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まだダメージの抜けきらない身体でふらふらと立ち上がった礼は、美瑠を部屋の外に下がらせ、栞の『腕』と対峙した。
礼を完全に栞の敵と認識した『腕』、いやシオンは先ほどからずっと臨戦態勢をとっている。
「その妖怪がシオンだとわかった以上、どうやら化け猫の退治方法は通用しなさそうだ」
「じゃあ……、どうするんですか……?」
栞が不安げに聞いた。礼と裸で押し合いへし合いという貞操の危機は去ったものの、本当の危機は依然として栞の体に居座っているのだ。
「園田さん、すいません」
こちらを向いて謝る礼の顔は、なぜかニヤけていた。
「え……?」
バッ
栞の白のミニスカートがフワッと舞い上がり、淡いレモン色のパンツが丸見えになる。
スカートめくりの犯人は、もちろん礼だ。
「きゃっ!」
栞が可愛い悲鳴をあげて、慌ててスカートを押さえた。
礼の目的は、もちろん栞のパンツを見ることにある。だが今回に限っては、目的はそれだけではなかった。
いきなりのことで美瑠が突っ込みを入れ忘れている間に、すでにシオンは礼に襲いかかっていた。
パシッ
3度目の正直で今度は見事にパンチを受け止めた礼は、もう一方の手で『腕』をがっちりとつかまえた。
「やっぱりな……」
捕まえた『腕』を見つめながら、礼がつぶやく。
「園田さん、あなた、かなり衰弱してますね」
「あ……! ……はい。わかり、ますか……」
いきなり言い当てられて驚いた栞は、素直にその事実を認めた。
「だいぶ痩せて、ウエストが3センチ、バストは1センチ減っているはずだ」
「え……? いえ……、そこまでは、わからないですけど……」
「お兄ちゃん……、それってどういうこと?」
聞きながら美瑠はあらためて栞を見た。
『腕』にばかり気をとられて気づかなかったが、確かに栞は初めて会ったときよりほっそりしており、顔色も悪くなっているようだ。
「原因がシオンだってことは、俺にだってわかるさ。身体をもたないただのデータが実体化したんだ。こうやって存在し続けるためには、当然何かしらのエネルギーが必要だろう?」
「それで……、栞先輩から……」
礼の事務所に来たとき、栞は足がもつれて転びそうになった。そして先ほど会った彼女の母親は、このままでは栞の命も危ないと……
「だが、そのおかげでこいつをつかまえることができた」
暴れる『腕』をしっかりとつかんだまま、礼が続けた。
「この『腕』は園田さんのような小柄な女の子をベースにしているからな。もとから人に大ケガをさせるほどの力はもってない。そして、ベースが衰弱すれば、当然こいつの力も弱くなるのさ」
「う……、なるほどー(……ていうか、そんなに弱ったシオンが必殺技を出すなんて、お兄ちゃんよっぽど嫌われてたのね……)」
「ううっ……、お兄さん……、これから……、ど……、どうするんですか……?」
暴れる『腕』に振り回されないよう懸命に踏ん張りながら、今度は栞が聞いた。
「猫又という妖怪には弱点がありません。ならば、我々にできることはひとつ。こいつをとことこん弱らせて、園田さんの身体から引っ張り出す!」
「でも……、ううっ……、どうやって……?」
「フッフッフッ、簡単なことですよ、一流の退魔師にはね!」
そう言って礼は上着のポケットから赤い紙の霊符をさっと取り出した。
「お、お兄ちゃん、そんなもの、いつの間に……!?」
「これこそが、寺生まれのDTさんから通信販売で買った秘密兵器よ!」
手にした霊符を高らかに掲げて、得意顔の礼が続ける。
「いくら弱点がないといっても、所詮は動物っ! この炎の霊符には耐えられねーだろ!」
「え……? あっ……! ちょっと……」
何か言いかけた栞に気づかずに、礼は炎の霊符を『腕』に勢いよく貼り付けた。
途端に霊符から真っ赤な火柱が立ち上ぼり、ゴウゴウと燃え盛る。
それは、実際の炎ではなく、霊符に封じ込められた霊力が、炎の属性を与えられて形をなしたオーラのようなもの、いわば霊的な炎だった。
「はっはっはー! 燃えろ燃えろ~!」
「すっ、すごい……(今日のお兄ちゃん、なんだか、いつもと違う……?)」
栞もまた、信じがたい光景に目を見開いて固まっている。
10秒近くも燃え続けた炎が消えると、礼は霊符の効果に満足して手元の『腕』を見た。
「ん?」
何かがおかしい。
消え入りそうに弱っているはずの『腕』は、キラキラと生命力に満ちている。
