Act.9-458 大商会時代の前日譚〜エルフの女科学者シリェーニの決断〜 scene.1
<三人称全知視点>
シリェーニ=エフロレスンスにとって人生最大の転機となったのはミスルトウがアネモネに倒され、鎖国を貫いていた緑霊の森が多種族同盟に加盟した日であった。
当時のシリェーニは他のエルフ達と同じく人間に偏見を抱いていた。
そんな自分が今や嫌悪の対象であった人間達が経営する商会の一員として働いている。人生というものは本当に先が見通せないものだと、かつての自分を思い出してシリェーニはクスリと笑った。
いや、その笑いは人間嫌いだった多種族同盟加盟以前の自分だけではなく、別のものにも向けられたものだったのかもしれない。
緑霊の森が多種族同盟に加盟してから数ヶ月後、シリェーニはビオラ商会の会長のもとを訪れた。
族長の関係者でもない一エルフの話などに耳を傾けてはくれないかもしれない。だが、あの時、人間だけでなくエルフの利益も考えてくれたアネモネであるならばあるいは、という打算がシリェーニにはあった。
「なるほど、ビオラ商会に雇って欲しいということですか。入社試験は春と秋、四月採用と九月採用で二回行っています。何かしらの事情があるというのであれば、それ以外の期間にも面接や、必要に応じて試験なども行って社員を受け入れてはいますが……」
一方的にシリェーニがアネモネをあの緑霊の森の命運を決める投票の場で目撃して知っているだけで、アネモネから見ればシリェーニは初対面の相手だ。
特徴的な容姿からエルフであることは察することはできるかもしれないが、見ず知らずの相手であることに変わりはない。
「……ですが、今の貴女に必要なものは入社試験ではないのではありませんか? どちらかといえば融資の方だと思いましたが」
しかし、アネモネは見ず知らずの相手である筈のシリェーニの望みを一瞬にして見抜いてしまった。
困惑するシリェーニにアネモネはにっこりと微笑み、「まずはご希望をお話ししてくださいませんか?」と優しい声音で語った。
アネモネはシリェーニの思惑を全て見通している。そのため、シリェーニが訪問の目的を話す必要もない筈だが、アネモネはシリェーニ自身の口から訪問の理由を聞くことが必要なことであると判断したようである。
「アネモネ様もご存知の通り、エルフ族は卑金属に触れると強いアレルギー反応が生じます。扱える金属はミスリルなどごく限られた貴金属のみです。我々エルフは基本的に金属を使わない暮らしをしてきました。ですが、その価値は理解しているつもりです。……そして、その価値は今後益々高くなっていくと思います」
「なかなか先見の明がありますね。我々は獣人族やドワーフ、他の亜人種族とも和解をするへく動くつもりでいます。特に高い技術力を誇るドワーフ族にはオーバーテクノロジーの実現も期待しています。所謂、科学や機械工学といった分野ですね。当然、そういったものには金属が使われることになるでしょう」
「でしたら、尚のことエルフ族にでも扱うことができる金属の開発が急務です! 金やミスリル、アダマンタイト――こうした金属よりも遥かに安価な金属が。しかし、私には知識も技術も、研究資金もありません」
「志は立派。でも、少し無鉄砲過ぎますねぇ。……まあ、でも気持ちは分かります。長年金属を避けてきたエルフ族には金属を扱うノウハウなどある筈もありません。これが金属加工技術を持つドワーフならば話は変わってきますが。……ああ、決してエルフがドワーフに劣るとか、そういう話ではありませんよ。適材適所です。エルフにはエルフの、獣人族には獣人族の、ドワーフにはドワーフの、海人族には海人族の得意分野、不得意分野があるのですから」
無茶な話であることは理解していた。故郷のエルフの仲間達に話しても「志は立派だ」とは言ってくれたが、誰も力も資金も貸してはくれなかった。無理難題であることが分かりきっていたからだ。
このままアネモネにも断られてしまうのだろう……俯いていたシリェーニは半ば諦めムードでアネモネに視線を向けたのだが。
「分かりました。ビオラ商会として、シリェーニさん。貴女の研究のバックアップをさせて頂きます。ただし我が社の社員として、合金開発の新部門を立ち上げるという形にはなりますが。……かなりの難題ですからねぇ。お金を貸すだけで解決はできません。根気よく、少しずつ頑張っていきましょう」
◆
最初はシリェーニ一人だった特殊合金研究部門も、多種族同盟加盟国が増えるに従って少しずつ賑やかになっていた。
エルフ、人間、ドワーフ、獣人族、海人族――様々な種族の者達が種の垣根を超えて協力し、一つの目標に向かって奮闘していく時間はとても楽しかったと、かつての特殊合金研究部門での活動を思い出し、シリェーニはそっと口元を綻ばせた。
まるで多種族同盟の縮図のようなその研究グループの活動は四年に亘った。そして、唐突に幕を下ろすことになる。
多くの研究成果を発表し、ビオラ商会に貢献してきた特殊合金研究部門が何故解散されることになったのか。その理由は特殊合金研究部門が役目を終えたからであった。
シリェーニがずっと求めてきた安価でエルフ族にもアレルギーを生じさせない合金が遂に完成したのである。
精鉄と呼ばれるその金属が完成した日の翌日、シリェーニは特殊合金研究部門の解散を宣言した。
