第68話
「ユウ、こんな所にいたの?」
「あれ? ギルドの人はいいの?」
カウンター席に腰かけたまま飲み物を頼んでいたら姉ちゃんが現れる。
しかし、その周りにあのギルドの人はいない。
姉ちゃんが一人……これはチャンスだ。
場所もタイミングもまさに完璧なのだ。
横やりを入れられたくはない。
「良いのよ。時々、手紙を返して依頼を数個受ければ満足するんだから。」
「はは……あの人も可哀想だな……」
「お互いさまよ。」
そう言って姉ちゃんも隣に腰掛ける。
少しあの人を哀れに思いながらも席をはずしてくれた事には感謝だ。
しかし、出来るだけ迅速に事は運ばねば……
「姉ちゃんは何か頼まないの?」
「そうね。私もユウと同じのを貰おうかしら? 頼める?」
「かしこまりました。」
姉ちゃんは俺と同じ飲み物を注文する。
前提条件は達成だ。
すぐに注文の飲み物は出される。
「ありがとう。」
「姉ちゃん、最近アルコールを初めて飲んだんだけど……いまいちでさ、何かオススメとかない?」
「そうね。私も祝いの席とかでは少し飲むけどまだアルコールを楽しめてはいないのよね。食べ物ならいくつかユウの好きそうなものを知ってるんだけど……」
「えっ、どんなの?」
当たり障りのない会話を続ける。
焦ってはいけない。
急いては事を仕損じるとも言うくらいだ。
タイミングはいつかくる。
「そうね……どんなの、と言われると……あ、あれよ。」
「ん? どれ?」
少し身を寄せて姉ちゃんが指差すテーブルを見る……
演技をする。
視線は完全に逸れた。
本命は手にある。
「いつになく積極的ねユウ。」
「あ、ゴメン。」
そう言って元の位置に戻る。
正直、恥ずかしいのだが……
背に腹は代えられぬとも言う……
今は我慢の時だ。
「いいのよ。私は姉弟の恋愛も認められるべきだと思うから。」
「俺は少し考えた方がいいと思うけど……」
「あら、冷たいわね。距離が短くなったと思ったのに……禁断の恋に目覚めたらいつでもお姉ちゃんに相談して良いのよ?」
そう言って妖艶な笑みを浮かべる姉ちゃん。
出来れば目覚めないでほしいものだ。
それはともかく、作戦の第一段階は達成だ。
「はは、取り敢えず乾杯と行こうよ。今日に感謝って事で」
「そうね。乾杯。」
グラスをそっと触れさせて小気味のいい音を響かせ乾杯をする。
姉ちゃんと俺は飲み物に口をつける
流石は仮面舞踏会……最高級のものと言う事は分かる。
ただ一つ残念な事があるとすれば何があるか知らずに適当に頼んだ為、これが何かという事すら分からない。
「……2人とも居た。」
「シエルじゃない。どこに居たの?」
「……こっちのセリフ。突然消えられると困る。」
人波の中から現れたのはシエル。
どうやら、姉ちゃんはシエルを放置して歩きまわっていたようだ。
「そう言えば、この仮面舞踏会っていつ終わるの?」
「ん? そろそろ帰ってる人も多くなってきたけど、基本時間を特には決めてないわよ。」
「……少し退屈。」
一切、言葉を繕わない正直なシエルの意見。
俺も正直、もう後は未練だけを残させるこの場所とは……
それに、ティアがまたあちらに向かうのはあまり見たい光景じゃない。
「じゃあ、ティアも呼んでそろそろ帰る?」
「そうね……なんだか私も疲れてきたわ。」
「丁度良かった。ティア。そろそろお暇しない?」
「わかりました。外では帰宅用に馬車が手配されてるようなのでそれを使いましょう。」
丁度良く近くを通ったティアに声を掛ける。
どうやら、ティアも用事はないようだ。
嗚呼、終わるのだ……
遂に今までの楽しかった平穏な生活は終わりを迎える事になるのだ。
躊躇ってはいけない、失敗は許されないのだ。
「ふわぁ……なんだか眠くなってきたわ……」
「姉ちゃん、取り敢えず、馬車に乗るまでは頑張って耐えて。」
「うん……」
目を擦りつつ、睡魔と闘う姉ちゃん。
馬車に乗り込む頃には肩に寄りかかって無邪気な寝顔を晒していた。
嗚呼、姉ちゃんが寝顔を見に来る気持ちが少し分かった気がする。
初めて……しかも、こんな日に見たから尚更そう思う……
「やはり、シエルさんは屋敷に来ないのですね。」
そう、シエルは屋敷に来ない為、違う馬車に乗って帰った。
まぁ、シエルは男性恐怖症みたいな感じだし仕方ない。
ほぼ日常的に来るダグラスと毎度殴り合いを繰り広げるのもストレスをため込む原因になってしまうだろうし……
