第七話 意味不明なモヤモヤは
国王との謁見後、ヤタは先に学校へ戻り私はマイコレヌスの日本研究の協力、ニグリスはピュオーラに召喚時の話を説明するためしばらく王城に残り、解放されたのはお昼を過ぎた頃だった。
「はぁ~つっかれた~!」
私は大きく伸びをした。
「俺も疲れた……」
ニグリスはぐったりとしている。完全なる緊張疲れだろう。
「馬車は?」
「恐らく学長先生が乗って帰られたかと」
「げ、じゃあ私達は歩いて帰れって?」
「まぁ俺なんかは一教員だから普段馬車なんて滅多に乗れないしなぁ」
ニグリスは苦笑いを浮かべた。
「せっかくだからこの近くでお昼食べてから帰らない?」
「そうね、そうしましょう」
一仕事終えた後の外食は営業の楽しみ。私はいつ戻れるかもわからないのにまたそんなことを思っていた。
「お店は任せる。私なんでも食べるから」
「それじゃあ日本食の店に行かない?お米が食べられるんだ!」
「米の栽培もやってるのね……」
きっとゴミ捨て場から……いや、いちいち考えるのはやめておこう。
私はニグリスに連れられて日本食の食べられるお店にやってきた。そこは日本を意識したのか煉瓦や石造りの建物ではなく、木で作られた建物だった。しかし、ドアは少し曲がっているのか上手く閉まらないし床も何処となく斜めになっている。私なんかより大工さんが召喚された方がよほどよかったのではあるまいか。
メニューには「おにぎり」「炊き込みごはん」「白米」などというお米のメニューが並んでいる。日本人としてはおかずも欲しいところだがそれは見当たらない。そこまで欲を言うのはやめて、私はおにぎりと米焼酎を頼んだ。
思えばつい一昨日まで私は日本で暮らしていたのだからまだお米は恋しくない。しかし、そこはニグリスの思いやりを尊重して口に出さないことにした。
「あの美人の女性に何聞かれてたの?」
「美人……あぁピュオーラさん?聞かれていた、というか俺の召喚能力とかを調べられてたんだよ。やっぱりごくごく平凡な召喚能力だってさ」
「ふーん」
召喚能力のどの辺に優劣がつくのかわからないが、そういうものがあるらしい。
「佳菜は?」
「あぁ、あのおじいさんに?」
「おじいさんって…マイコレヌス先生ね」
「そのマイコレヌス先生ってすごい人なの?」
「そりゃあもう!異世界召喚で得られた物をマイコレヌス先生が研究しているんだ。日本のことは先生に聞けばなんでもわかるんだから!」
「本当に?今日なんて路線図見せられて、これは何だ?とか聞かれたよ。電車もバスも知らなかったし」
「ろせんず?でんしゃ?俺も知らないや」
前に日本から召喚された人は電車やバスのない時代だったのだろうか。
「あと、大阪の路線図を東京だと勘違いしてたりとか」
「おおさか?」
「地名だよ。東京より西にあるの」
「へ~!」
ニグリスは顔を輝かせた。
「やっぱり佳菜はすごいね!日本のことよく知ってる!」
「そりゃあもう31年も日本で生きてますから」
当たり前のことを聞かれて当たり前のことを答える。それだけのことなのにこんなに「すごい人」扱いされるなんて不思議。
「佳菜。俺にもたくさん日本の文化と言葉を教えてね!生徒にも伝えたいんだ」
そういえば王様に「日本語を教えて欲しい」と言われたんだったっけ。
「ニグリスは日本語の先生?」
「そうそう。日本文化と日本語を教えているよ!」
「じゃあこれから私はニグリスに教えたらいいのかな」
「そうだね。授業のサポートをしてくれたら嬉しいよ」
「私、子供は苦手だから直接教えるのは無理だよ」
「苦手なの?」
ニグリスは大きな瞳をクリクリっと丸くした。
「生徒達はかわいいよ~!明日、佳菜も会ってみたらわかるよ!」
ニグリスは本当に幸せそうな笑顔を私に向けた。この人には「子供か苦手」という気持ちがわからないんだろうな。
おにぎりと米焼酎が運ばれてきた。米焼酎は焼酎というよりはにごり酒だ。どろどろしていて柔らかいお粥を飲んでいるかのよう。それに、アルコール度数が弱い。こんなんじゃ酔えそうにない。おにぎりは塩むすび。口にしてみると少し柔らかすぎる。
