく難易度の高いか絶対に取れなくなっている詐欺スレスレの屋台の数々。勿論、中にはそういったものではないものもあるが、圧倒的にそういった屋台の方が多い。
では、何を目的に神社の夜店を回っているのか、美島とのデートを楽しむためである。
葛葉に倣ってか美島と漆原もほとんど買っていない。祭りの空気を僅かに感じるためにたこ焼きを買って拝殿の片隅で三人揃って食べる。
ちなみに、その屋台、何故か飲食スペースを用意して本格的な明石焼きを提供していた。
すぐ近くで胡散臭いいかにも商人という男が似非関西弁で一昔前の子供達にするように紙芝居を読み聞かせて、ソース煎餅やらポン菓子やらを売って大量の小銭を巻き上げていたが、勿論、葛葉達はそんな怪しげな場所には近づかない。
打ち上げ花火を特等席で見ながら夏祭りの空気に浸っていた三人……しかし、その空気感をぶち壊すように両手に袋を持った聖代橋と鮫島が現れた。
聖代橋は「みんなで食べようと思って買って来てあげたんだよ!」と、鮫島は「みんなで食べれば絶対美味いぜ!」とそれぞれ言っていたが、葛葉達には有難迷惑である。しかし、二人とも露骨に嫌がられていることに気づいていないようで、「私達はもう帰るから」と逃げようとする。
しかし、それでも聖代橋達は食い下がり……周りが見えていなかったのだろう、近くにいた男達にぶつかり、焼き鳥やたこ焼き、ソース煎餅その他諸々をぶち撒けてしまったのだ。
酒を飲んで酔っ払った大人達は「どうしてくれるんだぁ?」と大人気なく聖代橋達に詰め寄る。美島達は青褪めながらも必死で謝ったが、聖代橋と鮫島は正論っぽいものを叩き付けるという愚行を冒した。またしても足を引っ張った形である。
酔って判断能力の鈍った大人に倫理観など期待できない。説得など無意味、それに謝るべきなのは聖代橋達だと早々に諦めた葛葉は早々に撤退することを決めて美島と漆原を庇って少しずつ後退する……が、聖代橋が葛葉達に同意を求めてきて葛葉達が逃げ出そうとしていることがバレてしまった。
こうなれば、もう仕方がない。防犯ブザーを鳴らして美島と漆原の手を取って逃げる。
後は自称正義の味方達に責任をとってもらおう。
しかし、ここでも流石は聖代橋クオリティ――聖代橋達も葛葉と同じ方向に逃げてくる。
「莫迦か! 同じ方向に来るな!! 散開しろ! 散れッ!」
「逃げるなんて卑怯だぞ!!」
「一緒に逃げても良いだろっ!! 協力すればどんなピンチだって乗り越えられんだろが!!」
大人と子供では結果は見えている。折角逃げ出せる可能性も莫迦二人に潰された。
ならばどうする? こうなれば徹底抗戦か?
葛葉渡月は鬼斬の家系の生まれだ。鬼を斬る剣の技は幼少期から叩き込まれている。
鬼として斬ることも可能だ。死人に口無し、後でもっともらしい言い訳を並び立てれば問題はない。
冷静に、そして冷酷に生かすべき者とそうで無い者を見極め、逸早く切り捨てるべき者達を見定めた。
――敵は三人、問題なく屠れる。
背後から迫る気配を感じ取りながら素早く振り返り……そして、葛葉は目撃する。
一人目の首が物凄く鋭い何かに切り裂かれて頭が飛び、二人目は横に線が入って三枚おろしにされ、三人目が何か透明な糸のようなもので囚われているのを。
『いつの世でもロクでなしは変わりんせんものでございんすぇ。 女の童を好み、追い回して弄ぶ輩は……全く度し難い』
捕らえた青年の首に齧り付き、予想以上に不味かったのか顔を顰める花魁の装束に身を包む妖艶な女。しかし、下肢は蜘蛛の脚で明らかに人間ではないことが分かる。
『やはり、美味な血肉はその魂の在り方で決まる。……こなたの程度なら、まだハンバーガーの方が美味でありんすぇ。 ……言っていたらハンバーガーを食べたくなってきんした』
と言いながら口直しと言わんばかりに見覚えのあるポン菓子を食べ始める絡新婦。
『……同じジャンクなものでも思ってありんすものとまつたく違うものを食べると変な気になってきんすぇ。 ……何の話でありんしたっけ? ああ、やはり、美味な血肉はその魂の在り方で決まるといわす話でありんしたね? ……そうでございんすよね?』
蠱惑的に嗤う血塗れの鬼。
『妾の領域に断りも無く踏み入ったこと、その命を以って贖いなんし!!』
絡新婦は無数の糸を束ねて窯を作り上げると妖気を纏って地を蹴り上げて加速――勢いよく振り下ろす。
聖代橋は間一髪のところで回避した後、青褪めたまま逃げ出そうとする。
『女子を守るどころか命惜しさに逃げるなぞ、男の風上にも置けありんせんとは、まさにこなたのことでありんすなぁ』
「や、やめろ!! こんな冗談許されないぞ!!」
「お、俺たちは助けを呼ぼうとしただけだぜ!! 逃げた訳じゃねえっ!!」
『ほう、ならば口先だけでないと証明して見せよ。……まあ、こなたの程度で漏らしていんすようでは大して楽しめないでありんしょうけどな』
「ち、違うッ! これは、これは!! そうだ!! そこの卑怯者のように逃げたりはしないっ!! We are the saviors! 僕達は民と平和と正義の為の一撃だ!」
「うぉおおーっ!! 燃え盛るハート! 高鳴っていく正義のビート! マキシマムマッスルソウル!!」
『……さては、そなたら厨二病じゃな』
聖代橋達が莫迦なことをしている間に、葛葉は美島達を本堂に隠す。
「弓月、これで母さんに連絡を取ってくれ!」
スマホと一緒に飲み物を押しつけて美島達が葛葉を止める前に扉を閉める。扉を開かないように抑えてから素早く結界を張った。
結界は陰陽師の方が得意としているが、鬼斬の葛葉でも霊力を使って張れないことはない。
『……ちっ、逃げられたか……お主、妾の食事の邪魔をするのかえ?』
「そこに転がっているものならば好きに喰らえば良い。邪魔はしない。だが、彼女達を喰らうというのなら、僕がここでお前を斬る」
『……妾にその気はないが、しかし、鬼斬には因縁がある。ここで見逃す訳にはいかぬ。それに、百合に挟まる男は死ねばいい! といわすのが、妾のモットーでな! お主を生かしておいたら主義に反するのじゃ』
「……なんだよ、それ」
葛葉に百合どうこうは全く分からないが、とにかく目の前の絡新婦が斬るべき鬼であることが分かっただけで十分だ。
この場は鬼の領域。異界と成り果てた。そのせいか肌寒い。
『約束通り、お主の大切なものには手を出さぬ。しかし、それ以外は知らぬぞ!』
絡新婦は無数の巨大蜘蛛をどこからともなく呼び寄せて葛葉へと差し向ける。
(……下の参道には人で溢れている、餌には事欠かないということか!)
