Separation - 3 - A
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1986年8月29日
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加庭幸子が背後から聞こえた音に振り返ると、ダイニングと廊下を隔てる引き戸の脇に博治が立っていた。
博治が床から起き出したのが6時前。
朝のクロッキーを終えてダイニングにやってきた現在、時刻は7時を少し回っていた。
「おはようございます」
表情はいつも通りだが、博治の声色だけが昨日までよりも少し明るい。
登校日を迎えて、博治も我知らず気分が上向いていた。
加庭はそれには気付かず、いつも通りに答えた。
「おはようございます」
「……あの人は?」
博治は、小さな声で尋ねた。
いつもなら先に朝食をとっている義治の姿が見えない。
「今日から3日間、愛知の豊橋に行ってますよ」
どうせ便所か電話だろうと思っていた博治にとって、加庭の返答は僥倖だった。
「そっか、良かった」
可愛げもなく、父の不在をありがたがる言葉を漏らす。
はっきりと聞こえていたが、加庭もそれを咎めることはなかった。
以前はスーパーマーケットでレジ打ちのパートをしていた加庭が、より良い条件を捜して池口の家のハウスキーパーとして働き始めたのが今年の4月のことだ。
年はもうすぐ52になる。近頃様々な場面で浮かび上がる若者達とのギャップに当惑することが増えた。古い人間だった。
何を考えているのか分からない。感性の掴めない現代っ子。
博治にもそのような第一印象を持った。父親をあの人と呼ぶ博治の態度にこそ問題があると当初は呆れたものだ。
加庭が池口の家に通うようになって明後日で5ヶ月が過ぎる。
もはやその認識は全くの反対になっていた。
「ご飯とパン、どちらがいいですか」
「ご飯を下さい」
加庭は毎朝このように尋ねるが、博治がパンを頼んだことは無かった。
ダイニングの中央に設置された大きな総桐の丸テーブルの上には朝食が並び、その周りを同じく桐の椅子が囲んでいる。
義治は不在だったが、博治はいつも通り父の指定席とテレビを結ぶ線上から最も離れた席に腰を下ろす。
よそって貰ったご飯に手を付けようとした時、加庭から声がかかった。
「博治さん、湿布」
加庭は自らの頬を軽く手のひらで叩くジェスチャーをして見せた。
「ああ、そっか」
博治の左頬には4cm四方ほどの大きな湿布が貼られていた。
昨朝博治の目の下が紫に内出血しているのを見つけ、加庭が処置したものだ。
博治は角に爪を潜らせて隙間を作ると、目を瞑りながら一息に剥ぎ取った。
捲れた湿布の裏面が露出した瞬間、慣れて麻痺していた鼻にも、ツンとした薬品臭さが感じられる。
下から現れたガーゼも取り払って、シンクの傍に備え付けられたゴミ箱に捨てた。
湿布を取る時に引っ張られて少し赤味は残っていたが、すでに頬の腫れは引いていた。
「いただきます」
「いただきます」
改めて食事に取り掛かる博治に、加庭が続いた。
先に加庭一人で食事をとることはないが、同席することは義治にも許されていたため、一緒に食事をとるのが通例だった。
「今日から学校ですよね」
「はい」
「夏休みは、どうでした?」
「別に。普通でした」
博治はまだ温かいポテトサラダを小皿に取りながら、目線もそこから動かさずに答える。
「多分ね、学校ではもっと楽しいことあるでしょうから」
「はい」
取りつく島がない。平坦でそっけない博治の声に加庭は思った。
加庭はまだ、博治が笑みや柔らかい表情を作っているところを見たことがない。
義治は職業柄家を空けることも多く、このように家に2人となることもままあることだったが、いつでも厚い鉄扉のような仮面を博治は纏い続けている。
そして、同じく辛そうな顔も見たことがなかった。これは余計に加庭を心配させていた。
加庭は自分の娘のことを思い起こした。博治とは一回りと少し離れた、20代の半ば。短大時代から付き合っていた男性と3年前に婚姻し、すでに籍を離れている。
先週、遅い盆休みを取って帰省していたので、顔を合わせたばかりだ。孫を身籠ったという報には、夫ともども破顔した。夫が名前の案をしつこく押し付け始めたことに、娘も鬱陶しがりながらも笑っていた。
