Separation - 3 - B
すでに6割方の席が埋まっていた。
博治が乗ってから7、8分ほど走り、すでに3つのバス停を回っていたバスは、ちょうど4つ目のバス停に停車しようとしていた。
完全な停車を待たず、博治の目の前で自動扉が開く。
隙間を見付けた外気が、熱を伴って勢いよく侵入してくる。
博治のいる入口脇の席は、夏は暑く冬は寒い。多くの生徒達はそれを嫌って、離れた席に着く。
乗降口への近さという点以外に、博治がこの席を好んで選ぶ理由の一つだった。
乗客に子供達しかいないため、スクールバスとは賑やかなものであるが、乗降車時は輪をかけて騒がしい。
新しく乗り込んでくる子らは、それぞれ見知ったものに声をかけ挨拶などしながら残った座席を埋めていった。
大方が乗り終えた頃、残った最後尾から博治に声がかかった。
「博治君。久しぶり」
「博君おはよう!」
昨年から2年続けて博治のクラスメイトになっている棚町大樹と、その二つ下の妹の夏美だった。
これまでと同じように、大樹が博治の隣の通路側の席に、夏実が通路を挟んだ逆側の席に座る。
博治と同じクラスでこのバスを利用している生徒は博治を除いて2名いるが、大樹以外の女子はいつも1号車を利用していた。
朝顔を合わせる唯一のクラスメイトということもあって、博治は登校時のバスの中ではこの兄妹と話をするのが常だった。
「久しぶり。かなり焼けてるけど、休みなんかしてた?」
博治は、席向かいの夏実にも聞こえるようにやや声を張りながら言った。
兄妹とも夏休み前と比べるとずいぶん肌が焼けている。
誰よりも外にいる時間が長い博治とも今ではあまり変わりがない。
「ずっとバスケばっか。すごいだるかった」
答える夏美は、髪が短く切り揃えられているため、まるで男の子のように見える。
実際に間違えられることも多いと、以前大樹が言っていたのを博治は思い出した。
「ああ、部活でか。暑そう」
南第一小学校では、希望する学生は3学年から部活動に所属する。
夏美は今年から女子バスケ部に所属していた。
「ほんとに暑いよ。なのに毎日外周走らんとダメだし」
屋内の体育館で練習を行う女子バスケ部なども、ランニングでは学校の外回りを走る。つまり外周だ。
屋外競技は言うまでもなく、運動部の子供達は長期の休みの後にはみな一様に黒く染まっていた。
バスが動き始める。そこで、何か言いかけようとしていた大樹が一旦言葉を切った。
前座席の背面に備え付けられた手すりを掴んで体重を預けると、横向きに博治の方を見る。
視界を遮られた夏美がその背を小突くが、大樹は相手をしない。
「博治君は元気だった?」
「元気だったよ。病気とかもなくて」
「じゃあねぇ、一番休みで何してた?」
「一番?そうだったら、また絵を描いてた」
「あー。博治君、絵、凄い上手いもんなぁ」
「沢山やったら、誰でも上手くなるって」
当然博治にも自分の絵がどれだけのものかということは分かっていた。
強要されて続けているだけだが、それでも時間をかけて培った技術への自負はある。
歪んだ環境の中で染まったそれは、言い表すなら不遜の塊である。
心中の声を潜め隠した、形だけの謙遜だった。
大樹は落ち着きのない様子で体を動かし、今度は背もたれに沿って伸びをした。
「僕はねぇ、どうだろう。ファミコンして、あとは友達と遊んだくらい?僕もなにもしてないなぁ」
「そっか」
わずかに表情が硬くなった博治の様子には、大樹は気付いていない。
「サッカーとかキックベースとか、すぐできるし。あと一緒にビデオ見たり」
何も口に出さずにただ頷いた。
僕も、という言葉が博治の神経を逆撫でていた。
好き勝手遊んでいた大樹に同類視されていることが我慢ならなかった。
「まあ、夏休みも遊び過ぎて飽きちゃったから。後の方は早く学校始まらないかなって」
「私もバスケばっかもうやりたくない」
「そうだよね」
――嫌ならなんで辞めないんだよ。すぐ出来るくせに。
その後のバスが学校に到着するまでの会話は、博治にはまるで上滑りしていくかのようで、なにも楽しいと思えないままだった。