第八話 珍しい生き物、私
早く寝入ったおかげで私は早く目が覚めた。それとも月曜日だから早く起きるのは習慣になっているのだろうか。
私は着替えて食堂に向かった。
「おはよう~!」
食堂に着くと既にいたニグリスが手を振って私を迎えてくれた。
「おはよう。何だか今日は人が多いわね」
いつも疎らだった食堂に今日は人が溢れている。
「昨日までは学校お休みだったからね。街の自宅に帰る人も多いんだよ」
「ふーん、なるほど」
平日は学校に泊まって金曜の夜になると自宅に帰るってことか。単身赴任みたいなものだ。
「佳菜さん、ニグリスおはよう」
ナターシャと初めて見る男の人がこちらに歩いてきた。目つきの悪い太めの男だ。とても先生とは思えない無表情。ナターシャと並んでいる姿を見るとまさに「美女と野獣」といった感じだ。
二人は私達の横に座った。男はツンツンに立った青い髪にニグリスと似た緑色の瞳をしている。ガッチリとした真ん丸な体型で腕にはびっしりと毛が生えている。その姿はさながら熊のようだ。
「こちらは佳菜。朝説明があると思うけど、今日からここで働いてくれるんだ」
まだ正式に働くと言ったわけじゃないけど。私はニグリスを軽く睨んで食事に目を落とした。
「こちらはヴァスリン、体育の先生をしているんだ」
ヴァスリンの目が私に向いた。
「……珍しい髪の色だな」
「うん、佳菜は日本人なんだ」
「……?」
ヴァスリンはニグリスの言葉の意味がわからないという顔をした。
「俺が召喚したんだ」
「異世界召喚で人間が?」
「うん」
「本当よ」
ナターシャもニグリスの言葉に同意した。ニグリスは私を召喚した時の説明を始めた。ニグリスがヴァスリンに私の説明をしているのを横目で見ながら、
「そういえばナターシャは何の先生なの?」
と、聞いてみた。
「私は保健室の先生よ。治癒の精霊を召喚できるの」
「へぇ~」
街で見たふよふよと浮いていた動物か。
「ナターシャは精霊を連れてないの?」
「えぇ、治癒精霊はパワーを多く使っちゃうみたいで疲れやすいの。だから、普段は召喚しないで休んでもらってるわ」
「ふーん」
精霊にもいろいろあるんだな。
「私が精霊を召喚するのは生徒が怪我や病気をした時だけ。だから、いつか見る機会はあるかもしれないけどなるべく見ないで過ごせたほうが幸せかもね」
「そうね」
私もお世話にならないといいのだけど。まぁ頑丈さだけが取り柄だから大丈夫かな。
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食事を終えると私達はみんなで職員室に向かった。そこで、全職員の前で私が紹介された。職員は全員で40人程いるだろうか。みんな色とりどりの髪の毛や風貌をしていていかにも異世界っぽい。それなのに、こうして日本人がするように朝礼をしていることに面白さを感じた。
朝礼が終わった後、私は学長にしばらく自由に過ごしていいと言われた。授業に参加してもらいたいのはもちろんだが、その前にここの生活に慣れてもらうことの方が先決だ、とのことだった。
そう言われても私はどうしたらいいかわからず、ひとまず私はナターシャについて保健室にやってきた。ニグリスについて行ってもよかったのだが、生徒と触れ合うのは面倒に感じたからだ。
保健室は日本のそれとほぼ変わらないように感じた。薬品の匂い、仕切られたベッド。思えば学校になんて来たの、卒業して以来だからもう10年以上前になるんだな。
学校にはそんなにいい思い出はない。私はクラスで目立つグループとは縁遠い存在だったし、ただただ時が過ぎるのを待っていた感じだ。異世界の学校はどうなんだろう。日本のようにギスギスしてはいないのだろうか。
保健室でナターシャと談笑していると、ガラッとドアが開いた。立っていたのはピンクの髪の毛をうねうねとウェーブさせた一人の少女だった。
「あら、リプロート。おはよう」
少女はその赤茶の瞳を私に向けた。やっぱり珍しそうなものを見るような顔をしてる。
ただ、特に何も声はかけてこずに部屋に入って椅子に座った。
「土日はどうだった?」
「……うん」
ナターシャの優しい言葉に特に言葉を返すこともせずに、リプロートと呼ばれた少女は鞄から本を取り出した。リプロートは体調が悪そうには見えない。そして、今は一時間目が始まる前。これってもしかして所謂保健室登校、ってやつ?