そんなおにぎりを二グリスは嬉しそうに口にした。私に料理ができればもっと美味しい本場のおにぎりを作ってあげるんだけどな……
そう思いかけて私はハッと我に返った。何を考えているんだろう、私。男に料理を振る舞う、だなんて……
ニグリスの屈託のない笑顔を見ていると私の中の眠っていた母性本能でもくすぐられるんだろうか。ま、料理できないから絶対にやらないけど。
食事を終えてダラダラと歩いて学校へ戻った。普段運動なんてしないから、明日は絶対筋肉痛だ。学校に戻って、部屋に帰って早々に休もうとした私を元気いっぱいのニグリスが呼び止めた。
「今朝、召喚した本を見て欲しいんだ!」
ニグリスの勢いに押されて私は仕方なくついていった。着いたのは私が召喚された部屋だった。ここが異世界召喚を行う部屋なのだろうか。
「これだよ!」
ニグリスが渡してきたのは週間少年誌だった。
「あー!まだ今週読んでなかったんだよね」
パラパラとページをめくる。
「このイラストが多い本はよく召喚するけど、これは何なの?」
「漫画だよ」
「まんが?」
「そう。文字と絵で表現してる娯楽雑誌。この雑誌は毎週発行されてて、ターゲットは男の子。大人も女も読むけどね」
「そうなんだ……!」
ニグリスも私の手元の雑誌を覗き込んだ。
「これ、日本のことばかりが描いてあるわけじゃないよね?精霊みたいなのが描かれてたりするし」
「うん、ファンタジーものも多いね」
「ふぁんたじー?」
「空想とか想像で描かれてる作品」
「へ~!日本人の想像力はすごいね!まるでカーストゥン王国を見て描いているようなお話もあるもん!」
そう言われてみれば確かにそうだ。異世界が実在すると知った今、実は異世界を見ながら描いてる人もいたりして。
「うわわわわっ!」
私が開く雑誌を見てニグリスは赤くなって後ずさった。見ると、開かれていたページに描いてあるのはスポーツ漫画で、ヒロインがヒーローにキスをしているシーンだった。
「そんなに恥ずかしがらなくても……」
ニグリスが顔を真っ赤にして見ないようにしているページを堂々と見ている自分が恥ずかしくなってくる。
「日本では…その、キ、キスはよくするものなの……?」
顔を赤くしながらニグリスが聞いてきた。
「よく、はしないけど、好き同士だったらするんじゃない?」
「結婚していなくても?」
「結婚?」
「うん。前に見た本で、男の人がいろんな女の子にキスしてるのがあったよ!キスは普通『この人!』って決めた人としかしないでしょう?」
あぁ、そういうことか。
「ここではキスは結婚相手としかしないってこと?」
「そうだよ!当たり前じゃないか!」
二グリスは耳まで赤くなっている。
「しかも人前でキスするなんて…考えられないよ!」
「日本でも人前ではあんまりしないよ。たまにいるけど。あと、結婚相手じゃなくても好きな人とならキスはするよ、普通に」
それ以上も、ね。でもそんなこと言ったらニグリスは卒倒しそうなのでやめておいた。
「は~日本はすごいなぁ」
二グリスは自分の胸を抑えた。
「じゃあ佳菜もキスしたことあるの?」
「……はぁ!?」
突然のニグリスの問いに私の顔は赤くなった。何を聞いているんだ、こいつは。でも、ニグリスの顔は真剣だ。
「……まぁ、そりゃあ、ねぇ。普通31にもなれば一度や二度はあるはずよ」
「そうなんだ、すごいなぁ」
ニグリスは私を尊敬の目で見た。その顔を見ているとなんだか説明のつかないモヤモヤが心に渦巻いてきた。
「まぁ私の場合は10年近く前の話だけどね。その男とも別れたし」
私、なんでこんなこと言ってるんだろう。
「そっか……悲しいことを聞いてごめんね」
ニグリスは申し訳なさそうな顔をした。
「……いいよ、別に」
私は読み途中の雑誌をニグリスに押し付けた。
「私、部屋に戻る」
「あ、うん。いろいろ教えてくれてありがとう」
私は答えずにそのまま部屋を出た。なんでこんなにイライラするんだろう。自分の中の意味の分からない気持ちに私はさらに苛つくのだった。