Act.6-30 ラピスラズリ王国正妃暗殺事件〜血塗れ公爵葬送曲 scene.1 上
<三人称全知視点>
――その日は雨が降っていた。
降り続く雨の中、人気のほとんどない貴族街の通りを黒い蝙蝠傘を差した黒コートにダークスーツの人影が歩いていく。
すれ違う人もほとんどいないという意味でも、この雨という天候は男にとっては絶好の機会だった。日傘兼用の傘ではあるが、傘は晴れの日よりも雨の日の方が断然目立たない。
男は大きな屋敷の前で足を止めた。ラウムサルト公爵家の別邸である王都の屋敷には、領地の本邸を執事を兼任する代官に任せているためラウムサルト公爵家の当主を初めとする一族の全員が住んでいることを男は事前に集めた情報から知り得ていた。
「こんな雨の日に何のようだ?」
訝しんだ衛兵の男が声を掛けた瞬間、惨劇の幕が切って落とされた。
高速で突き出された閉じられた蝙蝠傘の石突きが衛兵の肋骨の隙間を的確に射抜いて心臓を貫き、素早く引き戻された。
男が傘をどけてようやく、彼が灰色の笑顔を模したマスクを被っていたことが明らかとなった。
「敵襲だッ!!」
誰かが声を上げた。彼らはその正体が裏の情報網を牛耳る灰色の怪人であることは知らなかった……が、衛兵の男を殺した時点で危険な存在だと判断したのだろう。
剣を帯刀した衛兵達は一斉に抜刀し、剣を持たない者達は炎槍や氷弾や竜巻や地割れなどの魔法を発動し灰色の怪人に向けて放ったが、灰色の怪人は視認すらせず悉く魔法攻撃を躱すと斬りかかってきた衛兵の斬撃を受け止めた。
剣にピキリとヒビが入り、粉々に砕け散った。受け止めるのに使われた傘は武装闘気を纏っていないにも拘らず、傷一つ入った様子もない。
ガードが無くなった衛兵の首を蝙蝠傘が撫でるように通り過ぎた。衛兵の首が胴体と切り離されポタっと地面に落ち、続けて胴体が地面に頽れる。鮮血を浴びた男は何一つ感情を動かさず、仲間を殺された動揺から固まった衛兵の男の心臓を容赦なく抉り取り、握り潰した。
「八刃陰鐵」
魔法の名が短く呟かれた瞬間、八方に透明な刃が伸び、八人の衛兵を同時に刺し殺した。
「ひっ、ひぃ……」
その凄惨な戦場を目撃した若い衛兵が脱兎の勢いで逃げ出した……か、男はその衛兵に追撃を掛けることなく静かに見送ると、逃げた若い衛兵に罵倒を飛ばしながら斬り掛かってくる衛兵の男に視線を動かした。
「空歪小窓」
小さく呟いた瞬間、距離があった衛兵の男の背中から腕が生えた。
「ガバっ」と喀血し、頽れる男の腹から血で真っ赤に染まった腕を引き抜くと、自身の魔法によって生み出した真っ白な小さな小窓のチャンネルを切り替え、背後から斬り掛かってきた男の心臓を遠距離から抉り取った。
灰色の怪人の奥の手の一つは世界的にも珍しい空間魔法だ。だが、生まれつき空間魔法の適性も低かったため、灰色の怪人の力では腕一つ通すことができる小窓を生成することしかできなかった。
だが、彼はその魔法を工夫して戦いに組み込めるほどの技にまで磨き上げた。地面の土を二、三センチほどボコッと動かせる魔法でも使い方によっては窮地を脱する切り札となり得るように、彼の一見ショボく見える空間魔法も極められた今では凶悪な攻撃手段の一つとなっている。
騒ぎを聞きつけた衛兵が増援でやって来た。その間にも執事や下男、メイドなどが屋敷の外へと走り去っていくが、灰色の怪人は逃げる者達には興味がないようで向かってくる衛兵達だけに全神経を集中させていた。
「九蓮宝燈」
灰色の怪人の周囲に九つの透明な球が浮かび上がり、不規則な軌道を描きながら衛兵達に殺到する。
透明な球はいとも容易く肉を貫き、更に貫いた球が次の衛兵を目掛けてまるで意思でもあるように襲い掛かった。