「まぁ、仕方ないよ。その方がシエルの為だしね。」
「そうですね。」
夜の街は静まり返り、馬車の揺れる音だけが妙に響く。
どうしてか会話は続かない。
やはり、あのベルナンド侯爵の話を話した後だと幾ら繕ってもこうやって話が長続きしない。
しかし、この静寂すらも今では心地よく思える。
そして、それがまた未練になって積もって行く……
「着きましたよ。」
心地よい時間ほどすぐに過ぎ去る。
いつの間にか屋敷の前に着いた事を知らせる御者の声が聞こえてきた。
お姫様だっこの様に姉ちゃんを抱き上げて馬車を降りる。
馬車は俺達を下ろすなり去って行く。
「御帰りなさいませ。」
「ただいまサラ。」
「ただいまサラさん。」
律義に出迎えに来たサラさん。
やはり、こういう所はしっかりしている。
人が見ていない所でうっかりしているのは内緒だ。
「それでは、部屋で待っていますね。」
「うん、紅茶を淹れたらすぐに行くから。」
屋敷に入ればティアは部屋に戻るべく、俺は姉ちゃんは部屋に寝かしに行くべく廊下で別れる。
心なしか、腕の中の姉ちゃんが嬉しそうな寝顔に感じるのは未練の所為だろうか?
少し悪いと思いながらも姉ちゃんの部屋に入ると必要最低限のものだけが置かれていた。
まぁ、部屋でじっとしている事自体がほとんどないから必要ないのかもしれない。
そのまま、姉ちゃんをベットに運び寝かせる。
「おやすみ。そして、さよなら姉ちゃん。ゴメンね。約束の守れないダメな弟で……」
もしかしたら最後になるかも知れない。
いや、順境に行けばこれが今の俺が本当の別れと謝罪を告げる事が出来る最後のチャンス……
謝った所で許されはしないだろう。
だが、謝らずにはいられなかった。
約束を守らない事、今から起こす事。
到底、謝って許されるものではないだろうが……
「んん……」
別れと謝罪を告げ、立ち去ろうとした俺を引き止める感覚。
一瞬、姉ちゃんが起きたのかとも思ったがそれは違う。
しっかりと、飲み物に混ぜた睡眠薬は効いていた。
だが、姉ちゃんは俺の事を掴み引き止めていた。
強い力ではない。
しかし、手を掴む姉ちゃんの手の感覚はとても離し難く……
そして、姉ちゃんの寝顔は何故か、悪夢にうなされているかの様だった。
「ユウ……いやぁ……いやぁ…………」
寝言だ……
しかし、それはまるで戻らない俺の事を分かっているかのような小さな悲鳴で……
姉ちゃんの頬には涙が伝っていた。
しかし、立ち止ってはいけないのだ。
大体、寝言だ。
さっきの言葉を理解して言ったのではないのだ。
ただ、姉ちゃんは少し悪夢を見ているだけだ。
希望なんていらない。
そう言い聞かせ、断腸の思いで姉ちゃんの手を解く。
「ユウ…………」
もう、声は届かない。
部屋の扉をそっと閉じてキッチンへ向かう……
悠は最後の別れを告げ油断していたのか気付かなかった。
「…………」
窓の外からこちらの様子を窺っていた……
月光に照らされた影に……
そして、買っていた紅茶を淹れる。
あっちの世界でもなんどか同じ事をした。
違う事は一つ……
最後の行程だけだ。
これで完成。
そのままティアの部屋へと歩みを進める。
そして、扉を軽く叩く。
「ユウですか? 入っていいですよ。」
許しを得て部屋の中へと入る。
ティアの部屋は様々な仕事関係らしきの物らがあったがその全てが綺麗に整頓されていた。
恐らく、客人とここでも話せるようにと置かれていたソファーに腰掛けるティア。
紅茶を置いて俺もその向かいに腰かける。
「いい匂いです。」
「良かった。内心、失敗してないか不安だったんだよ。」
主に最後の行程で……
心配する必要はないと分かっていても心配は止まらなかった。
これが恐らく最後のティアとの会話だろう。
これから先、順境に行けば、まともな話をする機会は姉ちゃん同様に、いや、それ以上にあり得ない無いだろう。
「そう言えば、話をしたいとの事でしたね。」
特に話したい事がある訳ではないのだ。
しかし、これが最後なら……
「……今からは全て本心で答えて欲しいんだ。」
「分かりました。ティア・シンフィールドの名に懸けて本心を話します。」
真剣な話と分かったのかティアの声にはいつにも増して真剣さが混じる。
こういう辺りで迷わずに本心で話すと言えるティアは凄い。
俺を一切疑っていないのだから……
「……ティアの生きる理由って何?」
「……生きる理由ですか……」
