Act.7-41 帝国崩壊〜闇夜の下で絡み合う因縁と激戦に次ぐ激戦〜 scene.4 上
<三人称全知視点>
フィーロ=トラモントにとって、貧しさが一番の苦痛だった。
貧しい村の出身だった彼女は貧しさを脱するために、高給な仕事がしたかったという理由で帝国に仕官した。
大倭秋津洲帝国連邦で言えば、安定して社会保障もばっちりな職につきたいという理由で公務員を目指したのと同じような意識だ。
ただ、仕官した国が腐敗したルヴェリオス帝国だった。そして、彼女には帝器使いの適性があった。そのため、フィーロは己の手を血に染めるような生き方をすることになる。
帝国内部に蔓延る男尊女卑の思想に最初こそ嫌悪感を抱いていたが、次第にそういったものだと割り切るようになっていった――彼女の生き方はまさにこういった割り切りの連続だった。
それでも仕事に食らいついたのは、心を削るような仕事を続けてきたのは、単に貧しさに対する恐怖があったからだ。
もう二度とあの貧しい暮らしには戻りたくない。あの苦しみを味わうくらいなら、人殺しでもなんでもする。
彼女が望んだのは「美味しいお酒が飲めて、楽しく生活が送れること」、ただそれだけ。それ以外は何もかも捨ててきた。
上司からのセクハラも、洗っても消えない血の香りも、あのヌメヌメとした気持ち悪い感触も、何もかも甘んじて受け入れてきた。
治安維持組織「ヴァナルガンド」の招集に応じたのも、昇給を受けられる可能性があったからだった。選り好みせず、少しでも状況を改善できる方法があるなら食らいついてきたフィーロに、帝国の宰相からの直々の指名を断る理由などある訳が無かった。
こうして、フィーロは革命軍――その下部機関であるシャドウウォーカーとの対決の日々を送ることになる。
そう覚悟して「ヴァナルガンド」に入ってから数週間――決戦の時は予想外の形で訪れた。
暗殺部隊であるシャドウウォーカーが深夜の行動とは言え、これまでの彼らからは想像もつかない堂々とした攻撃を仕掛けてきた。
シャドウウォーカーと同盟関係を結んだ者達も共に襲撃に参加していたことから、彼らの入れ知恵であることが推測される。
協力者――ブライトネスとフォルトナという山を隔てた隣国の者達――を味方に加えたシャドウウォーカーは、大胆な作戦で帝国を落とせるだけの戦力が揃ったと判断したのだろう。リーダーのピトフューイが対「ヴァナルガンド」のメンバーとして送り込まれていることを不審に思ったフィーロだったが、対グランディネの切り札として切らざるを得なかったと考えると納得がいく部分もある。
そんな中、フィーロが対峙したのは緑色のメイド服を身に纏った大人びた少女のような不思議な魅力を感じさせる緑髪の少女だった。
その見るからに非戦闘的な見た目に最初は揺るぎない勝利を確信していたフィーロだったが、圧倒的な強度と切れ味、耐久性、耐熱性、耐寒性に優れている相棒――「斜陽紅絲」による攻撃が全て無力化された時、フィーロは自分がいかに甘い考えを抱いていたかを実感することになる。
フィーロは少女――欅に対して命乞いをした。
どんなに無様でも、恥ずかしくても構わない。あらゆる辱めを受け、細やかな幸せさえ享受できるのなら、他のいかなるものも捨てることを躊躇わなくなった彼女にとって無様な姿を晒すことなどなんでも無かった。
そんなフィーロに欅は憐憫の視線を向けた。あらゆる尊厳を捨て、ただ一つの幸福を守ることだけのために生きてきた――その人生がどれほど壮絶なものだったのか、苦しいものだったのか、欅には想像することすらできない。
(……ご主人様が救いたいと願う気持ちが痛いほど分かりますわ)
救うというのは傲慢な考え方だ。だがしかし、その考え方がオリエンタリズム的などと言い訳じみたものを並べて何もしないことが正しいと言えるのだろうか?