その間も衛兵達は次々と攻撃を仕掛けてくる。
「刻時貪食」
斬りかかった衛兵の斬撃が僅かに遅くなり、その速度を丸々上乗せしたように速度を増した灰色の怪人の傘が衛兵の剣を刀身から粉々に砕いた。
灰色の怪人のもう一つの奥の手の時間魔法……といっても、こちらの属性も極めて適性が低いため、十秒間相手の時間の流れを二分の一にして、その遅くした時間分の速度を自分の速度に加算するというローザが扱うような時空魔法に比べたら子供騙しみたいなものだ。
彼には他にも火、水、風、土、木、金、光、闇など様々な属性に適性を持っているが、そのいずれも適性が常人よりも遥かに低い。膨大な魔力を貯められる魔力炉を持ち、人並み以上の魔力回路を持つ灰色の怪人だが、唯一彼の魔力変換器はそれらに不釣り合いな器用貧乏なものだった。
宮廷魔法師には決してなれない器だ。だが、彼は姉の愛した国を守るためにその弱過ぎる力を極め、例え宮廷魔法師相手でも暗殺を成功させる凶手に至った。
彼を止められる暗殺者はこの国にもう片手で数えられるほどしかいない。
◆
「だ、旦那様。お逃げください」
「ヴォガード、敵は一人なのだろう? 何故、私達が逃げねばならない? さっさと捕らえろ」
ラウムサルト公爵家の当主ジョハネス=ラウムサルトは執事長のヴォガードの忠告を一蹴し、家族と共に屋敷の中に留まっていた。
歴史と古いラウムサルト公爵家には万が一に備えた抜け道が用意されている。もしここで家族と共に逃げるという選択をしていれば彼らの死は先延ばしにできたかもしれない。
だが、ジョハネスはそれをよしとしなかった。それは「歴史ある公爵家の当主がたった一人の侵入者相手に尻尾を巻いて屋敷から逃げるなど大恥だ」という貴族の誇に起因するもので、結果としてそのくだらないプライドが取り返しのつかない事態を招くことになる。
衛兵達を時には蝙蝠傘で、時には素手で殺しながら灰色の怪人はゆったりとした歩調で歩みを進めていく。
一回も歩みを緩めることなく剣を砕き、槍を躱し、矢を利き手ではない左手で掴んで破壊し、魔法を「九蓮宝燈」に込められた膨大な魔力で相殺した。
「九蓮宝燈」は莫大な魔力を凝縮した九つの透明な魔力弾を自由自在に操作するというものだ。密度の高い魔力弾は鋼鉄をも凌駕する圧倒的な強度を誇り、その莫大な魔力を解放すれば激しい破壊的衝撃を周囲にもたらせることになる。
灰色の怪人は唯一無属性魔法に高い適性を持っていた……が、彼の「九蓮宝燈」はこの無属性魔法ではなく、彼のもう一つの得意分野である魔力そのものの操作の集大成と言える。
彼の傘の圧倒的な強度も、加工されたミスリルと彼自身の膨大な魔力の共鳴によるものだった。魔力的な身体強化の派生系として灰色の怪人自身が編み出した武装身体強化により、彼は自身の武装も含めて全身をより強靭に、より剛力に変化させることができる。
「吹き荒め風よ。螺旋を成した刃となりて切り刻め――螺旋嵐刃」
「魔攻反撃」
屋敷の中に入った直後、階段上から螺旋状の竜巻を放ってきた衛兵と自身の間に白い魔法陣を顕現した灰色の怪人。
衛兵の放った螺旋状の竜巻を無視して斬り掛かって来る衛兵達を蝙蝠傘と素手の左手で灰色の怪人が歩みも止めずに倒していく中、衛兵の放った竜巻は魔法陣に飲み込まれ、倍の速度と威力の竜巻となって二階にいた衛兵に殺到した。衛兵達を倒しながら二階まで登った灰色の怪人が風魔法で攻撃を仕掛けてきた衛兵が吹き飛ばされて重傷を負ったことを確認すると、逃げ出した者達と同じく興味を失ったようで、トドメを刺すことなく更に奥へと進んでいく。
「マナフィールド」