『聞くがいい! 頭に直接響け! 超絶大音響テレパシー!』
更に妖力を使って爆音を葛葉の頭に直接響かせてくる。判断能力が著しく鈍った葛葉に蜘蛛達は川の流れの如く勢いそのままに襲い掛かり、葛葉を押し流しながら参道の方へと突き進んでいく。
『更に喰らうがいい! 二度寝の悪夢!』
テレパシーが止んだと思ったら今度は猛烈な眠気が葛葉に襲い掛かる。
葛葉は舌を噛んで痛みで眠気を堪えると、霊刀に霊気を纏わせた。
「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン ウンタラタ・カンマン・オン・ガルダヤ・ソワカ――日輪赫奕流・火ノ鳥!」
『ほう、日輪赫奕流! 霊力を炎に変化させ、浄化の炎で鬼を焼き尽くす不動明王と迦楼羅を信奉する鬼斬りの一派の技じゃな! 確か、本家の不動家は途絶えて今はその弟子筋の葛葉、朽葉、藍葉の三派が継承していんすと聞いていたが、ほう、お主、さてはそのいずれかの継承者か。――舌を噛んで眠りを堪えるとは! ただの百合に挟まる男だと思っていたが、なかなか見どころがあるじゃありんせんか!』
火の鳥によって放った無数の糸を焼き尽くされた絡新婦が獰猛に笑う。
『こなたのまんま殺すのは惜しい、実に惜しい』
真っ赤なオーラ――闘気を纏わせた鎌で火の鳥を切り裂いた絡新婦は、次の瞬間――カッと目を見開いた。
絡新婦の左腕とその肩口から胸元を一文字に斬り裂かれた。
しかし、傷は浅い。これでは致命傷にはならないだろう。
『金剛闘気じゃ……しかし、まさか妾の身体にここまでの深傷を負わせるとは……室町時代に戦った迦陵和尚以来じゃ……ぐぬぬ、痛い……しかし、捕らえたぞ!』
葛葉は蜘蛛の糸に捕らえられた。
『お主は大切な女を守り通した! 褒めて遣わすぞ! 約束通り、あの小娘らには手を出さん。……我が最大の秘術、その身に受けるが良い! 戻生流転・再誕転性・因果転生・末代負呪! お主が今後どのような人生を歩むのか楽しみじゃな……妾も興味があるからたまに連絡してくるが良い。ほら、妾の電話番号とメルアドじゃ』
呪術によってその身を焼かれ、徐々に意識を失っていく葛葉のポケットにメモ書きを入れると、絡新婦は蜘蛛達に撤収の命令を下してその場を後にする。
意識が薄れていく。唯一の救いは何とか美島達を助けられたことだった。絡新婦の討伐には至らなかったが、もう二度と美島達を狙うことはない筈だ。
唯一の心残りは聖代橋と鮫島だが、こればかりは状況が改善されることを祈るしかない。
意識が薄れていく中、葛葉は美島が幸せに暮らせることを祈った。
◆
そして、時は進み、現在――。
「……久しぶりですわね、蓮華森沙羅さん」
葛葉渡月は絡新婦――天蜘蛛菊夜の呪いによって女体化し、また女性として十二年間生きてきた記憶と男子だった記憶を持って目を覚ました。
蓮華森迦楼奈を名乗った葛葉はその後、鬼斬りとしての修行をやり直し、鬼斬りとして一生を終えた。
あの事件は美島達と聖代橋達の関係にも更なる大きな亀裂を及ぼしたらしい。
真っ先に逃げ出した聖代橋達は必死に弁解をしたが、結局何よりも我が身が可愛いことが露見した訳だ。更に葛葉というストッパーが消えたことで二人はエスカレート。
嫌がる二人を無理矢理手折らんとしてほとんどストーカーと化した聖代橋達――流石にここでクラスメイト達も聖代橋達の本質に気づいたようだが、時すでに遅し。
最早、美島と漆原は自分達のものであると言わんばかりに迫ってくる二人に流石の美島と漆原の両親も抗議したが、聖代橋の親が有力な弁護士もあって揉み消された。
美島の両親から絶縁されて拒否され、それでも聖代橋達は諦めずに下校後や休日に家の周りを彷徨いた。
孤立無援、誰も信用できなくなった美島家と漆原家は夜逃げをして消息不明。
迦楼奈が鬼斬りの修行を終えて弓月の様子を見に行った時には既に行方不明となっていた。
弓月に掛けた護法の術が今尚作用していることを確認し、迦楼奈はどこかで生きているなら、もし再び相見えるなら別の形で相見えることになるだろうとその場を後にした。
世界は巻戻り、歴史は変わった。それを認知している者は迦楼奈と菊夜、そして一部の事情を知らされている者のみ。鬼斬りの関わる裏の世界は危険な場所だ……関わらなくていいのならば、それが一番。だから、わざわざ会いに行く必要などない。
それを菊夜に言ったら、菊夜は不機嫌で不愉快と言わんばかりに、
『ド阿呆がッ! 妾は呪いを跳ね除けて真実の愛を手にするのを期待したというのに!! 精神も性別も女になったのならもうそれは百合じゃ! 全く、何のためにあんな面倒な術を掛けたのか……』
と迦楼奈に罵声を浴びせた。思わず「それって精神的NLじゃないの?」と真顔で聞き返してしまった迦楼奈である。その日以来、菊夜のことを「俄百合厨」と心の中で呼び続けた迦楼奈であった。
さて、この葛葉渡月に掛けられた女体化の呪い。実はタチの悪いことに末代まで続くものである。一度掛けられて転生した女性と結婚して生まれてくる子供は必ず女性となる。そして、葛葉渡月にとっての運命の日――あの神社の夜の記憶を必ず持って生まれてくるのである。