10歳の時分はどんなだったろうか。
秋の運動会に、夫は仕事の折り合いがつかず、加庭も十分に時間が取れないことがあった。
昼の用意もできなかったため、申し訳ないと思いながら仕出し屋に頼んだ弁当を持って行った。
仲の良い友達はみな、家族が手製の弁当を持って来ていたのに、娘は嫌がりもせずに美味しいといいながら食べてくれた。
また、昼食の折、あまり長くはいられないことを伝えたときにも、100m走だけ見ていって、と笑った。
足が速い子だった。快走し1等を取ると、種目が終わった途端に飛んで報告にきた。
仕事に戻り、遅くに加庭は家に帰ったが、他の種目での活躍を楽しそうに話してくれた。
――なんもかんも違ってて、役立たんで。
目の前で無表情に俯きがちに、黙々と箸を動かす博治の姿を見る。
間際とはいえ戦前生まれである。現在からすると行き過ぎているほどの厳しい躾もあった。
しかし、この少年を取り巻く環境はそのどれとも違っているのだ。
博治と上手く接していくにはどうすればいいのか、加庭には分からなかった。
下向きの博治の視界の隅に、加庭が映っている。
加庭が低い自己評価を付ける一方で、博治の加庭への印象はけして悪くなかった。
博治は、加庭が何度か博治の扱い方に関して義治に意見してくれていたことを知っていた。
当然義治が耳を貸すはずはなく、全くの徒労、どころか彼女の職を危ぶませる結果としかならなかったが、依然として加庭が自分を案じて気にかけてくれていることは、博治にも分かっていた。
それでも博治は、加庭に対して仏頂面をはり付かせる。
父親の前で感情を表さないようにしているうちに、いつの間にか父親と関係のある人達、特に父の前での自分を知っている人には、父に向けるものと同じ対応しか取れなくなっていた。
他者に態度の違いを見られることは恥ずかしく、父にそれを知られることも恐ろしかった。混ぜこぜになって、自分ではどうしようもなかった。
元来人懐こい性格でもない。毎日とはいえ、朝の短い時間にしか会わない二人では、このような調子にしか収まらなかった。
「行ってきます」
「気を付けて。行ってらっしゃい」
加庭の見送りを背に玄関をくぐる。
目的は駅から一つ手前のバス停で、博治の家から距離にして5、600メートルほどである。
家を囲ったカーキのブロック塀に沿って南進し、交差点を2つ抜けて県道19号に出た。
片側2車線で一部3車線に広がる車道には、出勤前のこの時間ひっきりなしに車が往来している。
両脇の歩道沿いでは丈高のクスノキが葉を揺らし、近年径が拡張された植え込みの上では低木のアベリアが賑やかに花を付けている。
エコと自然を標語に、市の開発化が緑化予算を盛り込んで、数年前から熱を上げた成果だった。
駅の方角への道すがら、乾きかけの打ち水が作った点々のまだら模様を見付けると、博治はそれらを出来るだけ多く踏みながら進んだ。
バス停が近づくにつれて、ランドセルを背負った子供達が続々と集まってくる。
最後に歩道橋を渡り、バス停に到着した。柱にもたれかかって待っているうちにも子供達は増え続け、2台の水色のスクールバスが見えてくるころには、周りの子供の数は20人を超えていた。
博治が後ろの2号車へと乗り込むと、片側2列の4列シートは4割程度が埋まっていた。
博治は、いつもそうしていたように、乗り口傍の窓側の1席に腰を下ろした。
まだ8時前だというのに、少し歩いただけで背中に滲んでいた汗が、強めにかけられた空調に引いていくのを感じる。
後ろから続く子供達が全て乗り込むのを待って、10秒ほどしてからバスは徐ら動き始めた。
駅の周りを通り過ぎると、目に見えて建物の上背が縮む。
見通しが良くなった視界に、地上数メートルを折り重なった電線の遠方で黒い稜線が起伏を描いている。
県下最高峰の矢那山を中心にした連峰。1時間とかからずに行けるため、博治も何度も赴いたことがあった。
暦の上では晩夏にさしかかっているが、夏の日差しは依然として厳しい。
この車窓からの景観も40余日ぶりだが、山々は今でも一面に青々と木々を茂らせていた。
そして夏の間ほとんど変化のなかった姿が、これから秋口までに急速に装いを変えていく。
春先とこの時期だけは、飽きもせずに博治はそれをずっと眺めているのだった。




