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凄まじい勢いではじけた廃品の山が、大小さまざまな破片を隙間なく千霧に降らせる。
「くっ……」
線ではなく面での攻撃は普段の体さばきでは対処できない。やむなく千霧はその場に踏みとどまり錫杖で飛んでくる破片をいなすことに専念した。
ドンッ、ドンッと続けざまにはじけ飛んでくる破片を防ぎながら、千霧の足はさらに強く地面を踏みしめる。
『絵莉』の言ったとおり、千霧は完全に相手の術中にはまっていた。
真横に積まれた廃品の山を突き破り、ドラム缶のような太さの巨大な腕が破片を吹き飛ばしながら千霧に殴りかかる。
「ッ!?」
避けるというにはあまりに大きすぎる。千霧はとっさに腕でガードを固めるとパンチが当たった瞬間、同じ方向に自ら飛んで衝撃を相殺した。
よけることのできなかった大小の破片を身に受けながら、数メートルも吹っ飛んだ千霧はかろうじて受け身を取り、いち早く目の前の敵を見据えながら立ち上がった。
その腕と同様、ドラム缶ほどもある巨大な足が廃品を踏み潰す。
それは高さ3メートル近くもあるだろうか、ボロボロの布に覆われた人型の巨大な『何か』だった。
布の破れ目からのぞく紫色に光る目が、はるか上から千霧を見下ろしている。
「なんだあの化け物……、聞いてたのと全然違うじゃねーかっ!?」
千霧の言葉で難を逃れた礼は、美瑠とともに慌てて建物の外の物陰に逃げ込んだ。
「なるほど、お前が奴らの管理者……、つまり依り代というわけか……」
千霧の冷たく澄んだ瞳が冷静に目の前の物体を分析する。
見た目どおりの重量とパワーだが速度は伴っていないようだ。先程の攻撃も起点がわかれば対処はたやすく、こちらのダメージも深刻ではない……。つまり、千霧の敵ではないということだ。
「せっかくのご登場だが、これで終わらせてもらう」
ためらいなく巨人の懐に飛び込んでいく千霧。
巨木のような足が足元の廃品を蹴散らす。が、千霧はすでに正面にいない。右前方から迫り来る千霧に気づき、すかさず豪腕をふり下ろす。轟音とともに地面を叩く拳の上にヒラリと飛び乗った千霧は、巨人の腕を駆け登りさらに跳躍した。
「……ッ!!!」
巨人が目の前を走る黒い影に目を奪われた次の瞬間、その脳天に錫杖がふり下ろされた。
「すごい……」
まるで舞うような千霧の美しい動きに思わず美瑠が感嘆の声をもらす。
……だが、着地した千霧の顔には、美瑠たちが初めて見る表情が浮かんでいた。
「くっ……、貴様……!」
眉根を寄せ、ギリと奥歯をきしらせる千霧の顔を見て、巨人はまるで洞窟の奥から響いてくるような、濁った声で笑った。
「『摩利支』所属の退魔師、黒魅沙千霧っ! お前の記憶、喰らったぞ!」
その怒声が辺りの空気をビリビリと震わせる。
本来なら、あの一撃で勝負は終わっていた。千霧がまだ幼いころから血のにじむような努力をして身に付けた退魔の技が、巨人の霊体を切り裂き、摩利支天の清浄なる力がその存在を滅するはずだった。
だが、千霧の中から退魔の技が消えていた。
(あの時か……)
迫り来る巨人の大砲のような打撃を交わしながら、千霧は先ほどのよけきれずに受け流した攻撃を思い出した。
数十もの影法師の依り代となったこの巨人は、すでに触れるだけで相手の記憶を奪えるほどの強力な力を身に付けていたのだ。
千霧の錫杖に打ちすえられ、体を覆うボロ布がばらばらと崩れるように破れていく。
(やはり、無駄か)
巨人の攻撃をかいくぐり、千霧はすでに何度も強力な一撃を打ち込んでいる。
しかし巨人の動きは一向に衰えることがなく、それがまったく効いていないことを示していた。
「なんだか……」
美瑠は胸に巣くう不安が、さらに大きくなるのを感じていた。
素早い動きで巨人を翻弄し、優勢に戦っている千霧だが、一方で巨人が弱っている様子が全く感じられないのだ。