菊夜曰く、『初心を忘れないように少し細工をしたのじゃ。ちなみに、女の子しか生まれてこないのは百合しか許さないからなのじゃが! 何故、毎回男と結婚するのじゃ!』……抗議の声を上げた菊夜だが、蓮華森の娘が真顔で「女と女では結婚しても子孫残せないし、そもそも認められてないでしょ」と答えると『……くっ、やはり早く百合妊娠の方法を見つけなくては』と菊夜は至極真面目な顔で言うのである。
そもそも、無計画で穴だらけにも程があった作戦で女体化してしまった被害者の会代表の蓮華森の娘は母親の迦楼奈と共にチベットスナギツネのような顔になった。
そして、現在。最早腐れ縁となった当代の蓮華森――沙羅は、菊夜に誘われて喫茶店でお茶をしていた。
既に鬼斬と鬼……敵と味方のような関係ではない。時代も移り変わり、菊夜も人を襲うことは無くなった。
……より正確に言えば、あの事件で思った以上に葛葉の斬撃がダメージとして残ったことが菊夜の心を変えた。油断した結果、もしかしたら殺されるかもしれない鬼斬に遭遇したことが菊夜に相当応えたらしく、それ以来ハイリスクローリターンの人食いに見切りをつけ、別の方法を考えるようになったのだ。
命を摂取する方法は人を食うだけではない、他にも方法はいくつかある。それに、命をそのまま摂取しなくとも、普通の食事で命を繋ぐこともできる。
それに、食人よりも料理の方が遥かに美味しい。グルメな菊夜の舌を唸らせることができる美味な人間というのが今のこの世にどれほどいるだろうか? 電脳の蜘蛛の巣の発達と共に生じた匿名性により、人間の陰険性は加速……そうした性格の悪さを反映した不味い肉を食らうより、美味しい料理を食べた方がいいというのが菊夜の考えだ。
「相変わらず忙しそーね。確か、今は本社営業本部総合広報課係長だったかしら?」
「今は本社専務取締役よ」
人間よりも遥かに長い寿命を持つ菊夜は言い換えれば暇を持て余していると言える。
今の時代、ネット上に溢れている創作物に手を出せば時間がいくらあっても足りない世の中だが、ヲタク気質のある菊夜もやはりただ創作物を耽読するだけでは物足りない。
もっと時代を味わいたい。世の中を感じて生きていきたい……かつては巣を構えてそこで人間を貪り食うだけの菊夜からしたらあり得ない願望だが、幾度となく時代の移り変わりに遭遇し、多くの人間と関わったことが呼び水となって人恋しさに目覚めたのかもしれない。
しかし、生きていくためにはお金が掛かってしまう。貨幣という最も強大な力を持つ宗教に支配された世界においてはお金が無ければ何もできないのは人間も妖怪も同じだ。
ヲタク気質の菊夜も毎日の食事や趣味の創作物、グッズ等の購入のためにお金を稼ぎ始めた……が、最初は近くのコンビニのアルバイトで大企業を目指した訳ではない。ただ、稼げればいいといくつものバイトを掛け持ちして生活費に必要な諸々の費用を賄っていた。
しかし、次第に菊夜は金を稼ぐ以外の面白さを見出していく。
即ち、出世である。
実力を示して出世していく……とある漫画を読んだ菊夜はそこに面白さを見出した。
基本的に自分の楽しみを優先してきた菊夜は、創始者一族が幅を利かせていない企業を選び抜き、運良く社長秘書になった。複数のアルバイト先で物覚えが良いと褒められたことも菊夜が社長秘書の求人という狭き門を越えられるのではないかという自信に繋がったのだろう。
実際、菊夜の事務処理能力は極めて高く、他にも様々な才能を持っていた。人食いをする妖怪生活の中では絶対に発現しなかったであろう能力である。
社長秘書から出発して、その後、本部経理部経理課主任、本社営業本部総合広報課係長、と着々と地位を高め、現在は本社専務取締役にまでなった菊夜……会社始まって以来の高速出世となったが、菊夜の野望はまだ始まったばかりだ。ゆくゆくは副社長、社長と出世をしていきたいと思っている。
「それって、会社乗っ取りじゃないのー?」と沙羅には言われたが、これが菊夜のいくつかある人生の楽しみである。……後は二年くらい新刊が発売していないライトノベルとか、年に二度あるヲタクの祭典とか、深夜帯枠アニメとか……そこ人生の楽しみが偏り過ぎているとか言わない! ちなみに、沙羅達蓮華森一族の行く末を見守ることも菊夜の楽しみの一つである。
「それで? 最近、彼女とかできたのかしら?」
「カレシじゃなくてカノジョ? 相変わらず百合好きよねー。……でも、それって子孫残せないしー、その問題を解決してからの話じゃないのー? ちなみに、気になっているオトコノコならいるよー」
「なっ、なんじゃと!? ……ッ! 何故! 何故、毎度毎度男と結婚するのですか! 何のために面倒な術を掛けたと……やはり、百合妊娠の技術開発が必要よね……でも、この研究、全く進まないというか、こんなに生きているけど今までにしている人に会ったことないし、いるなら援助でも何でもするのだけど……」