強大な魔力によって大気中の魔力の悉くを捻じ伏せた灰色の怪人は、無属性魔法の「遠視」により、騒ぎの中でも夢の中にいる三人の令嬢と、騒ぎを知って飛び起き、当主のいる部屋に向かうラウムサルト公爵夫人、騒ぎを聞きつけて父の部屋に向かう公爵子息に狙いを定めると「九蓮宝燈」を発動し、彼ら目掛けて放った。
ラウムサルト公爵家の血を引く人間を、ラウムサルト公爵家に嫁いだ人間を灰色の怪人は誰一人として生かしておくつもりは無かった。これから灰色の怪人が為そうとすることのためには、例え彼らに罪がなくともその命を奪わなければならなかったのである。
姉が愛したこのブライトネス王国に亀裂を生じさせず、最低限の被害で復讐をするためにはシャルロッテの不審死を追求し、ブライトネス王家に責任を問うであろうラウムサルト公爵家を先に潰しておく必要がある。誰一人としてラウムサルト公爵家の血を引くものを、反撃の芽を残してはならない。ラウムサルト公爵家が消えれば、シャルロッテとラウムサルト公爵家を中心とする派閥は中枢を失い、自然解体される。旨味を失った派閥にいつまでも身を置き、弔い合戦をするような殊勝な貴族はこのブライトネス王国にはほとんどいないことを灰色の怪人はよく知っている。
◆
灰色の怪人は遂に当主のいる部屋に辿り着いた。
既に灰色の怪人が消さなければならないラウムサルト公爵家の血を引く人間はジョハネスとシャルロッテの二人しかこの世には存在しない。
「旦那様、お逃げください! 私が時間を稼ぎます!! 生命を司る水よ、無数の槍となりて逃げ場無き敵の命を刺し貫け――氷撃槍衾」
「魔攻反撃」
自らが盾となって主人を守ろうとした執事の頑張りは、無慈悲に展開された白い魔法陣によって一瞬にして無に帰した。
ジョハネスはここに来てようやく己の過ちを悟った。ヴォガードの忠告を聞き入れていれば、こんなことにはならなかっただろう。
ジョハネスには最早打つ手がなかった。たった一人でラウムサルト公爵家に乗り込んできた時点でラウムサルト公爵家の権力に恐れを抱いていないのは明らかだ。今更「ブライトネス王国の忠臣であるラウムサルト公爵家を敵に回してただで済むと思うなよ!」と脅したところで無意味だろう。
敵は言われなくとも理解しているのだ。ブライトネス王国に長く仕えた公爵家を終わらせるというほどの大事を引き起こした者がただで済む訳がないことを。それでも、この灰色の仮面の男は実行した――覚悟の決まってしまっている者を脅しの言葉で止めることはできない。
「最後に聞かせてくれ……何が目的だ。私達が何かをしたというのか?」
「何もしていない。少なくとも貴方達は何もしていない。だが、このまま生かしておけば障害になる。それが分かっているのに皆殺しにしないなど愚かなことだろう? 人を呪わば穴二つという諺がある。他人を呪い殺せば、自分も相手の恨みの報いを受けて呪い殺され、相手と自分の分で墓穴が二つ必要になるという意味だ。だが、恨みを晴らす者が全て殺されていたら恨みを晴らすことはできない、それが通りだ。安心しろ、私もこれだけのことをしでかして生きていられるとは思っていない。私も命を落とすだろう。だが、それでいい……私はようやく会えるのだから。この時を、私はずっと待っていた」
それが、ジョハネスの聞いた最期の言葉となった。灰色の怪人は一瞬にして距離を詰めると、ジョハネスの心臓を抉り取り、握り潰す。
血塗れた服を水魔法で洗い流し、風魔法で乾かすと、灰色の怪人は屋敷の秘密の抜け道を利用して騒ぎを聞きつけた騎士達が集まってきているラウムサルト公爵邸を後にした。
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