第88話
奴隷……
人でありながら“物”として扱われる者の事だ。
彼らに権利や自由は認められない……
“物”として生を送らなければならない。
「元から集落ではいじめや虐待があったけど……流石に、全員に“奴隷にしてもいい”と思われていると思うと……」
その時、シエルの綺麗な瞳に涙が薄らと浮かぶのが分かった。
ここが俺の部屋の中で良かった……
幼少の頃から過酷な環境だったのだ。
涙がにじむのも仕方ないだろう。
俺としてもその気持ちは分からないでもない。
とは言え、涙する事も忘れた俺と同じにはされたくないだろうが……
「そこから先はもっと地獄だった……食べ物かどうかすら分からない、臭いだけで吐き気を催す物を食事に出され、気まぐれに暴力を振るわれた……」
身体が否応なく、震える。
恐怖故ではない、込み上げる憤怒故だ。
しかし、今は黙って話を聞かなければならない。
怒りを剥き出しにしたところで、それを向ける相手すらもいないのだから……
「私は幼かったから性的な事はさせられなかった。けど、周囲の女性たちは性奴隷として扱われていた……彼女たちの目は絶望に染まり、物言わぬ屍と変わらなかった。それを見ていると男と言うものに得体のしれない恐怖と抑えきれない憤怒が生まれた……」
怒りがこみ上げてくる。
しかし、俺が今すべきことは怒りを露わにする事ではない。
身体は勝手に動き出す。
「えっ……?」
「大丈夫、俺が全力で守るから……もう失敗しない。シエルの事は俺が守るから、怖がらないで? シエルはもう一人じゃない。姉ちゃんも、団員の人達も、俺もシエルの味方だから……」
抱きしめる……
居ても立ってもいられなかった。
もう、シエルに涙を流させてはいけない。
驚愕の色で染まったシエルの可愛い顔には未だ涙が残っている。
これで最後にしなければ、これがシエルが流した最後の涙にさせなければ……
「…………」
「あっ、ゴメン!」
「あ…………」
俺は唐突に思いだす。
彼女は男が“嫌い”なのだ。
本能的に拒絶反応が起きてしまうほどに……
それを嫌という程分かっていたはずなのに俺は抱き上げて走った挙句、感極まったからといって抱きしめるなんて……
シエルが俺に嫌われたくないだろう状況でそんな事をするなんてシエルになんて謝罪すればいいのだ。
俺はすぐに、シエルを抱きしめる手を離してすぐに距離を取る。
少し、シエルの惜しむような声が聞こえたのはきっと幻聴だ。
そう思ったのだが……
「ゴメン、馴れ馴れしくして……嫌なら言ってくれればすぐに……」
「ユウは大丈夫……何故だか分からないけど、ユウに抱きしめられている間は温かくて心地よかった。」
「えっ……? 大丈夫だった? 別に嫌なら怒ってくれても良いんだよ?」
「本当に大丈夫……むしろ、もう少しあのままでも……」
徐々に声が小さくなっていき、最後の方は聞こえなかった。
しかし、シエルが俺を嫌っている様子ではない事は分かった。
ようやく、俺はシエルの“仲間”としての一歩を踏み出せたと言う事なんだろうか?
「ねぇ……私の事忘れてない? ワンちゃん? それにユウ?」
「ギクッ!?」
背後から発せられる殺気……
部屋に響く怒りに震える声……
聞き間違えるはずがない。
ステラだ。
「ゴメン……真っ先に助けに行くべきだった……」
「……ワンちゃんじゃない。それに、ユウは悪くない。」
「そうね。全ての元凶はあなた以外の何者でもない。それは分かるよ?」
「……それは大きな間違い。元凶はあなた。代行者、それとも悪魔と呼ぶべき?」
「へぇ……」
二人の間にバチバチと激しい火花が散る。
緊張感はまるで爆発寸前の爆弾のような一触即発の状態だ。
蛇に睨まれた鼠というのがどんな気持ちなのかよくわかった。
「……ユウの身体を使って好き勝手して元凶以外の何者でもない。あれがなければ、私もこんな事はしなかったかもしれない。」
「待って、ステラは悪くないんだ。俺が悪いし、ステラがしなくても俺がする予定だった。知っているだろ?」
「知ってる。けど、所々靄が掛かって見えない所もあった。恐らく悪魔が関わっている所は全部見えなかった。だからステラって言う名前も初めて知った。だけど、どちらにせよその悪魔の行動は褒められたものじゃない。」
「あなたにどう思われようと構わない。ユウさえ許してくれるなら、ユウさえ分かってくれるなら……それで構わない。」
なんというか、シエルもステラとは相容れないみたいだな……
もっとみんな、ステラと仲良くして貰えれればいんだけれど……
だが、同じ時間を過ごせばいづれ分かりあえる日が来るだろう。
「ワンちゃんには分からないか……」
「……独りよがりの悪魔よりはマシ」
「まぁまぁ二人とも……」
こればいいなぁ……
ステラはとても優しい子だからみんな同じ時間を過ごせば分かってくれると思うんだよな……
ステラが誰かといがみ合う様子なんてあまり見たいものじゃない。