「まー、カレシいるってのは冗談だけどねー。というかー、それって男を全否定する技術だから絶対に認可されないと思うけどー。男女で不平等なことが減ってきたとはいえ、まだまだそういう理不尽は多い世の中だし。でも、アタシは女性の権利がどうこうっていう最近の風潮も気に入らないんだけどねー。男尊女卑が女尊男卑になったって仕方がないじゃない……男女それぞれで長所と短所があるなら、お互いそこを認め合って協力していけばいいんじゃないの? ってアタシなんかは思うけど」
「まあ、百合信者の菊夜さんには釈迦に説法な話かー」と心の中で続ける沙羅。
未だに偏見の強い会社というコミュニティの中で成り上がっているのだから、逆恨みされるということも結構な数を経験している筈だが、そういった愚痴は一切出てこないことを考えるとしっかりと処世術を使って世の中を渡り歩いているのだろう。
「ところで、珍しいわよね、私を呼び出すなんて。いつも私がお茶に誘って近況報告しているからびっくりしたわ」
「そうそう、肝心な話があったのよー。……アタシが異能を持っていること知っているわよねー?」
「超共感覚よね? 超能力の進化系みたいな能力で、持つ者も限られている……まさか、沙羅さんが持って生まれるとは驚いたわ」
超能力がありふれた力となった現在でも、希少性の高い超共感覚。
沙羅の保有する能力は『天啓』である。しかし、都合の良い能力では断じてない。与えられる情報は断片的で、しかも『天啓』が降ってくるタイミングは制御が付かないため、本当に欲しい情報を得られることはない。更に、その『天啓』も解釈をしなければならないものである。
しかし、この『天啓』はバタフライエフェクトの影響を受けずに必ず何らかの形で実現するというものでもある。世界が分岐するとしても、この『天啓』の事象は『天啓』を受けた時点を通過した世界線全てで必ず実現してしまう。故に、『天啓』が実現しなかった未来というものは存在し得ない。
「その『天啓』が久々に発動したのよー。びっくりしたわ。……天蜘蛛菊夜さん、貴女に関する『天啓』だったのよ」
いかにもギャルという雰囲気から一変、まるで信託を授かった巫女のような気配を纏った沙羅に、菊夜がゴクリと唾を飲み込む。
「……それで、『天啓』の内容は?」
「『近いうちに大きな仕事を受けてはならぬ。さもなくば、汝は大切なモノを失うであろう』……だって」
「うん……大切なものって何かしら? もしかして、何か大きなプロジェクトに失敗して出世の道から外れるどころか解雇されるとか?」
「まるで命よりも出世の方が大切みたいな言い方よねー。まあ、正直アタシにもよく分からないけど……そんなプロジェクトってあるのー?」
「直近だと来週に大手企業二社との経営統合の打ち合わせ……まあ、簡単に言えば吸収合併の打ち合わせがあるわね。……後は仕事じゃないんだけど、ちょっとね……実は、皇導院の四大老の斎嶋霽月と迦陵大蔵に明日、山城国のホテル濱本に呼ばれているのよ。他に天狗最上位の鞍馬玄瑞波旬天狗と、鞍馬緑三郎大僧正天狗、鞍馬二条左右衛門大僧正天狗も来ると聞いているから危険はないと思うのだけど……」
鞍馬山天狗は九尾の狐、八岐大蛇と共に三巨塔を形成する大妖怪の大御所である。
上から順に波旬天狗、大僧正天狗、権大僧正天狗、中僧正天狗、権中僧正天狗、少僧正天狗、権少僧正天狗、大僧都天狗、権大僧都天狗、中僧都天狗、権中僧都天狗、少僧都天狗、権少僧都天狗、大律師天狗、中律師天狗、権律師天狗、大天狗、烏天狗、木葉天狗、天狗と階級が分かれているのが特徴的で、妖怪の中では唯一、鞍馬山という一箇所に留まり、組織を形成している。
「……そんなメンツ集まってどうするのー?」
「瀬島っていう魔女の一派が怪しい動きをしているそうなのよ……皇導院は近々彼らの守るべき者を守るために……まあ、彼らは赫奕とした太陽……要するに神帝さえ居れば国家は存続する、下々の者達は関係のないって輩だからタチが悪いのだけど、でも、この大倭秋津洲に生きている以上は避けて通れない道でしょ? 自分の身は自分で守る、自己防衛のために一応、斎嶋と迦陵に会っておこうと思って……まあ、私だってこれでも長いこと鬼斬達や忍や皇導院直属の暗殺部隊奈落達相手に生き残ってきたからね! 危機管理はバッチリよ!」
「……なんか不安になってきたわ。一応、腐れ縁だしアタシも当日ついて行ってもいいかしら? ……皇導院と迦陵和尚相手に睨みも効かせられるし、ね」
「申し訳ないわね……でも、心強いわ」
◆
さて、運命の日の当日、一抹の不安を覚えながらも、菊夜と沙羅の姿は山城国のホテル濱本のロイヤルスウィートルームにあった。
皇導院の斎嶋が取ったその部屋はラグジュアリーな空間で菊夜と沙羅は二人とも気後れしたが、折角の機会だと堪能することにした。
斎嶋と迦陵、鞍馬天狗達は到着が遅れるということで、その日の午後から会談が行われることになっている。それまでは二人とも一流ホテルのもてなしを楽しもうと……そう思っていたのだが。