同様の不安を礼も感じていた。
「美瑠! そこで隠れてろっ!」
そう言い残して、礼は廃品の山に隠れながら千霧の元へと近づいていった。
巨人の頭部に強烈な一撃を叩き込み、軽やかに地面に着地した千霧は、そこで初めて肩で息をする自分に気づいた。
「どうやら体力も尽き始めたようだな……」
受けた打撃の影響など微塵も見せずに、巨人が千霧と正面から向かい合う。と、あちこち破れかけていたボロ布が一気に破れ落ち、隠れていた巨人の正体があらわになった。
「なんだ、ありゃあ……?」
すでに千霧と巨人の後方にまで来ていた礼は、薄暗い明かりに照らされたその姿を見て思わず声をあげた。
それは、もともとは広場や公園などの公共の場にランドマークとして置かれるような、何かのキャラクターの像だったのだろう。かろうじて西洋の男性がモチーフになっていることは見てとれたが、長い年月を風雨にさらされて、塗装はひび割れ剥げかかり、髪の毛や衣装小物などのパーツがあちこち欠け落ちて、異様な風体へと変わり果てていた。
「なかなか優秀な退魔師だったようだが……」
本来なら目のあるべき場所にぽっかりと空いた穴の奥で、紫色にらんらんと輝く二つの光が千霧をするどく射抜いた。
「お前に俺は倒せん! いやっ!! 誰にも俺を倒すことはできん! 俺は王だ! 惨めに棄てられ、無慈悲に葬り去られた……、この記憶の吹きだまりの王なのだ!!」
ビリビリと空気を震わせて咆哮すると、巨人は傍らの廃品の山を鷲掴みにし、取り上げた廃品をバリバリと喰らい始めた。
「そうやって、何体もの影法師を取り込んだか……」
素早いステップで巨人の攻撃をかわし、幾度となく跳躍した足の筋肉がこわばっている。
的確に強打を叩き込んだ錫杖を握る手に力が入らない。
残された体力は少なく、退魔の技の記憶はその一切を奪われている。
千霧が巨人を倒すすべは何一つ残っていなかった。
そう、千霧一人だけなら。
「末堂礼!」
巨人を見据えたまま千霧が鋭く叫ぶ。
「おっ、おお!? 何だ、千霧さん!」
いきなり声をかけられて驚いた礼が、隠れていた物陰からひょいと顔を出す。
「奴の正体を調べろ」
「……正体?」
「自分でも言っていたろう? 奴は影法師ではない。ここに棄てられ、葬り去られ怨霊化した記憶たちの依り代だ」
出来うるかぎり息を整えながら、錫杖を構え戦闘体制を取る。
「ならば、思い出してやればいい。それが、奴にとっての真言になる」
「ああ、わかった! 美瑠っ、お前も頼む!」
千霧の言葉に即座に応じた礼は、巨人の姿をスマホのカメラで撮影すると、さっそく作業を開始した。美瑠もまた同じ手順で作業にとりかかる。
「フハハ……! 面白い……! お前たちごときにわかるのかっ、この王の名が!」
礼の姿をみとめた巨人が、そばへ行こうと足を踏み出す。
シャン
巨人の目の前に立ちはだかった千霧が錫杖をひと振りすると、その場に涼やかな金属音が響いた。
「お前の相手は、この私だ」
蓄積された疲労などまるで感じさせずに、千霧は軽やかに宙に跳んだ。
撮影した巨人の画像をあらゆるコミュニティに貼りつける、ゆるキャラのデータベースを次々に流し見ては、学校、企業、近隣都市など、この街に少しでも関連のあるマスコットキャラクターを漁り、イメージキャラクターが用意されたイベントも欠かさずチェックする……
この短時間で、礼は考えられるすべての調査方法を試し、数百ものキャラクターを確認したが、目の前にいる巨人を見つけることはできなかった。
画像を貼りつけて情報をつのったコミュニティでも手がかりが皆無だったことを知ると、礼は期待を込めて美瑠のほうを見た。
「美瑠……!」
名前を呼ばれて美瑠が顔を上げる。
が、その顔は今にも泣きそうなほど悲壮感に満ちていた。
瞬時に検索結果の出るネットだからこそ、明白なその事実を暗示する。
この広大で深淵なネットの世界のどこにも、巨人は存在していなかった。