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ショックを受けて落ち込む紗菜を家に残し、礼と美瑠は事務所に戻ってふたたび調査を開始した。
本物の絵莉は常に紗菜がそばで見守っているため、ニセモノにとって変わられる心配はなかったが、失った記憶を取り戻す方法については、まったく見当がつかなかった。
オカルトサイトめぐりにも飽きて晩メシでも食べようかと礼が考えたところで、美瑠が熱心に見ていた自分のスマホから顔を上げた。
「お兄ちゃん、清修女学園って知ってる?」
「ああ、駅の向こうにあるお嬢様学校だろ?」
「そこの生徒のつぶやきなんだけど、今、学校でドッペルゲンガーが流行ってるんだって。何人かの生徒が、友達のドッペルゲンガーを見たって……」
「はっ、お嬢様ってのはそういう話が大好きだからなあ」
興味なさげ受け流す礼に、美瑠はさらに続けた。
「それだけじゃないんだよ。この街のコミュニティ掲示板のぞいてみたら……」
ふたたびスマホに目を戻し、美瑠は書き込みを声に出して読み始めた。
「『突然、夫が私の事なんて知らないと言い出しました。50代でも痴ほう症になるのでしょうか?』『同居の娘が失踪しました。私たち両親を他人だと叫んだ顔が頭から離れません』『昨日街で、あっくんが知らない女と歩いてるの見ました。あっくんに聞いたら知らない、よく似た別人だろうと言いますが、あたしはあっくんだと思います』……」
美瑠が不安げな表情で礼を見る。
「シェイプシフターは、一人や二人じゃないってこと? ねえ……、この街に一体何が起こってるの?」
「ま、まあ……、最後のは違うだろうけどな……」
どうやら紗菜と絵莉に起こった出来事と同様のことが、街のいたるところで起きているようだった。
しかし、それが絵莉のニセモノとどう関係があるのかわからない以上、それを知ったところで礼にはどうすることもできなかった。
ブブブ……
礼のスマホが着信で震える。
番号非通知の表示に、いぶかしげに電話に出た礼の顔がパッと明るくなった。
「千霧さん!」
「えっ! 千霧さん!?」
電話の向こうの意外な人物に、美瑠も思わず声をあげて驚いた。
「久しぶりですねえ! あっ、もしかして僕に会いたくなった? それでたまらずに電話を!? いやあ、わかります……。離れている時間が長いほど、逆に気になる気持ち……。これが恋っていうのかなあ……」
礼の言葉をまるで雑音か何かのように聞き流しながら、千霧の声は用件だけを簡潔に伝えた。
「工場街の廃品集積場跡に、あの柏村という女子高生に化けた影法師がいる。本体は、おそらく集積場の中だろう。影法師を倒したければ、まずはその本体を見つけることだ」
「かげ、ぼうし……? 千霧さん、あんた今そこにいるのか? ……。もしもし? 千霧さん!?」
礼が懸命に問いかけるも、電話はすでに切れていた。
「クソッ、やっぱりあいつ、まだ生きてたのか」
いまいましげつぶやく礼を見ながら、美瑠は教えてもらった電話の内容にふと疑問を感じた。
「ねえ、千霧さんて、たぶん集積場にいるんだよね?」
「ああ、そんな感じだったぞ」
「千霧さん、他にもその妖怪がいっぱいいるって知ってるのかな……?」
「……!」
千霧はその廃品集積場跡に影法師とやらの本体があるという。もしそこが影法師にとって隠れ家のような場所ならば、街のいたるところにいる他のヤツらにとっても……
そこまで考えたところで、礼の体は勝手に動き出していた。
「あっ! おにいちゃん、待ってよー!!」
部屋を飛び出した礼のあとを、美瑠が慌てて追いかけていった。
◇
夜の廃品集積場跡は、朽ち果てた廃品たちがより一層の物悲しさを誘い、独特の雰囲気がただよっていた。
黒の衣装に包まれた千霧が、音もなく、まるで空気すらもすり抜けるような密やかな動きで建物の中に足を踏み入れる。
ジジッ……
不意にすすけた電球に明かりがともり、暗闇だった屋内をボンヤリと照らし出す。
顔を上げた千霧の前方で、廃品の山の上に『絵莉』が腰かけていた。
(たやすく気づかれるほど、気を抜いたつもりはなかったが……)
疑問に思う千霧の心を見すかすように、『絵莉』が口を開いた。
「あなた、何者なの? まったく気づけなかった。……私一人じゃ、ね」