突如、爆発音が響き渡り、ホテルの各所で火の気が上がった。最上階から順番に爆破されたのだろう……燃え盛った炎は急速に横へと広がり、炎と煙で次々と客を焼死と窒息死に追い込んでいく。
「――日輪赫奕流・焔喰ノ太刀! 菊夜さん!」
「分かっているわ! ……私、こういう妖気の精密操作は苦手なのよ! まあ、できないことはないのだけど!」
そんな炎の中を走る人影が二つ――菊夜と沙羅だ。
沙羅は霊力で創り出した炎を利用して炎を吸収する「日輪赫奕流」によって炎を切り裂きながら退路を作り、菊夜が苦手な妖気の精密操作で一酸化炭素を含んだ煙を天井の方へと流し、酸素を含んだ空気を菊夜と沙羅の周りに充満させる。
ロイヤルスイートルームがあるのは五十五階……既に爆弾による爆発は終わっているようで、これ以上爆破が行われることは無いだろう。
爆発によってホテルの一部が倒壊しているところはあるものの、幸い、地上へと続く階段のほとんどは崩壊を免れており、順調に降りて行くことができれば脱出は可能だ。
「……地上十五階か……くっ、爆発で階段が潰されているわ」
「炎来ているわよー! 突破していくわ!」
「階段の位置は……反対側だったわね。……最悪の場合は飛び降りるしかないかしら?」
沙羅の力があれば立ち塞がる炎に対処することができる。
煙も菊夜の力であれば対処は可能だ。しかし、悠長に撤退を続けることはできない……いつホテルが爆破の影響で倒壊するかも分からないのだ。
最悪の場合は、絡新婦としての本領を発揮して巨大な蜘蛛の巣を張ってトランポリン代わりに脱出することも検討しているが、これは菊夜にとってもリスクが大きい。妖怪の力がバレてしまうのは人間界に潜む妖怪にとっては
「……ッ! 女の子が倒れているわ! 煙を少し吸ったようだけど……まだ、息がある!」
沙羅が炎の壁を切り裂いた先で沙羅は煤で汚れた少女を発見した。意識はないようだが、まだ息はある。
「近くにエレベーターがあるわね。見たところ学生の子みたいだし、この階に居たならきっと階段を使って逃げている筈……エレベーターを待っていて逃げ遅れたんじゃなくて、この階に居た誰かと交代したのかしら? ……とにかく、生きているなら助けないと!」
菊夜は少女を背負うと、蜘蛛の糸で固定して沙羅の後を追う。
しかし――。
「……これ以上は進めなさそうだわ」
反対側の階段も崩落していた。更にダメ押しとばかりに燃え上がった炎が崩落した階段の周りで壁のように立ち塞がっている。
そして、菊夜の背後も切り裂いた炎が塞がり炎の壁と化している。
ここへ来て、沙羅と菊夜は完全に退路を失った。
「このままここにいれば低酸素と一酸化炭素中毒でやられてしまうわ。……覚悟を決めて壁を破壊して脱出するしかないかしら?」
「そうねー、もうそれしか無さそうね。……覚悟を決めてやるしかないんじゃないかしら?」
菊夜と沙羅が覚悟を決めて糸を束ねた槍と刀を構えたその時、二人の足元に真紅の魔法陣が出現した。
「――ッ! 今度は何よ!」
菊夜が理解不能の状況に思わず叫び声を上げてしまった瞬間――チカッと魔法陣が光り輝き、菊夜と沙羅、そして少女をどこかへと転移させた。
◆
「おやおや、また失敗ですか。……残念、ああ、興味がないのでどうぞご勝手に」
ただでさえ突然のホテルの爆発、そして、恐らく異世界召喚と思われる事象に遭遇したのに、その上その召喚主と思われる男にいきなり「どうぞご勝手に」と放任されてしまうとは……既に理解の許容量を超えている菊夜と沙羅も揃って目が点になってしまった。
場所は怪しげな神殿風の建築の中。……地下に作られているのだが、無数の松明に煌々と照らされており、目が見えないということはない。
神殿は太陽神でも祀っているのか、燃え盛る太陽の意匠が至る所に掘られていた。目の前に立つ男も真紅と橙色の炎を彷彿とさせる法衣を纏っており、その下には軍服のようなものを着ているようだ。
ただの神官ということはないのだろう。
「……貴方は何者で、ここはどこかしら?」
絡新婦としての本領を発揮し、蜘蛛の脚を出現させた菊夜が糸を束ねて槍を作り上げ、沙羅は刀身に炎を纏わせて構える。
「……まあ、一応召喚した側の最低の義務として場所と名前くらいは名乗りましょうか? ただ、武器は下ろしてもらいたいものです……ついうっかり殺してしまいそうになりますから」
灼熱の炎をその手で弄び、男は不敵な笑みを浮かべる。
「私の名は、クラウド・グローディンヴェーグ、『炎獄の裁定者と呼ぶ者もいるよ。昔は『混沌の蛇』に対峙する神『太陽の神』様の神官だったが、その神が殺されてしまってね……だけど、『太陽の神』様の眷属である私は彼の転生先が分かるのだよ。ただ、具体的にどこにいるかまでは分からないからね、何度か召喚を行っているがなかなか上手くいかない。まあ、いずれは『太陽の神』様の転生体をこの世界に召喚するがね。……この世界は名もなき世界、君達の世界から見れば名もなき異世界というところか。まあ、一部の者達はユーニファイドと呼んでいるようだけどね」
「……沙羅、ここは引いた方がいいわ。……クラウド、私達に対して敵対することはないのでしょう?」