欅には勿論こういった葛藤はない。ただ敬愛するお姉様の願いを遂行する――それだけがある。
そこに本来、自分の気持ちを挟むことはない。
だが、欅自身の気持ちをあえて言表するとすれば、彼女はフィーロを救いたいと思っていた。まさに、ローザと欅の気持ちはピタリと一致していたのである。
◆
フィーロは戸惑っていた。目の前には芳醇な香りの紅茶が注がれたカップとクッキーが数枚、温かみのある丸机を隔てて対面する欅の前にも同じものがある。
『大変申し訳ございません。殺風景な場所でこのような手抜きなお茶菓子しか出せないことを心苦しく思います。ご気分を害されたのであれば謹んでお謝り致しますので』
「……えっ、ええ……別におもてなしが気に食わないとかそういうことじゃないの。ただ、敵同士だった相手にこうやっておもてなしをされるとは思わなかったから。……殺されると思っていたのよ。だから、その……拍子抜けで」
『シェルロッタ様の誦じた討伐対象の名前を覚えていらっしゃいますか? その中にフィーロ様の名前はありませんでした。最初から貴女は討伐対象ではないのですよ。私はただ、貴女に交渉のテーブルについて頂きたかった。そのためには貴女の戦意を挫かなければなりませんでした……大変申し訳なく思っております』
「いえ、いいのよ。……でも、何故」
『それは、ローザお姉様が貴女様の境遇をよく理解しておられるからです。貧しい家庭で育ち、安定した、貧しさとは無縁な生活を夢見て仕官し、お辛い目に沢山あってきたことを。確かにその手は血塗られている、その事実を無かったことにはできません。ですが、グランディネのような外道と貴女のような人間を果たして同列に並べ立てるべきでしょうか? お姉様は貴女という人間を欲しています。それは暗殺者として腕と人間性を踏まえた上でのものですが、お姉様からは第三の選択肢として危険とは無縁の、最低限保証された上で自由に生きることを望むというのであれば、その協力もする用意があると仰せつかっています。いずれにしても、帝国からの離脱が最低条件となります。帝国を捨て、ブライトネスに来るのなら生活を保証するということです。これまでの帝都での最悪の暮らしに比べたら快適そのものであると思います。……まあ、話を聞いていても全貌は掴めませんでしょうし、混乱しているでしょう。まずはお姉様から預かっておりますこの冊子を読み、その上で身の振り方をお考えください。どのような結論に至ったとしても、私共はその考えを尊重致します』
欅から手渡された二冊の冊子には「ラピスラズリ公爵家戦闘使用人の仕事内容」と「極夜の黒狼所属暗殺者及び警備員派遣会社『ビオラ・セキュリティ職員の仕事内容」と書かれていた。
引きつった顔で「結局後ろ暗い仕事をするのね」と半ば諦めた表情で冊子を読んでいく。
「この国のための毒剣……ってのは遠慮したいわね。私、ブライトネス王国への愛国心なんてないわよ」
『ラピスラズリ公爵家は【ブライトネス王家の裏の剣】と呼ばれていますが、使用人のほとんどは愛国心が強くない者達ですわ。愛国心が強いのはラピスラズリ公爵家と陪臣のハーフィリア騎士爵家ですが、その公爵家も次世代のネスト様の代で大きくその形を変えると思われます。主な仕事は配属先にもよりますが、メイドとして配属された場合はメイドの仕事に従事して頂くことになります』
「なるほど……予想していたよりも血生臭くないお仕事が多いのね。極夜の黒狼の方は警備の仕事がメインなのね。……少し、考える時間をもらえないかしら?」
『えぇ、最終的な決定はブライトネス王国に亡命してからで構いませんわ。ただし、あまり顔を知られていないから問題はないと思いますが、貴女は革命軍にとっては倒さなければならない敵の一人です。フィーロ様にはこの戦いで死んだことにして、ブライトネス王国に亡命して頂くことになります。事実を知るシャドウウォーカーとはお姉様が話をつけることになっていますわ』
