エピローグ
栞の依頼が解決してから数日後、美瑠は都の家を訪れ、今回の奇妙な出来事の報告をしていた。
「……それでね、やっと栞先輩の体力が回復して、今日久しぶりに登校したんだけど、もう、いじめてた人たちは近づいてこなかったって。栞先輩、言ってた。あんなことになっちゃったけど、シオンはやっぱり私を守るために来てくれたんじゃないかって……」
都は黙って美瑠の話を聞いていたが、いつもは穏やかなその顔が、今日は終始かたいままだった。
「……もう一度聞くけど、じゃあ、あなたも礼も本当に危ないことはなかったのね?」
「え? そ……、そりゃあもちろんっ! 妖怪っていっても、えっと……、チ、チワワみたいな大きさだったし、すぐに、千霧さんがやっつけてくれたしねっ!」
ハハハ……とごまかし笑いをしながら、お茶うけの苺大福にかじりつく。
本当のことを言えば、都が烈火のごとく怒り、心配に胸を痛めることは明らかだった。
そのため美瑠は礼や自分が危険な目にあったことにはなるべくふれず、都の質問も必死に否定したのだが、当の都に安心した様子はなく、しきりに美瑠たちの身を案じていた。
でも、なぜだろう。
礼が退魔士という仕事を始めた時、自分は反対し、都にやめるよう言ってくれと告げ口までした。
なのに今は礼をかばい、なかば誇らしげに事の顛末を話している……
モグモグと口を動かしながらそんなことを考えていた美瑠は、自分のいる和室内からふと縁側を眺めた。
「ん?」
「あらやだ、カラス……」
引き戸を開け放した縁側に、いつの間にか大きなカラスがふたりのほうを向いてとまっていた。
「コラーッ! お前にやる苺大福はないよっ!」
こぶしを振り上げて威嚇する美瑠を気にすることもなく、カラスはしばらくその場でじっとしていたが、カアと一声なくと一気に飛び立っていった。
「あら……、あのカラス……」
と言いかけて都は言葉を止めた。そうだ、見間違いに決まっている。
3本脚のカラスなど、いるわけがないのだから。
2つあった苺大福もすべて腹の中に消え、空になった皿を見ながら美瑠はつぶやくように言った。
「でも……、お祖母ちゃんの言ってたとおりかもしれない」
「あら、何が?」
「退魔士って、困ってる人を助ける素晴らしい仕事じゃないのって……。もしかしたら、そうなのかもね」
礼の首筋に猫又が食いつこうとしたあの時、美瑠は礼を助けるため猫又に飛びかかる寸前だった。たとえ、自分の身がどうなろうとも。
あのタイミングで千霧が現れ、礼と美瑠の兄妹を救ったのは、単なる偶然だったのだろうか。
美瑠にはとてもそうは思えなかった。
今も礼は暇さえあれば千霧を探して街をさまよっているが、それが礼の言葉通りスカウトのためなのか、それともそれ以上の理由があるのかはわからなかった。
「どうしたの? 今日は黙ってばかりね」
「ん? そんなことないよっ……」
照れたように視線をそらして美瑠が答える。
美瑠もまた、千霧に会いたいと思っていた。
今はもう、退魔士という職業にどうしようもなく惹かれていたから。
◇
時はさかのぼり、猫又退治の日の深夜――
「んご~」
雑居ビルの礼の事務所では、安物のソファに寝転がって礼が眠っていた。
両親の死後、礼と美瑠は祖母である都の庇護のもと、部屋を借りてふたり暮らしをしていた。
2年前に礼が高校を卒業し、この事務所を使うようになると、礼は美瑠との部屋には帰らず、こちらに寝泊まりするようになった。
当時は美瑠と顔をあわせるたびに「お前が口うるさいからだよ!」などと口げんかをしていたが、部屋を出てからの礼は両親が残してくれた遺産にほとんど手を付けることはなかった。
「ぐお~」
散々苦労した猫又との戦いの後も、千霧を探して街を駆け回ったこともあり、礼はすっかり疲れ果てて泥のように眠っていた。
ゴトリ
礼が寝返りをした拍子に尻のポケットに入っていたスマホが床に落ちる。
と、ひとりでにスマホの電源が入ったかと思うと何かのアプリケーションが起動し、チャカチャカとBGMが鳴りはじめた。
「魔物ハンター」というタイトルのそのアプリは、奇妙なことに誰も操作をしていないのに勝手に進行していく。
ゲームの説明らしきものが表示されて、次に画面が切り替わったとき、そこにはあの猫又が表示されていた。
猫又の画像がカラーから白黒に減色し、上から大きな×印が描かれる。
アプリのタイトルとその日に起こったことを考えれば、それが猫又が討伐されたことを意味しているのは間違いなかった。
ふたたび画面が切り替わる。今度は『コンプリートまであと66/66匹』と書かれたテキストが、バーンという効果音とともに『65/66匹』に書き換えられた。
「んご~」
ソファーの上では、そんなことが起こっているなど知りもせず、礼がひたすら眠りこけている。
しばらくすると、スマホはまたひとりでに電源が切れ、画面は元の黒へと戻った。
窓の外では、その一部始終を一羽のカラスがじっと見つめていた。
エピソード1 その男、偽 (インチキ) 。
完