「今はメリットがないからね。まあ、敵対するのであれば骨の髄まで焼き尽くして差し上げるよ」
「……それでは、遠慮なく逃げさせてもらうわ」
確かに沙羅の力はクラウドとは相性がよさそうなので戦うという選択肢もあるにはあるが、まだ手札を隠し持っている可能性もある。
一方、クラウドを倒したところで元の世界に帰還する保証はない。リスクが高い割にリターンが皆無となれば、戦う必要性がない。
それに、これ以上クラウドから引き出せる情報はなさそうだ。ここは速やかに撤退した方がいいと考えた菊夜は殺気を迸らせる沙羅を糸で拘束すると、速やかに神殿から脱出する。
「――菊夜さん、何をするのよ!」
「戦うだけ無駄だわ! クラウドが帰還の方法を持っているとは限らないでしょ! ……帰還の方法は必ず見つけるわ。私だって、折角本社専務取締役になったのに、それを水の泡にするつもりはないし……それに、この子を元の世界に帰さないと」
「それもそうね……軽率だったわ」
地下遺跡を出ると、そこは鬱蒼としている森だった。
菊夜と沙羅はその森の一角に見つけた荒屋を拠点としてこの世界の情報を集めることにした。
◆
その日、斎羽朝陽は中学校の卒業旅行で友達と山城国の国を訪れていた。
少しだけ体調の優れなかった朝陽は少し部屋で休んでから出発すると伝え、引率の教師も計画の練り直しをするために一階のロビーで相談。
その間、他のクラスメイト達はホテル一階にある売店でお土産を購入していた。
爆発が起きたのはその最中である。爆発音で目を覚ました朝陽は急いで逃げ出そうとした。その時、朝陽は体調を崩していたこともあってエレベーターを利用した。
エレベーターは九人乗り、中には既に八人――四十代くらいの男女と、三十代くらいの男女四人、六十代くらいの男性が乗っていた。
運良く朝陽は最後の一人としてエレベーターに乗ったが、エレベーターは十五階で停まってしまう。
停まった階に居たのは、妊婦だった。人数は十人……定員オーバーとなってしまいブザーが鳴る。
しかし、我が身可愛さに誰もエレベーターを降りようとしない。
このままでは共倒れになってしまったと考えた朝陽はエレベーターを降り、妊婦にその場を譲った。
エレベーターが閉まり、朝陽は何とか生き延びようと階段を目指し始める……が、頭痛に襲われて身動きを取れなくなってしまう。更に爆発が朝陽の居た階を襲い、階段が崩壊、各所で出火した。
朝陽は頭痛を堪えながら尚も崩壊するホテルからの脱出する気力を失わなかった……が、すぐ間近に火と煙が迫っている。
それから朝陽が意識を失うまでそれほど時間は掛からなかった。
「……お兄ちゃん……ごめん、なさい」
朝陽は最愛の兄の姿を思い浮かべながら……少しずつ意識を失っていった。
「……気づいたようね、大丈夫かしら?」
朝陽が目を覚ますと、そこは病院でもホテルの中でもなく、森の中の荒屋だった。
目の前にはフレアスカートタイプのスーツ姿の女性と、着崩しながらも品性を失わない絶妙なバランスの制服に身を包んだナチュラルプラチナブロンドのギャル系少女の姿がある。
「……ここは、私は……」
「ここは異世界だそうよー。アタシ達も山城国のホテル濱本に泊まっていたけど、謎の爆破に巻き込まれて逃げていたところを運良くアンタを見つけたって訳……まあ、助ける前に謎の魔法陣に巻き込まれてこの世界に連れてこられたんだけどね。アタシは蓮華森沙羅、よろしくねー」
「とにかく無事で何よりだわ。私は天蜘蛛菊夜よ」
「……私のことを助けてくれたということですよね? ありがとうございます」
「……まあ、助けたというか、助けるのに失敗したというか。……私も異世界召喚は経験がないから元の世界に戻れるかどうかも分からないわ。ただ、召喚ができるのに戻れないということは多分ないと思うの。……私は必ず元の世界に戻るわ。まだ私にはあの世界でやらないといけないことがあるもの」
「わ、私だって……お兄ちゃんに会いたい……すみません、お二人に言ってもどうしようもありませんよね。お二人だって被害者ですし……苦しいのは私だけじゃない」
「好きなだけ吐き出せば良いんじゃないかしら? 誰だって突然こんなことに巻き込まれたら毒付きたくなるでしょー? 菊夜さんは本社専務取締役の座を手放したくない、君は……えっと?」
「斎羽朝陽です」
「朝陽ちゃんはお兄さんに会いたいと……だったら一刻も早く元の世界に戻らないといけないわねー」
そのために、まずは互いに情報交換をした三人。
勿論、菊夜は自身が妖怪の一種である絡新婦であることを、沙羅は自身が鬼斬であることを朝陽に打ち明けた。
妖怪や鬼斬が実在したという事実は朝陽を驚かせ、菊夜が実際に絡新婦としての姿を見せた時には怯えてしまった朝陽だが、菊夜を悲しませまいと気丈に振る舞った。
確かに怖い存在かもしれない……しかし、見た目が恐ろしくても菊夜は燃え盛り、崩壊の一途を辿るホテルの中で沙羅と共に朝陽を見捨てなかった優しい女性であることを朝陽は知っている。