「分かったわ。それで、私はこれからどうすればいいの?」
『戦線を離脱して頂くことになりますわ。お姉様からお屋敷を一つお借りしておりますので、帝国のゴタゴタが終わるまではそこで暮らして頂きます。私はお姉様の元に戻らなければなりませんので、暫くは屋敷の設備を使ってお暮らしくださいませ』
「独り身だったから家事はできるわ。ところでお酒はあるかしら?」
『ええ、お姉様から名酒から安酒まで幅広く揃えていると伺っておりますわ。きっとお気に入りのお酒も見つかると思いますわよ』
◆
――ブルーベル=ヒュミラティにとって、梛と名乗ったメイドの少女はこれまでに経験したことがない圧倒的強者だった。
ブルーベルの帝器「洪水」は飲むことにより体を液化させることができる特殊なスライム型危険種の血液だ。
適合するかどうかは実際に口にしてみるまで判別不能で、相性が合わなければ自我のないスライムになってしまうというリスクがあるこの生き血をブルーベルは帝国を内部から変えるための力として求め、グラス一杯程度で十分でありながら全量を一気飲みして強大な力を得た。
その力はブルーベルの狙い通り、帝国中枢で通用するほどのものだった。
未だ帝国を内部から変えるという目的は達せられていないが、文より武が重んじられる帝国でまず発言力を得るために帝国陸軍特務分室に所属し、真面目に任務を遂行して成功させる傍ら、自らを犯そうとした幼女好きの上司を始めとする者達を事故に見せかけて殺害しており、彼女の望んでいるやり方からは程遠いものの腐敗の原因を一つ一つ潰すことには成功している。
彼女の最終目的は力に頼らない文の面――政治による帝国の改革だが、そのためにはより強大な力を得なければならないという矛盾にブルーベルは悩まされてきた。
そんな彼女にとって、革命という武力に頼った改革を推し進めようとする革命軍もまた憎悪の対象となっていた。目的は共通していたが、その過程を許容することができなかったため、革命軍には参加せず、あくまで国を内から変えるために孤軍奮闘を続けてきたのだ。
ブルーベルがそんな風に帝国の改革を望むようになった理由は帝国に蔓延る男尊女卑の風潮と、幼い容姿にある。
この世界で女性が認められるためには、人並み以上の努力をしなければならない。グランディネのような圧倒的恐怖、前人未到の討伐成果、そういったものがあって初めて認められる。
男であれば容易い出世も女性というだけで困難となる、それが帝国の実情だ。
特にブルーベルの生まれ育った故郷は、この男尊女卑が更に色濃い昔ながらの村落共同体だった。気に入らないことがあれば妻に暴力を振るい、欲望のままに犯した。その魔の手は幼かったブルーベルにまで及んだ。
彼女の成長が止まった原因は帝国の医学では不明のままだが、大倭秋津洲の医学に当て嵌めれば愛情遮断症候群であるという診断が下るだろう。
幼い身体と立場の弱い女性である自分――それがブルーベルのコンプレックスであった。
彼女の願いはそんな自分のような人間でも活躍できる、互いの長所と欠点を補い合える真の男女平等社会の構築――それは、先進国として認知されている大倭秋津洲ですら実現していない、究極の理想と呼ぶべきものだった。
その果てしなき道程は未だ道半ば――ここで果てる訳にはいかない。
黒いコートが地面に落ち、溶けて青白いスライム状に変化したブルーベルが無数の槍のようにスライムを伸ばした。
そのスライムの槍全てを木刀で斬り伏せた梛は困り顔を浮かべ――。
『……さて、どう説得しましょうか?』
強情そうな交渉相手を前に、そう小さく呟いた。
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それでは、改めまして。カオスファンタジーシリーズ第二弾を今後ともよろしくお願い致します。
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