その言葉をきっかけに、廃品の山の向こうから、建物の陰から、コンクリート塀の向こうから……、至るところから人影が現れ、無言で千霧を取り囲んだ。
全部で20人ほどにもなった人影は性別も年齢もバラバラだったが、千霧を見つめるその表情だけは皆同じで、一様に警戒し敵意をあらわにしていた。
「人々の気づかぬうちにこの街に巣くっていたか。だが……」
コートの内側から折り畳んだ錫杖を取りだし、瞬時に元に戻すと背後を一閃する。
「~~~ッ!!」
背後から千霧に襲いかかろうとしていた少年が上下に真っ二つに斬り捨てられ、およそ少年とは思えない断末魔をあげて消えていった。
なお残心を保ったまま、千霧の冷たい瞳がさらに深く、暗く、温度を失っていく。
「一つ所にいてくれるのなら、都合がいい」
◇
工場街へと向かうタクシーの後部座席で、礼と美瑠がともに同じスマホの画面を見ている。
オカルト好き「影法師はまさにシェイプシフターの代表例ですね。一般に、人が長く使用しいていた物や愛用していた物が捨てられ長く放置されているうちに、物に宿っていた人の想いが妖怪化したものと言われています」
トイレの花ちゃん「ええ~☆ それってスゴいロマンチックじゃないですか~!(≧д≦* )」
オカルト好き「いえいえ^^; 影法師のエネルギー源は人の記憶です。相手のもっとも大事な記憶を奪い、それをエネルギー源としてさらに他の記憶も奪っていく。そうやって本人と入れ替わるわけです」
ぬうべえ「記憶を奪われた人間はどうなるの?」
オカルト好き「最後には自我を失い、脱け殻のようになってしまうそうですよ」
ぬうべえ「何それ、怖すぎ」
寺生まれのDT「影法師は、捨てられた物の怨みが妖怪化したもの、と言った方が正しいかもね」
長老「ほっほっ、物を粗末にすると罰があたる、これ豆じゃよ?」
寺生まれのDT「ただ、もともとが財布だとかペンダントだとかの小物なので、妖怪としてはそれほど強力じゃない。数人いれば普通の人でも対処できるかな」
そこまで読んで、美瑠は視線をタクシーの進む先へと移した。
それほど強力ではないというのなら、千霧にとっては造作もない相手だろう。
(でも、もし相手が何人もいたら……?)
窓の外の人気も消えた工場街を見ながら、美瑠はいつまでも消えない不安に胸騒ぎを感じていた。
◇
ふり下ろされた鉄パイプがむなしく地面を打ちすえる。
宙を舞って男の背後に回り込んだ千霧は、その時すでに錫杖を振りかぶっていた。
「なっ……!? がふっ!」
慌てて振り向いた男は向かってくる錫杖を見たのを最後に、二つに割られ、その場から消滅した。
男が消えた地面に1メートルほどの黒い染みが現れる。よく見れば、集積場の中にはいたるところに同様の黒い染みができていた。およそ、20ほどの染みが……
「くそぉっ!! 何なんだお前はっ! なぜ、こんなっ……!」
最後の一人となった『絵莉』が叫ぶ。
確かに影法師は強力な妖怪ではないとはいえ、人よりも高く跳び、人よりも早く動けるはずだ。なのにこの人間は踊るように軽やかに、何人でかかろうとも触れることもできずに確実に、自分達を葬っていく……
先端が折れてとがった傘の柄を構えながら、『絵莉』の顔には恐怖と怒りがないまぜになった表情が貼りついていた。
「……」
足音もなく、無言で近づいてくる千霧の姿は、絶対的な死をもたらす『絶望』そのもののように感じられた。
「~~~ッ!」
金切り声を上げながらフェンシングのように傘の柄を突き出す『絵莉』。
千霧が半身になってそれをよけ、同時にバトンのようにくるくると回された錫杖が『絵莉』を下から上に真っ二つにした。
「グギャッ!」
その時にはもう、構えを解いて静かにたたずんでいた千霧を、大きく見開かれた『絵莉』の目がギョロリとにらみつけた。
「ヒャハッ! これで、お前の負けだーッ!!」
『絵莉』が高笑いとともに消滅していく。
『絵莉』の言葉に、千霧はいつのまにか自分が建物の奥深くに立っていることに気づいた。そこは三方を廃品の山が囲み、自由に動けるスペースはほとんど残されていない。
(誘い込まれたか)
千霧がそう考えたまさにその時……
「千霧さーんっ!!」
振り向いた千霧の目が、建物の外の礼と美瑠をとらえる。
「……ッ! 中に入るなっ!」
その瞬間、目の前の廃品の山が轟音とともに弾けとんだ。
影法師という妖怪の設定は、この作品独自のものになります。