本来の姿は異形でも中身は普通の人間と変わらない。
この右も左も分からない世界に放り出されて不安でいっぱいだった朝陽も、もし行動を共にするのが菊夜と沙羅でなければもっと不安で、きっと心が折れてしまっていただろう。
その日は食料を探すのに時間を費やし、本格的に情報収集をし始めたのは翌日だった。
門の所では身分を証明できるものがなく、更にお金もないので苦戦を強いられたものの何とか森を出て見つけた街に入り、日銭を稼ぐために街の冒険者ギルドに登録することもできた。
それから、菊夜、沙羅、朝陽は冒険者として活動をしながら元の世界に戻る方法を探っていた……が、全く方法が見つからないまま三年が経過した。
◆
菊夜、沙羅、朝陽が結成した「冒険者チーム・陽火の翼」はこの三年で拠点としたマグナの街の周辺では知らない人がいないほどの有名チームとなっていた。
糸使いとして天賦の才を持つ菊夜と、炎を操る剣士の沙羅、そして光属性の魔力という希少能力を持つことが判明した朝陽。
女性だけのチームということもあり、当初は冒険者達が侮り、ちょっかいを掛けようとしたり、下心丸出しで勧誘しようとしたり様々あったが、菊夜と沙羅がそんな男達を野放しにしておく筈もなくあっという間に蹂躙してしまった。
そんなある日、沙羅は新人冒険者三人の監督役として近隣の森について行くことになり、朝陽と菊夜の二人だけで行動することになった。
「どうしようかしら? 二人でこなせそうな依頼をこなしてみる?」
近くにいた冒険者達が「だったら俺達と一緒に来て仕事手伝ってくれよ」という視線を向けた……が、朝陽は「たまには二人で冒険してみましょうか?」と答え、著しく他の冒険者達をガッカリさせた。
朝陽にとって、菊夜も沙羅も大切な存在となっている。二人がいなければ、きっと朝陽は今頃死んでいただろう。
菊夜が妖怪の力を、沙羅が鬼斬りの力を駆使して魔物達を討伐してくれなければ街にも到着できなかった筈だ。
しかし、どちらが朝陽にとって大きな存在になっているかといえばそれは菊夜の方である。
沙羅は適切な距離を常に朝陽と取っているような、そんな雰囲気があった。
実際、朝陽の感覚は正しい。
朝陽は菊夜や沙羅とは違う表側世界の人間だ。
もし、仮に元の世界に戻れても行方不明者のままではなく、鬼籍に入れられてしまっている可能性もある。
その問題を解決する必要は勿論あるが、その問題を解決してしまえば朝陽はただの一般人だ。
菊夜や沙羅達が足を踏み入れている裏の世界とは本来距離を置かなければならない存在……そんな彼女と必要以上に繋がりを持ってしまえば別れがきっと辛くなる。それに、折角取り戻せた朝陽の日常を壊してしまうかもしれない。
『……菊夜さん、本当に分かってんの? 朝陽さんは表の人間。今はたまたま巻き込まれて一緒にいるけど、元の世界に戻ればもう二度と会うことは……いや、会ってはならない人間だよ。必要以上に関わってはいけないし、情を持ってはならない……悠久の時を生きてきたアンタなら分かっているでしょ?』
『……分かっているわよ、朝陽さんのことを思うなら絶対に私達は彼女と必要以上に拘っていけないって。……それでも、私は彼女と距離を取れない。沙羅さん、貴女みたいに割り切れないわ。……大切なお兄さんに元気で生きていることを知らせたいのに、それができない……心細いのよ、彼女は。そんな状況なのに、見捨てられる訳がないでしょ!』
『……やっぱり、菊夜さんは優しいわよね、なんだかんだ言って。……葛葉の時だってそう、趣味を優先したと言いつつ、貴女は決して美島さんと漆原さんに手を出さなかった。……許せなかったんでしょう? あの餓鬼共から美島さんと漆原さんを助ける切っ掛けを作るためにわざわざ出てきたんじゃないかしら? 葛葉が美島さんを諦めたことを聞いた時に激昂したのだって、本当は乗り越えて二人で幸せになって欲しかったからなんじゃないの?』
『……そんなんじゃないわよ。私はね、大妖怪の絡新婦よ! 悪い妖怪の私がそんなこと思う筈がないでしょ』
照れ隠しをするように偽悪的に振る舞う菊夜の姿を、沙羅は微笑ましそうに見ていた。
◆
冒険者ギルドを出発して、討伐に向かった菊夜と朝陽。
……束の間の平和な時は、一瞬にして幕を閉じる。
「……光の剣士、斎羽朝陽だな」
白銀髪と黒髪を半分ずつで持ち、銀色に輝く瞳を持つ、踊り子風の露出度の高い衣装に月を模した髪飾りを合わせた少女が突如、菊夜と朝陽の前に立ち塞がる。
手には金の月の意匠が施された黒の長剣が握られている。
その立ち居振る舞いに全くの隙はなく、纏う気配も明らかに強者の者だ。
「これならば、アポピス様もお喜びになられるだろう」
朝陽が困惑する中、菊夜は瞬時に少女を敵と判断――絡新婦の本領を発揮し、蜘蛛脚へと変化させると、無数の意図を一斉に少女へと放つ。
金剛闘気でコーティングされた糸……その硬度には自信があったが、少女が無数の斬撃を放つと全て切り裂かれて無効化されてしまう。
「――ッ! 速い!」
