Act.6-31 ラピスラズリ王国正妃暗殺事件〜血塗れ公爵葬送曲 scene.1 中
<三人称全知視点>
王宮の地下を中心に張り巡らされた裏の人間達が利用する地下迷宮の中を灰色の怪人は歩いていた。
水滴一つ無い蝙蝠傘を帯刀するように左に留め、ダークスーツに黒コート、灰色の仮面という出で立ちの男は人気のない地下迷宮の後宮に通じる入り口の一つに到着すると「不可視の透明化」と呟きその姿を完全に透明化させた。
背景と同化させるのではなく、対象とした存在を透明化させることで姿を隠す「不可視の透明化」も無属性魔法の一つだ。
彼が得意とする無属性魔法は直接効果を及ぼすものは少ないが、こと暗殺のような搦手とは滅法相性がいい。
後宮の中には王国宮廷近衛騎士団の下部組織でありながら事実上王妃直属で唯一王妃が動かすことができる姫百合騎士団に所属する女性騎士達が見回りをしていた。
離宮、後宮、王女宮の三つの宮は王太后、王妃達、王女達と女性がトップという環境のため、彼女達の警護には近衛の中でも女性騎士を多く配置した菖蒲騎士団、姫百合騎士団、白花騎士団の三つが配置されるという配慮がなされている。
いずれも難関と言われる近衛騎士の中でも更に各騎士団で求められる一定のレベルをクリアした精鋭達だ。王城に危機があった場合、それぞれの宮の王族の警護と避難を優先し、残りのメンバーがサポート戦力に回るという戦法を取るが、決して戦えないお飾りの騎士という訳では断じてない。
近衛騎士達が灰色の怪人に気づいた様子は無かった。二人組、四組の近衛騎士達の警備を隙を突きつつ、灰色の怪人は目的地の正妃の部屋を目指す。
正妃や側妃に割り当てられた部屋の中に近衛騎士が常駐していないことを灰色の怪人は事前に集めた情報で知っていた。正妃や側妃達のプライベートを守るという目的と、それぞれの宮殿の廊下の見廻りをすれば問題ないという効率的かつ甘い考えによるものだ。
実際、普通の暗殺者であればこの巡回で十分だろう……が、姿を消すことができる灰色の怪人の前では全くの無意味だった。ブライトネス王国の裏で一流として知られる情報屋を一流たらしめる技に、所詮ぬるま湯の世界で育った表側の、貴族出身のエリート騎士達では到底太刀打ちすることができなかったのである。
しかし、近衛騎士達にとってはそれが幸運だった。もし、中途半端に灰色の怪人の存在を感知していたとすれば、彼女達はラウムサルト公爵家の衛兵達と同じ末路を辿ることになっていたのだから。そして、それは灰色の怪人にとっても不本意だった。
「遮音」
灰色の怪人は正妃の部屋に内部の音を遮音する無属性魔法を掛けると、部屋の扉を凝縮した魔力で作り出した鍵で開け、中に入った。
部屋の鍵を閉め、密室を作り出す。「不可視の透明化」を解き、灰色の怪人はあえて靴音を立てて天蓋付きベッドの上で眠るシャルロッテに近づいていく。
遠距離から殺すこともできた、が、灰色の怪人は小さな水の球をシャルロッテの顔面で破裂させて目覚めさせた。
「……な、何事!? こ、近衛騎士! 侵入者よ! 早く来なさい!!」
「無駄ですよ。この部屋の音は外には漏れません。叫んだところで無駄ですよ」
「貴方、何が目的なの!? 何をしに来たの!! ここがどこか理解しているの! 私はこの国の正妃よ! その私の部屋に侵入した、立派な重罪よ!! 何が目的か知らないけど、朝になれば貴方は裁かれるわ!」
「どうやら、立場を理解していないようだ。やれやれ、困ったものですね。頭は悪いのに、その癖、悪知恵は回る。短慮で、くだらない嫉妬心で罪もない人間を殺した。傲慢で、なんでも思い通りになると思っている。罪の意識も何も感じず、民から搾り取った血税で贅を尽くした生活を送り、自分の子供を王にして国を牛耳ろうと企んでいる。そのような退廃的な生活が国を傾けていることもご存じないご様子ですね。まあ、そのようなことに興味はありませんが。ええ、私は裁かれるでしょう。正妃の寝室に侵入した罪などという軽いものではなく、正妃暗殺の重罪人として。しかし、私よりも裁かれるべき人間が何故、裁かれないのでしょうか? 何故のうのうと王妃としてこの国に巣食っているのでしょうか?」
灰色の怪人が仮面を外し、床に捨て去った。
仮面に覆われていたのは、幸の薄そうな特徴のない薄い灰色の髪を持つ青年だ。だが、その空色の瞳はシャルロッテの心を強くかき乱した。
シャルロッテが恐れ、殺したメリエーナの目。そして、メリエーナの忘れ形見のプリムラも持つ空色の瞳。
「……そういえば、あの女には弟がいたと聞いたことがあったわ。貴族でも無い、浅ましい商家のことなんて興味はないのだけど。それで? メリエーナの弟が私に何のようかしら?」
「メリエーナの暗殺を依頼した人間がようやく分かりました。犯人は貴女ですね、シャルロッテ」