私はナターシャにアイコンタクトを取ると、少し悲しそうに微笑んだ。間違いない。
「一時間目は何の授業だったっけ?」
「……日本語」
「そっか」
リプロートが開いたのは日本語の教科書らしい。私は静かに後ろへ歩いて行ってどんな内容が書かれているのか覗き込んだ。そこには漢字が含まれた文章が書いてある。
「……何?」
覗き込んでいたことがバレてリプロートに睨まれた。感じ悪い。これだから子供ってやつは。
「この人は日本語の先生なのよ」
ナターシャが助け舟を出してくれた。
「……初めて見たけど」
「それはそうよ。今日からだもの」
「……何で保健室にいるの。サボり?」
ほんっと生意気な子供。あんただって人のこと言えないでしょ。
「まだ学園に慣れていないからいろんなところを見て回っているのよ」
「……ふーん」
リプロートは私をひと睨みすると教科書に目を落とした。
「何かわからないことがあったら、この佳菜先生に質問していいわよ」
「ちょっ……」
今度は私がナターシャを睨んだ。それも厭わないようにナターシャは微笑んだ。結構大物かも。
でも、聞かれて答えられないことはないと思う。だって日本語だもんね。
「……佳菜?」
リプロートは私の名前に反応した。
「そうよ。日本から召喚されてきたの」
「日本から召喚?嘘でしょ?」
「本当よ」
リプロートは私の顔を警戒するように見た。どの人も私が日本から来たと聞くとこういう反応をするんだな。
私はさすがに面倒になって視線から逃れるために保健室にある本棚に近づいた。そこには絵本や教科書が置いてある。「日本語」と書かれた教科書が一~七まで揃っている。ここは七年制なのかな?
私はその教科書を七冊手にとってリプロートの前の椅子に腰掛けた。チラッと睨まれた気がしたが、気にしない。私が子供に心を乱されるなんてこと、絶対ないんだから。大人の余裕ってやつよ。
教科書を一から読んでいく。一はひらがな、カタカナの読み書き、発音など。簡単な文章。そこから二、三と学年が上がる毎に漢字も増えていく。もっと高学年の六、七になると文字の読み書きよりも文章を読むものが増えている。リプロートが見ているのは恐らく「七」。最高学年ということか。
「ちょっと出てくるわね」
ナターシャがウインクして保健室を出て行ってしまった。リプロートは慣れているのか見向きもしない。真剣に教科書を見てノートに何やら書いている。私、こんなに真剣に勉強したことあったっけな。
リプロートの手が止まった。何度も教科書を見て、こめかみをペンでコツコツと叩いている。どれどれ……
私は手元にある日本語の教科書「七」を開いた。リプロートが開いているのは……ここだ。文章内の漢字の読みと意味を答える問題だ。そこには「出勤」「極力」「急遽」などといった漢字まである。「急遽」なんてたぶん習ったことないぞ、私。
「きゅうきょ」
私の言葉にハッとリプロートが反応した。やっぱりこれか。難しいと思うよ、私も。リプロートは少し顔を赤らめてむっとした表情をしながらもノートに何やら書き込んだ。そして、私を何度もチラチラと見る。あぁ、意味、ね。
「突然、って感じかな。突然よりももうちょっと急で急いでるイメージ」
改めて聞かれると説明も難しい。でも、たぶん合ってるはず。
「ふーん」
リプロートはお礼も言わずにノートに書き込むと次のページをめくった。やっぱりかわいくない。そのまま私達はまた無言になってそれぞれ教科書に目を落として時間を過ごした。