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「服も、下着も、靴も、私の部屋に全部揃っていた。たぶん、あの人が用意したもの。私がいつ目覚めても、困らないように。それを身に付けて、私は家から逃げ出した」
外に飛び出した理夢を助けたのは、頭の中に注ぎ込まれた記憶だった。6年分の膨大な情報は日を追って整理され、そのうち理夢は自分が置かれている状況を正確に把握することができたのだった。
礼と美瑠は、少女の語る不思議な身の上話を言葉もなく聞いていた。
「……3か月」
美瑠が上目づかいでおずおずと理夢を見る。
「目が覚めたのは3か月前って言ってたよね? 今までどうしてたの? 食べるものとか、住むところとか……」
「私はお腹がすくことはない。汗もかかないし、眠くもならない。それを感じるのは、全部カラダのほう」
この3か月、見つからぬよう最新の注意を払いながら、理夢は森嶋が集めた魔術関連の資料をもとに自身のことを調べ続けた。それによれば、理夢は肉体と魂が分離した状態であり、現在動き回っているほうの理夢が人間と変わらないのは、魂を覆うエーテル体が人体に擬態しているためらしかった。
「あの人が行った蘇生の儀式は失敗だった。何が原因だったのかはわからないけれど。それで私は、こんなふうに不自然な形で存在することになってしまった」
「そうだったの……」
「んで、あのビルからここにテレポートしたのは、どうやったんだ?」
今度は礼が聞く。
「前に、似たようなことがあった。研究室で資料を調べていたら、出ていったばかりのあの人が急に帰ってきて……。慌てて隠れる場所を探したけど、そんなものはどこにもない。見つかることを覚悟した私は、その場にしゃがみこんで強く目を閉じた。でも、いつまでたっても何も起こらない。恐る恐る目を開けたとき、私はここに立っていた」
「ん? ここって、この病室のことか?」
「そう。そのときも、私のカラダはここにあったから」
「つまり、理夢ちゃんは自分の体のあるところへ、瞬間移動できるってことなのね」
「へえ~~~。ま、肉体と魂は引かれ合うっていうからな」
「私が飛べるのは、カラダがある場所だけ。それに、とても疲れるから何回もはできない」
「なるほど、タクシーがわりには使えないってわけね」
「ねえ……」
一呼吸おいて、美瑠は真剣な表情で言葉を続けた。
「理夢ちゃんは、自分の体に戻れないの?」
理夢は答えなかった。
病室の端で自分の肉体を眺めていた理夢がベッドに近づいてきたので、礼と美瑠が場所をあける。
ベッドサイドに立ち、理夢は目を閉じたままの自分の肉体をじっと見下ろした。病室の暗がりの中、ミルクのようにまったりと白い肌が、深みを帯びた漆黒の瞳を一層引き立たせていた。
「いくら調べても、私が自分のカラダに戻る方法は見つからない」
「そんな……」
「そもそも、肉体と魂は切っても切れないもの。生きている限り、そのつながりはけして断つことはできない」
理夢はその白い手を横たわる自分の肩に置いた。
「もちろん、幽体が体を脱けだしたり、魂の一部を使って自分の分身を作ったりする魔術はある。でもその場合も、魂と体がちゃんとつながっていなければならない。私とカラダは、完全に分かれてしまった。引かれ合いはするけど、元に戻ることはできない」
「理夢ちゃん……」
「私は、もう死んでいるんだと思う」
理夢にさしのべようとした手を、美瑠は途中で止めてしまった。少女の闇夜のような瞳が見ているものに、何をしても、何を言っても届かない気がしたのだ。