青き馬、馬房にて
〜伊勢厩舎〜
「くそったれ!」
カイノイージーを預かっている伊勢は不機嫌だった。
「いくらイージーが3着とってもあいつに勝たれちゃ意味がねえんだよ…」
伊勢が不機嫌な理由。それはボルトが先日のレースで勝ってしまったことにある。その為にわざわざボルトを塞いでまでカイノイージーを追い込みさせたのだ。一応カイノイージーが追い込みが出来るという収穫もあったがボルトが勝っては意味がない。伊勢が百井から言われた事とは「風間所有のボルトチェンジを負けさせたいからボルトを馬群に包ませろ」というものだった。百井がなぜあのように指示したのかはわからないが伊勢は法条の為に決意して馬群に包ませボルトを負かすレースを騎手に指示した。それまではよかった。
「にしても橘の奴め、まさかあんな手を使ってくるとは予想しなかった…」
橘はあの包囲網を突破する為にあえてあの場でスパートをかけ、斜行にならないように他の馬や騎手達を威圧させ、無理やり退かせた。しかしスピードを上げるには超がつくほどロングスパートでなければ潜り抜けることは不可能。しかしそれはボルトだからこそできた芸当であって他の馬であれば沈み、何もせずとも惨敗しただろう。またボルトが父や祖父のように大柄ではなく、小柄な馬であったら威圧も出来ず、逆に弾き飛ばされていた。
「カイノイージーがあの結果だと詰んだな…」
伊勢は百井から良い馬を預けられることを諦め、真っ白に燃え尽きていた。
「ただいま終わり…えっ? テキ、テキィーッ!!?」
調教助手の法条が帰り、灰となった伊勢を見つけ目を丸くし大声を出した。
〜武田厩舎〜
「ボルトチェンジ、重賞制覇おめでとう!」
「ドーモ。」
ボルトを贔屓にしている梅宮がボルトの勝利を祝い、頭を撫でた。
「それでボルトの次のレースは朝日杯なんですか? 武田先生。」
「うん? いやポープフルSだ。マオウと当たったところで今のこいつに勝ち目はない。」
『おっさんまでそんなことをいうのか?』
「無敗でGⅠ取った馬同士がダービーで戦う……これほどロマンティックな展開、誰もがみたいだろ?」
「はい!」
『最高の舞台を用意するから待ってろってことか。まあいいか。』
「ところでゴールやターボ達にJCの出走登録がない理由はわかったのか?」
「それがリセットを除いた今年の3歳有力馬達は香港国際レースに出走登録していて、JCも有馬記念も回避するみたいです。」
「あいつら香港に行くのか? まあJCや有馬よりも低レベルだからそっちの方が奴らに取っては賞金や勝ち星を重ねるには良いかもな。」
「ええ。3歳有力馬達が一斉にいなくなったからといって今年のJCのレベルは低くなった訳ではありません。むしろ高くなったと言って良いでしょう。」
「そいつはそうだろうな。牝馬ながらにして牡馬三冠馬となったリセット、欧州三冠馬アブソルートに加え、JRA賞を受賞した馬が二頭。GⅠを複数勝っている馬がほぼ全頭だ。後にも先にもJCでこれ以上のメンバーは揃わないだろうな。」
「例年ならマジソンは有力馬の一頭ですが今回は脇役ですよね……」
「オッズ20倍くらいじゃないか? 秋天や宝塚で負けちまったんだしな。」
「20倍は流石に言い過ぎですよ! 天皇賞秋や宝塚記念はマジソンの苦手な舞台だったから負けたとかそんな風に言われていますからもう少し人気があっても良いんじゃ……?」
「甘いな。あれだけのパフォーマンスを見て、リセットを支持しない奴がいるか? 俺が観客の立場だったら間違いなく単勝を買うぞ!」
「そ、それはともかく今回のJC上位5頭を教えてください。」
「そうだな。現状まずリセットが一位、二位がアブソルート、三位がレイト、四位がうちのマジソン、五位がダンジョンだな。」
『マジソンよりもレイトの方が格上って認めるのか?』
「対決したのが一度、それも鼻差だけとはいえ負けは負けだ。だから俺はレイトを格上として見ている。だがダンジョンは別だ。ダンジョンは2400m以上になるとマジソンに逃げ切られてしまうしな。何でマジソンからダービーを勝てたのか不思議なくらいだ。」
「そうですか…」
「話は変わるが何度も対決して半分以上勝っていれば互角以上という俺の持論で言えばテンポイントはトウショウボーイと互角じゃなく格下だと思っている。1977年時の八大競走に宝塚記念が入っていればトウショウボーイに票が流れてテンポイントは満票で年度代表馬になれなかっただろうし、そもそもトウショウボーイとテンポイントの対決はトウショウボーイの勝ち星が多い。直接対決した6戦のうちトウショウボーイが先着したのは皐月、ダービー、76有馬、宝塚。テンポイントが先着したのは菊花賞と77有馬しかない。」
「それじゃグラスワンダーはエルコンドルパサーよりも弱いということですか?」
「微妙だな。グラスは99年の安田記念で府中が苦手だというのがわかったからエルコンと直接対決した毎日王冠はあてにならん。暫定的にエルコンの方が上というだけだ。」
「スペシャルウィークは?」
「スペ? 古馬時代のあいつなら右回りでなければエルコンだろうがグラスだろうが関係なしに勝てる可能性はある。エルコンが日本馬と戦ったのは古馬の時じゃないしな。」
「ありがとうございました。ではナリタブライアンは?」
「ナリタブライアンはグリーンが全盛期の時に正真正銘負かしたのが有馬だけだし、それ以降も参考になるレースは6歳時の天皇賞くらいしかないしな。ダービーはグリーンの降着があったから三冠馬の中じゃ微妙な立ち位置なんだよな。」
「微妙……」
『確かに微妙だよな。故障さえしなければあの爺に勝てたかもしれないのに』
「まあそれは置いてだ。今年のJCはハイレベルだがマジソンにも勝ち目はある。」
「マジソンの勝ち目? あのリセットに勝てる要素があるんですか?」
「マジソンは基本的には逃げ馬だが先行も出来る。所謂自在先行の脚の持ち主。しかしリセットやドラグーンレイトはとにかく逃げて逃げまくる大逃げ戦法しか使えない。つまり勝手に自滅してくれるんだ。」
「自滅ですか。確かにあり得なくはありませんが……アブソルートについての対策法は?」
「あいつは日本の高速馬場に適性こそあれど慣れていない。ましてや左回りの経験も少ない。その点うちのマジソンはコースに対する不安なんぞありゃしない。」
「なるほど。つまり、経験の差で勝てると言うわけですか!」
「とはいえ、マジソンが勝てる見込みは薄い。世界の怪物相手にどこまでついていけるのかがマジソンの課題だ。」
「ありがとうございました。武田先生。これからもよろしくお願いいたしますね」
梅宮はそう言ってお辞儀をし、顔を見上げる
「ああ。よろしく頼むよ」
武田はそれを笑みで答えた。