簡単にねじ伏せられるはずが、今にもつかんだ手を弾かれそうなほど、力がみなぎっている。
「へ? なんで?」
わけのわからない礼に、栞がおずおずと打ち明ける。
「あの……、シオンは、炎属性なんです……」
霊符のすべてのエネルギーを吸収した『腕』は、自分を拘束する礼の手をたやすく振りほどいた。
次の瞬間、礼と美瑠は同時に叫んでいた。
「のおおおおおっ~~~!」
「もお~~~、なんでいつもこうなるのよ~~!」
◇
体力を回復した『腕』がさっそく礼への反撃を開始する。
「うわっ! ……っと!」
片腕からの攻撃に限られているとはいえ、パワーアップした動きをよけるのは至難の技だった。
かなり体力の落ちている栞も、強引な『腕』の動きにあちらへこちらへと引きずられている。
「うお! やばっ……」
思わずバランスを崩してしまった礼は、打撃を食らうことを覚悟し、とっさにガードを固めた。
ドゴッ
「ぐはあ!」
ガードの上から『腕』の攻撃をモロにくらい、後方の壁まで一気に吹っ飛ばされる。
激しく壁に叩きつけられ、崩れ落ちる礼。
「お兄ちゃんっ!!」
美瑠が自分の危険もかえりみずに飛び出し、礼のもとへと駆け寄る。
「大丈夫っ!? お兄ちゃんっ!」
「馬鹿っ! 美瑠、早く戻れ!!」
気配を感じた礼が急いで顔をあげると、その時にはもう目の前の『腕』が攻撃の体制に入っていた。
(くっ、間に合わねえ!)
咄嗟に美瑠をかばい覆いかぶさる。
ガッ!
「……?」
深刻なダメージを覚悟した礼だが、攻撃は当たらなかった。
ふらつく足を懸命に踏ん張りながら、栞が自分の『腕』にしがみついて攻撃の軌道を変えていたのだ。
「もう、やめて!」
大きな目に涙をあふれんばかりにためて、栞が叫んだ。
「美瑠、そのスマホで魔除けの札でもまじないでもなんでもいい、役に立ちそうなものを検索しろ」
礼は小声でそう指示を出すと、よろよろと立ち上がった。
「お兄さんも……、美瑠さんも……、二人は何も悪くない! もう、傷つけないで……、シオン……!」
栞の心からの訴えも届かずに、『腕』は栞を振りほどこうと暴れ続ける。
「栞ちゃん……、そいつはもう、シオンじゃない」
「……!」
「俺の知り合いが言ってたよ。シオンは、生まれたときから何千試合も、何万試合も、倒し倒されを繰り返してきたんだって……。戦うことしか知らないそいつがこの世に出てきたって、何ができる? そいつはまた、誰彼構わずケンカふっかけて、どこかで誰かを傷つけるだけさ」
栞の目にあふれていた涙が決壊し、ポロポロとこぼれ落ちた。
「そんな……、そんなの……悲し、すぎます……」
「そいつはバーチャルモンスターなんかじゃない。今はもう、『モンスター』なんだよ」
「シオン……」
悲しみに耐えきれず、つい力がゆるんだ隙を『腕』は見逃さなかった。
「あっ……!」
しがみつく栞を振りほどいた『腕』は、まだフラついている礼に猛然と襲いかかった。
「美瑠っ! あったか!?」
懸命にスマホを駆使する美瑠は
「そんなこと言ったって、わかんないよ~!」
と泣き言を言ったが、それでも画面には何かそれらしい護符が表示されていた。
「くそーーーっ!」
礼はスマホを引ったくり、殴りかかってきた拳にぶつけるようにスマホをかざした。
カッ!
拳がスマホに触れたその瞬間、スマホの画面から黒い光があふれ出た。
まるで黒い帯のように延びた光が『腕』全体を包み込むと、みるみるうちに『腕』のエネルギーが吸い取られていくのが見てとれた。
数秒の後、黒い光が消えたときには、『腕』は力なくぶら下がり、全体がうっすらと透けて見えるほどに弱りきっていた。
「美瑠! でかした!」
チャンスは今しかなかった。
時間を置けば、『腕』はまた栞から生命力を吸収し、復活してしまう。もちろん栞の身も危険だ。
「持ってろ!」
礼はスマホを美瑠に放ると、『腕』を両手でしっかり捕まえ渾身の力を込めて引っ張った。
「栞ちゃんから……、出て行けーーーっ!!」
ズルリという感触とともに、礼は見事に栞の身体から『腕』を抜き取った。
「お兄ちゃん……、やった……!」
固唾を飲んで見守っていた美瑠が、信じられないといった顔でつぶやく。
「うわ!」
不意に『腕』が膨らみ始め、つかんでいた礼の手を弾いた。
それは空中でごわごわと姿を変えると、大型犬ほどの大きさになって床に着地した。
鋭い牙と爪をもち、敵意に満ちた目でうなり声をあげるその姿は、正真正銘、モンスターそのものだった。