「だとしたら何かしら? もう随分前の話よ? 今更それを蒸し返すの? 昔のことなんて忘れて未来を生きるべきじゃないかしら? 証拠はあるの? 私が依頼したという確たる証拠が? 例えあったとしても私を裁くことはできないわ。私はこの国の正妃、貴方は所詮一介の商人。この国の頂点に君臨する私を貴方程度の力でどうにかできるとでも思っているのかしら? 私は不敬罪で貴方達程度の小さな商会なんて潰してしまえるのよ? さて、どうしてくれようかしら? プリムラはマルゲッタ家と縁深い、貴方が私の部屋に忍び込んだということは彼女の権威を失墜させることにも繋がるわ。邪魔だったのよ、あの子。メリエーナと一緒で……浅ましい血の癖に、誰よりも陛下の寵愛を受けて。あのメリエーナはこの国を乗っ取ろうとした女狐よ! 私はブライトネス王国のためにあの女を殺させたのよ! うふふ、でも貴方には何もできないわ。愚かね、貴方が過去を蒸し返さなければ、プリムラもしばらくは幸せに暮らせたのにねえ」
「確かに、貴女を正規の方法で裁くことはできないでしょう。しかし、私はそもそも正規の方法で貴女を裁こうとは思っていません。確たる証拠も残っていない過去のことをこの国の法では裁けませんから。仮に裁かれたとしても、貴方の家はブライトネス王国に大きな影響力を持つ。王妃の地位を追われる程度、最悪でも国外追放か……まあ、いずれにしても命は奪われない! 優しい私の姉の命は簡単に奪われてしまったのに、命を奪った貴女は殺されることもなくこのままのうのうと生きていく、そんなことを私が許すとでも思いましたか? 私は何のためにここに来たか、改めてお教えしましょう。貴女を直接、私の手で殺すために来たのですよ。誰かに暗殺を委ねるなんて、そんなことできる筈がない。ちゃんと自分の手でやらなければ気が済まない」
「貴方、本当に正気なの!? 私を殺せば、貴方も破滅よ! いや、貴方だけではないわ! お父様が国に働き掛けて貴方の家族の生活を奪うわ。貴方のせいで、貴方の家族は不幸を背負うことになるのよ!! アハハハハハ!」
「ええ、存じています。だから先に邪魔な貴方の家を、ラウムサルト公爵家の人間を一族郎党皆殺しにしてきました。残念でしたね、貴方の大好きな父親はもうこの世にはいませんよ?」
「お父様はメリエーナの暗殺には関係ないのよ! 貴方は無実の人を殺したのよ!! 何でそんな酷いことができるのよ!!」
「貴女がそれを言いますか? 何故かって、邪魔だからです。私は家族とは関係なく私一人の復讐のためにここに来ました。わたしの家族やブライトネス王国に迷惑をかけてはならない……しかし、貴女が死ねばラウムサルト公爵家はブライトネス王国に責任を問うでしょう。暗殺した人間を徹底的に追求させる筈です。その時に万が一私の家族に迷惑が掛かるような事態になったら? プリムラ様に迷惑が掛かることになったとしたら? そのような事態を避けるために危険な芽を摘んでおいた、ただそれだけです。丁度、貴女が自分の地位を脅かすかもしれない、罪のない姉を疑心暗鬼の払拭のために殺したのと同じように」
「無茶苦茶よ……悪逆非道な人間だわ」
「ええ、無茶苦茶ですよ、自分でも理解しています。私は姉を喪ったあの日から壊れてしまった。私にとってたった一つの生きる意味だったメリエーナ姉さんが殺された日から、この世界に価値なんて無かった。それでも、私が無価値な、最愛の姉を奪ったブライトネス王家に仕えてきたのは、姉さんがこの国を愛していたから、ただそれだけです。ただ、それだけのために私はずっと生きてきた。もう、いい加減姉さんのところに行きたい……姉さんに会いたい……でも、その前に姉さんを殺した奴だけは殺しておかないといけない。貴女がのうのうと生きているのを野放しにしておく訳にはいきませんから。もう終わりにしましょう、私もすぐに死にます、早く姉さんのところに行きたいですから」
「狂っている……狂っているわッ! 助けて、お父様!!」
「姉さんは助けを求めることもできなかったのですよ。身勝手な人間ですね、どこまでも貴女は。いや、側から見れば私もか」
喚くシャルロッテの心臓を抉り取り、握り潰した。シャルロッテは物言わぬ肉塊となり、鮮血でベッドを彩り、その上に頽れた。
あれほど煩かった部屋が夜の静寂に包まれた。外の雨だけが微かに音を発している。
灰色の怪人は手についた血を気にも止めず、「不可視の透明化」を自らに掛けて部屋を出た。
ポタポタと鮮血を垂らしながら、灰色の怪人――カルロスは地下迷宮へと入っていく。その眼には姉を殺させた長年の敵を討ち果たした歓喜の色など欠片もない、ただ生きる意味を喪った屍人のような眼だった。
「……カノープス、やっぱり君か、君が私を殺してくれる死神か」
焦点の合わない眼で、カルロスは自分を殺してくれる死神に声を掛けた。
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