Act.9-417 ペドレリーア大陸・ラスパーツィ大陸臨時班派遣再始動〜ジェルエナ=コーツハート、フィクスシュテルン皇国に現る〜 scene.1
<三人称全知視点>
椎奈美織にとって「生きる」ということは何よりの苦痛であった。
美織の人生ははごく普通の一般家庭に生を受けたところから始まる。
結婚してからも恋人のように仲睦まじい父母からの愛を受けて育つ筈の少女の人生に最初にして最大の狂いが生じたのは、美織が三歳の時――交通事故で父親が死亡したという訃報が届いた瞬間だった。
愛する夫を失った美織の母はその日から狂ってしまった。
心の中にポッカリと空いた心を埋めるために、美織の母はいつからか夜の街に繰り出すようになっていった。
愛する夫のことを思い出してしまうからか、家の中で美織に会うことも避けるようになり、美織と母とを繋ぐものは机に置かれた食事代だけとなった。
次第に派手な格好になり、奔放な生活を送るようになった母。その存在は美織という少女の人生に常に影を落としていた。
崩壊した家庭、夜な夜な街に繰り出す母親――子供達の目には自分達と違う環境で生まれ育った美織が物珍しいかったのだろう。
自分達とは違う異物に敏感な子共達は奇異な目を向けた。視線だけではなく、言葉の暴力に訴えられることも、物理的な暴力に晒されることもあった。
彼女のことは虐めても良い――そういった認識が広がるまでに時間は掛からなかった。
大人達もそんな子供達を止めることは無かった。それどころか、子供達に悪影響になるからと美織を遠ざけようとすることもあった。
小学校低学年で、美織は「娼婦の娘」という渾名で呼ばれた。子供達がその言葉の意味をしっかりと理解していたとは思えない。
子供達の後ろには、美織に差別の視線を向ける親達がいたのだろう。
虐めは中学校に進学しても続いた。内容はより陰湿となり、学べば現状を変えられるかもしれないと抱いていた美織の僅かな希望を打ち砕いた。
美織は中学二年生の夏、不登校になった。外聞を気にした担任の先生が渋々といった様子で何度か美織の家を訪問したこともあったが、三度居留守を使うと義務は果たしたと言わんばかりにそれ以来、美織に学校に復学するように求めることは無くなった。
現実世界との繋がりを完全に失った美織は次第に虚構の世界にのめり込んでいく。
その世界では、美織は決して不幸な少女では無かった。皇子、公爵令息、騎士団長の息子、大商会の一人息子――誰もが美織との恋に落ち、そして美織に傅く。
乙女ゲーム『貴族学園の恋の季節』はいつしか美織にとってもう一つの現実となった。
愛に飢えていた美織は乙女ゲーム『貴族学園の恋の季節』に依存し、寝食を忘れてゲームをプレイし続けた。その姿は夫を失い、心を埋めてくれる男達に依存するようになった美織が憎む母親だった女によく肖ていたのだが、勿論、美織はそのことに気づかない。
美織は乙女ゲーム『貴族学園の恋の季節』に依存するようになってから五日後、命を落とした。死因は餓死。
美織の遺体はそれから二週間が経過した後、母親によって発見される。
最初は必ず一日に一度は戻って来ていた母親も次第に家に立ち寄る回数も減り、二週間に一回程度の頻度まで落ちていた。
机の上のお金が何故か回収されていないことに疑問を持った母親は階段を上り、久しぶりに娘の部屋を訪れ……変わり果てた娘の姿を目撃することになる。
――肉の腐敗した匂いが鼻を突く。ドロドロに溶けた肉からは僅かに白い骨も垣間見える。
蠅に集られた、かつて美織だったモノはとても大事そうに充電の切れたゲーム機を抱えていた。
◆
美織が目を覚ますと、見知らぬ天井が目に入ってきた。
「ジェルエナ様が目を覚まされました!! 旦那様と奥様に一刻も早くご報告しないと!!」
大慌てで部屋を後にするメイドをぼんやりと見ながら、美織は霞掛かった脳を必死に動かして自分の置かれている状況を探り始める。
(あのメイドさん……確かリオナさん。私のことをジェルエナって言ったわよね? ……うっ、色々と記憶が朦朧としているし、思い出そうとすると頭がズキズキ痛むわ。……でも、そういうことよね? 私はジェルエナ=コーツハート男爵令嬢として生きて来た記憶も、椎奈美織の記憶も持っている。……つまり、これは異世界に転生したってことよね? あの憧れの乙女ゲーム『貴族学園の恋の季節』の世界に)
それも、ただのモブキャラでもなく、悪役令嬢でもない――物語の絶対的ヒロイン、ジェルエナ=コーツハート男爵令嬢に生まれ変わったのだ。
その事実を知った時、ジェルエナは生まれて初めて幸せを感じた。
椎奈美織は愛を知らない人生を送ってきた。最悪の人生を送り、一人寂しく死んだのだろう。
しかし、ジェルエナは美織とは違う。これから素晴らしい出会いに恵まれ、「いつまでも幸せに暮らしましたとさ」というハッピーエンドが確約されているのだ。
