第五話 異世界で日本の香り
私はその日、与えられた部屋に籠ってベッドで浅い眠りを貪った。ただ、何度起きても自分の家には帰れない。ここは異世界で日本ではない、戻ることも出来ないということがどんどん現実味を帯びてきている。
外が明るくなってきた。淡いクリーム色のカーテンでは陽の光を遮れない。異世界召喚で遮光カーテン持ってきてくれないかな……
コンコン
扉がノックされた。
「ニグリスだけど、佳菜起きてる?」
私はノロノロと起き上がってドアを開けた。
「あ、佳菜おはよう!」
ニグリスは朝から爽やかな笑顔を私に向けた。今の私には眩しすぎる。
「あー、何?」
私は頭をボリボリ掻きながらベットに腰掛けた。
「昨日から何も食べてないでしょ?食事持ってきたんだけど」
二グリスは持っていたトレーをテーブルの上に置いた。そこからはふわっとコーヒーの温かい香りがした。
「……え、コーヒー?」
ここは異世界じゃなかったっけ?
「そう、コーヒー!ずいぶん昔に異世界召喚でコーヒー豆が手に入って栽培に成功したんだ!」
と、いうことは元はゴミ捨て場から?……まぁずいぶん昔って言ってたし、気にしないことにしよう。
私はノロノロとテーブルに近づいて椅子に座った。ニグリスはカーテンと窓を開けた。眩しい。でも、気持ちのいい風が入ってきた。
トレーにはコーヒーの他にみたらし団子っぽい餅も置かれていた。ご丁寧にお箸まで。
「いただきます」
私はコーヒーを口にした。うん、美味しい。毎朝コーヒーが欠かせない私にとっては異世界にコーヒーがあったことは朗報でしかない。まぁ、仕事もなくなった今、目を覚ます必要もなくなったわけだけど。
続いて餅らしきものを口に入れた。餅よりも柔らかく食べやすい。みたらし団子かと思ったソースは洋風で甘さ控え目のメイプルシロップ、といったところだろうか。甘いモノは普段ほとんど食べない私だが、なかなかに美味しい。
「どうですか?」
「うん、美味い」
「よかった」
二グリスは私の前の椅子に座って嬉しそうに私を見た。こうして見られると、親に食べているところをじっと見られている子供みたいに思えてなんだか落ち着かない。
「私、今日から何したら良いの?」
異世界に召喚された事実については理解できたけれど、これからどうしたらいいのか見当もつかない。
「まずは学長先生に会って、そこで相談されるかと」
「あー」
そうだった。昨日学長のヤタがそんなこと言ってたっけ。
「佳菜。本当にごめんね。俺が召喚したせいで……」
「あー、うん」
ニグリスは本当にすまなそうな顔をしている。
「てか、どうやって私を召喚したの?」
そういえば私がここに来た時のことを聞いていなかった。
「いつものように異世界召喚をしていたんだ。あの時はまだ着れそうな衣服を見つけて……。それで手を伸ばしたら何故か柔らかい人の手みたいな感触があって、それで佳菜が……」
「私、ちゃんと家で寝てたはずだけど」
「うん、鏡に佳菜の姿は映っていなかったよ。それなのに突然……今までそんなこと一度もなかったのに」
突然変異ってこと?ニグリスもよくわかっていないような雰囲気だ。
「でも!とにかく佳菜がここにいる間は佳菜のことは俺が責任持って守るから!安心して!」
「ま……」
守る、なんて……
ニグリスの顔はいたって真剣だ。私が異世界に来た原因はニグリスなわけだし当たり前だよね。他意はない。そうしてもらわなきゃ。
そうは思うのに私は少しドキドキしていた。「守る」って言われただけで何を動揺してるんだろ、私。
コンコン
私の部屋のドアがまたしてもノックされた。
「はい、どーぞー」
食事中にドアまで行くのが面倒だった私はその場で返事をした。
「おはようございます」
入ってきたのはナターシャだった。今日のナターシャは白地で襟とポケットの赤がポイントの薄手のジャケットに赤いスカートと、派手ではあるがきっちりとした格好をしていた。
「佳菜さんに衣服を用意してほしいってことで朝から買いに行ってきました。好みに合うといいのですが……」
ナターシャはそう言って大きな袋を渡してくれた。
「ありがと。てか、みんな早起きすぎない?」
「カーストゥン王国は朝は早くて夜も早いんですよ」
「へぇ~」
私とは相容れない生活様式だ。
朝食を食べた私はナターシャにもらった服に着替えることになった。私の好みをわかってくれたのか、パンツやパーカーなどが揃っている。少ししか関わってないけれど、ナターシャは気の利く女子らしい。
私はその中からグレーのボーダーが入ったTシャツに白いパーカーを羽織り、黒いパンツを履いた。落ち着く家着スタイル。
その格好で私は部屋から出て一階へ降りた。
「あ、今日はまた違った雰囲気だね!かわいいよ」
階段横で待っていてくれたニグリスはまた私の格好にコメントをくれた。またかわいいだなんて、いちいち恥ずかしい。女子力の高くない格好だから余計に。それを言うなら白いTシャツにジーパンというラフな格好を見事に着こなすニグリスの方がすごい。そんなこと口が裂けても言わないけど。
「行こっか」
私達はまた学長室へ向かった。
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「失礼します」
学長室に入るとヤタは笑顔で私達を出迎えた。
「今朝はよく眠れましたか?」
「はい、まぁ」
この格好でかしこまったヤタに会うと少し気後れする。
「昨日の観光はどうでしたか?」
「あぁ……はい、ここは異世界なんですね」
ヤタはこくり、と頷いた。
「おわかりいただけましたか」
「えぇ、まぁ」
「早速で申し訳ないのですが」
ヤタはテーブルに両肘をついて指を合わせた。
「本日、カーストゥン王城までご足労をお願い致します。国王が佳菜さんに会いたい、と」
「国王……」
そりゃそうか。滅多にないらしい異世界人がやってきたとなったら国王も会ってみたくなるだろうな。
「わかりました」
私は素直に頷いた。見知らぬ異世界に来てしまったんだ。これ以上何が起こっても粛々と受け入れるしかない。それに、日本に帰りたいとこの国のトップに直訴したら帰れる日が早まるかもしれないし。
「ありがとうございます。王城には私と、ニグリス。君も一緒に」
「わ…わかりました!」
ニグリスは姿勢を正した。国王に会う、となるとやっぱり緊張するものなんだろうな。
「それでは早速行きましょうか」
「あ、あの、私は王様に会うのにこの格好でいいんですか?」
私はパーカーをヒラヒラとさせた。
「えぇ、何か問題でも?」
この国ではパーカーというラフな格好でも失礼に当たらないのか。そもそもパーカーがラフって考えがない?
「大丈夫ならいいです」
「それでは行きましょう」
ヤタは重そうな身体を立ち上がらせた。