「なかなかの力だ。……しかし、アポピス様が求めているのはお前ではない。私は斎羽朝陽をアポピス様に献上する……邪魔をするのであれば容赦はしない」
「こっちこそ、朝陽さんに手を出すなら容赦はしないわ!」
糸を束ねた槍を構え、菊夜は少女に突撃する。
「喰らうがいいわ! 二度寝の悪夢!」
「無意味だ、アポピス様より下賜された神話級『月下の長剣』はあらゆる状態異常を無意味化する。月光の構え――月光【一斬】」
怪しげな月と光属性魔力を纏った少女が魔力の飛斬撃を放つ。
菊夜は辛うじて糸の槍で受け止めた……が、その一瞬の隙を突いて少女は朝陽の背後へと回っていた。
首に刃を突きつけられ、人質を取られた菊夜も動けない。
しかし、少女の狙いは人質を取ることでは無かったようで――。
「圧倒的な光の魔力を持つ勇者の素質を持つ少女……君が絆を断ち切られ、闇に堕ちた時にどんな活躍をしてくれるのか、楽しみだよ」
少女は『月下の長剣』を構えると朝陽に斬撃を浴びせる。
しかし、斬られた筈の朝陽に外傷はない。
斬られたのは、朝陽と菊夜とを繋ぐ絆、それが断ち切られた瞬間、二人を繋ぐものは無くなり――。
少女は金色の魔法陣を展開して朝陽と共に姿を消した。
「――菊夜さん、どうしたのよ!」
夕刻、無事に依頼を達成した沙羅はまだ宿に菊夜と朝陽が戻っていないことを知り、二人を捜索していた。
そして、見つけた菊夜は……森の中でへたり込んでいる。
「菊夜さん、朝陽さんは!? 朝陽さんはどこにいるの!? 一緒に居たんじゃ……」
「朝陽さんって、誰かしら?」
冗談を言っているようではない、そして冗談を言うような状況でもない。
……明らかに今の菊夜はおかしい。沙羅が目を話している間に一体何が起きたのだろうか。
「私ね……おかしいのよ。心にポッカリと穴が空いているようなのよ。不思議よね、そんな筈ないのに。……私は、貴女と一緒にこの世界に召喚されて、二人で一緒に元の世界に戻るための方法を探して――」
「――違うわ! 忘れちゃったの!? ……まさか、そういうことなの。本当に……忘れてしまったの?」
自分は覚えている、朝陽と菊夜と共にこの世界に召喚され、ずっと協力し合って元の世界に戻ろうとしていたのだ。
しかし、その思い出が、記憶が何故か菊夜の中からごっそり削られてしまっている。
『近いうちに大きな仕事を受けてはならぬ。さもなくば、汝は大切なモノを失うであろう』
そして、沙羅は思い出す。自身が菊夜に告げた『天啓』の内容を。
ずっと、それは地位のことだと思っていた。菊夜も沙羅もそうだと勝手に認識していた。
……しかし、本当は違ったのだ。
社会的地位はまた元の世界に戻れば一からやり直して取り戻せる。しかし、菊夜が失ったものは二度と取り戻すことができないものだ。
「残酷過ぎるわよ、そんなの……朝陽さんが、菊夜さんの大切なモノ……」
瞳からハイライトの消え、かつてないほど憔悴し切った菊夜。
きっと、必死に守ろうとして……そして奪われてしまったのだろう。
ずっと彼女を助けたいと、最愛の兄の元に送り届けようと頑張ってきたのに……そんな彼女に対する仕打ちがこれか。そんなこと、許されていいのか。
「……くっ、こんな時に」
頭痛に襲われ、沙羅は蹲る。グラグラ揺れる頭に声のようなものが響き渡る。
「……百合薗圓と……瀬島……奈留美……二人の、特異点が……対峙する時に、二つの世界は運命の分岐点を……迎える……何、この予言。……グッ……ブライトネス王国の……ローザ=ラピスラズリの元を訪れよ。さすれば、奪われたモノ……取り戻せん……!? ブライトネス王国の、ローザ=ラピスラズリ……その人に会えば、朝陽さんを救えるのね」
圧倒的な絶望の中、唯一の掴んだ希望。菊夜が頼りにならなくなった今、自分がしっかりしなければ朝陽を救うことはできない。
「……待っていて、朝陽さん。必ず、助けるわ。アタシと、菊夜さんの手で」
◆
逆さまになった黒い城――アポピス=ケイオスカーンの保有する『這い寄る混沌の蛇』の本拠地にて。
「お疲れ様でした、セレーネー、お願いしていた例の件は無事に終わったようですね?」
白銀髪と黒髪を半分ずつで持ち、銀色に輝く瞳を持つ、踊り子風の露出度の高い衣装に月を模した髪飾りを合わせた少女――セレーネ・アノーソクレース・フェルドスパーは無言でアポピスの言葉に首肯でもって応えた。
「早速で申し訳ないですが、ペドレリーア大陸に向かってください。この戦争で我々は手札を何枚か失ってしまいました、戦力増強を急務です」
「承知致しました」
セレーネーが姿を消すとアポピスは微笑を浮かべて手を差し伸べる。
「初めまして、ようこそ這い寄る蛇の居城――クレイドル・オブ・ケイオスへ。『冥黎域の十三使徒』斎羽朝陽さん」
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それでは、改めまして。カオスファンタジーシリーズ第二弾を今後ともよろしくお願い致します。
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