「そう、何故ティアは生きようとするのか……それが知りたい。」
そう聞かれるとティアは少し考える様にして紅茶を啜る。
俺にはそれが無いのだ。
姉ちゃんに何の為に生きるのかを探せと言われたから……
そんな惰性で生きてきたのだ。
「強いて挙げるのであれば……恐らく、復讐の為です。」
「やっぱり、そうなんだ。」
「復讐の為の人生をくだらないと思いますか?」
復讐の為の人生。
ティアがそれを問うと言う事は、自分で復讐の為の人生に疑問を感じているのだろう。
しかし、俺には分からない。
俺にはその人生を送った経験が無いのだから……
だが、客観的にそれを考える事は出来る。
頭を回転させてそれを考える。
しかし、復讐とは憎しみが生みだし、憎しみを生みだす行為だ。
そして、その復讐が果たされた先にあるものが見えない。
結果として、復讐の為の人生は極めて無意味だ。
だが、それは頭で考えた場合だ。
俺の心はその行為を無意味とは思わない。
「くだらないとは思わない。けど、俺には分からないんだ。何故、何かの為に生きなければならないのか……」
「分からない、ですか?」
俺が見てきた人は二つだ。
どんな理由であれど生きたいと言う理由がある者。
なんとなく生きていると言う者。
しかし、俺はどちらでもない。
自分が今まで感じてきた死への恐怖とは、ほとんどが姉ちゃんと言う大きな存在が居てその約束があったからだ。
それを破る事は姉ちゃんを裏切る事であり、唯一の味方の存在に敵対する事だ。
結果、俺は死よりも姉ちゃんを失う事が怖かったのだ。
再会する前は尚更だ。
もう会えないかもしれないのだ。
それなのに、その約束を破るのは心から姉ちゃんが消えるような気がした。
「何かの条件として生き延びなければならないのは分かる。誰か大切な人の為に生きるのならば理解できる。しかし、自分の為に生きる理由が分からない。」
例えるならば、自分が死ぬ事で大切な人に悪影響が出るのならば怖いのは理解できるが、自分がただ死ぬだけならばそれで構わないと思っている。
少し前までは姉ちゃんだけがその大切な人だった。
しかし、今ではティアの事も大切な人になり、その周囲の人が傷つくのも怖い。
姉ちゃんの約束を破るのはダメだが……
ティアが死ぬのは、それよりもあってはいけない事なのだ。
「それは……」
「異常だよね。けどね。これも他の人に言われて考えなければ分からないほどなんだ。」
少し前までは分かりそうだった。
自分の為に生きると言うことがどんなものなのか……
けど、その“柊 悠”はこの前死んだのだ。
あのダグラスと話をした夜……
柊 悠は消えた。
残るのは神崎 悠だけ……
「あれ……急に眠気が………」
ティアの紅茶に容れた薬も効果を出し始めた。
間も無く、ティアは夢の世界へと旅立つ……
正直、それほど強い効果は持たない為、誰かが起こそうとすれば簡単に起きる。
だが、それで充分……
「まさか……! ユウ、あなたが……」
「さよなら、ティア……もう会う事もないだろう。」
今まで、ティアに向けて発したことがないような冷たい声で別れを告げる。
ティアの驚きに満ちた声は睡魔に掻き消される。
ソファーに倒れこむティア。
これで、最初の条件は満たした。
「何、折れそうになってんだよ俺は……」
もう踏み出したのだ。
元より引き返すつもりも止めるつもりもないと言うのに……
それなのに、心が折れそうになってしまう。
ダメだ……早く出よう。
眠るティアから目を背けるようにして部屋を出る。
そして、外へ出ていく。
「最後に……今までありがとう。さようなら……」
屋敷に向き直り頭を下げる。
特に誰かに向けてと言う訳ではない。
今までの思い出全てへの別れだ。
そして、そのまま門まで歩みを進めて、門番に適当な事を言って外へ出る。
門番は今までの信頼があったのか簡単に通してくれた。
恐らく、俺の事を欠片も疑ってはいないだろう。
誰もユウを疑わない。
誰も考えた事すらなかっただろう。
ユウが着実に狂ってきていたなんて……
「…………」
姉であるミチだって不安を感じつつも、遂にその核心に至る事は出来なかった。
しかし、一人だけは狂気に気付かないまでも、今宵の異常に勘付いていた。
ユウの今宵の全ての行動は彼女以外には完全に隠し切れていた。
彼女は夜街を駆け、ユウの行動を監視する。
しかし、悠は気づかずに行動を始める。
その全てが彼女に筒抜けであると気付かずに……