「私、幸せになれるのね」
ようやく報われる時が来た。そう思うとジェルエナの瞳から涙が溢れ出した。
「ジェルエナ、目を覚ましたか」
「良かったわ……酷い熱だったのよ。もう目を覚まさないかと本当に心配したんだから」
ジェルエナのことを心から心配していた本当の両親の抱擁を受け、ほんの少しだけ愛を感じたジェルエナ。しかし、愛に飢えた化け物と化した美織の飢餓はこの程度の愛では消えることは無かった。
寧ろ、その飢餓感は増していく一方である。
「……待っていてね。イリオット、ギィーサム、エルストス、フォビア――私がすぐに貴方達を攻略してみせるから」
静寂に包まれた寝室のベッドの上でジェルエナは欲望に塗れた微笑を浮かべて独り言ちた。
◆
イリオット、ギィーサム、エルストス、フォビア――攻略対象達のハーレムを築き上げる夢を抱いて学園に入学する日を今か今かと待っていたジェルエナだったが、学園に入学する二年前のある日、ジェルエナは予期せぬトラブルに見舞われることとなる。
「彼女が……族長が言っていた男爵令嬢か? よし、気づかれないように裏路地まで引き込め」
「――きゃぁぁ!!」
メイドと共に男爵領を散策していたジェルエナは何者かの襲撃に遭ったのである。
男の一人がジェルエナの鳩尾に一撃を浴びせて気絶させると、別の男がジェルエナを奪還しようとするメイドを鞘に入ったままの剣で吹き飛ばして気絶に追い込む。
メイドを吹き飛ばした男はメイドが気絶したことを確認すると、ジェルエナが放り込まれた馬車に飛び乗った。
コーツハート男爵領は平和な片田舎として知られていた。
これまで事件の一つも起きたことがないため、護衛を付けなくても大丈夫だろうという油断がコーツハート男爵にはあったのだ。……まあ、護衛がいたところで襲撃に支障はない、それくらいの戦力差があった訳だが。
少しずつ薄れていく意識の中、ジェルエナは男の瞳の中に海蛇を象った刺青が刻まれていることを確かに見た。
◆
「――手荒な真似をして大変申し訳ない。ジェルエナ=コーツハート男爵令嬢ですね」
猿轡をはめられ、縄で縛られて身動きを封じられたジェルエナは抵抗一つできないまま男達の馬車で揺られてどこかへと運ばれた。
鼻腔を潮風が擽る。「ここは……海かしら? これから私はどこかに奴隷として売られるのかしら?」などと思っていると、唐突に拘束が解かれた。
男の目には襲撃者と同じ刺青が刻まれていた。しかし、あの襲撃者とは対照的に粗野な性質を欠片も帯びていなかった。
見た目こそ荒々しい海賊のようだが、その振る舞いはどこかの貴族かと思うほど洗練されている。
「……私を誘拐して奴隷にでもするつもりかしら?」
「まさか? 私はただジェルエナ様とお近づきになりたかったのですが、部下が手荒な真似に及んでしまいました。大変申し訳なく思っております。しかし、人に聞かれる訳にはいきませんでしたので、男爵領を離れる必要がありました。……貴女は特別なお方だと、以前から私は思っておりました。貴女に他の方々にはない煌めきがある。丁度、物語の主人公が持っているような輝きが」
タイダーラの声は僅かな甘美な響きを伴ってジェルエナの耳朶を打った。
「しかし、それは原石のまま――今のままではその力を活かすことができません。貴女は幸せになりたいのでしょう? そのための力を私は貴女に差し上げましょう」
「……貴方の目的は、一体何なの?」
「この世界が良くなることですよ。そのためには、貴女の力が、ヒロインの力が必要なのです」
タイダーラはそう言いつつ、一冊の古い書物を差し出した。
「ここには貴女の力を強化する『魅了の呪術』に関する情報が書かれています。貴女の魅力をこの呪術は必ずや引き立ててくれるでしょう」
「……あっ、ありがとう」
「それと、こちらは念の為に。もしもの時、貴女の力となる薬です。ただし、本当にピンチの時にお使いください。一つしかありませんからね」
タイダーラはそう言い残し、部下と共にその場を後にする。
明らかに怪しい男だったが、その時、ジェルエナは何故かタイダーラのことを疑うことはできなかった。……それどころか。
「誘拐されたのは想定外だったけど、運が向いて来たわね。――もし、この力が本物ならばシナリオを無視しても攻略対象を攻略できるんじゃないかしら? そうと分かれば善は急げよ! さあ、イリオット様、みんな、待っていてね♡」
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それでは、改めまして。カオスファンタジーシリーズ第二弾を今後ともよろしくお願い致します。
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