そこで、ステラの視線がシエルからこちらにギロリと向けられる。
「それに、ユウ……なんかいい感じの雰囲気を感じ取ったんだけど?」
「面目次第もありません…………」
ステラが怒っても無理はない。
俺はステラなら大丈夫だと思って軽んじていた部分があった。
言い訳なんて出来るはずがない。
俺は俯き、自分の非を認める。
ただ、いい感じの雰囲気とやらは知らないが……
「醜い嫉妬、心を広く持つべき……そんな狭量な悪魔に四六時中付き纏われてユウが可哀想……」
「ぐぬ……別に怒ってなんかないし、ユウが反省してるなら構わないもん!」
もん!って……
別に怒られてもいいんだけどね……
俺が悪いんだし。
「うぅ……覚えてろよ怪力犬……」
「……当たり前の事を言っただけ」
何かヒソヒソと話しているが聞き取りずらい。
まぁ、盗み聞きしたい訳じゃないから構わないんだけど……
さっきからステラの黒いオーラがどんどん膨れ上がっているんだよね……
「そういえばシエル、他に誰か連れてきてないよね?」
「……来てない。2人は最近ユウの捜索で忙しい。」
「…………」
まぁ、来ていないならそれでいい……
けど、やはり胸を刺す罪悪感は止む事はなさそうだ。
姉ちゃんとティアが一生懸命俺を探して忙しいのだと思うとそんな状況を作り上げてしまった事に罪悪感が湧く。
「……けど、誰一人としてユウの足跡すら見つけられていない状況。」
「話せば……分かってるよね?」
「……分かっている。」
脅すようで悪いがステラの言っている事は正しい。
流石に俺の居場所がバレると困る。
かと言って、もう俺にはシエルを傷つける事は出来ない。
「ユウを信じる事に決めた……」
信じてくれている。
その言葉はどんな甘味よりも甘く……
どんな踊り子の情熱的な踊りよりも俺の心を波立たせる。
「ありがとう……」
信じてもらえる。
その喜びに身体が震える。
絞り出すように、そして気取られぬよう感謝の声をあげる。
その時、その空気を壊すかのような荒々しいノックが響く……
「おいッ! 災厄! 貴様に渡す物がある!」
どうやら、俺の宿はつきとめられてしまっていたようだ。
しかし、慌てるようなことではないだろう。
予想が当たっていれば、これは……
「……二人とも待っててくれ。」
そのまま俺は扉へと向かい扉を開ける。
すると、そこに居たのは予想通り騎士だった。
簡単だ、あの領主様からのメッセージだろう。
「これを受け取れ、念の為に口頭でも言わせてもらうが一週間後にベリル・ウェスター様の館まで来られよとの事だ。分かったな?」
「……分かった。」
どうせ断ったら面倒なことになるのだろう。
なら、領主の前に大人しく向かえばいいだけの話。
シエルが言ってたように足跡すら見つかっていないのであれば、俺が指名手配されているとは思いもしないだろう。
「やけに物分かりがいいじゃないか。気にする事はない。領主様は素晴らしいお方だ。余程の悪さをしていない限り何もない。」
「……そうか。」
多分、俺は領主からすればかなりの悪さを働いている部類に入るんじゃないだろうか?
取り敢えず、軽く頷きを返すと騎士は帰って行った。
「あの領主……多分、かなりのキレ者だからなぁ……あまり顔をつきあわせたくはないんだけど……」
「……ユウ、あのウェスターに目をつけられたの?」
「え? もしかして有名なの?」
その言い方だとシエルは知っているみたいだけど……
まさか、誰もが知っているような有名人?
「……国境の辺りにいる領主は総じて強者で有名。シンフィールド家とウェスター家は数多くの武勲によって恐れられている。特に、ウェスター家は寡兵であろうと四面楚歌であろうとウェスター家の者に指揮を取らせれば簡単に勝利を掴み取る……神算鬼謀の名将、フラディアス一の慧眼の持ち主……」
「なにそれ、知らないんだけど……」
「マカ・マナフのメンバーなんかは私たちが総出で捕獲に向かっても仕留める事は出来なかった。」
実は俺……
相当ヤバい人たちに囲まれてるんじゃないの?
本当に姿を眩ます方法を考えておかないとな……
「気をつけるよ……」
「そう言えば、そろそろ帰らないと……」
「あ、そうか……」
それもそうだろう。
もし、シエルの事を探しにティアや姉ちゃん、団員たちが来てしまえば俺の場所はバレる。
それに、シエルにも仕事があるだろう。
「じゃあ、元気で」
「早くどっかに行けば? 出来れば二度と戻ってこないでもらえると嬉しいわ!」
「……また来る。」
「ちょっと! 聞いてた?」
そのままシエルは背を向け帰って行く。
最後に見た顔はどこか、いつもより余裕のある顔だった。
けれど、そこに笑顔は無かった。
だがもしも、裏切られ続けた彼女の笑顔を作りだせれば……
それは、裏切り者である俺にとって“贖罪”になるだろうか?
ふと、そんな考えが過ぎった。
だが、すぐに頭の片隅においやり予想以上に有名人だった領主への対応をどうすべきか頭を悩ませた。