「……本当に良かったのですか? シリェーニ部門長」
ずっと共に研究の道を駆け抜けてきたドワーフ族の副部門長の問いに、シリェーニは少しだけ迷い……しかし、覚悟を決めて口を開いた。
「私はアネモネ様の……圓様のお陰でここまで来ることができました。もう思い残すことはありません。……今後はこの恩を少しでも圓様にお返ししたい、そう思っています。……しかし、貴方達こそ良かったのですか? 私抜きで研究を続けても」
「俺達はシリェーニさんがリーダーだったからここまでついてきたんです! それを忘れてもらっちゃ困りますよ。……まあ、リーダーが決めたことなら仕方ありませんねぇ。でも、気が変わったらいつでも言ってください。俺達はまたシリェーニさんと一緒に研究できる日を楽しみにしているんで!!」
名残惜しさを感じつつも、シリェーニは特殊合金研究部門を解散した日の翌日からモレッティの部下として、アネモネの秘書として、少しでも恩返しがしたいと真摯に仕事に取り組んだ。
しかし、本当にこれで良いのか……という考えが時々脳裏を過ぎる。あの最高の仲間達と研究をした日々が恋しくなった……訳ではない。
アネモネの周りにはモレッティをはじめ優秀な人材が沢山いる。シリェーニでなければできない仕事というものはないのだ。
何か自分にしかできない恩返しをアネモネにすることはできないだろうか……。
その答えに辿り着いたのは今から三年前のこと。
それは一歩間違えば恩を仇で返す行為と受け取られかねないものだった。しかし、確実にアネモネはそれを望んでおり……そして、その願いを誰も叶えようとはしない。
恩返しの方向性が定まってもシリェーニにはそれを形にするための方針が思いつかなった。
一年、二年……徒に時は過ぎ去っていく。そして、遂にシリェーニは有休消化目的で向かった旅行先でそれを発見することとなる。
「大丈夫……私の考えは間違っていない筈。茨の道は覚悟の上……圓様を頼ることはできない。あのプロジェクトの時とは違う、それでも――」
――チーン。
目的の階に到着したことを告げる音が鳴ってエレベーターが開いた。
ビオラ商会合同会社の本社である高層ビルの最上階にシリェーニは足を踏み入れた。緊張心臓はバクバクと張り裂けそうに高鳴っている。かつて、願いを叶えるためにアネモネを頼ったあの日よりも、シリェーニは緊張していた。
「シリェーニです」
「扉は開いているよ、どうぞ中へ」
「失礼致します」
アネモネはシリェーニに微笑を向けると、テーブルの方へと案内した。
アネモネに促されるままにシリェーニが黒皮のソファーに座ると、アネモネは自らの手で紅茶を淹れてシリェーニの前に差し出した。
「懐かしいねぇ。……あの頃に比べてビオラは随分大きくなった」
「……アネモネ会長、いえ、圓様、貴方様にお会いできなければ今の私はありません」
「ボクは大したことはしていないよ。君の研究はとても素晴らしいものだ。精鉄の技術は君の望む通り、公開された。その後、類似する金属が多数生み出され、エルフ族の最大の悩みであった卑金属アレルギーはほとんど解消されたと言っても過言ではない。あの時、君に投資をして本当に良かった」
「……そんな恩人である圓様を裏切るような真似をする私は恨まれて当ぜ――」
「当然じゃない。裏切りだなんて言わせない。……ボクはねぇ、嬉しいんだ。あの時、ボクは少しだけ驚いたけど、でも、同時に君の気持ちがとても嬉しかったんだ」
目処が立ったシリェーニは満を持してビオラ商会合同会社を辞めたいと、辞表をモレッティに提出した。
同じ秘書の中にはシリェーニのことを「恩を仇で返す厚顔無恥な女」なんて呼ぶ者もいたが、モレッティは何も言わずにその辞表を受け取った。
「ビオラ商会合同会社は強大だ。沢山の夢を叶えるうちに大きくなってしまった。別にそれは悪いことじゃない。だけど、市場競争という視点で見れば寡占市場と化している現状はあまりよろしくない。新しい風を吹かせる競争相手は必要だ。ビオラ商会合同会社には必要なんだ……新しい敵が、競い合えるライバルが。……でも、それは茨の道だ。決して楽な道ではない。研究者として、秘書としてビオラ商会の初期から色々なことを見てきたシリェーニさんは誰よりもよく分かっていると思うけど。……感じる必要もない恩のために、そこまでしてもらって良いものか。でも、シリェーニさんの気持ちと覚悟はとても嬉しい。……ああ、嬉しいなぁ、涙が止まらないよ」
これからシリェーニは今想像する以上の沢山の苦しみを味わうことになるかもしれない。
だが、それでも、この時、涙を流して心の底から嬉しそうに笑う圓の姿を見て、ああ、本当にこの道を選んで良かったと、心の底からシリェーニは思った。そして、この新たな初心をシリェーニは生涯忘れることはないだろう。
「本当は新たな門出を祝して援助をしたい。でも、それじゃあ駄目だからねぇ。ここはグッと我慢……我慢だよ。……でも、これだけは言わせて欲しい。君の、いや、君達の門出に祝福が在らんことを」
シリェーニの背後に、かつてシリェーニと共に研究の道を駆け抜けた仲間達を幻視して、圓はアネモネの姿でにっこりと微笑んだ。
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